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07.人間らしい化け物と化け物らしい化け物

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 ドン、という爆発音と火球で、おとなしくしていた乗客たちも、とうとうパニックを起こしたようだった。
 たまりかねたひとりが客車から飛び出したのを皮切りに、我も我もと外へと逃げ出したのだ。

 ナディアルもその集団に混じって走り出した。客車の下からするりと出て、逃げる集団に混じって反対側を目指して走る。
 見張り兵がまばらなのは、ほとんどがエルストのほうへ行ってしまったからだろう。制止する声も聞こえたが、誰も従うものはなく……。

「ナディアル様」

 不意に呼ばれて、ぎくりと立ち止まった。

 すぐに、マント姿の女がナディアルの横についた。軽く腕を取り、「止まらずにこちらへ」と歩くように促す。そのまま、まるで家族を庇うかのようにマントに入れて、早足に進んでいく。
「お前は……」
 ナディアルは素早く周囲に目をやって、それから自分を抱える女をちらりと見上げた。その視線を受けて、女は口角を上げる。肩下の長さの栗色の髪が揺れて、暗い色の目が細められる。
 何より……。
「私は姉妹シリーズの“三番目ドリット”、カロルです」
 エルストにそっくりの女はそう言って、にっこりと柔らかく微笑んだ。



 ナディアルをほとんど抱えるようにしてカロルは先を急いだ。周囲を伺い、見張り兵の隙をついて茂みに隠れ、巧みに乗客たちから外れていく。
 まるで、軍の動きがすべてわかっているかのように、躊躇なく動いていく。

「エルストはどうするんだ」
一番目エルストなら、じきに追いつくでしょう。あれでも身体機能と戦闘能力については、姉妹わたしたちの中で一番ですから。
 軍国の火器や魔術程度で、そうそう壊れません」
 くつくつと笑いながら、カロルは言う。

 まるで、自分も化け物なのを差し置いて、エルストが化け物であることを揶揄やゆするような口ぶりだった。

 ナディアルは目を細め、じろじろとカロルを眺めやる。
「化け物の仲間のくせに、自分は違うとでも言いたいようだな」
「ええ、違います」
「違う?」
 ナディアルの眉間が寄り、くっきりと皺が刻まれた。
「どう違うんだ」
「私はあれほど丈夫ではありませんし、もっと人間に近く作られていますから」
 また、くつくつとおもしろそうにカロルは笑った。その笑いが気に障ってしかたないことに、ナディアルはようやく気づいた。

 そう、あのレギナと同じ笑いだ。
 どう取り繕ったところで偽物は偽物なのに、自分はは違うと同類(エルスト)を見下している、そんな笑い方だ。

「私の役目は、人間に紛れ、主人のためにこの世界について知ることです。ですから、私は頑丈さや力よりも人間らしさを重要視して作られました。
 ナディアル様は気に入らないようですが、私が一番目よりもずっと人間に近いものであることは、おわかりいただけますよね?」
「――気持ち悪い」
「はい? 私のどこが、気持ち悪いのです?」
「全部だ。化け物のくせに人間らしいだって? お前のどこが人間らしい? 化け物なら化け物らしく振る舞え。人間のフリなんかやめろ」
 すう、とカロルの目が細まって眉が寄せられる。
「下手な人間よりも人間らしく、感情もある私が化け物ですか?」
「どんなに“フリ”がうまくたって、お前は化け物だ。人間よりも人間らしく? 化け物でも寝言を言うなんて思わなかった」
 カロルの目から感情のようなものが消えた。相変わらず口元は弧を描いているが、形だけだ。このほうがよほどいい。そう、ナディアルは考える。
「なら、ナディアル様。そこまで言うのでしたら、ここからあなたに対しては、化け物らしく接して差し上げましょう」
「ああ、そうしろ」
 カロルは「ナディアル様は趣味が悪い」と呟いた。



 ようやくたどり着いたのは、森の中の東屋だった。狩小屋か炭焼き小屋か、今はあまり使われてないのだろう。

 少々埃っぽい中で暖炉に小さく火を起こすと、カロルは置いてあった荷物から着替えを取り出した。
 あらかじめここに隠しておいたのだ。

「ナディアル様、身を清めましょう」
 たらいに水を汲み、鍋で沸かした湯を混ぜて適温にして、カロルが布を浸す。ナディアルの服を脱がせて身体をぬぐい、清潔な服に着せ変えた。
 部屋の隅に置かれた、布を被せた藁がここのベッドなのだろう。追われる身では贅沢を言えないが、いつまでここに留まるつもりなのだろうか。

「ナディアル様、主人あるじがいらっしゃいます」

 口元だけ笑みの形を保ったまま、カロルが告げた。
 こんな状況でも来るというのかと、ナディアルは呆れてしまう。

「今夜は、お前の身体にってことか。所構わずどころか、節操もないんだな」
「主人は、ナディアル様に会うのを楽しみにしていらっしゃいますから」
「楽しみ?」
 ナディアルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「会うよりまぐわうほうが楽しみの間違いだろう。淫乱な化け物が」
「主人は、ナディアル様を愛していらっしゃるだけなのですよ」
「そう言っておけば人間になった気になれるだけだろうが、よく言う。そもそも、化け物が愛を語るなんてこと自体がお笑いだ」
 嘲笑うと、カロルはまるで気分を害したように眉をひそめた。
人間らしく・・・・・、頭にきたのか」
「いかにナディアル様でも、主人を悪く言うのはやめてください。主人は本当にナディアル様を……」
「化け物の忠実なる雌犬」
 ぐ、とカロルが口を噤む。口元から笑みが消え、眉が寄った。
「キャンキャンうるさいぞ。躾のなってない犬だな」
「――なぜ、主人はあなたなどを」
「そんなの、僕が知ったことか」

 フッと、急にカロルの表情が変わった。
 髪や目の色が違うだけでエルストに似た顔立ちに、ナディアルが毎晩のように見ていた表情が現れた。

「ナディアル。どうしたの、機嫌が悪いみたい。あの忌々しい軍国があなたを追い回すから、疲れてしまったの?」

 ぴくりとナディアルの頬が引き攣った。
 いつもよりはるかに気持ち悪いと感じるのは、エルストではなくカロルの身体ボディだからなのか。

「ねえ、ナディアル」
「一日くらい来なくたって、何も変わらないだろうに」
 吐き捨てるように呟くナディアルに、レギナはくすりと笑う。
「嫌よ。本当はずっとここにいたいのに、我慢しているのよ」
 くすくす笑いながらレギナが伸し掛かった。
 ねっとりと絡みつくようなキスも、身体を這い回る手の動きもいつもと同じなのに、感触だけがほんの少しだけ違う。それが、とても気持ち悪い。
 ――気持ち悪くて、我慢ができない。

 ナディアルは、いきなり自分の衣服の紐を解き、衣服をすべて脱ぎ捨てた。
 こんなこと、早く終わらせてしまいたい。

「さっさと始めろ」
「ナディアル。うれしいけれど、それでは情緒がないわ」
「何が情緒だ。時間がないんだろう?」
 レギナはわずかに肩を竦め、同じように服を脱いだ。ふるりと乳房を揺らしてナディアルへと覆い被さり、改めてキスをする。
 キスを深くして、片手を滑らせて、ナディアルの固くなり始めたものをゆっくりと扱き……熱のこもった吐息を小さく漏らして、とろりと笑った。
 勃ち上がったものをうれしそうに跨ぎ、自分の内へと導き入れて腰を揺すり始める。少しだけ、いつもと感触が違うのは、身体が違うからだろう。
 早く終われと考えながら、うまく放出できるようにと目を閉じて集中する。

 身体だけを挿げ替えたところで、レギナがやることはいつもと変わらない。ナディアルの上で腰を振り、終わればもう時間だからといきなり戻って行く。
 後に残されたのがエルストかカロルかの違いだけだ。

 ようやくレギナが帰った。
 ナディアルの上に跨ったままのカロルが小さく息を吐き、身悶える。

「終わりだろ。離れろ」
「きゃ……」
 ナディアルは身体を起こし、カロルを突き飛ばした。ぐぷ、と音がして、入ったままだったものがずるりと抜ける。
 その感触に引きつって、カロルをさらに遠くへと蹴り飛ばして背を向けると、ナディアルはしっかりと毛布に包まった。

 気持ち悪い。気持ち悪くて仕方ない。

「ナディアル様、女には優しくするものだと教わらなかったのですか?」
「女? 女なんてどこにいる」
 カロルはやれやれと首を振り、傍らに脱ぎ捨ててあった服を身に付けた。



 がたん、ぎい、と小さな音がして扉が開いた。びくりと顔を上げると、入って来たのはエルストだった。
 服だったボロ切れを纏い、ところどころ赤い血が……いや、血のような何かか滲む傷だらけの姿は、人間ならきっと死んでいたと思えるほどだ。

 部屋の隅に蹲っていたカロルが起き上がり、つかつかと歩み寄る。
「エルスト、ひどい姿ね」
「何度か避け損なってしまった。だが、活動に支障はない」
「追っ手は?」
「撒いた。だが、魔術までは不明だ」
「――魔術なんて非科学的なものに、こうも悩まされるなんて」
 カロルが小さく溜息を吐く。
「ともかく、その格好は酷すぎるわ。外に井戸があるから、汚れを流してきて……あなた、それはいったい?」
「ゴーレムの主砲が掠った。だが問題はない。見た目だけだ」
 大きく抉れた脇腹を見咎めるカロルに、エルストは淡々と報告する。

 この肉も内臓も、人工的に作った飾りにすぎない。最悪、骨格だけになったとしてもエルストなら活動に問題はないのだ。ただ、見た目が悪くなったことと、“人間のフリ”に難が生じることが問題なくらいか。

「それだけの損傷になると、主人のところへ戻らないと直せないわ。おまけに仮面まで壊してしまって、それじゃ主人と同調できないじゃないの」
 呆れたような口調で、カロルが言い募る。
 だが、カロルの声が気に障ったのか、ナディアルが苛立って声を荒げた。
「うるさい。静かにしろ」
 むっとした表情のカロルが振り返る。
 毛布に包まったまま、わずかに顔を出して、ナディアルは続けた。
「エルスト」
「はい」
「身綺麗にしたら、いつものように僕のそばに来い」
「はい」
 渡された服を手に、エルストは再び外へ出た。続けてすぐに、水をかぶる音が響く。ばしゃん、ばしゃんと何度もかぶる音がして、煤や埃や血で汚れた身体を洗い始めたようだった。
 目を眇たカロルは、睨むようにナディアルをじっと見つめた。

「――私に言わせれば、エルストのほうがよほど化け物だと思うのですけど」
 ふ、とナディアルは嘲笑を返す。
「どうせ化け物と一緒にいなきゃいけないなら、人間のフリをする化け物より、化け物らしい化け物のほうが信用できる」
「まあ」
 眉を跳ね上げるカロルを無視して、ナディアルはもう一度目を閉じる。
 そうだ。得意げに人間のフリのうまさを誇る化け物より、化け物であることを自覚している化け物のほうがずっといい。

 それほど時をおかずに、少し湿った髪が首のあたりをくすぐり、背中に暖かい身体が押し付けられた。
 化け物のくせに体温は人間並みかと考えたところで、ナディアルは眠りに落ちた。

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