幾星霜

ゆれ

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「娘を助けていただいて本当にありがとうございました。失礼ですけどお名前をいただいてもよろしいかしら?」
「あ、はい。征矢です」
「征矢さん。後日お礼に伺わせていだたきます」
「いえいえそんな、滅相もない。美統ちゃん無事だったんで、それでもう」

 口ぶりからするに、この大病院の娘なのだろう。そんなアッパークラスの人間にやって来られても、どうもてなしていいのかもわからないし大体そこまでのお手柄でもない。たまたま居合わせたくらいのまぐれあたりを、そんなに恩に着る必要はまったくなかった。

 必死に固辞するいのりの様子から察したかどうかは謎だが、女性はしぶしぶ引き下がってくれたようだ。美統ちゃんに「お部屋に戻りましょう」と促して、最後に母子そろってもう一度、いのりに「ありがとうございました」と重ねて戻っていった。

 いつの間にか隣に来ていた大石の横顔を見て、かれを許してあげてほしいと口添えするくらいはしてみてもよかったかしらと今になって思う。まあ先程の雰囲気だと、元凶は他の者のようなので、このことで大石が配置換えされたりはしないだろうが。

「……先天性の心疾患がある子でな。一年の半分くらいは入院生活なんだよ」
「そうなんですか」

 遊びたい盛りという言葉が具体的にどのくらいを指すのかよくわからないけれど、やっぱり子どもが一日の殆どをベッドで横になって過ごすのは喜ばしい事態ではないのだろうし、かなりの苦痛ではないかといのりにも思われる。安静にしていなければならないが、身体の成長には適度の運動も必要で、病気に負けない身体をつくることが病気の所為でできないというのも、不条理な話だった。

 しかしほんのすこし接しただけでも、美統ちゃんからはそんな鬱屈とした印象は受けなかった。それがまた悲しみを誘う。

「すこしでもよくなるといいですね」
「ああ」

 高校生の頃はそういう話になりにくかったのもあるけれど、大石が存外面倒見がいいというか、子ども好きそうなのは意外だった。今思えば甥っ子を扱う手つきも不慣れでもなかったような気がする。否それは思い込みかもしれないか。

「あ、もしかして予行演習ですか?」

 取引先の子だから仲良くしているという打算はあまり感じられなかったのでそう尋ねてみたのだが、余計当惑させただけだったようだ。

「何が」
「だから子どもと接する。なんかお見合いしたって聞きましたよ」
「!」

 大石が切れ長の双眸を見ひらく。くちが何か言いかけて開いて、また閉じて、開いて、要するに動揺して結局押し黙った。別に超能力で見破ったわけでも何でもない。ソースは共通の知人だ。

「……まさかおばちゃん?」
「大正解です」
「あー……マジか」

 張り詰めていた空気がそこで急に緩んで笑いに巻かれるのだから、彼女のキャラはだいぶ特異で、羨ましい。例の如く買い物に来ただけの大石から近況を引っぱり出し、かれもまた油断して縁談のことを暴露してしまったのだろう。「内緒ですよ」と付け加えた大石に応じたのとおなじくちが、後でいのりにペラペラとばらしているのだから、もはや笑うしかないというのが実情かもしれなかった。

 もう人生にそういうイベントがあってもおかしくない歳なのだ。いのりなど姉が既に結婚しているにもかかわらず、今ひとつ現実味がないし願望も特にない駄目さなのだが、やはり世間一般では適齢期と見做されるくらいは自覚している。況してや大石はこのルックスで、身辺もきちんとしていて、となれば見合い話のひとつやふたつ舞い込んでいないほうが不自然。

 いのりも、恋愛には向いてないけれど、もしかすると結婚はそうでもないのだろうか。案外特性があったりして。あそびが結婚して第一子を授かるまでは、先のことを案じていのりにもそういう世話をしてくれようとしていたのだが、当時はまだくさくさしていたため「興味ない」のひとことで遠ざけてしまっていた。

 だから、今度姉から連絡があったら、それとなく縁談についてさぐりを入れてみようと目論んではいる。今日は失敗したけれど、どうせまたチャンスは来る。大きな潮目も特にないまま終わる場合もあるかもしれないが、どうせ一度きりの人生なのだから、降ってくるイベントには流されて乗っかってみるのも面白いかもしれない。

 流れ流れてここまで来ているけれど。こんな自分でも、誰かの役に立てるとわかってなんだか嬉しかった。

「ガセじゃねェけど、結果はついてきてねえかな」

 次に会う約束はしているものの、将来的なことには前向きではないらしい。仕事も立て込んでるのにちょいちょい連絡してきて、わりと全面的に迷惑がってる感じ出してんのに全然通じてなくて、なんでお嬢って皆ああマイペースなんだろうな。男が合わせてくれるのがあたりまえと思ってんだな。愚痴りながらも、その声にはどこか優しさがにじみ出ているような、くすぐったさを感じる。照れているのだろうか。

 どうせ頼まれた見合いだと聞いて、サラリーマンはいろいろ大変なんだなと同情する。いのりも、もし肉屋のおばちゃんに「ちょうどいいひとがいるのよ~」などと紹介されたら、行く末はともかく一回会うくらいならと了承してしまいそうだ。

 だから顔をつなぐだけだとしても、覆ってうまくまとまったとしても、自分には関わりようのない話だった。いのりは当たり障りのない返答を頭の中で必死にこねる。

「まあ大石さんなら選り取り見取りですよ。じっくり考えたらいいんじゃないですか」
「……それだけ?」
「え、……うーん、じゃあ、お互い頑張りましょう」
「っはは!」
 
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