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母が再婚するまで、私の人生はどしゃぶりだった。
血縁上の父は、私が五歳になった日、家にある金を全て持って女と逃げた。出ていく前に頭をなでられたことを、なんだか妙に覚えている。いつもそんなことしないのに、おかしいな、そう思って外に出ると、扉の向こうには雪景色が広がっているばかりで、父の姿はもうどこにもなかった。
一緒に小料理屋をやっていた母は、店の金を持っていかれたことより、あんたの将来にと貯めてた金を盗られたのが痛かったと言っていた。あんたの父親は無駄に人好きする男だったけど、金と女にだらしなくて、こんなこともあろうかと銀行の貸金庫にへそくりしてた、おかげでなんとか切り抜けられたのと言い、苦笑しながら窓の外を眺めた。
母が再婚したいと言ってきたのは、青天の霹靂だった。私がぎりぎりの生活を送っている間に、母は楽しくやっていたんだ、という思いも、正直、なくはなかった。でも、名前を聞いて、納得した。相手は常連客の一人で、店の客層ではかなり珍しい、いつもにこにこしている品のいい男性だった。地味な顔立ちだけど、感じがよく、誠実そうで、間違っても父のように女と逃げたりはしないだろう。いいんじゃない、賛成するよ。私がそう言うと、母はほっとした表情を浮かべた。
いいんじゃない、再婚すれば、安定した生活ができるし。さすがにその言葉は飲み込んだ。母だってそろそろ楽になっていいはずだから。
再婚前に一応顔合わせということで、母と義父と三人で食事をすることになった。たいして盛り上がりはしなかったけれど、なんとなく覚えている会話がある。
僕、結構スキー好きなんだけど、今度一緒に行かないかい?ユキちゃんはスキー、好きかな?あれ、スキーが好きって、なんだか駄洒落みたいだね。歳を取るとくだらないことを言うようになってしまってだめだねえ。そんなことを言いながら、義父は笑う。
名前はユキだけど、雪はあまり好きじゃないし、スキーにも興味ないです。きっぱりそう言うと、義父は、そうなんだ、残念だなあ、と、さほど残念に聞こえない声音で答え、目を細めた。
スキーに行ける唯一の機会を、私は蹴った。
中二の修学旅行は他県にあるスキー場だった。行きたくない訳じゃなかった。本当は何も考えずに遊ぶという経験をしてみたかった。でも、毎晩暗い顔で帳簿を付けている母を見ていたら、私には行かないという選択肢しかなかった。修学旅行に充てる金があれば、何日も食いつなげる。
「スキー楽しみだね!」
近くの席の女の子が無邪気に話しかけてくる。
「私、行かない」
「どうして? 修学旅行だよ?」
「その時期、店が忙しいしね」
私は精一杯の見栄を張ってそう言った。行かない理由を問われたらどう答えるか、何度も想定していたから、驚くほどするりと言葉が出た。
「でもきっと、ユキちゃんのお母さんももっと頼めば行かせてくれるよ。ユキちゃんがいないと寂しいよ」
彼女の言う通り、母は頼めば快く願いを叶えてくれる人で、小さい頃は古着をリメイクしてなるべく可愛い服を着せようとしてくれたり、爪に火を灯すようにお金を貯めて流行りのおもちゃを買ってくれていた。だからこそ、絶対に言いたくなかった。
「うーん、でもほんとお母さん一人じゃ大変だと思うし」
早くこの話題終わんないかな、そう思っていると、ガタリと音がした。
「浅井のこと、あんまり困らせるなよ。可哀想だろ」
音の方を見ると、近くの席の男子が女の子をたしなめていた。
これが一番むかついた。俺はわかってるよ、みたいな目。私は、ぬくぬくと育ってきたお前に、憐れまれるなんてまっぴらだ。
「私は可哀想なんかじゃないよ。お店のこと好きだから」
私はそれまでの人生一番の笑顔で答えた。
血縁上の父は、私が五歳になった日、家にある金を全て持って女と逃げた。出ていく前に頭をなでられたことを、なんだか妙に覚えている。いつもそんなことしないのに、おかしいな、そう思って外に出ると、扉の向こうには雪景色が広がっているばかりで、父の姿はもうどこにもなかった。
一緒に小料理屋をやっていた母は、店の金を持っていかれたことより、あんたの将来にと貯めてた金を盗られたのが痛かったと言っていた。あんたの父親は無駄に人好きする男だったけど、金と女にだらしなくて、こんなこともあろうかと銀行の貸金庫にへそくりしてた、おかげでなんとか切り抜けられたのと言い、苦笑しながら窓の外を眺めた。
母が再婚したいと言ってきたのは、青天の霹靂だった。私がぎりぎりの生活を送っている間に、母は楽しくやっていたんだ、という思いも、正直、なくはなかった。でも、名前を聞いて、納得した。相手は常連客の一人で、店の客層ではかなり珍しい、いつもにこにこしている品のいい男性だった。地味な顔立ちだけど、感じがよく、誠実そうで、間違っても父のように女と逃げたりはしないだろう。いいんじゃない、賛成するよ。私がそう言うと、母はほっとした表情を浮かべた。
いいんじゃない、再婚すれば、安定した生活ができるし。さすがにその言葉は飲み込んだ。母だってそろそろ楽になっていいはずだから。
再婚前に一応顔合わせということで、母と義父と三人で食事をすることになった。たいして盛り上がりはしなかったけれど、なんとなく覚えている会話がある。
僕、結構スキー好きなんだけど、今度一緒に行かないかい?ユキちゃんはスキー、好きかな?あれ、スキーが好きって、なんだか駄洒落みたいだね。歳を取るとくだらないことを言うようになってしまってだめだねえ。そんなことを言いながら、義父は笑う。
名前はユキだけど、雪はあまり好きじゃないし、スキーにも興味ないです。きっぱりそう言うと、義父は、そうなんだ、残念だなあ、と、さほど残念に聞こえない声音で答え、目を細めた。
スキーに行ける唯一の機会を、私は蹴った。
中二の修学旅行は他県にあるスキー場だった。行きたくない訳じゃなかった。本当は何も考えずに遊ぶという経験をしてみたかった。でも、毎晩暗い顔で帳簿を付けている母を見ていたら、私には行かないという選択肢しかなかった。修学旅行に充てる金があれば、何日も食いつなげる。
「スキー楽しみだね!」
近くの席の女の子が無邪気に話しかけてくる。
「私、行かない」
「どうして? 修学旅行だよ?」
「その時期、店が忙しいしね」
私は精一杯の見栄を張ってそう言った。行かない理由を問われたらどう答えるか、何度も想定していたから、驚くほどするりと言葉が出た。
「でもきっと、ユキちゃんのお母さんももっと頼めば行かせてくれるよ。ユキちゃんがいないと寂しいよ」
彼女の言う通り、母は頼めば快く願いを叶えてくれる人で、小さい頃は古着をリメイクしてなるべく可愛い服を着せようとしてくれたり、爪に火を灯すようにお金を貯めて流行りのおもちゃを買ってくれていた。だからこそ、絶対に言いたくなかった。
「うーん、でもほんとお母さん一人じゃ大変だと思うし」
早くこの話題終わんないかな、そう思っていると、ガタリと音がした。
「浅井のこと、あんまり困らせるなよ。可哀想だろ」
音の方を見ると、近くの席の男子が女の子をたしなめていた。
これが一番むかついた。俺はわかってるよ、みたいな目。私は、ぬくぬくと育ってきたお前に、憐れまれるなんてまっぴらだ。
「私は可哀想なんかじゃないよ。お店のこと好きだから」
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