初恋の実が落ちたら

ゆれ

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月翔と小雨

08

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「もしかして、別れた?」
「……うん」

 正確には理由も告げられずに姿が見えなくなった。歯ブラシの一本すらも置き忘れがなく、玄関の靴箱の上にあった合鍵だけが唯一小雨のいた痕跡を示すものだった。自然と涙が目縁から溢れて頬を横につたっていく。いつの間にか見られていて、メンバー全員が沈鬱な雰囲気になった。
 この撮影は歌番組で一曲流れるだけだ。しかも新譜ではなく歌い慣れた定番ナンバー。打ち合わせもそこそこにみんなが真剣に月翔の話を聞く態勢になる。最早隠しても仕方ないため、観念して出会いから経緯をすべて語った。もちろん口止めも忘れない。

「マジか。オメガと?」
「しかも年上の男て」

 グループ最年長のメンバーより年上と判明してびっくりしているが、小雨の姿を見たらみんな押し黙るに違いなかった。そこは既にどうでも良いことなのだ。

「相手の家は? 知らねえのか」
「……行ったけど別の人が住んでた」
「どういうこと?」

 消えられてから半月が経つけれど、いつからその状態だったのかまでは不明だった。特に権限もないので事情を聴くわけにもいかず、恐らくその人達は何も知らない筈だ。電話やメールが通じないのは言わずもがな。知り合ったバーにも顔を出したが、小雨は常連じゃないため誰もめぼしい情報は持っていなかった。
 スマホで写真の一枚でも撮っていればよかったのだが苦手だからと固辞されてそれもない。まるで詐欺師にでも引っ掛かったみたいだ。と全員がおなじタイミングで思ったようだった。顔を見合わせて、ハアと嘆息する。

「なんとなく、最初からただ付き合うつもりで近づいたんじゃなさそうだな」
「……今思えば」

 だからって男と寝られるかな、とも考えたのだが追い詰められたら人間は案外何でもやる。それこそテレビで犯罪ドキュメンタリーなどを見て驚いた。小雨は何に困っていたのだろう。どんな事情があったのだろう。気になって、そちらのほうが悲しいのだ。ターゲットにされたこと自体は僥倖くらいに思っている。

 あんなに綺麗にわらっていたのに。裏にはのっぴきならない困難をかかえて途方に暮れていたのだろうか。いっそのこと相談してくれれば何か力になれたかもしれなかった。そっと姿を消して解決するような問題だったのだろうか。もしかしてもうこの世にいないなんてことは、考えただけで胸が張り裂けそうだ。
 とめどなく涙を流して悲しみに暮れる月翔など、長いこと苦楽を共にしてきたが初めて見る。メンバーは大いに困惑し、そしてここは団結して事に当たろうと決意を固めた。まず仕事に支障をきたしそうでそこが最もやばい。

 かなりの男前だという月翔の証言からみんなは同業者に話を聞いてみてはどうかと意見をくれた。身長185くらいで痩せ型の美形、ただしそんなに名前と顔の売れてないタレント。まあまあ範囲が狭められそうで一瞬浮上したのだけれど、次の刹那には全力で地面に叩きつけられていた。それというのも月翔が画伯だったからだ。

「オイ……真面目にやれや!」
「やってる!」

 見ていると不安になるような、かろうじて人の顔レベルの人相書きに月翔以外の全員が脱力する。駄目だこりゃ。絶対見つからんわ。そんな声が聞こえてくるような反応に月翔も拗ねる。こっちだって好きで絵が描けないわけじゃない。
 キレかけていた獅勇がペンを握り、月翔の証言を元に作成するとかなりましな似顔絵が出来上がった。初めからこうしておけばとは言わぬが仏。最後に画伯のイラストを参考に、唇の左下にほくろを描き込んで完成だ。

「おおー」
「でも……見覚えはないなあ」
「俺も」
「一応マネージャーにも見せとく?」
「うん」

 事情は世話になったとか何とか適当に捏造して、保存した画像をメンバーとマネージャーだけのトークルームに流しておく。タブレットのタッチペンを器用にくるくる回しながら、獅勇が月翔に「あんま思い詰めんなよ」と囁いた。

「つまりお前はつがいになりたかった相手なんだよな」
「……まあ、いずれは」
「俺も会ってみたかったわ~」

 暗にどうしてもっと早く教えてくれなかったと責められている気がして眉を下げる。月翔だって紹介したかった。秘密の恋はもどかしくて、悪いことをしているわけでもないのに隠さなければならない理不尽さにどれほど苛立ったか知れない。仮に自分の何かが小雨の条件に合わなかったとして、その窮屈さだったら悔やんでも悔やみきれなかった。
 直前に話していたのはつがいのことと、ヒートについてだ。

「オメガの奴ってさ、ヒートのとこ見られるの嫌がったりする?」
「結構するんじゃねえのかな。特に男は、マジめちゃくちゃ声だしたりするし」
「えー……」

 小雨のそんなところを想像する。思わずピクッとしてしまい、慌てて親の顔を浮かべて鎮火した。やばいそんなのすごい見たい。獅勇が氷のような視線を向けてくるが誤解はやめてほしい。元リーダーの媚態になど月翔は心底興味がない。

「それが嫌だったのかも?」
「うーん……まあつがいいない場合は一週間でおさまるから、その……」

 連絡する気があるならもうしているだろう。明言を避けてくれたのは有り難いが、あまり期待はしないほうがいいようだ。交代でメイクに行っていたメンバーが戻ってきたので、月翔と獅勇も一旦楽屋をあとにする。
 
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