Fallen

ぎんげつ

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後篇

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「主よ、罪深き私を、どうか、お許しください」

 呆然と惚けたまま、オルランドはぶつぶつと呟いた。その身体に散った、つい先程吐き出したばかりの粘液を指先で擦りつけて領主が囁く。

「師父はまだまだ物足りなさそうだ」

 ペロリと首筋に舌を這わせて笑う。
 その湿った柔らかい感触に、またオルランドの熱が増していく。

「けれど、今日はこのくらいでやめておこう。
 こういうものは、少し物足りないくらいが後を引く」

 跨ったままひくひくわななく娘をどかすと、領主は使用人を呼ぶ。
 現れた使用人は、手際よく娘の身体を拭き清め、汚れていない服を着せる。続けてオルランドの身体も清めると、瞬く間に崩れた衣服を直してしまった。
 どこか夢見心地のまま、されるがままのオルランドに、領主はまた笑う。

「師父オルランド。これから先、いつでもここへおいで」

 心臓がどきりと跳ね上がった。ようやく夢から覚めたように領主を見つめ返し、オルランドは「いえ」と短く応える。

「わ、私は、村の教会を任されておりますから、早々にこちらには」
「ふむ……まあいい。わたしはいつでも待っているよ」

 ぼんやりとしたままの娘を預けられ、どこかふわふわとした足取りで、けれどそそくさとオルランドは城を辞去した。


 * * *


「ああ……主よ……私は、罪を、犯してしまいました」

 祈りと懺悔の言葉とともに、オルランドは、細い枝に薄い皮を巻きつけただけの簡素な鞭を振るった。
 ぴしりという音と共に剥き出しの腿に赤い筋が浮かび、鋭い痛みが走る。はあ、と喘ぐように息を吐き……ぴしり、ぴしりと何度も脚を打つ。

 ――けれど。

「主よ、私は……私は……」

 領主の城で自分の身に何が起きたのか。
 半日にも満たない、ほんの少しの時間の些細な誘惑……のはずなのに、なぜこうも自分を苛むのか。

 城から連れ帰った娘は、あの淫らさが嘘のように従順に淑やかに、神の子にふさわしい振る舞いになっていた。
 あれなら、両親の訴えどおり、すぐに結婚も決まるだろう。

「は、あっ……」

 ぴしり、とまた脚を打つ。
 ほんのりと血が滲むほどの傷ができたのに、なぜなのか。

「主よ……我が、主よ……欲望が、消えないのです。私は、悪魔に、魅入られてしまったのでしょうか」

 ミミズ腫れになった傷はずくずくと疼いているのに、オルランドの熱は増すばかりで鎮まる気配がない。

 ――とてもとても甘い快楽を伴うものではなかったか?

 びくりと顔を上げて、大きく息を吐く。
 領主に囁かれたような気がしてきょろりと見回すが、いくら月明かりに透かしてみても、オルランド以外の誰の姿も部屋にはない。
 荒く息を吐いてオルランドは蹲る。
 しっかりと握っていたはずの鞭は、いつの間にか床に落ちていた。



 城から戻ってもう何日も経つのに、あの日の出来事が頭から消えない。毎夜の夢に領主と娘が出てきては、甘い快楽でオルランドを責め苛むのだ。

「あ、あ、私は……私は……」

 ごくりとオルランドの喉が鳴る。震える指先でチュニックの裾を持ち上げるものに触れ、深く息を吐く。

「こんな、こんな誘惑……悪魔め……ああ、主よ、私の魂を……ああっ」

 指先は、さらに深く服の中へと潜る。

 自分がこんなことをしてしまうのは、間違いなく悪魔の誘惑によるものだろう。なのに、なぜやめられないのか。
 神は、なぜ悪魔を野放しにするのか。

 忙しなく息を吐いて、固くなったものを強く握る。
 快楽が背を走り、娘の柔らかい唇と舌の感触が甦る。ぺちゃりと舌の這う音までが聞こえるようだ。

「う、あ……主よ……あっ、主よ、私は、私は……く、っ」

 右手でぐいと擦ると、背が震えるほどの快楽が身体中を這い回り、冒していく。“出したい”という欲求が膨れ、オルランドの心を支配する。

「は、あっ、主よ、私を、助け……あっ、主よ、主よ、また、私は……私、はあ、あ、ああああああ!」

 どくんと震えて、白い粘液が迸る。
 後から後から溢れ出す己の子種は、子を作るために吐き出したものではなく、明らかに快楽を求めてのもので……。

「あ……主よ、罪深き私を、お許し……っ、お許し、くださ……あ、うっ」

 ――人間というものは、苦痛には抗えても快楽には抗えないものなのだ。

 そんなことはないはずだった。神の示す道と信仰があれば、悪魔に惑わされることなど絶対にないはずだった。

 なのに、これは何なのか。

 信仰に身を捧げ、この辺境の民に神の教えを説くためにこの地へ来たというのに、なぜこんなことになっているのか。
 毎夜のように繰り返さずにいられない痴態は、オルランドが悪魔に憑かれたことを示しているのか。

「は、あっ……主よ……主よ……」

 何日も経つというのに、あの日の出来事は今なお鮮明だった。


 * * *


 来るつもりなど皆無だったはずなのに、また来てしまった。
 扉を叩くべきかこのまま帰るべきか、城門の前であれこれと逡巡していると、重く軋む音とともに横の通用扉が開いた。

「師父オルランド様。旦那様がお待ちです」
「え……あ、いや、その……」
「こちらへ」

 以前来た時にも対応した使用人頭が顔を出し、オルランドを手招いて中へと引っ込む。なぜ自分が来たとわかったのか尋ねる暇もなく、当然のように中へと招かれて、戸惑いながらも後へ続いた。

 通されたのは以前と同じ部屋で、調度も以前のままだった。
 おかげで、あの日のことがついさっきの出来事のように思い出されてしまい、オルランドは呆然と立ち尽くす。
 いったい何のため、何をしにここへ来たのか、自分でもわけがわからない。

「それで、師父オルランドが、今日は何用でわたしを訪ねて来たと?」

 すぐ後ろから声が掛かり、オルランドは反射的に振り返った。以前訪れた時のように、裾の長いマントを纏った領主が笑いながらそこに立っていた。

「領主殿……」
「棒のように突っ立っていないで、座ってはいかがか」

 いつかのように椅子が示されて、オルランドは腰を下ろす。その並びに領主が座り、オルランドは戸惑いの視線を向けた。
 領主は口角をあげて、唇で笑みの形を作る。

 ――と、急にスンと鼻を鳴らすと、「血の匂いがするね」と小さく呟いた。

 どきりとオルランドの心臓が跳ねて汗が背を伝う。
 鞭の傷は薬草を混ぜた軟膏を塗って布で押さえているだけで……けれど、臭うほど血が滲んでいただろうか。

「また、己を罰していたのか?」

 領主に身を乗り出して尋ねられ、つい視線を逸らしてしまう。

「そんな、領主殿には関係のない……」
「本当に?」

 領主がくっくっと肩を震わせた。ひとしきり笑うと、領主はまっすぐオルランドを見つめてもう一度「本当に?」と口にした。

「師父オルランド、それならどうしてわたしの城へ来たのだ?」
「それは……それは……」

 汗が流れ落ちる。おろおろと視線を彷徨わせて、オルランドは必死に言葉を探すのに、何も見つからない。
 領主は笑いながらすっと差し出した手の指先で、オルランドの喉を撫でる。

「神は、師父を救ってくれたのかな?」
「それは……」
「それとも、神は啓示をくれた?」
「主は、軽々しく、そのようなものを……」
「なぜ? お前たちは神のかわいい子羊なのだろう? なら、羊飼いと犬が必要だ。迷える子羊を放置などしたら、狼に食われてしまうだろうに」

 淡い水色のはずの領主の目が紅く輝いた気がして、オルランドは息を呑む。

「ちょうど、こんな風に、食われてしまうよ」

 ぐいと襟元を引き寄せられて、オルランドは思わず目を閉じた。領主の吐息が掛かり、ちろりと喉を舐められた。

「忘れられないのだろう? 天にも昇るような心地だったのだろう?」

 領主の指がオルランドの身体を這う。
 ゆっくりと胸から腹へと滑り降り、そこへと辿り着く。

「だから、自らに罰を与えたのに、鎮まらなかったのだろう?」

 領主の指先は、震えるオルランドの脚をするりとなぞる。

「血が滲むほどに己を罰して、どうだった?」
「どう、とは……」

 声が掠れる。
 喉を湿さなければいけないのに、うまく唾を飲み込むこともできない。

「罰は、とても心地よかったのだろう?」
「何を……」
「隠さなくてもいい。言ったろう? 人間は快楽に耐えることができないものなのだと。師父は罰を与えられて快楽を感じてしまっただけなのだよ――その証拠に、ほら、ここはどうなっている?」
「は、あっ」

 領主の指先がかすかに触れる。
 熱の塊が、オルランドのチュニックを持ち上げていた。いくら鞭を打っても鎮まらないものが、また、固く膨れ上がっていく。

「や、やめ……」
「本当に、やめたいと?」
「あ……」
「なら、なぜここに来たのだ? 期待していたのだろう? わたしが与えたものがまた欲しいのだろう?」

 はあ、はあ、と荒く息を吐くオルランドに、領主は優しく微笑んだ。

「かわいいオルランド。お前が望むなら、わたしはいつでもお前の欲しいものを与えよう。永遠に清い身体のまま、この先いくらでも好きなだけ、気の済むまで――神がお前の声に応えてくれるまで、許しを乞うための時間もだ」
「主よ……私は……」
「さあオルランド。どうしたい?」

 喉にキスをして、領主が囁く。尖った歯が掠めるちくりとした痛みが、ぞくぞくと背を震わせる。
 勃ち上がったものは痛いほどに張り詰めて、どくどくと脈打っている。

「欲しい、とひと言告げるだけでいいのだ」

 わずかに食い込んだ歯から、絶え間ない快楽が湧き上がる。

「あ、あ、領主、殿……あっ、ああ……主よ……主よ……私は……」
「さあ、正直になるんだ、オルランド」

 優しく身体を抱き寄せられて、オルランドはびくりと震える。感じるものは、早鐘を打つような激しい動悸と浅く忙しない呼吸の音と……それから、首に掛かる領主の温い吐息ばかりだった。

「……ほ、欲しい。ああ、主よ……欲しくて、たまらないのです」

 領主がにいっと笑う。

「オルランド。それでは、未来永劫……神がお前を掬い上げるまで、お前はわたしのかわいい下僕だよ」

 領主の口元からちろりと覗いた白い牙が、ずぶりと突き立てられた。

 鋭い痛みは、自らを鞭打つよりも、娘の舌に与えられるよりも、この上なく甘美な快楽としてオルランドの身体に刻まれたのだった。
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