家出少年と錬金術師

ぎんげつ

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4.災禍の日

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「ケリー」
 毎夜、僕はケリーの寝室へと入り込む。
 ケリーは拒まない。
 ただ、しかたないなと笑って僕を迎える。

 ケリーが何を思っているのかは知らない。
 けれど、ケリーがやはり僕のものにならないのは確実で。
 ケリーはよしよしと僕の背を撫でて、ただ受け入れるだけで。

 どうしたら、僕はケリーを手に入れられるのだろう。
 僕はまるで、高みに輝く星へと必死に手を伸ばす、小さな子供のようだ。
 ケリーは永遠に手に入らない星のようなものなのか。
 ……ケリーが星なら、この手が届く場所に流れ落ちてこないだろうか。



「こりゃ、どこかで疫病が出たね」
 教会から舞い込んだ大口の注文に、ケリーが厳しい表情を浮かべた。
「疫病が……?」
「ああ、この注文は、要するに疫病の薬をありったけ作れってところだ。たぶん、近隣の薬師のところ皆に、同じ注文が入ってるはずだよ」
 顔を顰めたままケリーは注文書を見つめる。
「おそらく、疫病が起きたのはそれほど離れた町じゃないはずだ。伝わってないのは、箝口令が敷かれてるんだろうが……」
「僕が町で話を聞いてくる。ついでに、不足しそうな薬品も買ってこよう」
「いや、それはわたしが……」
「ケリーは薬の調合を始めるんだ。その薬、まだ僕には作れないんだから、僕なら留守にしても大丈夫だろう?」
「まあ、確かに」
 わざわざケリーを選んで薬を注文するものは、これまでにもいた。だけど、今回のこれは相当だ。
 薬は日を置けば効能が薄れてしまうから、1回に処方するのは多くても数日分が普通だ。だが、いったい何人の患者ならこの量を数日で使い切れるのか。
 ……何より、疫病がこの町にも来るのだとしたら。

 僕は急いで交易商人が多く集まる酒場へと向かった。そこなら、商人や旅人たちから近隣の状況を聞けるだろう。
 たくさんの商人たちの中から見知った顔を探し出し……聞き出した話はまだ噂というものでしかなかった。
 だが。

「三叉路の町で発生した疫病が、地母神の町まで広がった?」
「ああ。なんでも、疫病の神の司祭が何かしたって話だよ」
 僕が驚きに目を瞠ると、商人は溜息混じりに頷く。
「なんだって、そんなことに……」
「さあねえ。三叉路の町じゃ、太陽神の教会がなんとかこれ以上を食い止めようと頑張っちゃいるが……毎日ばたばた死んでるそうだよ。
 しばらくあっちに近づかないほうがいい。俺もここで引き返すつもりだ」
 考えていたよりも大変な事態に、愕然とする。
 三叉路の町には太陽神の教会があるし、地母神の町だって、大きな大地の女神の教会がある。それほど激しく疫病が蔓延してしまうなんて、考えにくかった。
 何より、その2つの町は徒歩で4日はかかるくらいに離れているはずだ。
「この町も、そろそろ人の出入りを制限し始めるんじゃないかね。特に、地母神の町からくる奴らを締め出しにかかるだろうな」

 地母神の町からこの町までは徒歩で2日……もしかしたら、疫病は既に町に入り込んでいるのかもしれない。
 その想像に、身体が震えそうになる。

 商人は「聞いた話だが」と前置いて、疫病の凄惨さを語る。
 主だった教会の大聖堂は、運び込まれた患者で足の踏み場もないほどで、その周辺の広場にも溢(あぶ)れた者がただ転がされている。
 看病の手も死んだものを埋葬するのも追いつかず、転がった病人は生きてるのか死んでいるのかも定かではない。確実に死んだものも、広場の片隅に積み上げられっぱなしで……ついには、司祭や神官すらも疫病に冒され始めている。
 そんな光景は想像もできず、僕はただ息を呑むだけだった。

「地母神の町じゃ、貴族もばたばたやられたって話だ」
「貴族、も?」
「ああ。身分と金をひけらかしても、疫病は避けてくれなかったらしい」
 商人は苦笑しながら肩を竦めた。

 地母神の町の貴族というのは、どの家だろう。
 あの家だろうか。

 少しだけ気になったが、それは捨て置いた。
 それよりも、当面、町中へ使いに出るのは僕がやろうと決めた。



 それからふた月は、疫病の対策で僕とケリーはてんてこまいだった。

 町は外からの出入りを厳しく制限し、到着してから3日を城壁の外の天幕で過ごし、病に冒されていないことを証明しなくてはならないと定めた。
 ケリーは教会を通して渡された材料で、毎日ひたすら薬を調合した。その他、いつもの薬は僕が代わりに調合し、届けに行くことにした。

 忙しい毎日はあっという間に過ぎて行った。
 毎日、町に出るたびに情報を集めながら、疫病よここへは来るなと太陽神に祈る。
 それでも、遠く西の大国の都にまで疫病が伝わったとか、ある町では住人のおよそ8割が死んでしまったとか、恐ろしい噂ばかりが聞こえてきた。

 しかしとうとう、三叉路の町に太陽神の聖女が現れ、疫病と腐敗の神の司祭を討ったという話が伝わってきた。
 ようやく、疫病が収束したのだ。
 少し浮き足立っていた町の人々も、ここまでは疫病が来なかったとほっと胸をなでおろし、じょじょに落ち着きを取り戻す。
 しばらく後には町の出入りの制限も解かれ、やっと以前のような穏やかな町に戻っていった。

 ひさしぶりの日常で、僕はまたケリーと夜を共にする。
 ケリーはやはり、しかたないなと笑みを浮かべるだけだ。



 その日も、いつものようにジョゼ婆さんへと薬を届けにいった。
「嫁さんの具合はどう?」
 婆さんの中では、僕やケリーと、最近近くに住むようになった若夫婦のことがごっちゃになっているようだった。
 婆さんの話から伺える、その若夫婦の妻のほうは、このところ悪阻で寝込むことが多いらしい。
「ジョゼさん、それは僕のところじゃないよ。ケリー師匠はとても元気だ」
「あれ、そうだったかねえ。ケリーちゃんもやっと旦那さんが来たってのに、じゃあ子供はまだなのねえ?」
「師匠はまだ結婚してないよ」
 ジョゼ婆さんと話しながら、僕は苦笑する。
 小さく溜息を吐く僕に、婆さんは「あれ、エヴくんが旦那さんでなかったかしらね?」と首を傾げる。
 そうならいいのにと考えつつ、苦笑を貼り付けたまま僕は首を振る。
「師匠は誰とも結婚してない」
 あれえ、と首を捻るジョゼ婆さんに、僕は軽く目を伏せて「僕はただの助手兼弟子なんだよ」と呟く。



 使いから戻ると、店の前に立派な黒塗りの馬車が停まっていた。手入れの行き届いた馬が2頭つながれて、どこかのお仕着せらしいものを着た馭者が座ったままだ。馬車自体の作りも良さそうなのに紋章は掲げていないところからすると、お忍びの貴族が何かひとに言い難い薬を求めに来たというところだろうか。

 裏口に回ってそっと中へ入る。
 やんごとない身分の者が来た時に使う応接用の部屋から、わずかに話し声が聞こえた。何を話しているかまではわからない。
 僕は扉をちらりと見てから、引き取った品物や貨幣をしまう。
 戸棚を開け閉めする音を聞きつけたのか、おもむろにがちゃりと扉が開いた。顔を上げると、扉の影からケリーがひょこっと頭を出して僕を呼んだ。
「エヴ、こっちへ」
「師匠?」
 手招くケリーを、僕は訝しむように見つめた。まだ見習いの僕が貴族の前に出るなんて、これまでいちどもなかったことだった。

 ケリーの後に続いて部屋へ入ると、長椅子には、身なりのいい壮年の男が座っていた。貴族というよりも、貴族に仕える高級使用人だろう。
 ぺこりと頭を下げてから、それからどこかで見たような気がして内心首を捻っていると、男はいきなり立ち上がる。
「エヴァレット様」
 え? と驚いて、僕はもういちど男を見る。
 その顔には確かに見覚えがあって、少し考えて……それから、彼を見たのは、僕があの屋敷の別館にいた頃だと思い出して瞠目した。
「な……んで……」
 それ以上の言葉は出てこない。僕はごくりと喉を鳴らす。
「大旦那様より、屋敷へお戻りになるようにと」
「なんで、そんなの、今さら……」
 ずっといないものとして扱ってきたくせに、ずっと放っておいたくせに、なんで今ごろ現れるんだ。
「先頃の疫病により、旦那様と奥様、そしてエヴァレット様のご兄弟とも、皆お亡くなりになりました。
 直系で残ったのは、大旦那様とエヴァレット様のおふたりだけです」
「それが、なんだって……」
「エヴァレット様には、当家を継いでいただかねばなりません」
 ぎりっと唇を噛み、拳を握り締める
 いないものとして散々無視してきたくせに。
「勝手なこと言うな! 僕には関係ない!」
「当家には、エヴァレット様が必要です」

 今さら必要だと言われたって。

 ギリギリと歯を噛み締める。僕が声を荒げようと彼の態度は揺るがず、ただ、僕が必要なのだと繰り返すばかりだ。

 ──ケリーは?
 ケリーだって、僕が帰ることには反対のはずだ。

 縋るように見れば、ケリーは僕から逸らすように目を伏せた。
「……ケリー?」
「エヴ、帰るんだ」
「ケリー? どうして……?」
「君は、家に帰れ」
 強く言い切られて、愕然とする。
「君は、君を必要とするところへ帰るんだ」
 では、ケリーは僕が必要じゃない?
「ケリー……」
 握った拳から力が抜け、腕がだらりと垂れ下がる。
 ほっと息を吐いた男が、ずっしりと重そうな箱をテーブルの上に乗せた。中からかすかにじゃらりと音がした。
「ケリー様、これは当家よりの謝礼です。お納めください。
 エヴァレット様が、たいへんお世話になりました」
 ケリーはわずかに考えて、それから「ああ」と頷いた。僕は、ふたりのそのやりとりをただ呆然と見つめる。
「さあ、エヴァレット様」
 男に腕を取られて、僕は引きずられるように部屋を出た。
「大旦那様がお待ちです」
 僕を押し込むように馬車に乗せ、男が続いて乗り込む。
「では、ケリー様」
 ケリーは軽く会釈をして、すぐに扉を閉めてしまった。

 僕とは、目も合わせなかった。

 呆然とする僕を乗せて、馬車はゆっくりと走り出した。


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