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外堀など秒で埋めてやろう

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 抵抗すら許されない勢いで引きずられるようにサロンへ戻ると、ご満悦という表情の王太子と挙動不審に周囲をぐるぐる眺めるトーニャが、お茶会を続けていた。
 僕を連れたファユールも、王太子に負けないほどの笑顔だ。

 王太子が僕らふたりに気づくより、僕らが声を出すより早く気づいたトーニャが、ひくりと大きく痙攣する。

「ヒッ、ヒッ、ヒロイ……なんで、イベントじゃないのに、なん……」
「どうしたトーニャ」
「わ、わたくしは何もしてない……そ、それに、どうしてヴェルと……」

 目をいっぱいに見開いたトーニャが、ガクガクと震え出す。
 ようすの変わったトーニャに気づいた王太子も僕らへと視線を移して、訝しむように顔を顰めた。

「トーニャ、ヴェルナスではないか。特待生に引きずられているようだが……」
「あっ、まさかヴェルナスルートとか……まさか、まさかヴェルはわたくしとお父様の罪を暴いて復讐を……あ、わたくしはやっぱり断罪されて公爵家は取り潰されて一族郎党お兄様以外全員処刑でギロチンで晒し首で……あ、あ、あ、い、いやァァァァァァァァ! やっぱりわたくしは死ぬのよヴェルをいじめ倒したから! いじめ倒して人間不信にしたからァァァァァァァァ!」

 トーニャが絶叫とともにうずくまり、号泣を始めた。
 飛び出していかないのは、ここが学園のサロンで自室はないからだろう。
 王太子はひさしぶりのトーニャの号泣に、うれしげに目を細める。「仕方がない子だ」と抱え上げて膝に乗せ、自分に寄り掛からせるとよしよし背を撫で始めた。

 すごい。王太子はもうすっかりトーニャの扱いに慣れている。

 以前はそんなことされようものなら泡を噴いて倒れていたはずのトーニャだって、号泣はしていてもおとなしく撫でられている。
 ふたりとも、すっかり成長したものだ。

 立ち止まったファユールは、そのようすを満足げに眺めてにこりと笑った。
 彼女はトーニャにも前世の記憶があるとは知らないはずだけど……。

「“発作”の噂でもしかしたらと思っていたけど」

 小さく呟く声に、やっぱりバレてたかと思う。
 たしかに、これでバレなかったらどうかしている。

「エルトゥーニア様、ご安心ください。わたしビッチルートには乗りません」
「――びっち?」

 王太子が怪訝な声で聞き返す。

「はい。わたし、NTRダメ絶対派なので――」
「ちょっとまってファユール!」

 僕は慌ててファユールの口を塞いだ。
 あのガゼボでのように、王太子が浮気者だの何だのと語られたらまずい。そんな不敬発言されたらさすがに庇えない。

「トーニャ、前にも言ったけど、僕はトーニャにも伯父上にもいじめられたりしてないし、もちろん復讐がどうこうなんてあり得ないよ。
 ファユールだって、その……君と争う気はないようなんだ。
 それに、王太子殿下がトーニャから目を逸らすなんてことも万が一にだってあり得ないことだと、もうわかってるだろう?」
「でもっ! でもォォォォォォ!」

 トーニャは王太子にしがみついて号泣している。
 きっと制服は涙その他でどろどろだろう。
 王太子は満足そうにトーニャを抱きしめて、それから僕らへと向き直った。

「特待生……たしか、ファユール・フィオリだったか。
 お前が何を言ってるのかさっぱりわからんが、ヴェルナスの相手だということはよくわかった。問題ないどころか、むしろ歓迎だ。これで俺もトーニャからまた虫がひとつ消えたと喜ばしいくらいだからな」
「ありがとうございます殿下!」
「気にするな――ああ、もし公爵がこの件で何か文句を垂れるようであれば俺に言え。とりなしてやろう。なに、ヴェルナスがトーニャの前から消えると思えばお安い御用だ。身分だのが問題になるならそれも俺が用意してやる」
「さすが王太子殿下です! 下々の者にまでそんなご配慮をいただけるなんて!」

 王太子はよほど僕が邪魔だったのか、喜びいっぱいにファユールを歓迎している。正直言えば、そこまで嫌われていたかと少し落ち込んでしまうほどに。
 そもそも、僕がついてたのはトーニャが“発作”を起こさないよう落ち着かせるためだし、思い余った王太子が無闇にトーニャに手を出さないよう牽制するためでもあって、僕が好んで邪魔をしていたわけではない。
 トーニャの父である公爵から直々に頼まれてのことだったのだ。

「って、いや、待ってください殿下! どうして僕とファユールのことが確定事項になっているんですか!?」
「構わんだろう。お前はどこの令嬢とも未だ婚約を結んでいないし、ファユール・フィオリは平民ながら学園きっての才媛だと聞いている。
 彼女の才を確保するため、お前に宛てがうこともやぶさかではない。
 この判断に不満があるというなら、俺から父上に報告したうえで、王命をもって婚約を進めてもよいのだぞ」

 王太子は文句があるなら王城まで出て来いとでも言わんばかりだ。
 体力が尽きてひくひくとしゃくり上げるだけになったトーニャを優しく撫でながら、にやにやと僕を見つめている。

「――ヴェル様、殿下の御前ですから、今、口から出ていた“僕”は見逃しますけど、次からはちゃんと“俺”でお願いしますね」
「えっ!?」

 くいくいと袖を引かれて顔を向けると、表情だけは笑顔のファユールが、爛々と輝くというよりも底光りするような目で僕をじっとりと見つめていた。

「ええと……善処、します」

 だめだ、どうやったって敵わない。
 そう、僕が悟った瞬間だった。


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