寿命が来るまでお元気で

ゆれ

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「あんた、烏丸座の座長さんか」
「ええ」
 愛想よくそう答えて少年は銀朱の双眸を糸のように細める。

「芝居を観に来てくださってましたよね、今日。それなのにこんな天気になってしまって」
「いや別にあんたのせいじゃねぇだろ」
「お召し物が濡れてますけど、寒くありませんか?」

 来良の、夜を織ったような黒い長着、黒い帯、黒い袴、そして黒い革長靴を足から順に見あげていって、喉元のそこだけ赤い襦袢に目をとどめて白い少年が言う。さらに一枚上から羽織って諸肌脱ぎ、腰の位置に革帯で留めているのは女物のひとえだった。これも力を込めて分け与えるために身に着けている。

 台詞を反芻して激しい違和感に気づく。今日、来良が観に来ていたのがこの少年には見えたというのか。あんなにも、小屋いっぱい客が詰めかけていたというのに? いたかどうかは別として顔見知りが来ていたかを確認することももはや不可能なレベルだった。空席が目立ったと言われればそれまでだが、俺の顔など憶えているものだろうか。最前列にいたわけでもない。
 来良の眉がぐっと寄る。身体に巻き付けた念珠が淡く輝きだす。大きな瞳が半目をする。視線の先で少年の口許から笑みが消える。

「いや、」
燃やしあたためて差し上げましょうか」

 ボウ、と中空に青白い炎が浮かびあがるのを見たのと殆ど同時に来良は提灯を捨て左手で鍔を跳ね上げ抜刀した。鯉口を切って滑り出た最速の剣が少年を胸で真横に両断する。しかしそれは残像で、本体はやや離れた場所で雨の中に立ち尽くしているにもかかわらずすこしも濡れていなかった。よく見ると傘も、一滴のしずくもとまってない。
 五六八は赤白く光って目のまえのあやかしに牙をむいている。しかし操る来良の身体がどこまで持ちこたえるか、本人にもわからない。こうして敵と対峙しているというのに得物の重みで構えを取る手がぶれて仕方ない。チッと舌を打つと、来良は改めて少年を観察する。

「人の子ってのは随分早く成長すんだなァ。俺様がこっちにいたのはもう随分まえのことだから忘れちまってたわ」
「……てめえ、あやかしか」
「いかにも」

 そうでなければ何なのだ、という顔で少年は傘をくるりと回しふたたび口角を持ち上げる。眦のつりあがった眸は長い睫毛に飾られて、その下に抱いた不吉な朱をしろくけぶらせている。

「俺をさがしてたのか」
「ご名答。根っからの馬鹿ではねえようで何よりだが、まさかこんな死にぞこないになってるとはな。がっかりだわ」

 たしかに成長以前の問題だったろう。来良は自嘲に唇を歪める。好きでここまで窶れたわけではないが、そう思ってくれるならそれでもかまわなかった。やれやれと嘆息する。
 火を操り人に変化へんげしていること、容貌の秀麗なことから恐らく狐と思われる。長く生きているようなので力もそこそこ強いのだろう。他にも能力がありそうだ。不遜な態度は傅かれることに慣れている者のもので、どこかに社を持っている可能性が高い。主がないとすると妖狐だ。あやかしの中でも最も残忍なもののひとつと数えられている。

(まいったな)

 初撃を躱されたことではっきり言ってとても分が悪くなった。斥力はもう殆ど数度の攻撃に絞らなければならないほど衰えている。来良はもともと体術も使えたが、それだけでは到底太刀打ちできなさそうな敵だった。ほの青く発光していた少年の身体が足元から徐々に揺らいでいく。裾を短く着付けた濃紺のひとえが白装束に変わり、腰近くまで髪が伸びて、見おろしていた来良とほぼおなじ高さの目線でこちらを見据えてくる。

 頭には髪と同じ色の三角の耳。そして背後に九本もの尾を負っているのが見えて思わず喉がごくりと鳴った。

「お前はあの時の……」
「ああ、会いたかったぜェクソ門番野郎」

 ひゅうっと冷気が渦巻いて直線的な雨の軌道を乱す。降りは勢いが落ち着いてきたようで、さらさらと小川のように清冽な音を立ててふたりを閉じ込める。
 二年前のことだった。来良が仕事を終えて帰ってくると幸良と新良が屋敷にいなかった。もう日暮れになろうかという時刻なのにどこで遊んでいるのかさがしに出て、気配を追って、とある森の中へ入っていったのだ。

 果たして弟達はそこにいた。兄の姿をみとめると破顔し駆け寄ってきて、俺らもにいちゃんみたいにあやかしをやっつけたと誇らしげに報告してきた。そうは言ってもふたりには天賦の才はともかく門を開く力はまだない。のちに来良は秘術のひとつを用いて自分の亡きあとは弟達にその力が受け継がれるよう仕向けるのだが、この時はそれも実行に移してなかった。

 どうせそのあたりにいた動物を使ってごっこ遊びでもしたのだろう。悪気がないとはいえ、かわいそうなことをしたと申し訳なく思っていると急に天候が変わった。山の天気は、というレベルではない。それに禍々しいまでの妖気を察知したので来良は迷わず幸良と新良を先に家へ帰した。そこへ隠すつもりもない烈しい怒気を放って現れたのが、この妖狐だった。間一髪のところで弟達の姿は見られずに済んだと思う。
 
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