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プロローグ
プロローグ2:――――――あ”?
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「やあジュリエッタ。聖女どのの今日のご機嫌はいかがかな?」
「よくないわ」
豪華だが死んだように静かな無人の宮殿。その中央にある玉座と思われる椅子に、私は腰掛けている。
もちろん現実ではない。現実の私は、生贄の神殿の奥深くで水晶に囚われたまま。ここはドルガマキアの作り出した精神世界。立派な屋根も壁も柱も、そして宝石とレースで飾られたドレスをまとい玉座に座る私自身も、ドルガマキアが私に見せている幻にすぎない。
つまりは、私の目の前にうやうやしい様子で立つ長身の男も幻。黒い髪に黒い服に黒曜石のような瞳をした美形の男。優雅な所作に心地よい声。何も知らなければうっとりみとれてしまうような男なのは、私の油断を誘うための罠。この男はドルガマキア自身。この精神世界におけるドルガマキアの分身のようなものだ。
「ではいつも通りということかジュリエッタ。元気そうで安心したぞ」
ドルガマキアは黒曜石の瞳にいかにも愉快そうな輝きを浮かべ、ゆっくりと私に近づいてきた。
「やめて、来ないで……!」
私はそう叫び、身をよじる。しかしここはドルガマキアの作り出した世界。私の体は指一本すらも自分の思う通りにはならない。
自分は生まれついての絶対的強者であり、自分は支配し蹂躙する側であり、それゆえに弱い者をいたぶるのが大好き――と。
ドルガマキアの顔には、あたかもそう書いてあるがごときだった。
暗黒竜ドルガマキアは生贄として捧げられた聖女にありとあらゆる弑虐を与え、その苦痛をしゃぶる。
そして聖女の精神が完全に壊れ廃人と化すと、その聖女を閉じ込めていた水晶ごと喰らう。
そうして、王国にまた次の聖女を要求するのだ。
聖女、と言う名の生贄を。
ドルガマキアが気まぐれに与える弑虐はとても人間に耐えられるようなものではなく、幼いころから教育を受けた選ばれし聖女であっても持って一年。だから、私が聖女となるまでは年にひとりの聖女の選出と生贄の儀式の実施が国の慣例だった。
そんななか、私だけがひとり三十年もの間この残酷な男を相手に正気を保つことができたことには理由がある。
ロミリオ王子と共に調べた古い文献にあったいくつかの手がかりだ。
ドルガマキアから与えられる(ピー)とか(ピー)といったとても口にはできないような肉体的苦痛は、ただの幻。痛めつけられているというのはそう思い込まされているだけ。実際の体は硬い水晶に守られ傷ひとつついていない。それに気づいた後は、それまで感じていた痛みもただの思い込みだったと気づいた。
さらに、それ以降ほとんど痛みを感じていないということをドルガマキアに気取られないよう、私は「苦痛に悶え悲鳴をあげる演技」を根気強く続けた。
ドルガマキアは私から滲み出る「苦痛」の量が急に減ったことには気づいたが、その理由まではわからなかったようだ。苦痛を感じる機能そのものが壊れてきた、つまりは廃人になる前兆、くらいに思っていたようだが、私は目の前の幻の内容に応じ、いいタイミングで大仰な悲鳴をあげていただけ。苦痛というなら、タイミングを逃さないよう気を張り続けるのが辛かったが、それも徐々に慣れてきた。ドルガマキアのドS全開の責めに応じ、悲鳴を上げて昏倒するふり、絶叫を上げて気絶するふり、という茶番劇を毎日のように続けた。
そうしていつしか十年が過ぎていた。
そこまで経つと、長い寿命を持つがゆえに時間感覚が人間とは異なるドルガマキアも、さすがにおかしいと気づいたらしい。ドルガマキアは肉体的苦痛は諦め、今度は私の精神を闇落ちさせることにしたようだ。
自国民を何万人と虐殺した国王、弱いものから搾取する領主、命令されるがまま仲間でも葛藤なく殺す子供の暗殺者集団と、それを管理育成する自称聖職者たち――
歴史書や人の噂、あるいは土地の記憶から吸い上げたという人間のありとあらゆる愚行をあたかもその場にいるかのように見せつけられたけれど、私の心は折れなかった。
この世の全てが善人ではないことなどとうに知っている。ミズガルド王国に拾われたのは幼いころのことだったが、それ以前のもっと幼いころ、どういう経緯かは記憶にないが孤児となり寒い夜を孤独にさまよっていた経験から、世の中がどういうものであるかは多少なりとも知っているつもりだ。
けれど。この世がどんなにひどいところでも、私はこの国を守りたかった。ひろってもらった恩、だけじゃない。もちろん、王国の国民のなかには悪人だっているだろう。けれど、その中にたった一人でも救うべき人がいるのなら――私は希望を捨てはしない。私の心が闇で覆われることは決してない。
というのは本心で言っていたことではあったが、毎日のように同じ話をしていると段々ルーチン化してくる。毎日大体同じような経緯で同じような感じのことを言い続けているうちに――
――また十年が経った。
どうやらこのアプローチも難しいようだと気づいたドルガマキアは、私の精神の礎となっている、身近な人たちへの信頼の鎖を断ち切ることを思いついた。
そこからの日々が、私にとっては最も過酷だったかもしれない。
私がミズガルドで信頼していた人たちの「裏の顔」について、ドルガマキアは私に吹き込んできたのだ。
曰く――孤児である私のことをいつも気にかけてくれていた学院の門番のおじさんは、実は掃除のおばさんと不倫している。
学院の料理番、笑顔の絶えない食堂の名物おばちゃんは、食堂で余ったパンをひそかに持ち帰り売り捌いては小銭を稼いでいる。
高潔な振る舞いと慈悲深い性格で皆の尊敬を集めていた校長はマニアックなエロ本を蒐集するのが密かな趣味だ。
など。
など……。
…………。
ミズガルド王国の王立魔法学院、通称ミズラル学院の敷地内にある孤児院に幼くして引き取られ、そのままその学院の生徒として寮生活を営んでいた私の世界は、多分かなり狭い。
陰口が大好きな女学生が教室の隅でヒソヒソ盛り上がっているレベルの情報を、ドルガマキアは嬉々として私に吹き込んできた。
話題にできる人の母数が少ないせいかしまいには同じ情報を二度三度聞かされたりもしたけれど、私はその度に新鮮なリアクションで応えた。
ちなみに、まったく衝撃を受けなかったわけではない。けれど、それまでの十年間で歴史上のありとあらゆる人間の悪事というものを吹き込まれてきた私にとっては――なんというかそれくらいはどうでもいい話に聞こえていた。順番が逆だったら効いたかもしれないが、これはドルガマキアの戦略ミスだろう。
ともあれ、もちろん私がまるでショックを受けていないことをドルガマキアに悟られてはならない。私はいちいち「ええっ」「そんな……」「ひどい……そんなこと……」だのなんだの顔面蒼白にしたり衝撃のあまり言葉を失ったりはらはらと涙を流したりと、バリエーション豊富なリアクションをひねり出しドルガマキアを欺き続けた。
そうして、さらに十年。
合わせて、三十年。
肉体は水晶に閉じ込められたまま、朝日夕日はもちろん時計もカレンダーも見ることは叶わないので正確に月日を測ったわけではないが――私と同じ歳だったロミリオ王子が許嫁と結婚して国王に即位、そして新しい王子が生まれたのがロミリオ王子三十歳の時。その時生まれた王子が今年十七歳。私が水晶に閉じ込められた時のロミリオ王子と同じ歳だ。
「お前がそうやって折れないのは、あの男への愛か? 自分を裏切った相手に健気なことだ」
玉座に座ったままの私の髪を持ち上げ、ドルガマキアが毛先にキスをする。
「う、裏切られていなどいません!」
「他の女と結婚し、子を成したぞ。恋人が目の前で水晶に閉じ込められたというのに、あの調子ではとっくに忘れているかもしれんな」
「私は……ロミリオ王子の恋人などではありませんから……」
そう言った私の胸が、ちくりと痛んだ。
許嫁は勝手に決められたもの、僕はジュリエッタと共に生きたい――私を抱きしめたロミリオ王子がそう熱っぽく語った声は、今も耳に残っている。
ありがとうございます、王子、と、あの時は答えた。けれど、決してそんなことができないのはわかっていた。私が聖女候補だったからではない。私と王子では、身分が違いすぎる。学生時代はモラトリアムだ。魔法学院を卒業すれば王子は国王の補佐役として国の中心に身を置くことになる。私はといえば、聖女に選ばれなければ、国費で生活させてもらった身として国軍の魔道士部隊に配属され辺境警備にでもあたるのがせいぜいといったところだったろう。
だから、王子が結婚したと聞いた時だって心が折れたりはしなかった。ロミリオ王子には国を背負って立つ責任がある。独身で私を待つことなどできはしない。それに、王以外には閲覧が許されていない古い資料にドルガマキアを倒す方法が書かれているはずだ。私が残した情報を正しく読み取れていればロミリオ王子もそれがわかっているはず。だから。だから――
ドルガマキアの口が、突然私の首筋に吸い付いた。
私はドルがマキアを突き飛ばす。
私がそうできた、ということは、ドルガマキアがそれを許したということだ。
抵抗する獲物の力をゆっくりと削いでいく、というのは、ドルガマキアお気に入りの遊びだ。
ドルガマキアが、赤い舌でべろりと口のまわりを拭う。
どういう仕組みかは知らないが、ドルガマキアは私の体の一部に触れることで私の苦痛を吸い取っているらしい。
「良い味だ」
「ち、近づかないで!」
私は玉座の上で身を縮め、ガタガタと震える。
寒さも恐怖もなくても、体に極度の緊張を加えるとこうして震えることができる。慣れたものだった。
「口ではそう言っていても、やはりあの男の話が一番こたえるようだな」
「王子を慕っているのは私が勝手にしていただけです! 王子が裏切ったわけではありません!」
絶叫する。ドルガマキアには心を読む能力まではないようだが――あったらとっくに色々バレていただろうから――私がどれくらい苦痛を感じているか、ということはある程度わかるらしい。最近頻繁にロミリオ王子の話をするのは、それが多少なりとも私に苦痛を与えるからだ。
王子と私は身分違い。ああ言ってもらえただけで幸せ。頭ではわかってはいる。頭ではわかってはいるのに、心はまだ痛んでしまう。
「お前が生贄になった時にはあれだけ嘆いていた男がなぁ?」
「王子と私は――戦友です。共に、あなたと戦おうと約束したのです。だから王子は泣いてくれた。それだけ……」
「戦友とは! 我輩を相手に孤軍奮闘しているお前になにかしてくれたか?」
「心の……支えです。もしも彼の代で無理でも――彼の子供か、孫の代で成してくれる。私はそう信じてます」
目尻に涙を浮かべながら、私は悲痛な表情で語る。
演技は過剰。だけど、言っていることは本当の気持ち。もっとも、私が残した印をロミリオ王子が見つけていてくれれば、ドルガマキアを倒す方法を探し出すまで、そう時間はかからないはずだったのだけれど。見落とされてしまったのか、それとも私の見込みが甘かったのか……
「ロミリオ王子が、あるいはその子孫があなたを倒すまでは、私があなたを抑える。どんなにつらくても、苦しくても、犠牲となるのは私で最後にする。それが私と王子の約束……」
ドルガマキアはきょとんとした表情になったあと、大笑いをした。
「なにがおかしいのです!」
私は大仰に怒ってみせた。おそらくドルガマキアは私の知らない何かを知っているのだろう。それがなんであれ心が折れたりなどはしないが、こうして強気に怒っておくことが、ドルガマキアの言葉に大ショックを受けて昏倒する布石となる。
今日のシナリオも順調だ。
思った通り、ドルガマキアは我が意を得たりとばかりの残酷な笑みを私に向けて来る。
「ジュリエッタ、やはりお前は裏切られているぞ」
「裏切られてなどいません!」
「あの男が国中に触書を出させていたぞ。今年――数十年ぶりに、新たな聖女を選ぶことにした、と。生贄の聖女をな」
ドルガマキアは、ひとことひとこと区切るように言った。
そして、自分の発言の効果を確かめるように、ゆっくりと私の顔を覗き込んでくる。
制御不能になった私の口から、思いもしなかった声が漏れる。
「――――――――――――あ”?」
私の顔を確認したドルガマキアの表情が、凍りついた。
「よくないわ」
豪華だが死んだように静かな無人の宮殿。その中央にある玉座と思われる椅子に、私は腰掛けている。
もちろん現実ではない。現実の私は、生贄の神殿の奥深くで水晶に囚われたまま。ここはドルガマキアの作り出した精神世界。立派な屋根も壁も柱も、そして宝石とレースで飾られたドレスをまとい玉座に座る私自身も、ドルガマキアが私に見せている幻にすぎない。
つまりは、私の目の前にうやうやしい様子で立つ長身の男も幻。黒い髪に黒い服に黒曜石のような瞳をした美形の男。優雅な所作に心地よい声。何も知らなければうっとりみとれてしまうような男なのは、私の油断を誘うための罠。この男はドルガマキア自身。この精神世界におけるドルガマキアの分身のようなものだ。
「ではいつも通りということかジュリエッタ。元気そうで安心したぞ」
ドルガマキアは黒曜石の瞳にいかにも愉快そうな輝きを浮かべ、ゆっくりと私に近づいてきた。
「やめて、来ないで……!」
私はそう叫び、身をよじる。しかしここはドルガマキアの作り出した世界。私の体は指一本すらも自分の思う通りにはならない。
自分は生まれついての絶対的強者であり、自分は支配し蹂躙する側であり、それゆえに弱い者をいたぶるのが大好き――と。
ドルガマキアの顔には、あたかもそう書いてあるがごときだった。
暗黒竜ドルガマキアは生贄として捧げられた聖女にありとあらゆる弑虐を与え、その苦痛をしゃぶる。
そして聖女の精神が完全に壊れ廃人と化すと、その聖女を閉じ込めていた水晶ごと喰らう。
そうして、王国にまた次の聖女を要求するのだ。
聖女、と言う名の生贄を。
ドルガマキアが気まぐれに与える弑虐はとても人間に耐えられるようなものではなく、幼いころから教育を受けた選ばれし聖女であっても持って一年。だから、私が聖女となるまでは年にひとりの聖女の選出と生贄の儀式の実施が国の慣例だった。
そんななか、私だけがひとり三十年もの間この残酷な男を相手に正気を保つことができたことには理由がある。
ロミリオ王子と共に調べた古い文献にあったいくつかの手がかりだ。
ドルガマキアから与えられる(ピー)とか(ピー)といったとても口にはできないような肉体的苦痛は、ただの幻。痛めつけられているというのはそう思い込まされているだけ。実際の体は硬い水晶に守られ傷ひとつついていない。それに気づいた後は、それまで感じていた痛みもただの思い込みだったと気づいた。
さらに、それ以降ほとんど痛みを感じていないということをドルガマキアに気取られないよう、私は「苦痛に悶え悲鳴をあげる演技」を根気強く続けた。
ドルガマキアは私から滲み出る「苦痛」の量が急に減ったことには気づいたが、その理由まではわからなかったようだ。苦痛を感じる機能そのものが壊れてきた、つまりは廃人になる前兆、くらいに思っていたようだが、私は目の前の幻の内容に応じ、いいタイミングで大仰な悲鳴をあげていただけ。苦痛というなら、タイミングを逃さないよう気を張り続けるのが辛かったが、それも徐々に慣れてきた。ドルガマキアのドS全開の責めに応じ、悲鳴を上げて昏倒するふり、絶叫を上げて気絶するふり、という茶番劇を毎日のように続けた。
そうしていつしか十年が過ぎていた。
そこまで経つと、長い寿命を持つがゆえに時間感覚が人間とは異なるドルガマキアも、さすがにおかしいと気づいたらしい。ドルガマキアは肉体的苦痛は諦め、今度は私の精神を闇落ちさせることにしたようだ。
自国民を何万人と虐殺した国王、弱いものから搾取する領主、命令されるがまま仲間でも葛藤なく殺す子供の暗殺者集団と、それを管理育成する自称聖職者たち――
歴史書や人の噂、あるいは土地の記憶から吸い上げたという人間のありとあらゆる愚行をあたかもその場にいるかのように見せつけられたけれど、私の心は折れなかった。
この世の全てが善人ではないことなどとうに知っている。ミズガルド王国に拾われたのは幼いころのことだったが、それ以前のもっと幼いころ、どういう経緯かは記憶にないが孤児となり寒い夜を孤独にさまよっていた経験から、世の中がどういうものであるかは多少なりとも知っているつもりだ。
けれど。この世がどんなにひどいところでも、私はこの国を守りたかった。ひろってもらった恩、だけじゃない。もちろん、王国の国民のなかには悪人だっているだろう。けれど、その中にたった一人でも救うべき人がいるのなら――私は希望を捨てはしない。私の心が闇で覆われることは決してない。
というのは本心で言っていたことではあったが、毎日のように同じ話をしていると段々ルーチン化してくる。毎日大体同じような経緯で同じような感じのことを言い続けているうちに――
――また十年が経った。
どうやらこのアプローチも難しいようだと気づいたドルガマキアは、私の精神の礎となっている、身近な人たちへの信頼の鎖を断ち切ることを思いついた。
そこからの日々が、私にとっては最も過酷だったかもしれない。
私がミズガルドで信頼していた人たちの「裏の顔」について、ドルガマキアは私に吹き込んできたのだ。
曰く――孤児である私のことをいつも気にかけてくれていた学院の門番のおじさんは、実は掃除のおばさんと不倫している。
学院の料理番、笑顔の絶えない食堂の名物おばちゃんは、食堂で余ったパンをひそかに持ち帰り売り捌いては小銭を稼いでいる。
高潔な振る舞いと慈悲深い性格で皆の尊敬を集めていた校長はマニアックなエロ本を蒐集するのが密かな趣味だ。
など。
など……。
…………。
ミズガルド王国の王立魔法学院、通称ミズラル学院の敷地内にある孤児院に幼くして引き取られ、そのままその学院の生徒として寮生活を営んでいた私の世界は、多分かなり狭い。
陰口が大好きな女学生が教室の隅でヒソヒソ盛り上がっているレベルの情報を、ドルガマキアは嬉々として私に吹き込んできた。
話題にできる人の母数が少ないせいかしまいには同じ情報を二度三度聞かされたりもしたけれど、私はその度に新鮮なリアクションで応えた。
ちなみに、まったく衝撃を受けなかったわけではない。けれど、それまでの十年間で歴史上のありとあらゆる人間の悪事というものを吹き込まれてきた私にとっては――なんというかそれくらいはどうでもいい話に聞こえていた。順番が逆だったら効いたかもしれないが、これはドルガマキアの戦略ミスだろう。
ともあれ、もちろん私がまるでショックを受けていないことをドルガマキアに悟られてはならない。私はいちいち「ええっ」「そんな……」「ひどい……そんなこと……」だのなんだの顔面蒼白にしたり衝撃のあまり言葉を失ったりはらはらと涙を流したりと、バリエーション豊富なリアクションをひねり出しドルガマキアを欺き続けた。
そうして、さらに十年。
合わせて、三十年。
肉体は水晶に閉じ込められたまま、朝日夕日はもちろん時計もカレンダーも見ることは叶わないので正確に月日を測ったわけではないが――私と同じ歳だったロミリオ王子が許嫁と結婚して国王に即位、そして新しい王子が生まれたのがロミリオ王子三十歳の時。その時生まれた王子が今年十七歳。私が水晶に閉じ込められた時のロミリオ王子と同じ歳だ。
「お前がそうやって折れないのは、あの男への愛か? 自分を裏切った相手に健気なことだ」
玉座に座ったままの私の髪を持ち上げ、ドルガマキアが毛先にキスをする。
「う、裏切られていなどいません!」
「他の女と結婚し、子を成したぞ。恋人が目の前で水晶に閉じ込められたというのに、あの調子ではとっくに忘れているかもしれんな」
「私は……ロミリオ王子の恋人などではありませんから……」
そう言った私の胸が、ちくりと痛んだ。
許嫁は勝手に決められたもの、僕はジュリエッタと共に生きたい――私を抱きしめたロミリオ王子がそう熱っぽく語った声は、今も耳に残っている。
ありがとうございます、王子、と、あの時は答えた。けれど、決してそんなことができないのはわかっていた。私が聖女候補だったからではない。私と王子では、身分が違いすぎる。学生時代はモラトリアムだ。魔法学院を卒業すれば王子は国王の補佐役として国の中心に身を置くことになる。私はといえば、聖女に選ばれなければ、国費で生活させてもらった身として国軍の魔道士部隊に配属され辺境警備にでもあたるのがせいぜいといったところだったろう。
だから、王子が結婚したと聞いた時だって心が折れたりはしなかった。ロミリオ王子には国を背負って立つ責任がある。独身で私を待つことなどできはしない。それに、王以外には閲覧が許されていない古い資料にドルガマキアを倒す方法が書かれているはずだ。私が残した情報を正しく読み取れていればロミリオ王子もそれがわかっているはず。だから。だから――
ドルガマキアの口が、突然私の首筋に吸い付いた。
私はドルがマキアを突き飛ばす。
私がそうできた、ということは、ドルガマキアがそれを許したということだ。
抵抗する獲物の力をゆっくりと削いでいく、というのは、ドルガマキアお気に入りの遊びだ。
ドルガマキアが、赤い舌でべろりと口のまわりを拭う。
どういう仕組みかは知らないが、ドルガマキアは私の体の一部に触れることで私の苦痛を吸い取っているらしい。
「良い味だ」
「ち、近づかないで!」
私は玉座の上で身を縮め、ガタガタと震える。
寒さも恐怖もなくても、体に極度の緊張を加えるとこうして震えることができる。慣れたものだった。
「口ではそう言っていても、やはりあの男の話が一番こたえるようだな」
「王子を慕っているのは私が勝手にしていただけです! 王子が裏切ったわけではありません!」
絶叫する。ドルガマキアには心を読む能力まではないようだが――あったらとっくに色々バレていただろうから――私がどれくらい苦痛を感じているか、ということはある程度わかるらしい。最近頻繁にロミリオ王子の話をするのは、それが多少なりとも私に苦痛を与えるからだ。
王子と私は身分違い。ああ言ってもらえただけで幸せ。頭ではわかってはいる。頭ではわかってはいるのに、心はまだ痛んでしまう。
「お前が生贄になった時にはあれだけ嘆いていた男がなぁ?」
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目尻に涙を浮かべながら、私は悲痛な表情で語る。
演技は過剰。だけど、言っていることは本当の気持ち。もっとも、私が残した印をロミリオ王子が見つけていてくれれば、ドルガマキアを倒す方法を探し出すまで、そう時間はかからないはずだったのだけれど。見落とされてしまったのか、それとも私の見込みが甘かったのか……
「ロミリオ王子が、あるいはその子孫があなたを倒すまでは、私があなたを抑える。どんなにつらくても、苦しくても、犠牲となるのは私で最後にする。それが私と王子の約束……」
ドルガマキアはきょとんとした表情になったあと、大笑いをした。
「なにがおかしいのです!」
私は大仰に怒ってみせた。おそらくドルガマキアは私の知らない何かを知っているのだろう。それがなんであれ心が折れたりなどはしないが、こうして強気に怒っておくことが、ドルガマキアの言葉に大ショックを受けて昏倒する布石となる。
今日のシナリオも順調だ。
思った通り、ドルガマキアは我が意を得たりとばかりの残酷な笑みを私に向けて来る。
「ジュリエッタ、やはりお前は裏切られているぞ」
「裏切られてなどいません!」
「あの男が国中に触書を出させていたぞ。今年――数十年ぶりに、新たな聖女を選ぶことにした、と。生贄の聖女をな」
ドルガマキアは、ひとことひとこと区切るように言った。
そして、自分の発言の効果を確かめるように、ゆっくりと私の顔を覗き込んでくる。
制御不能になった私の口から、思いもしなかった声が漏れる。
「――――――――――――あ”?」
私の顔を確認したドルガマキアの表情が、凍りついた。
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