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2.逃亡者
我思う、故に
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しんと静まった場に佇んでいるのは、ヴィトとオージェとイーターの三人だけとなった。他は皆、死ぬか気絶するかで動くものはない。
カツカツと蹄を鳴らして黒馬が戻り、イーターに鼻面を擦り寄せる。空飛ぶ獣も、クルルと喉を鳴らす。
「僕は……」
幼い頃の夢だって見た。
乳母がいて、ねえやは結婚して会うことはなくなってしまったけれど、代わりに乳兄弟がよく訪ねてきてくれて……。
――様、と自分を呼ぶ乳母の声を思い出す。
乳母は、自分を何て呼んでいた?
乳母は……。
「ヴィト?」
違う――乳母は、ナディアル様と自分を呼んでいた。
「“ナディアル”は僕じゃない。神王の名前じゃないか」
「ヴィト!?」
ぐらりと倒れるヴィトを抱え上げて、「行くぞ」とイーターが歩き出した。
* * *
「ねえや」
「――様、もう赤子ではないのですから、わたくしのことは名前でお呼びくださいと何度も申し上げているでしょう?」
お茶の支度をしながら、クロディーヌがくすくすと笑う。少し年上の、乳兄弟の姉のきっちりとまとめた髪から、後れ毛がはらりと落ちた。
自分は何の気なしに手を伸ばし、その髪を耳にかけてやる。
「まあ、ありがとうございます」
にっこりと頭を下げるクロディーヌにうんと頷いて、それから、何故だか胸の中が少しざわつくのを感じて、ついと目を逸らしてしまう。
その、逸らした方向にクロディーヌが目を向けて、「何かございましたか?」と首を傾げた。
「なんでもない……鳥が飛んでるのが、見えただけだ」
「そうでしたか」
クロディーヌは微笑みを浮かべながら手際よくティーセットと菓子皿を並べ、ポットから茶を注ぐ。
カップの中を覗き、ゆらゆら揺れる自分の顔を見つめて、それからふわりと立ち昇る香りを吸い込んだ。まだまだ子供の自分の顔は頼りなくて、あと二十年もしたら王になるのだと言われても、まったく実感がわかない。
「今日は、何?」
「北のオルシュテン王国から届きました、ベリーのお茶ですよ」
「ふうん」
オルシュテン王国の末姫との婚約が内定していると聞いたのは、ごく最近だ。けれど、それが本当のことになるのかどうかは、まだわからない。
「――様へと贈られたものだと伺っておりますよ。後で、礼状を用意しなければなりませんね」
めんどうくさい。
礼状なんて、出したところで末姫自身が読むのかどうかさえ怪しいのに、何を書けばいいのかなんて思いつかない。
クロディーヌが困った表情を浮かべて、眉尻を下げた。
「――様、いつまでも子供のつもりではいけませんよ。わたくしがこうしてお側に居られるのもあと少しになってしまうのですから、しっかりしてくださらないと」
え、と驚いた顔を上げる自分に、クロディーヌは困った顔のまま微笑む。
「わたくしの結婚が決まったのです。宰相閣下のご紹介で……東に領地を頂いております子爵家へ、年が暮れる前に嫁ぐことになりました」
「そんなの、僕は聞いてない」
「なにぶん、急に決まったものですから」
自分の許しもないのに、どうして勝手に決めてしまうんだ。
そう募ろうとして、けれどしっかりと口を噤む。
言葉を叩きつけてもクロディーヌを困らせるだけだ。宰相の紹介を断るなんて、クロディーヌの立場ではとうてい無理なのだから。
だから、自分は唇を真一文字に閉じたままカップを手に取り、またじっと水面を見つめて……。
違う。
「――ナディアル様?」
「違う」
「ナディアル様、どうなさったのですか?」
「僕は、ナディアルじゃない」
* * *
目を開けると、ヴィトは毛布に包まれて寝かされていた。
「あ、ヴィト、目が覚めた?」
「……オージェ」
「なんだかうなされてたみたいだけど」
ぼんやりするヴィトの頬にペタペタと触れながら、オージェが覗き込む。
「イーターさんは」
「食べ物を調達してくるって、今ちょっと出てるわ」
「そう」
身体を起こすヴィトにオージェは水袋を差し出す。
「本当はお茶があればいいんだけど」
「ありがとう」
受け取って、ひと口飲んで、ヴィトは小さく息を吐く。
「オージェ」
「なあに?」
「僕は、たぶん、神王の落とし胤なんかじゃないと思う」
ぽつりと呟くヴィトの頭を、オージェはそっと撫でる。
「――小さい頃のことを思い出したんだって、考えてたんだ」
「うん」
「侍女がいて、乳母がいて、子供の僕が世話を焼かれていて……だから、もしかしたら本当に、僕は神王の落とし胤なのかもしれないと。
でも、違った」
オージェは黙ってヴィトの頭を引き寄せる。
きゅっと抱き締めて、「ヴィト」と名前を囁く。
「記憶の中で、僕は、“ナディアル”と呼ばれてた。
でも、違うんだ。僕はナディアルじゃ……神王じゃない」
「それじゃ、どうして」
「わからない。それに……」
「ヴィト?」
「それだって、僕の名前じゃないんだ」
ぴくりとオージェの身体が揺れた。
たしかに、あの白い女は、ヴィトを“二番目”と呼んでいた。
ヴィトを拾った日、事故のせいでヴィトの意識はだいぶ朦朧としていたから……だから本当は“ツヴィット”と答えようとしたのを、オージェが聞き取れなかっただけなのかもしれない。
でも。
オージェは力いっぱいにヴィトを抱き締める。
「ヴィトは、ヴィトよ」
「オージェ……」
「大丈夫。ヴィトはヴィトだから」
縋り着くヴィトの背を撫でながら、オージェはその頭にキスをする。
「だから、大丈夫。大丈夫よ。ヴィトはヴィト。ね?」
大丈夫を何度も繰り返して、やっとかすかに頷いたヴィトを、オージェはもう一度しっかりと抱き締めた。
ヴィトはそのまま頭をもたれかけさせて、「ありがとう」と呟く。
ゆっくり顔を上げて、間近にあるオージェの頬に触れて、吐息を感じる距離でオージェの顔をじっと見つめて……ヴィトはその唇に、自分の唇で触れる。
「……ヴィト?」
「嫌だった?」
「嫌じゃ、ないけど……」
ほんのりと赤く染まったオージェに、ヴィトは笑ってもう一度キスをする。
「オージェ」
「ん、なに?」
「僕が人間じゃなかったら、どうする?」
「そんなわけないし、イーターさんだって……」
「僕を“二番目”と呼んだ女は、僕を自分と同じ作られたものだと言ったよ」
「でも、ヴィトの手だって身体だってこんなに温かいのに、そんなはず……」
ない、と続けようとしたオージェの唇を、ヴィトはもう一度塞ぐ。
「僕が作られたものだとしたら」
唇を離して、こつんと額を合わせて、ヴィトは途方に暮れたように呟く。
「僕は僕だと言い張る僕は、どこから湧いて現れたんだろうね」
わずかに吐息を漏らして、今、そう考える自分自身すら幻のように思えて――。
「そのようなこと、考えるだけ時間の無駄だと、我は思うがな」
急に降ってきた声に振り向くと、今日も仕留めた獲物をふたつぶら下げたイーターが戻っていた。
「イーターさん」
「我は……そうだな、生まれた時から我だと考えているが、自身がどこから現れたかなどは知らぬ。だが、我が我であることには変わらぬぞ」
ヴィトはハッと我に返って、慌ててオージェから身体を離した。オージェも少し頬を赤らめつつ座り直す。そんなふたりの様子に頓着することなく、イーターもふたりの向かいに腰を下ろした。
すぐに、イーターはぶら下げていた肉を手際よく捌き始める。その肉をオージェが棒に刺し、ヴィトが塩を振って火の周りに立てていく。
「それにだ」
手についた獲物の血をぺろりと舐めて、イーターがにやりと口角を上げた。
「人喰いの我には、ヴィトは十分美味そうな人間に見えるが」
「えっ?」
「とてつもなく人臭く……我が今の我となる前であれば、間違いなく今頃襲って喰っているだろうな」
目を丸くするヴィトに、イーターはくっくっと笑った。
「人臭い、って……」
「事実だ」
ふんと鼻を鳴らして、イーターはナイフを拭う。
「あの女からは人の匂いなどまったく感じなかったぞ。ああも匂いのせぬものなど、“死の王”に使われる屍人であってもなかなかおらぬわ」
「でも……僕は作られたものだと……」
「ふむ」
パチパチと焚き木がはぜて、炎が揺れる。
「我らが黒炎城にどのような種族がいるか、お前は知っているか?」
「いえ……」
急に何を言い出すのか。
怪訝そうに見るヴィトを、目を細めたイーターがしっかりと見返す。
「一番多いのは人間だ。人間は大抵の世界にいる種族だからな」
「大抵の世界?」
「うむ。この世界を囲む“果ての壁”の向こうにある、さまざまな世界だ」
“果て”の向こうには別な世界がある……というのは、この世界に“魔術の神”が現れた時に証明された。
この世界の創造神オルは、この世界を置いて別な世界に旅立ったのだという話も、その時に定説になったと言われている。
「実に様々な種族がいた。人間に近いものも、似ても似つかぬものも……我が騎士団に属する“死の騎士”は、これまでに通って来た世界のあちこちで仲間を迎え入れてきた。
我が騎士団は、実に様々な種族の寄せ集めなのだ」
「寄せ集めって……」
“死の騎士”は、この世界の軍用魔導ゴーレムに匹敵するほどの強さであることは、イーターが証明済だ。
それほどに強い騎士たちが“寄せ集め”などということがあるのか。
「そう、我らは寄せ集めだ。見た目も種族もバラバラな我らに共通しているのは、ただ、誰もが最初は“死の王”により戦場に転がる死体を材料として作られた屍人だったということのみだからな」
「でも……」
「我らは意思のない木偶人形として、何十年となく“死の王”に縛られた。己で考えることもなく、与えられた命令を実行するだけの、魂を持たぬ人形だ」
イーターは、いったい何を言いたいのか。
元人形だった自分とヴィトが同じだとでも言うのだろうか。
「だが、ある時、我らの長たる“暁の騎士”が、その強靭な意志を持って自らを縛るくびきより逃れ、我らを“死の王”の支配より解き放った。その偉業ありきではあるが、今の我は己の行いを己自身で決めることができる」
目を細めたまま、イーターはじっとヴィトを見つめて、不意に微笑んだ。
「ゆえに、今の我は人形などではない。我は我だ。
――ヴィト、お前はどうだ?」
ヴィトは大きく目を見開いた。
「……僕?」
問われてヴィトは大きく息を吐く。
自分は果たしてどうなのか……オージェに拾われる前はわからない。けれど、拾われた後の自分は……ヴィトはヴィトだと言えるのか。
「ああ」
イーターが大きく頷く。
「ヴィト、お前は己の行く道を、己自身で決められるか?」
ヴィトはじっと黙り込む。
自分は何をどうしたいと思うのか、それは、本当にヴィト自身がそうしたいと望むことなのか。
「あの木偶人形のことなどしばし忘れ、しっかりと考えてみるがいい。考えることも己が己であることの証明になるのだと、城の誰だかが言っておったしな」
こくりと頷いたヴィトの頭を、イーターはぽんぽんと叩く。
「うん、私もイーターさんの言うことに賛成よ。でも、その前に、まずご飯食べようよ。お腹空いちゃった」
ちょうど良く焼き上がった肉を差し出して、オージェがにっこりと笑った。
カツカツと蹄を鳴らして黒馬が戻り、イーターに鼻面を擦り寄せる。空飛ぶ獣も、クルルと喉を鳴らす。
「僕は……」
幼い頃の夢だって見た。
乳母がいて、ねえやは結婚して会うことはなくなってしまったけれど、代わりに乳兄弟がよく訪ねてきてくれて……。
――様、と自分を呼ぶ乳母の声を思い出す。
乳母は、自分を何て呼んでいた?
乳母は……。
「ヴィト?」
違う――乳母は、ナディアル様と自分を呼んでいた。
「“ナディアル”は僕じゃない。神王の名前じゃないか」
「ヴィト!?」
ぐらりと倒れるヴィトを抱え上げて、「行くぞ」とイーターが歩き出した。
* * *
「ねえや」
「――様、もう赤子ではないのですから、わたくしのことは名前でお呼びくださいと何度も申し上げているでしょう?」
お茶の支度をしながら、クロディーヌがくすくすと笑う。少し年上の、乳兄弟の姉のきっちりとまとめた髪から、後れ毛がはらりと落ちた。
自分は何の気なしに手を伸ばし、その髪を耳にかけてやる。
「まあ、ありがとうございます」
にっこりと頭を下げるクロディーヌにうんと頷いて、それから、何故だか胸の中が少しざわつくのを感じて、ついと目を逸らしてしまう。
その、逸らした方向にクロディーヌが目を向けて、「何かございましたか?」と首を傾げた。
「なんでもない……鳥が飛んでるのが、見えただけだ」
「そうでしたか」
クロディーヌは微笑みを浮かべながら手際よくティーセットと菓子皿を並べ、ポットから茶を注ぐ。
カップの中を覗き、ゆらゆら揺れる自分の顔を見つめて、それからふわりと立ち昇る香りを吸い込んだ。まだまだ子供の自分の顔は頼りなくて、あと二十年もしたら王になるのだと言われても、まったく実感がわかない。
「今日は、何?」
「北のオルシュテン王国から届きました、ベリーのお茶ですよ」
「ふうん」
オルシュテン王国の末姫との婚約が内定していると聞いたのは、ごく最近だ。けれど、それが本当のことになるのかどうかは、まだわからない。
「――様へと贈られたものだと伺っておりますよ。後で、礼状を用意しなければなりませんね」
めんどうくさい。
礼状なんて、出したところで末姫自身が読むのかどうかさえ怪しいのに、何を書けばいいのかなんて思いつかない。
クロディーヌが困った表情を浮かべて、眉尻を下げた。
「――様、いつまでも子供のつもりではいけませんよ。わたくしがこうしてお側に居られるのもあと少しになってしまうのですから、しっかりしてくださらないと」
え、と驚いた顔を上げる自分に、クロディーヌは困った顔のまま微笑む。
「わたくしの結婚が決まったのです。宰相閣下のご紹介で……東に領地を頂いております子爵家へ、年が暮れる前に嫁ぐことになりました」
「そんなの、僕は聞いてない」
「なにぶん、急に決まったものですから」
自分の許しもないのに、どうして勝手に決めてしまうんだ。
そう募ろうとして、けれどしっかりと口を噤む。
言葉を叩きつけてもクロディーヌを困らせるだけだ。宰相の紹介を断るなんて、クロディーヌの立場ではとうてい無理なのだから。
だから、自分は唇を真一文字に閉じたままカップを手に取り、またじっと水面を見つめて……。
違う。
「――ナディアル様?」
「違う」
「ナディアル様、どうなさったのですか?」
「僕は、ナディアルじゃない」
* * *
目を開けると、ヴィトは毛布に包まれて寝かされていた。
「あ、ヴィト、目が覚めた?」
「……オージェ」
「なんだかうなされてたみたいだけど」
ぼんやりするヴィトの頬にペタペタと触れながら、オージェが覗き込む。
「イーターさんは」
「食べ物を調達してくるって、今ちょっと出てるわ」
「そう」
身体を起こすヴィトにオージェは水袋を差し出す。
「本当はお茶があればいいんだけど」
「ありがとう」
受け取って、ひと口飲んで、ヴィトは小さく息を吐く。
「オージェ」
「なあに?」
「僕は、たぶん、神王の落とし胤なんかじゃないと思う」
ぽつりと呟くヴィトの頭を、オージェはそっと撫でる。
「――小さい頃のことを思い出したんだって、考えてたんだ」
「うん」
「侍女がいて、乳母がいて、子供の僕が世話を焼かれていて……だから、もしかしたら本当に、僕は神王の落とし胤なのかもしれないと。
でも、違った」
オージェは黙ってヴィトの頭を引き寄せる。
きゅっと抱き締めて、「ヴィト」と名前を囁く。
「記憶の中で、僕は、“ナディアル”と呼ばれてた。
でも、違うんだ。僕はナディアルじゃ……神王じゃない」
「それじゃ、どうして」
「わからない。それに……」
「ヴィト?」
「それだって、僕の名前じゃないんだ」
ぴくりとオージェの身体が揺れた。
たしかに、あの白い女は、ヴィトを“二番目”と呼んでいた。
ヴィトを拾った日、事故のせいでヴィトの意識はだいぶ朦朧としていたから……だから本当は“ツヴィット”と答えようとしたのを、オージェが聞き取れなかっただけなのかもしれない。
でも。
オージェは力いっぱいにヴィトを抱き締める。
「ヴィトは、ヴィトよ」
「オージェ……」
「大丈夫。ヴィトはヴィトだから」
縋り着くヴィトの背を撫でながら、オージェはその頭にキスをする。
「だから、大丈夫。大丈夫よ。ヴィトはヴィト。ね?」
大丈夫を何度も繰り返して、やっとかすかに頷いたヴィトを、オージェはもう一度しっかりと抱き締めた。
ヴィトはそのまま頭をもたれかけさせて、「ありがとう」と呟く。
ゆっくり顔を上げて、間近にあるオージェの頬に触れて、吐息を感じる距離でオージェの顔をじっと見つめて……ヴィトはその唇に、自分の唇で触れる。
「……ヴィト?」
「嫌だった?」
「嫌じゃ、ないけど……」
ほんのりと赤く染まったオージェに、ヴィトは笑ってもう一度キスをする。
「オージェ」
「ん、なに?」
「僕が人間じゃなかったら、どうする?」
「そんなわけないし、イーターさんだって……」
「僕を“二番目”と呼んだ女は、僕を自分と同じ作られたものだと言ったよ」
「でも、ヴィトの手だって身体だってこんなに温かいのに、そんなはず……」
ない、と続けようとしたオージェの唇を、ヴィトはもう一度塞ぐ。
「僕が作られたものだとしたら」
唇を離して、こつんと額を合わせて、ヴィトは途方に暮れたように呟く。
「僕は僕だと言い張る僕は、どこから湧いて現れたんだろうね」
わずかに吐息を漏らして、今、そう考える自分自身すら幻のように思えて――。
「そのようなこと、考えるだけ時間の無駄だと、我は思うがな」
急に降ってきた声に振り向くと、今日も仕留めた獲物をふたつぶら下げたイーターが戻っていた。
「イーターさん」
「我は……そうだな、生まれた時から我だと考えているが、自身がどこから現れたかなどは知らぬ。だが、我が我であることには変わらぬぞ」
ヴィトはハッと我に返って、慌ててオージェから身体を離した。オージェも少し頬を赤らめつつ座り直す。そんなふたりの様子に頓着することなく、イーターもふたりの向かいに腰を下ろした。
すぐに、イーターはぶら下げていた肉を手際よく捌き始める。その肉をオージェが棒に刺し、ヴィトが塩を振って火の周りに立てていく。
「それにだ」
手についた獲物の血をぺろりと舐めて、イーターがにやりと口角を上げた。
「人喰いの我には、ヴィトは十分美味そうな人間に見えるが」
「えっ?」
「とてつもなく人臭く……我が今の我となる前であれば、間違いなく今頃襲って喰っているだろうな」
目を丸くするヴィトに、イーターはくっくっと笑った。
「人臭い、って……」
「事実だ」
ふんと鼻を鳴らして、イーターはナイフを拭う。
「あの女からは人の匂いなどまったく感じなかったぞ。ああも匂いのせぬものなど、“死の王”に使われる屍人であってもなかなかおらぬわ」
「でも……僕は作られたものだと……」
「ふむ」
パチパチと焚き木がはぜて、炎が揺れる。
「我らが黒炎城にどのような種族がいるか、お前は知っているか?」
「いえ……」
急に何を言い出すのか。
怪訝そうに見るヴィトを、目を細めたイーターがしっかりと見返す。
「一番多いのは人間だ。人間は大抵の世界にいる種族だからな」
「大抵の世界?」
「うむ。この世界を囲む“果ての壁”の向こうにある、さまざまな世界だ」
“果て”の向こうには別な世界がある……というのは、この世界に“魔術の神”が現れた時に証明された。
この世界の創造神オルは、この世界を置いて別な世界に旅立ったのだという話も、その時に定説になったと言われている。
「実に様々な種族がいた。人間に近いものも、似ても似つかぬものも……我が騎士団に属する“死の騎士”は、これまでに通って来た世界のあちこちで仲間を迎え入れてきた。
我が騎士団は、実に様々な種族の寄せ集めなのだ」
「寄せ集めって……」
“死の騎士”は、この世界の軍用魔導ゴーレムに匹敵するほどの強さであることは、イーターが証明済だ。
それほどに強い騎士たちが“寄せ集め”などということがあるのか。
「そう、我らは寄せ集めだ。見た目も種族もバラバラな我らに共通しているのは、ただ、誰もが最初は“死の王”により戦場に転がる死体を材料として作られた屍人だったということのみだからな」
「でも……」
「我らは意思のない木偶人形として、何十年となく“死の王”に縛られた。己で考えることもなく、与えられた命令を実行するだけの、魂を持たぬ人形だ」
イーターは、いったい何を言いたいのか。
元人形だった自分とヴィトが同じだとでも言うのだろうか。
「だが、ある時、我らの長たる“暁の騎士”が、その強靭な意志を持って自らを縛るくびきより逃れ、我らを“死の王”の支配より解き放った。その偉業ありきではあるが、今の我は己の行いを己自身で決めることができる」
目を細めたまま、イーターはじっとヴィトを見つめて、不意に微笑んだ。
「ゆえに、今の我は人形などではない。我は我だ。
――ヴィト、お前はどうだ?」
ヴィトは大きく目を見開いた。
「……僕?」
問われてヴィトは大きく息を吐く。
自分は果たしてどうなのか……オージェに拾われる前はわからない。けれど、拾われた後の自分は……ヴィトはヴィトだと言えるのか。
「ああ」
イーターが大きく頷く。
「ヴィト、お前は己の行く道を、己自身で決められるか?」
ヴィトはじっと黙り込む。
自分は何をどうしたいと思うのか、それは、本当にヴィト自身がそうしたいと望むことなのか。
「あの木偶人形のことなどしばし忘れ、しっかりと考えてみるがいい。考えることも己が己であることの証明になるのだと、城の誰だかが言っておったしな」
こくりと頷いたヴィトの頭を、イーターはぽんぽんと叩く。
「うん、私もイーターさんの言うことに賛成よ。でも、その前に、まずご飯食べようよ。お腹空いちゃった」
ちょうど良く焼き上がった肉を差し出して、オージェがにっこりと笑った。
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