黒蠟濡の森

土の味舐め五郎

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黒蠟濡の森

過去の清算

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 確かにニルンの声。
 だが、やたらと神々しい気配は別の誰かのもんだ。
「おいニルン!誰を連れて来た!」
「ダノル!?無事なの!?ジョーラムも大丈夫?」
「生きてるよぉー!」
「俺たちの事ぁどうでもいい!一緒にいるのは誰だ!外はもう大丈夫なのか!?」
「聖堂の司祭様よ!助けてほしいって私が頼んだの。ニエルティの人達は動けないから大丈夫!」
「戦神の司祭か……。一体どんな方法を使ったのか知らねえが、こんな時に役に立つとは思ってなかった」
「私もですよダノルさん。まさか、ニエルティがこんな風に禍々しいものになっているとは思いもしませんでしたから」
 この司祭、悪い奴じゃねえのは分かるが、やっぱり気にいらねえ。俺達はさっきまで恐ろしい目に遭ってたっていうのに、こいつはまるで死の危険とは無縁みたいな雰囲気を出してやがる。
「チッ……そんなことより、外が大丈夫ならさっさとここから出してほしいんだが」
「わかってるわ。……ザック、皆をここから出してあげて」
 
 ニルンの呼びかけに反応して俺達を囲んでいた檻のような根が開き、あっさりと外へ出ることができた。閉じ込められていたから分からなかったが、根の周囲にはさらにたくさんの樹木が壁のようになって守っていたらしい。ニエルティの連中はその壁の向こう側で倒れているみたいだ。
 それよりもニルンのやつ、この化け物の事を『ザック』と呼んだか?ザックって、だよな?
「おいニルン。『ザック』ってのは、どういうことだ?」
 ロベリアと抱き合って無事を喜んでいるニルンに問いかける。一瞬、ニルンは表情を強張らせた。
「……家に私の日記がある。それを見てくれたらわかるわ。ベッドの床板を調べて」
「まどろっこしいな。お前の口から話せばいいだろう」
「私はここでお別れよ」 
「何だと?」
「お母さん……?」



 これでもう終わり。
 今ここで、私の呪いを終わらせる。
 それでも、全部を消し去れるわけじゃないけれど……。
 どす黒く巨大に膨れ上がった呪いの魔物は、私だけが育てたものでは無い。
 私は、『ロベリア』を要にして呪いの方向と範囲を定めて、ニエルティの人々が苦しめば苦しむほどロベリアが幸せになるようにしただけ。
 結果的にそれがザックの力を強くしたみたいだけど、それ以外の事は、呪術に関してほとんど素人だった私にはわからなかった。今思えば儀式が上手くいったのも不思議だ。
 私が手を加えるまでもなく、ニエルティの人々を憎み呪うザックの怨念が強かったということだろう。
 あるいは、あの時の処刑場でザックは既に別のものに変わっていたのかもしれない。
 ベスレはあの時「呪いを解くことはない」と言ってくれた。
 けれど、やっぱりそれは駄目だ。
 今度は私が、過去の清算をする番なのだから。

 先日、森の様子を見にニエルティへ赴いた。この十二年間、毎年欠かさずにしてきたことだ。
 だが、これまで森の中までは入ったことはなかった。ザックの森が勢力を拡大していく様を遠目に見ているだけだった。
 なのになぜか、この日はザックをもっと間近で見なければならないと思った。
 そして見てしまった。
 魔物の樹木と化したザックとベスレが、交わっているところを。
 周りでは他の女たちが順番を待っていて、その中には地面に何かを産み落としている者もいた。
 私は悟ってしまった。この十二年間、ザックがニエルティの女たちに何をさせていたかを。
「もうやめて!」
 私は止めに入った。ベスレを無理やりザックから引き剥がし、衣服を整えさせる。
 ベスレの顔は死人のように青白い。なのに、それがより一層この世のものではない美しさを感じさせた。
 私は、あれほど憎んでいたはずのベスレを抱きしめた。
「……ごめんなさい。あなたからザックを奪っておいて、ずっとこんなことを」
 先に謝ったのはベスレだった。
「違うの!謝るのは私の方!ごめんなさい!許して……」
 私は泣いて許しを請うた。
 もうやめると言った。
 自分が施した呪いを解くと。
『ロベリア』を、還すと。
 しかし、ベスレは首を振った。呪いを解くことは無いと。
 そのかわり、一度だけ娘に会わせてほしいと。
 私は喜んで承諾した。ロベリアをベスレの元へ引き合わせることにしたのだ。

 そこから、少しおかしくなった。
 森を出てニエルティを離れてからの記憶が曖昧で、ロベリアと一緒にベスレの元へ行くはずが、なぜか私は家に留まっている。
 ダノルとジョーラムが娘の護衛をしてくれていなかったら、司祭様が私の家を訊ねて来ていなかったら、どうなっていたか……。
 
「司祭様、この子をよろしくお願いします」
「……わかりました」
「ダノルとジョーラムも、お願いね」
「気に食わねぇな……ッ!どういうつもりか知らねえが、お前一人でどうこうできるのかよ!」
「できるわよ。だもの。ザックと一緒にね」
「笑えねぇよニルン」
「勘のいいあなたなら分かるでしょう。……もういかなきゃ」
「お母さん行かないで!!」
 ロベリアが私にしがみつく。
 こんなに愛しい娘を、一度はザックに捧げようとした自分が恨めしい。
「あなたは幸せになって……私は、自分のしたことの責任をとらなきゃいけないから。ごめんね……」
「ロベリア。ニルンを単語はな解放してあげなさい」
 司祭様がロベリアを引き剥がす。
「嫌だ……嫌だよ……」
 私はさっきまで三人と一匹がいた根の檻の中へと行く。

「お待たせザック。……最初からこうすればよかったね」
 黒い樹木の根がうねり、私を包み込んでいく。
 これでいい。
 後の事は、司祭様がやってくださる。
 檻が閉じていき、視界が暗闇で包まれていく。

「お母さん!!」

 檻の中にロベリアが飛び込んできた。
 全てが闇に包まれ、もう戻ることは出来ない。
 私に抱きつくロベリアの温もりだけがはっきりと感じられる。
「ロベリアどうして……」
「嫌だ!私はずっとお母さんと一緒にいるの!!お母さんと一緒じゃなきゃ幸せじゃないもん!一緒なら、どんなに怖くても苦しくってもいい!!」
「まったく……しょうがないわね」
 私は娘を強く抱きしめ、目を瞑る。
 本当は私も心細かった。怖かった。
 最期まで娘と一緒にいられる私は、幸せだ。
「ありがとう。私も、あなたがいれば怖くないわ」



 地面が揺れ、黒い根の檻が沈んでいく。
 魔物の木がニルンを飲み込んでしまう。
「おい司祭様よ!本当にニルンがああなるしかねぇのかよ!」
 司祭がぐったりとしたロベリアを抱えている。まるで気を失っているみたいだ。
「ロベリア……?どうしたんだ!」
「母親の元へ行ったのです」
「てめぇ……そりゃあどういう意味だ!!」
「心配しないでください。『この娘』はちゃんと生きています」
 司祭がロベリアを俺に預ける。
 ……確かに、生きている。
 ロベリアを一旦ジョーラムに任せる。犬公はずっとロベリアの傍を離れない。
「どういうことなのか説明してもらえねぇか司祭様よぉ」 
「……まずはこの森から無事に出られたら、ですね」
 ニルンが『ザック』と呼んだ魔物の木を司祭が見上げる。
 まだ、何かあるのか?
「ザックの呪いを打ち消すには、もう一つやらなければばらない事があります」
「そりゃあ、なんだ?」
「名前ですよ。この魔物の木に名を与えて、ザックとの繋がりを完全に断ちます」
「名前……?」 
 俺には呪いの事なんざさっぱりわからねえが、名前を与えるだけでそんなことができるのか?
「そんで、なんていう名前をつけるんだ」
「名は体を表すと言います。逆もまた然り。この黒き蝋に濡れた姿からそのままとって『黒蝋濡こくろうじゅ』と名付けましょう。あなたはたった今から『黒蝋濡』という魔物。そしてここは、この場所は『黒蝋濡の森』です」
 大量の蒸気が噴き出すように、『黒蝋濡』と呼ばれた魔物から気味の悪い気配が撒きあがった。
 直感でわかる。あの司祭が結界みたいな妙な光を放ってなかったら俺達は死んでただろう。
 突然、大地が揺れ始めた。まだ小さいが、これは、でかくなる……!
 まるで森が眠りから覚めたかのようだ。
「……急いだ方が良さそうですね」
「んなこた誰だってわかる!さっさと逃げるぞ!」

 必死になって走った。
 身体はガタガタだったが、走った。
 司祭が意外に身軽で、体力もあるもんだからそれがまたムカついた。
 揺れはどんどん大きくなって、これはもう駄目かとも思ったが、なんとか森の外には出れた。
 司祭がもっともっと離れた方がいいとか言うもんだから、ニエルティからも随分距離をとった。
 正解だった。
 森が、黒蝋濡の森が城塞都市を丸ごと飲み込んじまった。
 俺とジョーラムはしばらく口を開けっ放しにしてそれを見ていた。
 魔物に名前を与えただけでこんな風になるのかよ?

「なんとか助かりましたね。……それでは、帰りましょうか」
「おいおいおい!まずはさっきの……さっきの、いろんなことを説明してもらおうか!」
「そうしたいのですが、今その子の前で何もかも話すのは憚りがあります」
「ロベリアか?今更なにを」
「ロベリアじゃありません」
「はぁ!?」
「その子はもう、じゃないんですよ……」
 ロベリアはジョーラムに抱えられたまま目を開き、辺りを見回している。ちょうど意識を取り戻したらしい。
「あ……こ、こは、どこ?」
「おいロベリア!しっかりしろ!お前はロベリアだよな?」
「ロベリア……?ロベリアって誰?」
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