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あさと

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 どうして僕の名前は浅人なの?
 小学生の頃、国語の授業で名前の由来について話題になった時、僕は何も答えられなかった。物心ついた時には母さんは家を出ていき、家政婦さんと兄さんたちに育てられた僕はそんな話を聞く機会はなかったのだ。
 みんなの名前には色々な意味があった。
 大きく羽ばたけるように“翼”、優しい子になるように“優香”、他にもたくさん。
 みんなの名前の由来を聞いてわくわくした。僕の名前にはどんな意味があるんだろう。どんな願いがこめられているんだろう。
 それなのに学校のみんなは僕の名前を変だと言った。“浅い人なんて変”って。変なんかじゃないのに。僕の兄弟達はみんな止め字に“人”を使っていてお揃いなんだ。聞いたことはないけれど、一人一人の漢字にそれぞれ思いが込められているに決まってる。変だなんて言った奴らを見返してやらなくちゃ。
 そわそわして帰りの電車では座らずにずっと立って過ごし、駅につくと家まで走って帰った。息を切らしながら家政婦さんに僕の名前にはどんな意味があるのか尋ねたが、彼女は首を傾げて“そういうことでしたら和人さんに伺った方がいいですよ”と言うだけだった。
 仕方なく和人兄さんが大学から帰ってくるのを待つと、兄さんはその日は夜遅くにお酒を飲んで帰ってきた。もう寝る時間は過ぎていたけれど、解錠する音と同時に急いで玄関まで走った。
 兄さんは僕を見ると微笑んで抱き締めてくれた。いつもの甘い香りに混じってお酒や煙草の大人の匂いがする。
「どうしたの。もう寝る時間だろ?」
「ねぇ、僕の名前はどうして浅人なの」
「なにそれ。なぞなぞ?」
「違うよ。今日ね、学校で名前の由来のお話をしたんだよ」
 コートを脱ぎながら部屋へと上がっていくのについて歩き、廊下の一番奥にある兄さんの部屋へと一緒に入った。僕は兄さんの話を待ったがなかなか始まらず、コートをハンガーにかけてベットに座るのを見届けたら、おいでと膝を叩いたので言う通りに膝に座った。後ろからお腹に手を回され、後頭部に鼻が埋められると少しくすぐったかった。
「あのね。浅人の名前だけは母さんがつけてくれたんだよ」
「そうなの? 僕だけ?」
「そう。他はみんな父さんがつけたんだけど、浅人だけ特別なんだ。ただね、少し問題があった」
「もんだい?」
「母さんは外国の人だから漢字がわからなかったんだ。だから辞書を見て一番かっこいいと思った形の漢字にしたんだって」
 僕だけ母さんにつけてもらった特別な名前?
 一番かっこいい漢字?
 よくわからないけど何だか素敵な言葉の羅列に感動した。ほんの少し不安だった気持ちが晴れ、ぱぁっと輝いていくのを感じる。兄さんもそれがわかったのか、ふっとため息をついて僕の身体を抱っこしたままベットに転がった。
「眠いなぁ……今日は一緒に寝る?」
「ほんと?! お風呂入らないの」
「もういいよ、朝はいるから。歯磨いた?」
「うん、磨いたよ」
 笑顔で答えると兄さんはよしよしと頭を撫でておでこにキスをしてくれた。安心して眠くなった僕はその優しさに包まれながら眠りについた。
 次の日になって学校で名前の由来について話したけれど、もうみんなの興味は他にいってしまってあまり良い反応はもらえなかった。少し寂しかったけれど、それでいいやと思った。僕の名前は特別なのだから。
 でも、違った。
 僕の特別は、悪い意味での特別だった。
 母さんとは月に一度兄弟達で会う約束になっていたが、中学一年生の時に再婚することになり、いつもの喫茶店に相手の男性を連れてきた。
 特に険悪でもなかったのでおめでとうとみんなで声をかけたが、その人を見ていて違和感を感じた。
 それは一目見た時から感じていたが、トイレに立てばついてくるし、やたらと僕の話を聞きたがり、自分の違和感は間違いではないと悟る。
 この人、僕のお父さんだ。
 感覚だけれど、すぐにそう思ったのだ。向こうからは何も言うことはなかったが、絶対にそうだと思ったのだ。
 帰り道、兄さん達に聞こうかと思ったがそれはしなかった。二人とも口を開かず雰囲気からして機嫌があまり良くなかったのだ。それに聞いてどうするとも思った。聞いたところで僕はあの人たちとどうこうなるわけでもない。
 それに父さん(実際にはきっとそうではないのだけれど)は家にほとんどいなかったので実の父親じゃないと聞いてもそんなにショックとかはなかった。兄弟達とは血が繋がっているのだからそれで構わない。父さんはたくさんお金を稼いで裕福な暮らしを提供してくれている、それでいいじゃないか。
 何か知ったところで僕の暮らしは変わらない。
 考えることは好きじゃない。
 深く考えても馬鹿な自分にはよくわからないし、無駄なことだ。
 だったら考えなくていい、見て見ぬふりをすればいい。
 僕は何も知らないのだ。
 そうしていれば何も変わらずに済む。
 ただ一つ残念だと思ったのは、そう、名前の由来だった。
 僕の名前は母さんが特別に名付けてくれたには違いない。
 きっと父さんが名付けてくれなかったのだろう。
 名付けてもらえなかったから“特別に”名付けてもらったのだ。辞書にある適当な漢字を使って。
 でも、そのこともあまり考えないようにした。
 特別は特別だから、まぁいいか。
 それくらいに考えた方がいいのである。楽なのである。
 人生知らなくていいこと、触れなくていいことだらけだ。
 考え出したらきりがない。
 見て見ぬふりが一番いいのだ。
 父親のことがわかる前だってそうやっていたのだ。
 父さんが和人兄さんにやたらと執着しているのも、兄さん達が突然不仲になったのも、それに対して弟にお前は鈍感のグズだと罵られても、知らんぷりだ。
 これが一番正しいのだ。
 鈍感のグズでいいのだ。
 しかしその僕の考え方、生き方が今、揺らいでいる。
 日曜日、うちで勉強会をするはずだった恋人と親友はいつの間にか消えていた。
 和人兄さんに聞いても笑顔でかわされ話にならず、上着も鞄も置いたままだったので途方に暮れた。財布と携帯電話は身につけていたようだが、それにしたっておかしな話だ。隼人の家まで行こうかと悩んだが、何だか怖くて行くことはできず、二人の携帯電話にメールを入れるだけに留めた。
 試しに部屋に二人を招いてみて思ったのだ、昔の関係というだけでなく、まだこの二人には何かあるんじゃないかと。だから消えた二人を深く追求するのは怖かった。
 しかしメールの返信もない上に翌日学校に行っても二人の姿はなく、いよいよ見て見ぬふりなど言ってられなくなってきた。
 そうして今僕は、二人が置いていった荷物を持って隼人のアパートの前にいる。
 二人が裸でいたらどうするかな、いやいやそんなわけないでしょ、なんて自嘲しながら階段を上り、二〇三号室のチャイムを鳴らす。
 すると案外すぐに扉は開き、トレーナーにジャージというラフな姿で隼人は出てきてくれた。
「あ、よかった! 家に帰ってたんだね。昨日二人で突然いなくなっちゃうんだもん、びっくりしたよ。ほらこれ荷物……」
 大きめのトートバックに詰め込んだ荷物を見せるために腕をあげようとした瞬間、腕を引かれ玄関の中へと導かれた。背後でバタンと扉の閉まる音が響き、驚いて手を離したトートバックが落ちると抱きしめられた。
 その腕の力はいつもより強くて驚いた。こんな風に強く抱きしめられたことなど今までになかったのだ。
 後頭部に添えた手で隼人の胸に押し付けられるように抱かれ、心臓が高鳴った。一体どうしてこんな。
「隼人、どうしたの。何かあったの」
「なんもねぇよ」
「ほんと? 僕は話さないことはわからないからね」
「そのほうが助かる」
 隼人はぎゅー、ぎゅーっと何度も腕に力をこめる。それに応えたくて僕は隼人の背中をぽんぽんと優しく叩く。
 暫くそうした後に顔を上げたその瞼は赤く腫れて色男が台無しになっていた。ぎょっとしたが、どうせ教えてくれないだろうし聞きたくないしと無視をした。
「浅人、俺のこと好きか」
「え?! そりゃあね、好きだよ」
「じゃあ帰らないで、そばにいてくれよ」
「ええ?! なんで……」
「頼む」
 腫れてしまっていつもより細い隼人の目は、さらに細くなって泣いてしまいそうだった。隼人の泣き顔など見たくない、いや、見たい気もするけど、なんて思いながらも慌てて頷き同意する。
 すると目を細めたままではあるが口元だけでも笑ってみせてくれた。そしてまた抱きしめられる。
 部屋に入ってから僕らはベットを背もたれにし座っていたが、隼人はずっと僕の肩に寄りかかっていた。そうして一人にしないでくれなんて言うのだ。
 可愛い隼人。
 縋るような瞳で僕を見てる。
 考えるのはあまり好きじゃない。そもそも苦手だし。
 それなのに。
 何がそんなに悲しいの。
 どうして急に僕を求めるの。
 玲児との間に何があったの。
 問いただしたくて仕方ない。
 真実など知ったって損しかしないというのにね。
 僕は隼人も玲児も手放したくない。
 その為には鈍感のグズでいなければいけないのに。




 仕事があると言い訳をして、火曜日になっても俺は学校を休んでしまった。午後からの撮影なので学校から直接行こうと思っていたのに。
 玲児に合わせる顔なんてどこにもない。
 しかしせっかく行かせてもらっている高校だ、いつまでも休んではいられない。和人さんだって高校に通えるようにできる限りスケジュールを組んでいるというのに。
 そうだ、和人さん。
 和人さんとだって本当は会いたくない。しかし金は稼がないといけないし、玲児と会うよりは数倍マシだ。
 スタジオに着くとすでに和人さんが待機しており、俺の顔を見て微笑んで楽屋へと連れて行かれた。
「来なかったらどうしよっかなーって少し思ってたんだけど。偉いね、ちゃんと来たね」
「仕事ですからね」
「怒ってる?」
 化粧台の鏡越しに、背後に立つ和人さんへ目をやった。睨みつけてやろうと思ったのに鏡にうつる自分の顔はあまりに覇気がなく、睨んでるようになんてまったく見えなかった。
 顔色が悪く目の下にクマを作っている俺を見て、和人さんは苦笑いする。
「酷い顔。俺のこと殴る気力もなさそうだね。後でメイクさんに整えてもらわないと」
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