家出少年と錬金術師

ぎんげつ

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1.出会った日

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 気持ち悪い。
 気味が悪い。

 たいていの場合、そのどちらかが、最初に出てくる僕を表す言葉だ。
 左右の色が違う目。
 単に色が違うだけではなく、片方は地獄の業火もかくやと言わんばかりに紅い。その紅は、いっそ禍々しさすら感じるほどだ。
 親ですら、なぜこんな子供がと口に出すくらいで……他人はなおさらだ。

 しかし、まがりなりにも爵位を持つ上級貴族という世間体からなのか、殺すことも幼いうちに捨てることもやらなかった。ただ表に出さず、いないものとして扱うことに留めただけで済んだのだ。
 本館からは離れた別棟に閉じ込めて、わずかな使用人を寄越し、必要最低限の世話だけをして、徹底的に、目につかないよう遠ざけた。
 ただ、そうはいっても馬鹿では困るのか、そこそこの教育も受けさせられた。
 文字の読み書きと、自分の立ち位置を弁えた行動と振舞いができる程度の分別を身につけさせ、この家に災いを呼ばせないための教育だ。

 だから、僕は準備をした。

 ここにいない者なら、本当に消えたほうがこの家のためなんだろう。幼い頃ならいざ知らず、僕はとっくに、この家に何かを期待することをやめていた。
 だから、見つからないよう知恵を絞り、周到に準備をして……いちばん早く成人と扱われる年齢、つまり、15となるその日にこっそりと、ここを出た。

 ──僕はこの家でいない者だ。
 社交界に出る日など決して来ない。
 むしろ、他の兄弟たちの邪魔にならないよう、どこか遠く、辺境にでも追いやられればいいほうだろう。
 この家にいる限り、僕は外を知ることもなく、ただこのまま狭い場所で寿命が尽きるまで、漫然と生きているだけのものになるのだ。
 そこまで考えてぞっとした。

 僕はこの場所に囚われたまま、この先どうなるかもわからないまま。
 空は果て無く広がっているのに、僕が知るのはこの別邸だけ。
 誰かが僕を見ることは決して無い。
 僕は、なぜここにいるんだろう。

 成人を迎えた日。
 まだ明けやらぬ暗い空の下、使用人たちに見つからないように部屋を後にした。
 何日もかけてゆっくりと調べておいたとおり、僕は自分に与えられていたわずかなものだけを持って、屋敷から抜け出した。


 * * *


 はあ、と溜息を吐く。財布に残ったたった1枚のこれが、最後の金貨だ。



 家を出てすぐ、僕は魔術師を訪ねた。魔術師なら、この色違いの目など気にせずに僕を弟子にしてくれるのではないかと考えたのだ。
 それに、魔術師になれれば、一生食いっぱぐれることもないだろう。
 だが、目に付いた魔術師を幾人か当たった結果、そう考えるのは5年ほど遅きに失した……と判明しただけだった。

 僕は、魔術師としての修行を始めるには、歳を取りすぎているのだそうだ。

 かといって、冒険者になろうにも剣の扱いかたなど知らないし、まともに身体を鍛えたこともない。なら、読み書き計算はできるからとどこかに雇われようにも、色違いの目を気味悪がられて門前払いだ。

 持ち出した金銭でどうにか食いつないでここまできたけれど、とうとうこの1枚の金貨でそれも終わる。

 重さのほとんどなくなった財布を撫でながら考える。

 いよいよ、もうこの身体を売るしかないのか。何の技能も収入のあてもない僕が持っているもので、どうにか価値が見出せるのは、この身体だけだ。

 財布の底に1枚だけ残った金貨に触れながら、もう一度溜息を吐く。

 とりあえず、今夜の宿はどうしようか。
 今更だが、そこから考えなくてはいけない。どんなに切り詰めても金貨がたったの1枚では、10日も暮らせればいいほうだろう。
 その間に、この先をどうするか、腹を決めなければいけない。

「坊主」

 広場の片隅に座り込み、ぼんやりとひとびとの往来を眺めていたら、頭の上から声が降ってきた。のろのろと顔を上げると、下卑たにやにや笑いを浮かべた中年男が僕を見下ろしている。

「坊主、家出か? 行くところがないのか?」

 いかにもな下心を滲ませて、男は僕の腕を掴んだ。
 立ち上がらせようと無理やり引っ張り、僕をどこか……それ専門に商売をしている宿にでも連れ込もうというのだろう。
 言われなくても、男の目に浮かぶ情欲の色を見れば、僕にだってわかる。
「家出でもないし、ここでひとの波を眺めてただけだ」
 振りほどこうと腕を引いたが、男の力は強かった。もうその下心を隠そうともせず、その下品な顔からだらだらと溢れさせていた。
「そう言うなよ」
「僕はそういう商売をしてるわけじゃない」
 睨んでも、「おお、怖い」と笑ったまま、ますます腕に力が込められる。
「それにしちゃ、今夜の宿にも困ってたんじゃねえのか?」
 ぬっと寄せられた顔を避けるように身体を反らす。これじゃまるで、ゴロツキに手篭めにされる女みたいじゃないか。
「お前には関係ないだろう、離せよ」
 腰掛けていた石段に片手でしがみつくようにして腕を引き戻そうとするが、男の手はびくともしない。
 僕はこれほどまでに非力なのかと、泣きたくなってくる。

「おじさん」

 と、急に誰かが男の肩を叩いた。
「そこまでにしておこうよ。相手にするなら、商売者を選んだほうがいい。この子はただの素人の子供じゃないか」
「ああ?」
 水を差されて不機嫌極まりないという顔の男が振り返る。僕も、いったいどんな酔狂な奴がと顔を上げる。
「それとも、官憲の世話になりたいの?」

 肩より上で適当に切った麦藁みたいなばさばさ髪の、長衣姿の魔術師とも何ともつかない人間が、手に持った杖で男の肩を叩いていた。

「おめえ、なんだよ」
「わたしは薬屋さ。あんたも世話になったことくらい、あるはずだよ」
「あ……?」
「そんな子供に手を出すのはよしなよ。後ろに手が回ったら、お楽しみだってできなくなっちまうんだよ? ほら。今なら、これあげるから」
 男にしては少々小柄で、女にしては少し長身のその薬屋は、男に向かってぽいっと小瓶を投げる。反射的に受け取った男は、胡乱な目で薬屋を見返した。
「なんだこれ」
「ちょっと頼まれて作った、あっちの薬だよ。少し余ってたんで、どうしようかなと思ってたところさ」
「なに?」
「これ使ってヤったら離れられなくなるのを頼む……って注文だったんだけど、ちょっと失敗しちゃって」
 興味を持ったように見えた男の顔が、また胡乱なものに戻る。
「ここだけの話、効果が3日くらい続いちゃうんだよね。そこまであっちが強い奴ってそうはいないから、どう処分しようかと考えてたとこだったんだ。
 なんたって相手が3日間メロメロになるのを満足させなきゃいけないんだよ。並大抵じゃ務まらないだろ?」
 くすっと笑って、薬屋は声を潜めた。男は「3日」と呟いて、薬屋の言葉に真剣に耳を傾け始める。
「その男の子と交換でどう? 念のため、強壮剤もつけてやるよ。ほら」
「ああ……よし、いいだろう」
 男は小瓶を受け取ると僕の腕を離し、いそいそと立ち去った。僕はそのやり取りをぽかんとただ見ていただけだった。

 男が広場からいなくなるのを確認して、薬屋は「ほら少年、立ちな」と手を差し伸べた。なんとなく決まり悪く感じながら、僕はその手を取る。
 立ち上がった僕に薬屋はにこっと笑う。
「わたしはケリーだ。少年の名前は?」
 手を取ったまま訊かれて、僕は瞠目する。2、3度、魚のように口をぱくぱくとして、それから、つい、と目を逸らして小さく答えた。
「……エヴァレット」
「へえ、エヴァレット強きものか。なかなか立派な名前じゃないか」
 笑むように目を細めた薬屋ケリーは、僕の手を引っ張るように歩き出す。
「じゃあ、行こうか」
「行こうかって、どこへ?」
「そりゃ決まってる。わたしの家だ」
「どうして」
「君、家なき子だろう?」
 くっくっと笑いながら振り返るケリーの言葉に、カッと顔に血が上った。
「そんな……どうして」
「わたしはこう見えても善良で慈悲深い人間で、大地と豊穣の女神の敬虔なる信徒でもあるんだ。お金も行くところもない少年を見捨てることなんてできないのさ」
 息を呑む僕に構わず、楽しそうに笑いながらケリーはどんどん歩いていく。
「……僕に、一時の施しをって、ことか」
「ん? 別に、本気で行くところがないなら、薬学と錬金術くらいは教えてやってもいいよ。君にその気があるならだけどね。教えたものを身につけられるかは、君の頭の出来次第さ。ついでに言うなら、わたしは魔術師じゃないけど魔法学だけなら教えられるよ」
 今度こそ、僕は大きく目を瞠った。
 ケリーがいったい何を言ってるのかすぐには理解できず、足を止める。
「どうして、そこまで……」
「ちょうど助手が欲しかったんだよね」
「助手……?」
 呟く僕の頭を、つられて立ち止まったケリーがくしゃりと撫でた。
「自慢じゃないが、わたしは腕のいい薬師兼錬金術師で、わたしの作る薬や道具の評判はすこぶるいい。最近は注文が増えてきたもんで、手も足りなくってさ」
 ケリーは笑いを含んだ声で、あくまでも軽い調子で続ける。
「助手をやってもらうには、薬学と錬金術を覚えてもらわないことにはどうにもならないだろう? ああでも、君がやりたくないなら無理にとは言わないよ。どうだい?」
「でも、僕は、弟子にするには歳を取り過ぎだって言われてばかりで……」
「そりゃ、ていのいい断り文句だ。そう言われて粘るやつはなかなかいないからね。君は面倒臭そうだと思われたんだろ、家出少年」
 僕は顔を上げて髪をかき上げた。
「それに、僕は、変な色の目で……」
 僕の色違いの目に、ケリーは眉を上げて驚いた表情になる。
「へえ、虹彩異色オッドアイか。たしかに人間にゃ珍しいね。ま、毛色の変わったやつは嫌いじゃないし、そもそもそこまで変わってるかって言われると、オッドアイなんて猫人ならよくあるからなあ」
 ケリーは僕の目を覗き込むようにまじまじと見つめる。
「それに、君の顔はどっちかっていうと、整ってるほうじゃないかな。オッドアイも君らしくていいと思うよ」
 くすっと笑って、ケリーは肩を竦めた。
「で、もういちど訊くけど、君はどうしたい?」
 ん? と、小さく首を傾げ、ケリーが笑いながらじっと返事を待つ。
 僕はぐっと手を握り締めて、小さく「お願いします」と頷いた。


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