【R18】きっかけはどうでも

テキイチ

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本編・きっかけはどうでも

36 Stop ⑥

 結局、先生に連れて行ってもらった喫茶店に入った。シャランというドアチャイムの音が、なんだか寂しく響く。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは」

 店主が、おや、という表情を一瞬浮かべ、すぐに笑顔で打ち消す。
 それを見て、ああ、ここに一人で入ったことはなかったな、と気づく。
 そもそも私は外食なんかめったにしない、ましてや嗜好品の紅茶なんか飲まない。そんな人間だったはずなのに。

「お決まりになりましたらお呼びください」

 私にメニューを渡しながら、店主が言う。

「あ……。もう決まっています」
 あわててメニューを開いて差し示す。

「ヌワラエリアを」
「単品でよろしかったでしょうか? それともケーキセットになさいますか?」
「単品で」
「かしこまりました」

 今までずっと、ダージリンのケーキセットを頼んでいた。最初の日に先生が選んでくれたものを。
 でも、今日はいつも先生が飲んでいるものを頼みたかった。
 今日のBGMもクラシック――バッハだ。何度も研究室で同じ曲を聞いた。でも、あの楽しそうなバッハじゃない。もっときっちりした、先生に会う前までの荘厳なイメージ通りの演奏で、なんだかずいぶん無機質で冷たいものに感じられた。

 たいしたことはしていないのに。
 先生の反応を見ていたら、自分の行った作業が役に立っていると実感できて、とても嬉しい。
 紅茶やお菓子や音楽。今まで不要だと判断してきたものにふれることが、生きることの楽しみを思い出させてくれている。
 でも、これはバイトで、ずっと続けられる訳じゃない。これで一生食べていける訳じゃない。

 ヌワラエリアが運ばれてきたので、砂時計が落ち切るのを待って、口に運ぶ。
 飲み慣れていない紅茶だからか、味わいを深めているはずの渋みが、なんだかえぐく感じられて。

 現実は口当たりのよさだけで構成されてない。

 目が覚めたような気がして、もう一度自分の気持ちを考えてみる。
 私が本当に気にしているのは、仕事のことなのだろうか?
 違う。本当に悩んでいるのは。
 好きになってしまっても、どうしようもない、ということだ。

 相手は、人を好きになることをやめていて、私のまるで知らない研究をしていて、全然違う世界にいて、本当は会うはずではなかった人。
 一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、離れがたくなるのに。余計好きになってしまうのに。

 気づかないうちに、タイムリミットは来ていた。

 バイトを辞めよう。次に何をするのか、まだきちんと決めてないけど、いたずらに想いを募らせてしまうより、ずっといい。
 私は、仮じゃない本当の居場所を、見つけなければならない。
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