寿命が来るまでお元気で

ゆれ

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「オイ」

 急に膝がわらって転びそうになり、朱炎に支えられた。あどけない風体に似合わず意味深な手つきで腰を抱かれてふわあっと赤面する。劣情が再燃したらどうしてくれる。否それでは思う壺か。渇きを癒されて機嫌のいいあやかしは銀朱の双眸を糸のように細めて、甲斐甲斐しく来良を助けながら娘の跡をつけた。

 夢遊病めかした所作は見られず、幸芽はまっすぐに背筋を伸ばし、しっかりと意思を持った歩調で目的地へ向かっている。来良が急な夜歩きを出がけに言づけたのは家人だった。彼女の両親は既にやすんでおり、この行動は知らない可能性がある。居室が奥にあり物音の届かないだだっ広い家であることが思いきり裏目に出ている。果たして話すべきかどうか。用件を見届けてからでも遅くはないかと意識を彼女に集中させる。
 村長の屋敷からは数十分歩いていた。山のほうが近くなり、時間が時間なので民家の明かりすらまばらな、川に渡された小橋の上で人影が佇んでいる。どうやら待ち人のようだ。幸芽が手を振って近づいていく。大凡の輪郭からも相手は男らしかった。これはどうやら、逢引の現場とみえる。

 嫁入り前かどうかは知らないが、年齢的にも行動も、問題の娘達に通ずるものがある気がする。しかし彼女達の婿になる男らは婚前とあってさすがにこのように深い時間まで連れ歩いたりはしていなかった。村長にも幸芽については何も聞かされてない。単なる偶然、なのだろうか。顎先に手をやり考え込む来良の傍で朱炎が相手の男をじっと見ている。







 身体がよくなってからはそれが単純に嬉しかったり、より有難みを感じたかったりで来良はまた早起きに戻っていた。日に日にすこしずつ毒を飲んでいるかの如く不調が増え、できないことが多く床に就く時間が長くなっていくあの不甲斐なさはつらかった。心まで蝕まれていたと今は思う。
 何日も青年団の長を持ち場から外しているのも悪いので、自分の目でこの村を見てまわり、異変が見つからないか確認する。忙しそうな炊事場には「朝餉までには戻ります」と告げて、暗に支度は急がなくていいしお構いなくと断ってきている。来良も時間を気にすることなく、ぷらぷらと早朝の村を気の向くまま足の向くままに練り歩いた。

「まえにも来たことあんのか」

 こちらはやや眠たげな、まだとろけた口調の朱炎がかるく見あげながら問う。いつもは彼はもっと朝寝坊なのだ。

「そうだな。俺もまだあん時は健康だったし、あんたと揉めたあとくらいだったかも」

 物流でも人流でも要となる山から麓へ下りる一本道が巨大な倒木で塞がれて往生していると、山を挟んで隣接する村から連絡があったのだ。そこで来良は結界を張り、斥力で巨木を大破させた。幹の太さは成人の背丈近くもある高齢樹だったのだが長雨でじりじりと根が露出していき、ゆっくりと安定を失ったようだった。

 すると驚いたことに中から一体の仏が現れた。来良は仏師などではないので、一本の大樹から仏を彫り出すなんていう芸当はとてもできない。ただ粉々にしただけだ。きっと長いことこの山に生えているうちに宿ったのだろうと思い、依頼してきた隣の村の者と、この大木が生えていた村の者両方に相談したところ、後者の村長が『うちで祠を立てて祀らせてください』と申し出てくれたのだ。

 きちんと仏をおさめるまで見届けて来良は帰ったのだが、今また久し振りに訪れてみてそれが影もかたちもなくなっているのに驚いた。最も近くに住む家の者に訊いてみると、数ヶ月前の水害で流されて失われてしまったらしい。祠はともかくせめて本尊の仏様だけでもと手を尽くして村じゅう総出で捜したのだが、結局見つからなかったと眉を下げた。

山間やまあいの村なのに水害が多いんだな」

 言わんとすることは来良にも理解できる。広い川や海が近くにあるならともかく、この村はほぼ中心を貫くように流れる然程幅もない川が一本あるだけなのだ。舟を渡すまでもない。

「樹にも種類があってさ、根をたくさん張るのとそうでもねえのがあるんだよ。そうでもねえのばかり生えてると、いくら青々とした山が周りにあっても水を貯えられない。土が吸えなくなった分がいきなり噴き出したり、脆くなって崩れたりするってわけだ」
「ふうん」
「人の手で川をつくるってのも難しいしなあ。それこそちゃんと氾濫しないように整備しねえと畑もダメんなるし、水流自体で石すら摩耗する。溜めた水には病気のもとも発生する。今から根を張る樹を植えるにしても、育つには何十年とかかるんだ」

 時間の概念が曖昧なあやかしにはピンとこない話かもしれないけれど、要するに即どうにかできるわけじゃないとは朱炎にも理解が及んだらしく柳眉を寄せるのが人間臭かった。今は何の脅威もなく涼しげにさらさら流れている川に沿って、村とは反対方向へ歩いてみる。ゆうべ幸芽達を見かけた小橋が架かっているのとおなじ川だ。石が多く草履の足には若干歩きづらいので連れ合いに手をのべると、嬉しそうに握り込まれる。
 
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