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しおりを挟む伏魔刀五六八。代々東の門番が受け継いできた退魔の武器で、当主にしか抜くことはできないと言われている。来良亡きあとは恐らく幸良の心強い相棒となるだろう。どこへでも肌身離さず連れているので来良のみならず、代々当主達の分までたっぷりと力を得ている最強の刀だ。赤みを帯びた白い炎のような闘気をまとう抜き身の刃はとても美しい。
五六八は手を触れるだけであやかしには傷を負わせたり、弱いものは鞘をかぶった状態でも祓ってしまう。黄麻などは『こっちにやらないで』と毛嫌いするのだが、見た目はただただ精巧に作られたひと口の端整な日本刀なので、来良達人間には別に禍々しい雰囲気も何も感じられない。
「すごかったなぁ」
大抵こういうものは噂より実物は劣るというか、とかく世間話には背びれ尾ひれがついているものだとナメていた来良は、舞台の上の解語の花に最初から最後まで目を奪われる羽目になった。
艶やかな黒檀の髪に切れ長の緑青の瞳。長身の腰は細く、爪先からおよびのひとつひとつの先まで洗練された所作は麗しく、あれだけ騒がれるのも無理はないと唸るほどの傾城がそこにいた。人気の一座とあって街でも一番大きな小屋で興行は催されていたが空席は来良の隣だけで、その満員の会場じゅうが溜め息を吐いたのが聞こえたくらいだ。
生きててよかった、と来良のうしろの席の客が呟いていたが激しく同意した。人間とは思えない美しさだった。
「勿体ねえことしたぜ」
結局黄麻は芝居が終わっても姿を見せなかった。きっと仕事が忙しくなってしまったのだろう。こんなことなら、外で当日券の列に並んでいた誰かに譲ってあげたほうがよかったと思ったが肝心の現物は黄麻が持っていたので、来良は申し訳なく思いながら空席を見守るしかなかった。
あれを見ないなんて、人生損をしている。今ではすっかり居待月に感謝したい気持ちでいっぱいだった。あの役者の名は何といったか、すこし変わっていたので頭に擦り込んだ筈なのだが、どうにもポンコツで思い出せない。とにかく容姿端麗であったことしか記憶にない。これではすっかりまいってしまっているではないかと、来良はひとりでくすくす笑っていた。久々にちょっとだけ気分がよかった。
「……うあやべ、嘘だろ」
頭のてっぺんにぽたりとしずくを感じたと思うといきなりたらいをひっくり返したような大雨が降ってきた。
来良は慌てて近くの軒下に避難したがそれでも肩や髪が濡れた。提灯が消えないかひやひやしたが、ぼんやりとまあるく夜闇を照らしてくれている。自分以外通りには洗ったように誰もいなくて、異界にでも迷い込んだような心地が来良でもした。それはないとちゃんとわかってはいるけれど。
普通の人間と違い、門番は異界へ行くことができると言われている。ただし門は一方通行で、あやかしだろうと人間だろうと戻ってはこれないため自らくぐる者はいない。もしまた人間界へ戻りたかったら空間の裂け目が現れるのを待たなければならないし、現れたとして人間の身体がそれを通れるかどうかは前例がないので誰にもわからなかった。
(どうせ)
果てる命なら試してみたい。いつからかそんなことを思うようになっていた。反応は想像がつきすぎるので弟達にも黄麻にも、誰にも言ってない秘めたる野望に過ぎないが来良はわりと本気で考えていた。ただ後世に結果を残すことは難しそうなのが悔やみどころだ。幸良と新良に見ていてもらうくらいしか手は浮かばないが、彼らがそう易々と目のまえで兄がそんな大博打に身を投じるのを許すわけがない。没案だと嗤う。
驟雨ならじき上がる筈だったが、銀の糸は次々と地面に突き刺さっては砕けを飽きずに繰り返している。なまぬるい雨なので強行突破も考えないではない。しかし屋敷までまだ幾らかは距離があるためこの弱った身体には毒だろう。どうでもいいと思っているのは本人ばかりで、あとで泣かせたり気を揉ませたりするのは本意ではない。仕方なく待つことを選ぶ。
見あげた空は底なしの黒さだった。こちらのほうが底なのだが、吸い込まれていきそうな雰囲気があってぞっとする。本当に熱が上がってきているのかもしれなかった。薄着ではないし寒いとは感じないけれど、いやな予感が来良の胸を過ぎっていく。
「雨宿りですか?」
やや高い、若い声が聞こえ、見ると大きな蛇の目傘を差した少年が来良のまえに立っている。
「あ、ああ……」
「お困りでしたら一緒に入りますか」
有り難い申し出だがふたつ返事で受けるには躊躇いが勝つ。逡巡する。
来良は少年がどこから現れたのか、まるでわからなかった。足元を見れば裸足に下駄履きなのに一切音が聞こえなかった。雨音もたしかにうるさいのだがそれにしても不自然に思われる。羽根のように軽いとはお世辞にも言えない、年の頃は新良くらいに見えたし背丈も彼とおなじくらいはある。
しかし提灯の頼りない明かりで照らして気が付いたことがあった。傘に烏丸座の文字が躍っている。それにこの銀髪の華奢な少年は、つい先刻、舞台の中心で鳴り止まない拍手と喝采に恭しく頭を下げていたではないか。彼の隣にいた女形に夢中で記憶が曖昧だったがいま思い出した。
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