家出少年と錬金術師

ぎんげつ

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11.君のそばにいたいと思う

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「……あなたは、“嵐の国”のストーミアン王家が竜の血を引いているという話を聞いたことはありませんか?」

 馬車に押し込まれ、しばしの重苦しい沈黙の後、おもむろにアルマス様が口にしたのはそんな質問だった。

「え? でも、それはおとぎ話で……」
悪魔デヴィルを祓いし救国の女王ウルリカと、その生涯の伴侶であり偉大な守護者たる父祖竜シェイファラルが、現在のストーミアン王家の祖先です。
 我がファルカウス公爵家はそもそもが臣籍に降った王族を祖としていますし、何度も王家との婚姻を結んでいます。ですから、私やカタリーナにも、ほんのわずかではありますが竜の血が流れているのです」
「はい……」
 アルマス様の意図が見えず、私はつい眉を顰めてしまう。
 ちらりとカタリーナ様へと視線を移すと、馬車に乗り込んだ時から変わらず、顔を曇らせ押し黙ったままだった。
「それに当家はラエスフェルト公爵家とも何度か婚姻を結んでいますし、この国の王家と我が“嵐の国”の王家も婚姻を結んでいます。ですから、ラエスフェルト公爵家にもわずかながら竜の血が混じっていることになりますね」
 わたしは小さく頷いた。

 王家につながる家同士が婚姻を結ぶことは、さほど珍しいことではない。そうやって近隣の国同士、特に、小さな国であればあるほど血を結ぶことで結束を固くするのだと聞いたことはある。
 だから、“嵐の国”の王家の遠縁となるエヴにも、ほんの少しだけ竜の血が混じっていることになるのだ。

「竜の血筋の厄介なところは、祖である竜の性質を受け継ぐことなんです」
「性質ですか?」
「そう。血の濃さに関係なく、けれど、出るものと出ないものにくっきりと分かれてしまう性質です」
 アルマス様は小さく溜息を吐く。
 偉大なる血筋の証である竜の血が厄介とは、どういうことなのか。わたしには想像もつかず、ただ首を捻るばかりだ。
「フェリシア姫をはじめ、ストーミアン王家の直系の方々ならほぼ確実に受け継いでいます。直系でなくても……そうですね、ほんの少しでも竜の血が混じったものなら誰でも受け継ぐ可能性はあるようです。
 私やカティはどうやら受け継がずに済みました……ですが、エヴァレット様はどうやら受け継いでしまったのでしょう」
「……エヴが?」
 目を瞠るわたしに、アルマス様がゆっくりと頷いた。
「私たちが“唯一”と呼ぶものの存在がそのひとつです。言葉どおり、自分にとってただひとり、生涯を共にする存在のことです」
「ケリー様は、エヴァレット様が“唯一”と定めたお方なのでしょう?」
「カティ」
「フェリシア姫様のお話で、エヴァレット様は“唯一”と定めたお方を亡くしたのだと思っていたのです。けれど、違いました。ケリー様がエヴァレット様の“唯一”のお方なのでしょう?」
「カティ、慌てるんじゃない」
 アルマス様がカタリーナ様の頭を抱き寄せる。
「そんなはず……」
「エヴァレット様を見ていれば、すぐにわかります」
「そんな、はず……だって、わたしはただの平民で、錬金術と薬学を学んだだけの薬師で、歳だってエヴの10も上で……」
 手が震える。
 単に、最初に出会った時にたまたま優しくしたのがわたしだったから、エヴは勘違いをしていただけではないのか。
 初めての相手だから、ちょっと執着していただけではないのか。
「ケリー様は、だからエヴァレット様にお応えしなかったんですか?」
 わたしは口を噤む。

 だって、どうすれば良かったというのだ。
 良い家の子供だというのはわかっていた。まさか公爵家の嫡男とは思わなかったが、それでも、単にいっときの慰めが欲しいんだろうとしか思わなかったのだ。

 ……自分も、ひとりだったから。

「エヴは……」
 はあ、と大きく息を吐く。
「慣れない町に出て、心細くて、少し寂しかっただけなんだ。だから、その時そばにいたわたしに目が行っただけなんだよ。でなきゃ、こんな薬臭くてとっ散らかった年増なんかに執着するはずがない。なのに、どう応えればいいって言うんだ」
 エヴにふさわしいのは、目の前のカタリーナ様のような、若くて、きれいで、身分もあるお嬢様だ。
 わたしが、エヴの“唯一”でなんかあるわけがない。
「……我がファルカウス家の直系にも、竜の性質が濃く出た者は少なからずおりました。継嗣として定められた者にも、そうでない者にも」
「アルマス様?」
 わたしは顔を上げる。
 アルマス様は少しだけ眉尻を下げ、苦笑を浮かべていた。
「もちろん、婚約者として定められた相手を“唯一”とした者も多くいました。ですが、同じくらい……身分や年齢などの釣り合わない者を相手に定めてしまったものもいたのです。時には、異種族が相手だったことも」
「それは……」
「ことが“嵐の国”の中だけであれば、話は簡単でした。何しろ、王家自身が竜の性質に引き摺られているんですから、公爵の“唯一”があなたであった時点でこの婚約はあっさり解消できたでしょう。当家としても、“唯一”を持つ公爵に、そうでないカティを嫁がせることなど望まない」
 呆気に取られるわたしに、アルマス様は顔を顰めて言い切る。
「でも、エヴの“唯一”がわたしと決まったわけでは……」
「いえ、たしかにケリー様がエヴァレット様の“唯一”ですわ」
「どうして」
「見ていればわかります。エヴァレット様の目は、ケリー様しか映しておりませんでした。ケリー様だけを追っていました」
「……そんな」
 いまさらそんなことを言われても困る。エヴがわたしに執着するのは、単に他にいなかっただけなのだと考えてきたのに。

 ぎいっと車輪の軋む音とともにガタリと大きく揺れ、馬車が停まった。いつの間にか到着したらしい。
 かちゃりと扉が開かれて、アルマス様が降りる。続くカタリーナ様の手を取って降ろし、次にわたしへと手を差し伸べる。あまりに分不相応な扱いに戸惑うと、半ば強引に手を引き、外へと導いた。
「ありがとう、ございます」
 アルマス様は恐縮するわたしに微笑むと、軽く肩を押して中へ入るようにと促した。ここまでわたしを連れてきたふたりの意図がさっぱりわからない。

「ここは、こちらに滞在するために用意した屋敷なのですよ。少し手狭かもしれませんが、居心地は悪くありません」
 この、いくつも部屋があってどこもきれいに整えられ、十分な使用人があれこれと世話を焼いてくれる立派な屋敷を手狭と言ってしまうのか。
 驚くわたしをつれて、どんどんアルマス様は奥へと進んでいった。カタリーナ様も少し訝しむようにアルマス様を見ている。

 おそらくは応接用の部屋か、それともサロンか。そんな部屋に通されて言われるまま椅子に腰を降ろすと、すぐに使用人が現れて茶の用意をしていった。そのタイミングも手際の良さも、さすが上級貴族の使用人と言うべきだろうか。どうにも場違いに感じられて落ち着かない。
「まずは少し落ち着きましょうか」
 アルマス様がどうぞと茶を勧める。
 カタリーナ様がカップに注がれたお茶をひと口飲み込んで、ほうと息を吐く。わたしもそれに習い、おずおずと茶をひと口飲んだ。ふんわりと花のような甘い香りに、わたしも、ほうと息を吐く。
「お兄様、いったい何を考えていらっしゃるのです? ここまでケリー様をお連れしたのはなぜですか?」
 カップを持ったまま、カタリーナ様が口火を切った。わたしはいったい何が始まるのかと、固唾を飲んで見守るだけだ。
「どうすべきかを、少し考えてはみました。ラエスフェルト公爵自身のお考えも確かめなければなりませんが……」
 アルマス様はじっと考え込むように視線を泳がせる。
「ラエスフェルト公爵家とファルカウス公爵家が縁を結ばねばならないのは絶対です。ストーミアン王家だけの意思ではありませんから」
「けれど、エヴァレット様は……」
「その前に、ケリー様。あなたはエヴァレット様をどうお考えですか」
「え?」
 カタリーナ様の言葉を遮って、アルマス様がわたしをまっすぐに見つめた。
「急に聞かれても……」
「本当に急ですか?」
 畳み掛けるように尋ねられて、わたしは言葉に詰まる。ずっと直視しないように目を背けてきたことを鋭く抉られて、わたしはぱくぱくと声もなく喘ぐ。
「わたしは……」
 カタリーナ様までが、顔を上げてわたしを見つめる。
「わたしは、エヴを……」



 キイ、という蝶番の鳴る音は、意外に大きく響いてしまった。
 耳障りな音に、わたしは思わず顔を顰めてしまう。
「呼ぶまで入るなと言ったはずだ」
 掠れてはいるが鋭く放たれた声に目をやると、薄暗くなった部屋の中、エヴはベッドの上で抱えた膝に顔を埋めていた。あれからずっと誰も寄せ付けず、ひとりだったのか。少し淀んだ空気の匂いを嗅いで、「エヴ」とわたしは呼んだ。
「……ケリー? どうして」
 ゆっくりと顔を上げたエヴは、惚けたような表情を浮かべてぼんやりとわたしを見る。わたしはもう二度とここへは来ないとでも考えていたのか。
「今、わたしが帰れるところはここしかないだろう?」
 わたしは苦笑しながらベッドの端に腰を下ろした。エヴに手を伸ばし、その感触を確かめるように頬を撫でる。
「戻って来ないと思っていました」
 目を伏せたエヴがぽつりと溢した言葉に、わたしは溜息を吐く。
「……困ったことに、わたしは君のことが嫌いじゃない。君には散々な目に遭わされているはずなのに、どうにも君を嫌いにはなれない」
 エヴがわずかに瞼を震わせる。
 ゆるゆると頬を撫でるわたしの手に顔を押し付けて、小さく吐息を漏らす。
「なあ、エヴ。ちゃんと話をしよう。君のことが聞きたいんだ。君がどんな風に育ったのか、わたしと離れてから君がどうしていたのか……今までずっと話さなかったこと、ちゃんと話そう」
 頭を抱き寄せると、エヴはおずおずとわたしの背に腕を回す。
「わたしも逃げてたんだ。いろいろと言い訳をしながら、ただ逃げてた」
 エヴの身体がぴくりと震えた。
「だからきちんと話をして、最善を考えよう。わたしたちだけじゃない。アルマス様とカタリーナ様も君の味方だよ」
「……どうして」
 わずかに顔を上げたエヴに、わたしは笑ってみせる。こつんと額を合わせて、ほんの少しだけ目を伏せる。
「エヴ、君をひとりぼっちにしていてすまなかった。正直なところ、わたしは君が好きなのかどうか、よくわからないんだ。
 ──けどね、エヴ」
 怯えの色を帯びたエヴの目が揺れる。
「わたしは君のそばにいたいと思う。それだけじゃだめかな」
 目を閉じたエヴの腕に力がこもる。
「ケリー……」
 震えるエヴの背中を、わたしはそっと抱き締めた。


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