君の金魚を削ぎ落としたい

松原 慎

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いつまで夢を見ればいいのでしょう①

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 気怠さに任せて長方形のローテーブルに突っ伏したまま、対面できちんと背筋を伸ばして正座をする彼がペンを走らせる手元へ、腕を伸ばす。
 ルーズリーフを隠したら無言で払いのけられたので、近くに貼ってあった付箋を剥がしたらやっと不機嫌そうに顔を上げてくれた。
「一人だとやる気が出ないから一緒に勉強をしようと誘ったのはどこのどいつだ?」
「俺ですけど」
「他に人がいればやる気が出るという意味ではないのか?」
「うぅん……うまくいきませんでしたねぇ」
 不機嫌そうに、と先ほど形容したが、彼の眉間には常にシワが刻まれている。もはやトレードマーク、いやチャームポイントと化しているその眉間のシワをますます深め、呆れたように頬杖をついた。
「今の姿を見たら高校の頃、成績優秀で生徒会長まで務めていた人間とは思えんな。卒業もあやしいだろう? 俺より単位取れてないなんてことはないだろうな?」
「そこまで酷くありませんよ……たぶん」
「就活は結局しないのか?」 
「する気ないです。ホリデイでバイト続けます。有難いことに、路彦さんにはまだここに居ていいと言われてますし」
 もう一枚付箋を剥がして彼の手に貼ったら、険しい表情とは裏腹に、優しくぺちんと手を叩かれた。
 彼、瑞生玲児くんは大学の一つ下の後輩……というだけではなく、高校時代溺愛していた元セフレの現恋人というなんとも微妙な関係でありながら、元セフレと縁が切れた今では巡り巡って一番信頼のおける友人となっている。
 その元セフレである大鳥隼人が心酔しているだけあって知れば知るほど、古風な物言いから語られる不器用な優しさや、芯の通った佇まいと表情が魅力的な青年だ。
 そして……何より顔がいい。自他ともに認める面食いなので、それだけで選ぶということはないが友人も見目がいいととても嬉しい。色白な肌に黒く艶やかな髪や睫毛、さらには細い鼻筋や顎がよく映える。肉付きは薄いが骨格が極端に華奢なわけではなく、力強さも併せ持っていて男らしい。話していても眺めていても飽きないのだ。
「む……あまり見るな。落ち着かん」
「ふふ……見惚れてしまいました」
「またお前はすぐにそういうことを言う……やめろと言っているだろう」
「お綺麗なのでつい」
 ああ、白い頬に少し赤みがさしている。愛らしい。
 隼人はいつもこんな顔を見ているのだろうなぁと、照れ隠しに目を伏せ、勉強を再開してしまった姿をじっと見据える。二人でどんなセックスをしているのだろう、自分としていたのとは違うのだろうかと考えていたら、悪戯心が湧いてきて、ずるずると座ったまま玲児くんの隣に移動した。
 肩に顎を乗せると、口をへの字にして怪訝そうにこちらをチラと見るが、やや唇を動かすだけで何も言ってはこない。
「俺、童貞なんですけど……玲児くんもですよねぇ?」
 耳元でそっと囁いてみたら、一瞬その細い身体が浮いて、一歩後退して腰を床に落とした。ずん、と床に響いて、お尻が痛そうだなんて呑気に思っていたら玲児くんは真っ赤な顔をして声を荒らげた。
「貴様ッ! もう帰るぞ! 俺は勉強に付き合ってほしいというから来たのであって……!」
「だって俺、玲児くんと違って三年半? くらい、セックスしてないんですよ……もう限界というか」
 一歩下がられたので一歩近づくが、顔の真ん前に手の平を出されガードされてしまう。しかし優しい玲児くんの手は、俺がその手を握って横にずらせば素直にすぅっと下がっていく。
「俺で童貞捨てるってどうですか? 挿入するの興味ありません? 浮気に入らないのでは?」
「入る、入るだろう、隼人に殺されるぞ。卒論とかいろいろやることがあるだろう、馬鹿を言ってないでお前もやるべきことをやれ」
「えー……玲児くん、まっすぐで長そうなのに勿体ないです」
「なんの話しをしているんだ、なんの。やめろ、全く」
「なんの、じゃなくてナニの、話なんですけど……」
 取り付く島もないし、過去に玲児くんにちょっかいかけて(その時は俺がする側でしたが)隼人に殴られた感触が頬に蘇り、むくれてその場で子供みたいに膝を抱えて座った。
 引くほど愛してくれる肉食系(つまりは絶倫)の恋人がいる人は余裕だ。羨ましい。
 別に俺だって本気で誘っているワケではないけれど、寂しくて仕方ない。
 玲児くんもそのことは分かってくれていて、深く息をついたあと髪を梳くように丁寧な手つきで頭を撫でてくれた。
「あ、でも……夢は見るんです。先生の夢……それが、ちょっといかがわしい夢なんですよ」
「貴様はまた恥ずかしげもなくそういうことを」
「ふざけてるんじゃないんです……嬉しいんですよ。夢の中であっても、先生に会えて触れ合えて。でもやっぱり寂しいだけではなくて、溜まってるのかなって……」
 頭を撫でてくれていた手が止まったので顔を上げると目が合った。玲児くんは何か言おうと口を開きかけたようだったが、ガチャガチャと玄関から空気を読まない音が響いて、弾かれるように揃って扉へ顔を向ける。
 先程話題に上がったここの家主、そしてバイト先の店長である路彦さんのご帰宅だ。
「ちょっとぉ? 廊下まで会話聞こえてたわよ。お友達呼ぶのは構わないけど、いかがわしいことまで許可してないわ」
 腰まである長い黒髪を後ろで一つに括り、肩口の広いグレーのカットソーに黒のロングスカート姿。
 浮世離れしたその出で立ちにスーパーのレジ袋を下げているのがちぐはぐで、見慣れているはずなのに毎回少し愉快な気持ちになる。
「ほら二人がちゃーんといい子にしてると思って、白玉だんご買ってきたのよ。盛ってないでちゃんと学びなさい」
「む! 邪魔をしているというのに、いつも気を遣ってもらって申し訳ない」
「あらあら、いいのよ。気にしないで」
 何度も遊びに来てくれているので玲児くんもすっかり懐いているこの人は、女性のような優雅な口調だが立派な男性でしかもヘテロセクシャル、いわゆるノンケだ。一八〇センチをゆうに越す長身と、一見細身に見えて脱いだらすごい系……簡単に言えば腹筋バキバキの筋肉質な身体つきをしており、お風呂上がりにガウンから見え隠れする胸筋や腹筋を日々楽しみにしているほどのいい男である。
「ほーら。出雲くんも拗ねてないで」
 立ったままレジ袋から小さなプラカップを差し出される。見ればつやつやとした餡子と白玉だんごがとっても美味しそうではあったのだが、受け取らずぷいっとそっぽを向いた。
「和菓子の気分ではないです」
「あら」
 非難されて当然の態度だというのに、二人は何も言ってこない。玲児くんは早速スプーンを口に運んでいるし、路彦さんも特に気に止めずレジ袋を探りまた何か取り出した。
「こんなこともあろうかと、僕のおやつはプリンにしておいたの。交換しましょ」
 そんな温かい声をして肩に手を置き撫でられれば、顔を上げないわけにいかない。まだ唇を尖らせたまま、プリンカップとスプーンを大人しく受け取った。
「むぅ。相変わらず路彦さんは出雲に甘いな。貴様、礼を言わんか」
「あらぁ。出雲くん、後輩にこんなこと言われちゃってるわよ」
 そんなことを言われても、二人が顔を見合わせておかしそうに目配せをするのを見たら余計に天邪鬼になる。プリンは机において抱えた膝に顔を埋めた。
 自分は本来、甘えるのもワガママを言うのもあまり得意ではない。いつも愛想笑いをして、頼まれごとには誠心誠意対応して。高校時代に生徒会長をやっていたのだって、その延長でたまたまだ。好きでやっていたわけじゃない。
 そんな、人の顔色を伺う抑圧したつまらない高校生活を過ごした自分を変えたくて、大学デビューと言われてしまうと恥ずかしいが、好きなだけピアスを開けたり、タトゥーを入れたり(なんと路彦さんに彫ってもらった。俺の首筋には朱色の可愛い金魚が泳いでいる)、黒のワントーンコーデでややロックテイストな服装を好んでみたりしている。
 しかし、だ。ここまでしても未だに人当たりが良いとか、物事を頼みやすい又は話しかけやすいと見られるらしく、周囲の態度に思ったより変化はなかった(顔つきなのだろうか、未だにお年寄りにもしょっちゅう道端でなにか尋ねられる。両耳合わせてピアス九個、タトゥーした男になぜ?!)。
 頼まれれば断れない、嫌なことにも笑顔で応じる。しかし目の前のこの二人といる時は、その反動のようにワガママになってしまう。その必要以上によく甘えてよく拗ねる自分の様子は、無理をしないでいられるからか、そう振る舞うようにしているからか、自分でもよく分からない。
 とにかく二人はとても優しい。他の人間が優しくないわけではないけれど、きっと俺がこんな風に接したら失望されるだろう。玲児くんと路彦さんにはそんな心配は不要なのだ。
 顔を伏せているので見えないが、路彦さんが玲児くんがいるのとは反対側の隣に座った気配がする。かぱっとプラスチックの蓋を開ける軽い音が響く。
「路彦さんは一緒に暮らしていて出雲に襲われないのですか」
 通常ならば冗談めかして問われるだろう内容だが、玲児くんの声は至って真面目だった。ふっと笑い声を漏らし、路彦さんは答える。
「そうねぇ、ないわねぇ」
「むぅ……意外だ」
「ほんとよね。ねぇ、出雲くん? どうして僕のことは襲ってくれないのかしら」
 こんなにいい男なのに、と二人が笑い合う声が頭の上から降ってくる。顔は上げずにやや横にずらして片目だけ出し、視線を路彦さんに送る。目が合うと小首を傾げ金魚が泳ぐ首筋を指先でなぞられた。あ、と声が漏れそうになるがそんなわけにもいかないので、きゅっと強めに瞼を閉じる。
「路彦さんは……男性には興味、ないですし」
 繋いだ言葉がたどたどしくなってしまい、恥ずかしさにまた顔を完全に隠した。
 路彦さんの手は離れていかない。
 まだ金魚を愛でるように撫でて、その上にある左耳のピアスを人差し指の指先で揺らして遊ぶ。ぞくぞくとして、ひざを抱えている手にギュッと力が入る。
「そうね」
 随分経ってから笑い混じりに同意して、やっとその手が離れていってほっとした。
「しかし路彦さんは……」
 玲児くんは何か言いかけて、言葉を濁らせた。小さく、しぃっ、と路彦さんの息遣いが聞こえたような気がするが、気のせいかもしれない。
「さ、お店を開ける準備をしなくっちゃ。出雲くんも16時半には降りてきてちょうだいね」
「はい……」
 立ち上がり去っていく前に、後頭部に温かい手の感触。ゴツゴツとしていて、手の平が厚い、フライパンを握ったり、シェイカーを振ったり、時にはタトゥーマシーンで絵を描く、魔法みたいになんでもできてしまう手だ。
 その手が自分に触れてくれるときはいつも優しい。
 外階段を使って一階に構えたバー「ホリデイ」へ降りていく、カンカンと子気味のいい足音が部屋の中まで響いていた。
「最後に自宅へ帰ったのは?」
 足音が終わってすぐ、玲児くんの凛とした声が耳に入った。俺はやっと顔を上げて肩をすくめる。
「卒業後もここに居座るのだろう」
「そうなりますね」
「路彦さんがお前になんの感情もないと思うか?」
「野良猫を可愛がるくらいの感情はあると思いますけど」
 最初はただ、調理経験が欲しいがために始めたアルバイトだった。
 知人の紹介で今俺たちがいる隣室にあるタトゥースタジオでお世話になったのをきっかけだ。ミックスバーということで自分と同じ性的志向のキャストもいるだろう店に興味が湧いたということもあったが、そこは特に重要ではなく。
 いや、でも。
 初めて会った時から、路彦さんの香りに惹かれていたのは確かだった。
 忘れるはずもない、身を削って愛したあの人が愛煙していた煙草と同じ、ほろ苦いバニラの香りがする。背が高くて年の功も同じくらい。
 俺があの人を想うより、あの人は俺を愛してたのに。
 引き寄せて縛り付けて、かと思えばすべて解いて開かせた。そうして最後には俺を捨てた先生。
 解放したなんて言い方はしてあげられない、そんなに俺は優しくない。優しくないけど、今でも先生しか愛したくなくてずっと待ってる。
 玲児くんはそうハッキリと言うことはないが、もう諦めればいいのにときっと半ば呆れている。高校卒業と同時に捨てられて、もう俺は大学四年生になった。
 テーブルの上に放置されたプリンを手に取り、上に乗せられた生クリームが溶けて流れてしまったそれを口に運ぶ。ぬるい。店に出すものは別として、お菓子作りなどしなくなってしまった。
 先生にはどんなお菓子を作ったかなと思い出そうとしたが、あれもこれも作ったような気がして、どれが本当の記憶かわからなかった。
 

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