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本編・きっかけはどうでも
12 Sleep ③
「終わりました。ご確認よろしくお願いします」
冊子類とファイルを印刷した紙をお渡しすると、先生はとても嬉しそうに受け取ってくださった。
「大変助かりました! 毎年これが憂鬱で仕方なくて。入力しなきゃいけないファイル、地味にマイナーチェンジがあるから、結構作り直さないといけないんですよね。僕はこういう作業があまり得意ではないので、毎年2、3日かかってしまって、非常に困っていました」
「パソコンの操作がそこそこ得意な私でも、これはやりづらかったです」
「そうですか? 僕にスキルがないだけかと思っていました」
先生は私の返事を聞き、ほっとしたように微笑む。
「ずいぶん、偏りがあるんですね。業績」
昨年度の業績を見ると、学会発表は10件ほど、論文は数本が2種に分けられていて、書籍に至っては0だ。過去の業績も似たような感じ。
「学会発表はさすがにしますし、院生と連名のものもあるのでそこそこ多いんですけど、査読論文は年1本書けたら御の字ですね。紀要に載せるやつなんかは、数本書くんですけど。書籍は、僕の分野はあまり流行っていないですし、書く時間もなくて、もう何年も出せていません」
「さどく、論文……?」
「簡単に言えば、掲載されるまでに審査が入る論文です。客観的な検証と評価が入るので、好きに書いただけの論文よりも、信頼性が高いとされるんです」
論文に違いがあるなんて、全然知らなかった。ただ書けばそれでいいのかと思ってた。
「お疲れでしょう? お茶淹れますから、休憩しましょう」
「え、そんなに大変じゃ……」
「あのファイルの仕上げが面倒なのは僕が一番よくわかっていますし、僕も休みたくなったので、付き合ってください」
笑顔でそう言われると断れない。小さく頷いて了承すると、先生が、あっと声を上げた。
「申し訳ありません。荷物置き場、全然配慮していなくて」
床に置いていた私の鞄を見て、先生が言う。
「いえ、本当に安物なので」
「鞄は大切ですよ。僕のロッカーに一緒に入れていいですか?」
「そこまでしなくても」
「貸してください」
先生が引かないので、鞄を渡す。想像よりも重かったんだろう、先生はびっくりしたような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。鞄、つい、いろいろ入れてしまって、重くなっちゃうんです。何かあってもどうにかできるように」
「いろいろ?」
「化粧道具とか、印鑑と朱肉とか、水筒とか、読みかけの本とか」
私の言葉を聞いて、先生は一瞬遠くを眺めた気がした。
先生は無言でロッカーの鍵を開け、私の鞄を入れ、施錠した。そして机の引き出しを探り、私に鍵を差し出してくる。
「これから自由に使ってください。ハンガーは数本あるので、上着も掛けられますから」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、やっぱり先生はにっこりと私に微笑みかけてくださった。
「昔、知り合いが風邪で病院に行った時に」
急に話が変わるので、よくわからなくなる。
「律さんと同じように荷物が多かったので、お医者さんから心配性なんだなと笑われたそうです。なくても生きていける、いざとなったら人から借りればいい、と」
「そう、なんでしょうね」
「僕も荷物はそんなに持ち歩かない方なので、そうだなと思ったんですが。でも、それは、借りる側の論理で。フリーライドしている側は、助けてもらっていることを忘れがちです」
先生は私をソファに座るよう促し、お茶の準備を始めた。おいしそうな洋菓子が乗せられたお皿を、どうぞと差し出される。突然でもこういう風におもてなしできるって、いいなと思う。
「とりあえず」
先生から紅茶の入ったカップを渡されたので、お礼を言って受け取る。
「お茶はこちらで提供しますから、これから水筒はいらないですよ」
ちょうどバッハの演奏が終わり、カップから爽やかな香りが立ち上った。
冊子類とファイルを印刷した紙をお渡しすると、先生はとても嬉しそうに受け取ってくださった。
「大変助かりました! 毎年これが憂鬱で仕方なくて。入力しなきゃいけないファイル、地味にマイナーチェンジがあるから、結構作り直さないといけないんですよね。僕はこういう作業があまり得意ではないので、毎年2、3日かかってしまって、非常に困っていました」
「パソコンの操作がそこそこ得意な私でも、これはやりづらかったです」
「そうですか? 僕にスキルがないだけかと思っていました」
先生は私の返事を聞き、ほっとしたように微笑む。
「ずいぶん、偏りがあるんですね。業績」
昨年度の業績を見ると、学会発表は10件ほど、論文は数本が2種に分けられていて、書籍に至っては0だ。過去の業績も似たような感じ。
「学会発表はさすがにしますし、院生と連名のものもあるのでそこそこ多いんですけど、査読論文は年1本書けたら御の字ですね。紀要に載せるやつなんかは、数本書くんですけど。書籍は、僕の分野はあまり流行っていないですし、書く時間もなくて、もう何年も出せていません」
「さどく、論文……?」
「簡単に言えば、掲載されるまでに審査が入る論文です。客観的な検証と評価が入るので、好きに書いただけの論文よりも、信頼性が高いとされるんです」
論文に違いがあるなんて、全然知らなかった。ただ書けばそれでいいのかと思ってた。
「お疲れでしょう? お茶淹れますから、休憩しましょう」
「え、そんなに大変じゃ……」
「あのファイルの仕上げが面倒なのは僕が一番よくわかっていますし、僕も休みたくなったので、付き合ってください」
笑顔でそう言われると断れない。小さく頷いて了承すると、先生が、あっと声を上げた。
「申し訳ありません。荷物置き場、全然配慮していなくて」
床に置いていた私の鞄を見て、先生が言う。
「いえ、本当に安物なので」
「鞄は大切ですよ。僕のロッカーに一緒に入れていいですか?」
「そこまでしなくても」
「貸してください」
先生が引かないので、鞄を渡す。想像よりも重かったんだろう、先生はびっくりしたような表情を浮かべた。
「ごめんなさい。鞄、つい、いろいろ入れてしまって、重くなっちゃうんです。何かあってもどうにかできるように」
「いろいろ?」
「化粧道具とか、印鑑と朱肉とか、水筒とか、読みかけの本とか」
私の言葉を聞いて、先生は一瞬遠くを眺めた気がした。
先生は無言でロッカーの鍵を開け、私の鞄を入れ、施錠した。そして机の引き出しを探り、私に鍵を差し出してくる。
「これから自由に使ってください。ハンガーは数本あるので、上着も掛けられますから」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、やっぱり先生はにっこりと私に微笑みかけてくださった。
「昔、知り合いが風邪で病院に行った時に」
急に話が変わるので、よくわからなくなる。
「律さんと同じように荷物が多かったので、お医者さんから心配性なんだなと笑われたそうです。なくても生きていける、いざとなったら人から借りればいい、と」
「そう、なんでしょうね」
「僕も荷物はそんなに持ち歩かない方なので、そうだなと思ったんですが。でも、それは、借りる側の論理で。フリーライドしている側は、助けてもらっていることを忘れがちです」
先生は私をソファに座るよう促し、お茶の準備を始めた。おいしそうな洋菓子が乗せられたお皿を、どうぞと差し出される。突然でもこういう風におもてなしできるって、いいなと思う。
「とりあえず」
先生から紅茶の入ったカップを渡されたので、お礼を言って受け取る。
「お茶はこちらで提供しますから、これから水筒はいらないですよ」
ちょうどバッハの演奏が終わり、カップから爽やかな香りが立ち上った。
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