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それから
02
入谷は、どうだろう。幻滅したりつらくなったりしてはいないだろうか。たまに実家からの電話に面倒くさそうに応じて、今のところ大丈夫というような意味合いの返答しかしてなかったような気はするけれど。
大人が心に思っていることをいちいち全部くちにするとはまったく信じてない。嫌なところのひとつやふたつくらいは、そろそろ目星がついているのではないだろうか。
唯織は特になかった。何もない。入谷は使ったものはすぐに片付ける育ちの良さなので、部屋が散らかる筈もなく、効率を考えるのが好きなのか身にしみついているのか、ゴミ捨ても風呂掃除も『いつも自分がさせられている』と文句をしたりしない。ただただ自分のほうが時間的にちょうどいいの一点で進んで終わらせてしまうのだ。
家族以外の異性と暮らすのは初めてだとこぼしていたけれど、この様子なら誰とでもうまくやっていけそうだ。わからないことは即調べて解消し、一度やれば憶えて忘れない。入谷はうっかりミスなどしたこともなければやり方さえピンとこないかもしれなかった。
だからと言って人間味が薄いわけでもない。おじいちゃん先生にはわりと振り回されたりもするようで、「ああなれたら楽しそうだわ」と当てこすりとも本音ともつかないことを呟いていたのが可笑しかった。
まったく、考え事の種は尽きない。そうしているうちにゆらゆらと夢の淵へ意識は沈んで、唯織は今日もかれの帰りを待たずに眠ってしまうのだった。遠くで扉の開く音がする。いや、空耳かもしれない。
担当の家族連れに朝食を提供し、この後ちょっと観光するのにいい場所はないかと尋ねられたので、終わるまでの間にフロントで調べていた。おおまかなことは知っていても、何時から入れるか、移動手段や所要時間、土産物の有無などまできちんと答えなければならない。
「なんかもっと世界遺産とか国宝とかあればいいのに」
見栄えのするものがなくて唯織が申し訳ない気持ちになるのは筋違いなのだが、こういう仕事をしていると思わずにいられない。しかし超有名観光地もそれはそれで苦労があるに違いないので、ないものねだりというやつ。
きっとそういう地域では海外からも観光客が押し寄せて、外国語のひとつも操れなければろくに仕事にならないかもしれない。むしろこのレベルでも、習得していて損はないくらいだ。まだ唯織はご案内したことがないけれど、そういう機会はゼロとも言い切れないだろう。
「あーわかるわかる」
「ですよね~」
カウンターの中にいたおじさん番頭も仕様の無さそうな表情で同意してくれる。
「予約のときとか『何か有名なところありますか?』って先に訊かれると99パーなしだなと思うわ」
「それきついですね……」
「もうある程度は諦めが必要だね。混雑を避けてとかでも、有り難いもんだよ」
都心やそれに近い場所で大型イベントがあると、こんなささやかな旅館でも満室になる。野外フェスなどは騒音の問題もあり、わりと地方都市で催されることも多いので、特に目玉のない地域でも繁忙期になれるのだ。あと年末年始と盆の時期は逆に田舎であるゆえに客が来たりする。
唯織自身は、都会で数年暮らしていたけれど、どこかへ旅に出たりなどの記憶はないように思った。他にもたくさん刺激があり、日帰りでもじゅうぶんいろんな観光地へ行ける。予定を擦り合わせる手間も省けるし、体力に然程自信がないためあまり遠方でも疲れてしまう。
だが今そんな愚痴を吐いても仕方ない。なけなしの情報をかき集めて持っていき、食事の片付けを済ませるとすこし早いが間もなく出発するというので玄関までお見送りに出た。
土産物はこれと言って名産も実はないのだけれど、毎度近くの商店街を見ていってくださいとは勧める。昔ながらの店には同級生も多く、かれらにもすこしでも商売の機会があってほしい。味噌屋の甘酒などは美味しいと評判だ。
「お気をつけていってらっしゃいませ」
「またのお越しをお待ちしております」
姉の栞奈と並んで深々と頭を下げ、子ども達には手を振る。ここから電車で一時間だと言っていたので小旅行なのだろうが、楽しそうで何よりだった。好天にも恵まれて、スムーズに帰途に就けるだろう。
すこし雨が降ったり気温が上下するだけでいくつも仕事が増える職業なのだ。こんな些細なことでも有り難かった。
今日はこの一組だけの担当だったので清掃作業にまわる。ラウンジを歩き回り、ゴミや忘れ物がないか確認したり、テーブルに埃がたまってないかチェックする。すると隅に置かれた観葉植物の鉢の裏に何か落ちているのが見えて、唯織がしゃがみ込んだその時だ。
「どうも本当らしいよ、女将のあれ」
くだんの反りの合わない同僚が、他の仲居と話しながら戻ってきた。恐らく庭の掃除をしてきたのだろう。声が大きいのですぐにわかる。
あれって何だよ。知りたいけれどここで姿を見られてしまうと、仮にも身内の前ではくちを噤むと思われた。シュロチクの陰に隠れたまま、聴覚だけを研ぎ澄ます。核心を聞かないまま去られるのだけは勘弁してほしかった。
そうなんだあとのんびり答えた相手はいかにも関心が薄そうだ。名前を埜田といい、唯織にも親切に接してくれる。みんなに平等に優しいため、職場そのものに興味がないのだろう。何かと攻撃的な矢間根とは大違い。
唯織もわりとそうなのだが、職場の同僚にいちいち好きや嫌いの感情を持つほど思い入れがなく、それが普通と捉えてきたため、悪意を向けられるのがほんとうに不思議だった。仕事で迷惑をかけたりかけられたりはお互い様なのだし、それこそ入谷に出会ってひと目惚れしたのだって自分的には空前絶後のイレギュラーだ。
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