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序.お姫様と王子様の婚約
早く大人になりたい
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「ねえトーヴァ、わたくし早く大人になりたいわ」
窓際に設えたアルコーブのベンチに腰掛けて、少しお行儀悪く足をぶらぶらさせながら、ジェルヴェーズは口を尖らせる。
開け放った窓に頬杖をついて、東を……“朱の国”の方角を眺めながらだ。
アルトゥールが“深森の国”を発ってすでに十日。そろそろ自国へ到着している頃合いだろう。ジェルヴェーズは、はあっと大きな溜息を吐く。
「姫様、大人の女性はそんなお行儀の悪いことはしませんよ」
「だって、早くオーリャ様のところへ行きたいんだもの!」
成人まで何年も何年も待たなければいけないなんて理不尽だ……などと頬を膨らませるジェルヴェーズに、トーヴァも侍女たちもくすくす笑ってしまう。
「姫様はアルトゥール殿下をたいへんお好きになったようですね」
「そうよ! だってあんなに素敵な王子様なんだもの。オーリャ様を嫌いなんていうひとがいるなんて、思え……あっ!」
「姫様?」
パッと顔を上げて、ジェルヴェーズはベンチから飛び降りる。
「たいへんだわ! オーリャ様はあんなに素敵なのよ。物語みたいに、悪魔がやってきてオーリャ様を攫っちゃったらどうしましょう!」
「姫様、考えすぎですよ。そんなことは……」
「こうしちゃいられないわ!」
「姫様!?」
パタパタ駆け出し、部屋を飛び出すジェルヴェーズを、トーヴァや侍女たちが慌てて追いかける。
「兄様! フィデル兄様!」
「ニナ、お前また走ったのか」
「だって兄様、わたくし強くならなきゃいけないの!」
「はあ?」
今は、兄王子であるエティエンヌ・フィデルの剣の稽古の時間だった。ジェルヴェーズは鍛錬場に飛び込むなり、兄の教師でもある騎士に一礼する。
「だから、わたくしも今日から剣を学ぶことにするわ!」
「姫殿下、いったい何を?」
「ニナ、何言ってるんだ。母上や父上の許可はあるのか」
呆気に取られる騎士に、ジェルヴェーズは剣を寄越せと言わんばかりに手を差し出した。だが、その間にエティエンヌが立ち塞がる。
「わがままはいい加減にしろ、ニナ!」
「大丈夫だもの!」
「大丈夫なわけがあるか! お前は姫なんだぞ!」
「だって!」
ようやくトーヴァが追いついた時には、言い争う兄妹をどうしたものかと、困り顔の騎士がおろおろしていた。
「姫様!」
「トーヴァ。ねえ、トーヴァも兄様に言って! わたくしが強くならなきゃいけないって。強くなって、わたくしがオーリャ様をお護りするのよ!」
「――姫様!?」
どうやら、アルトゥールが線の細い魔術師だったことで、ジェルヴェーズは変な方向に考えが向いてしまったようだった。
「姫様は、また突飛なところに考えが飛んでしまったんですね」
はああああ、と深い深い溜息を吐いて、トーヴァはこめかみを揉み解すように頭に手を添える。
ここはどうおさめるべきか、と。
「――騎士殿、申し訳ないのですが、その訓練用の剣をお借りできますか?」
「は、しかし……」
いったい何をする気かと、騎士は逡巡する。
だが、トーヴァは問答無用で騎士の手から剣を取って「これを持ってみてください」とぐいと柄を差し出した。
ジェルヴェーズは目を輝かせ、嬉々としてそれを手にする、が。
「……とっても重いわ、トーヴァ」
訓練用に刃を潰してはあるが、騎士が実戦で使うものと大差ない、金属の塊だ。ろくに鍛えていない子供の手にあまって当然だろう。刃先を地面に引きずったまま、両手で柄を持つだけで振り回すこともできずにいた。
たちまちうるうると目を潤ませて、ジェルヴェーズがトーヴァを見上げる。
「どうしよう。わたくし、これじゃオーリャ様をお護りできないわ」
「いいですか、姫様。剣で殿下や姫様をお守りするのは、騎士たちの役目です。姫様が剣を学ぶ必要はないんです」
「それじゃ、オーリャ様が悪魔に攫われたら、わたくしどうしたらいいの?」
トーヴァはジェルヴェーズから剣を受け取って騎士に返した。とたんに泣き出しそうな顔を、ジェルヴェーズはぎゅっとトーヴァにしがみついて伏せてしまう。
「なんだ、ニナはまたそんなことを言い出していたのか」
エティエンヌが、そんなジェルヴェーズに呆れて肩を竦めた。
騎士も、なるほどと苦笑混じりに受け取った剣を納める。
「姫殿下、アルトゥール殿下はそのようなことになりませんよ」
「だって……」
「アルトゥール殿下は魔術師長殿も賞賛するほどの魔術の腕をお持ちなのでしょう? それに、私どものような騎士も付いているのです。姫殿下が不安になることなど、何もありませんよ」
「姫様、騎士殿もこうおっしゃってるんです。大丈夫ですよ。こちらにいらした時も、ちゃんと近衛が付いておられたでしょう?」
ようやくこくりと頷いたジェルヴェーズに、騎士もトーヴァも安堵に吐息を漏らす。エティエンヌも「しかたないな」と呟いて、よしよしと頭を撫でる。
「いいかニナ。アルトゥール殿下を護りたいと思うのはいいが、殿下の立場も考えてやれ。だいたい、男が歳下の女に護られては立場がないだろうが」
呆れたエティエンヌの言葉に煽られて、ジェルヴェーズの頬がぷうっと膨れる。風船のように丸くなった頬を、エティエンヌがむにむにとつまんだ。
「だってオーリャ様が心配なんだもの! 兄様みたいに、剣で斬っても平気そうな図太いお方じゃないのよ!」
「ああわかった。怒るな。臍を曲げるな。だいたい、そんなに護りたいというなら剣以外にもやり方はあるだろう」
「――剣以外って?」
こてんと首を傾げるジェルヴェーズに問い返されて、エティエンヌはたちまち言葉に詰まる。ぐるぐると視線を回して、ふとトーヴァに目を止めた。
「それはあれだ、あー……そう、トーヴァに教えてもらえばいい」
ジェルヴェーズが期待に満ちた目でトーヴァを振り仰ぐ。エティエンヌは、あとは任せたと言わんばかりにそっぽを向いてしまい、目も合わせない。
苦笑を浮かべた騎士に、トーヴァはやれやれと肩を竦めてみせた。
「わかりました、姫様。お部屋に戻ってから、お話ししましょう。
エティエンヌ殿下、騎士殿、貴重なお時間をお邪魔してしまって申し訳ありません。それでは、失礼いたします」
ジェルヴェーズを抱えるようにして、トーヴァは一礼する。くるりと踵を返すと、追いついた侍女たちが遠巻きに、心配そうにふたりを待っていた。
「いいですか、姫様。なにも、剣だけが力というわけではないんですよ。姫様ご自身が健やかに安全にいらっしゃることだって、十分、アルトゥール殿下をお護りすることになるんです」
またもやぷうっと剥れたジェルヴェーズに、トーヴァはこんこんと言い聞かせる。だが、トーヴァの話はジェルヴェーズの期待とは違ったのだろう。すっかり臍を曲げたまま、ジェルヴェーズの機嫌は戻らない。
とうとう根負けしたトーヴァは「わかりました」とまた息を吐く。
「トーヴァ!」
「短剣での護身術でしたら、私もお教えできますし、お母上と国王陛下に許可がいただけるか聞いてみましょう」
ジェルヴェーズは瞬く間に笑顔になった。ぎゅうっとトーヴァに抱きついて輝くような満面の笑顔を向ける。
「ありがとうトーヴァ! わたくしがんばって強くなるわね!」
「許可がいただけたらですよ」
「わかってるわ。きっとお母様もお父様もいいって言ってくださるもの」
きゃあきゃあと喜ぶジェルヴェーズに、トーヴァはこの末姫には自分も含めて皆が甘くなりすぎてしまうなと思った。
* * *
少しぎこちない文字を眺めて、アルトゥールはつい表情を緩めてしまう。
手紙のやりとりをしようと言い出したのは、ジェルヴェーズからだった。
実際に会えるのは年に一度、約ひと月程度では「つまらない」というのがその理由だった。会えない分は手紙で埋め合わせをしてほしいとおねだりのように言われて、アルトゥールも納得したのだった。
その一通目が届いたのは、アルトゥールが帰国してすぐのことだ。
どうやら、ジェルヴェーズはとても待ちきれず、アルトゥールが“深森の国”を出てすぐに書いて寄越したのだろう。
内容はとても他愛なく……トーヴァという側付きからリュートを褒められた、短剣術を教わることにした等等、毎日の細々したことや楽しかったことを、まるで日記のように綴ったものだった。
本当は、詩人でもあるトーヴァに案を出させて、もっと“詩的な美しい言葉”で書こうとしたはずだった。なのに、素直に自分の言葉で書くべきだと諭されてしまったと、少し不満そうにも書いていた。
けれど、そういう何もかもがとてもジェルヴェーズらしくて、微笑ましいと感じる。この気持ちはまだ恋や愛と呼ぶには足りないものかもしれないけれど、このままジェルヴェーズが成人を迎えるころには、良い夫婦になれるのではないかと思えるほどだ。
返事の最後の一文をしたためて封蝋にしっかりと印を押すと、アルトゥールは手に嵌めた簡素な指輪に向かい、「アンバー」と呼びかけた。
「はぁい。何ですか、ご主人様?」
ポフンという小さな煙とともに、たちまち褐色の肌をした女が現れる。
纏うのは最低限の薄衣だけという、何かの書物に描かれていた、南方の民族衣装のような服装だ。
「手紙を届けてくれ」
「あらあら、またですかあ? ご婚約者様宛ですねえ? しかたありませんねえ……ふふ、ご主人様の大切な女の子ですものねえ。
それにしても、ラブレターだからってちょっと頻度が多すぎやしませんかあ? ワタシが独り身なのわかってますう?」
にやにやと笑いながら、アンバーはふわりと空中に浮かび上がってくるりと回る。その、からかうような態度にアルトゥールは軽く顔を顰めた。
「ほーんと、お可愛らしい方ですよねえ。まだ十歳でしたっけ。政略じゃなきゃ、ワタシ、ご主人様の趣味を疑っちゃうところでしたわあ」
「無駄口はやめろ」
にやにや笑い続けながら、アンバーは差し出された手紙を受け取った。
この態度はいただけないが、両国を行き来する商人を使うよりアンバーを使った方が、早く確実に手紙を届けられるのだ。
アルトゥールは少し諦め気味に溜息を吐く。
「さっさと行ってこい」
「はーい。じゃあ、さっそく……ワタシならひとっ飛びですものねえ」
「寄り道はするなよ」
「わかってますって。最速でお届けしますわよ。この風精の速さを舐めないでくださいな」
その言葉とともにアンバーは一陣の風に姿を変えて、あっという間に窓から飛び去ってしまった。
窓際に設えたアルコーブのベンチに腰掛けて、少しお行儀悪く足をぶらぶらさせながら、ジェルヴェーズは口を尖らせる。
開け放った窓に頬杖をついて、東を……“朱の国”の方角を眺めながらだ。
アルトゥールが“深森の国”を発ってすでに十日。そろそろ自国へ到着している頃合いだろう。ジェルヴェーズは、はあっと大きな溜息を吐く。
「姫様、大人の女性はそんなお行儀の悪いことはしませんよ」
「だって、早くオーリャ様のところへ行きたいんだもの!」
成人まで何年も何年も待たなければいけないなんて理不尽だ……などと頬を膨らませるジェルヴェーズに、トーヴァも侍女たちもくすくす笑ってしまう。
「姫様はアルトゥール殿下をたいへんお好きになったようですね」
「そうよ! だってあんなに素敵な王子様なんだもの。オーリャ様を嫌いなんていうひとがいるなんて、思え……あっ!」
「姫様?」
パッと顔を上げて、ジェルヴェーズはベンチから飛び降りる。
「たいへんだわ! オーリャ様はあんなに素敵なのよ。物語みたいに、悪魔がやってきてオーリャ様を攫っちゃったらどうしましょう!」
「姫様、考えすぎですよ。そんなことは……」
「こうしちゃいられないわ!」
「姫様!?」
パタパタ駆け出し、部屋を飛び出すジェルヴェーズを、トーヴァや侍女たちが慌てて追いかける。
「兄様! フィデル兄様!」
「ニナ、お前また走ったのか」
「だって兄様、わたくし強くならなきゃいけないの!」
「はあ?」
今は、兄王子であるエティエンヌ・フィデルの剣の稽古の時間だった。ジェルヴェーズは鍛錬場に飛び込むなり、兄の教師でもある騎士に一礼する。
「だから、わたくしも今日から剣を学ぶことにするわ!」
「姫殿下、いったい何を?」
「ニナ、何言ってるんだ。母上や父上の許可はあるのか」
呆気に取られる騎士に、ジェルヴェーズは剣を寄越せと言わんばかりに手を差し出した。だが、その間にエティエンヌが立ち塞がる。
「わがままはいい加減にしろ、ニナ!」
「大丈夫だもの!」
「大丈夫なわけがあるか! お前は姫なんだぞ!」
「だって!」
ようやくトーヴァが追いついた時には、言い争う兄妹をどうしたものかと、困り顔の騎士がおろおろしていた。
「姫様!」
「トーヴァ。ねえ、トーヴァも兄様に言って! わたくしが強くならなきゃいけないって。強くなって、わたくしがオーリャ様をお護りするのよ!」
「――姫様!?」
どうやら、アルトゥールが線の細い魔術師だったことで、ジェルヴェーズは変な方向に考えが向いてしまったようだった。
「姫様は、また突飛なところに考えが飛んでしまったんですね」
はああああ、と深い深い溜息を吐いて、トーヴァはこめかみを揉み解すように頭に手を添える。
ここはどうおさめるべきか、と。
「――騎士殿、申し訳ないのですが、その訓練用の剣をお借りできますか?」
「は、しかし……」
いったい何をする気かと、騎士は逡巡する。
だが、トーヴァは問答無用で騎士の手から剣を取って「これを持ってみてください」とぐいと柄を差し出した。
ジェルヴェーズは目を輝かせ、嬉々としてそれを手にする、が。
「……とっても重いわ、トーヴァ」
訓練用に刃を潰してはあるが、騎士が実戦で使うものと大差ない、金属の塊だ。ろくに鍛えていない子供の手にあまって当然だろう。刃先を地面に引きずったまま、両手で柄を持つだけで振り回すこともできずにいた。
たちまちうるうると目を潤ませて、ジェルヴェーズがトーヴァを見上げる。
「どうしよう。わたくし、これじゃオーリャ様をお護りできないわ」
「いいですか、姫様。剣で殿下や姫様をお守りするのは、騎士たちの役目です。姫様が剣を学ぶ必要はないんです」
「それじゃ、オーリャ様が悪魔に攫われたら、わたくしどうしたらいいの?」
トーヴァはジェルヴェーズから剣を受け取って騎士に返した。とたんに泣き出しそうな顔を、ジェルヴェーズはぎゅっとトーヴァにしがみついて伏せてしまう。
「なんだ、ニナはまたそんなことを言い出していたのか」
エティエンヌが、そんなジェルヴェーズに呆れて肩を竦めた。
騎士も、なるほどと苦笑混じりに受け取った剣を納める。
「姫殿下、アルトゥール殿下はそのようなことになりませんよ」
「だって……」
「アルトゥール殿下は魔術師長殿も賞賛するほどの魔術の腕をお持ちなのでしょう? それに、私どものような騎士も付いているのです。姫殿下が不安になることなど、何もありませんよ」
「姫様、騎士殿もこうおっしゃってるんです。大丈夫ですよ。こちらにいらした時も、ちゃんと近衛が付いておられたでしょう?」
ようやくこくりと頷いたジェルヴェーズに、騎士もトーヴァも安堵に吐息を漏らす。エティエンヌも「しかたないな」と呟いて、よしよしと頭を撫でる。
「いいかニナ。アルトゥール殿下を護りたいと思うのはいいが、殿下の立場も考えてやれ。だいたい、男が歳下の女に護られては立場がないだろうが」
呆れたエティエンヌの言葉に煽られて、ジェルヴェーズの頬がぷうっと膨れる。風船のように丸くなった頬を、エティエンヌがむにむにとつまんだ。
「だってオーリャ様が心配なんだもの! 兄様みたいに、剣で斬っても平気そうな図太いお方じゃないのよ!」
「ああわかった。怒るな。臍を曲げるな。だいたい、そんなに護りたいというなら剣以外にもやり方はあるだろう」
「――剣以外って?」
こてんと首を傾げるジェルヴェーズに問い返されて、エティエンヌはたちまち言葉に詰まる。ぐるぐると視線を回して、ふとトーヴァに目を止めた。
「それはあれだ、あー……そう、トーヴァに教えてもらえばいい」
ジェルヴェーズが期待に満ちた目でトーヴァを振り仰ぐ。エティエンヌは、あとは任せたと言わんばかりにそっぽを向いてしまい、目も合わせない。
苦笑を浮かべた騎士に、トーヴァはやれやれと肩を竦めてみせた。
「わかりました、姫様。お部屋に戻ってから、お話ししましょう。
エティエンヌ殿下、騎士殿、貴重なお時間をお邪魔してしまって申し訳ありません。それでは、失礼いたします」
ジェルヴェーズを抱えるようにして、トーヴァは一礼する。くるりと踵を返すと、追いついた侍女たちが遠巻きに、心配そうにふたりを待っていた。
「いいですか、姫様。なにも、剣だけが力というわけではないんですよ。姫様ご自身が健やかに安全にいらっしゃることだって、十分、アルトゥール殿下をお護りすることになるんです」
またもやぷうっと剥れたジェルヴェーズに、トーヴァはこんこんと言い聞かせる。だが、トーヴァの話はジェルヴェーズの期待とは違ったのだろう。すっかり臍を曲げたまま、ジェルヴェーズの機嫌は戻らない。
とうとう根負けしたトーヴァは「わかりました」とまた息を吐く。
「トーヴァ!」
「短剣での護身術でしたら、私もお教えできますし、お母上と国王陛下に許可がいただけるか聞いてみましょう」
ジェルヴェーズは瞬く間に笑顔になった。ぎゅうっとトーヴァに抱きついて輝くような満面の笑顔を向ける。
「ありがとうトーヴァ! わたくしがんばって強くなるわね!」
「許可がいただけたらですよ」
「わかってるわ。きっとお母様もお父様もいいって言ってくださるもの」
きゃあきゃあと喜ぶジェルヴェーズに、トーヴァはこの末姫には自分も含めて皆が甘くなりすぎてしまうなと思った。
* * *
少しぎこちない文字を眺めて、アルトゥールはつい表情を緩めてしまう。
手紙のやりとりをしようと言い出したのは、ジェルヴェーズからだった。
実際に会えるのは年に一度、約ひと月程度では「つまらない」というのがその理由だった。会えない分は手紙で埋め合わせをしてほしいとおねだりのように言われて、アルトゥールも納得したのだった。
その一通目が届いたのは、アルトゥールが帰国してすぐのことだ。
どうやら、ジェルヴェーズはとても待ちきれず、アルトゥールが“深森の国”を出てすぐに書いて寄越したのだろう。
内容はとても他愛なく……トーヴァという側付きからリュートを褒められた、短剣術を教わることにした等等、毎日の細々したことや楽しかったことを、まるで日記のように綴ったものだった。
本当は、詩人でもあるトーヴァに案を出させて、もっと“詩的な美しい言葉”で書こうとしたはずだった。なのに、素直に自分の言葉で書くべきだと諭されてしまったと、少し不満そうにも書いていた。
けれど、そういう何もかもがとてもジェルヴェーズらしくて、微笑ましいと感じる。この気持ちはまだ恋や愛と呼ぶには足りないものかもしれないけれど、このままジェルヴェーズが成人を迎えるころには、良い夫婦になれるのではないかと思えるほどだ。
返事の最後の一文をしたためて封蝋にしっかりと印を押すと、アルトゥールは手に嵌めた簡素な指輪に向かい、「アンバー」と呼びかけた。
「はぁい。何ですか、ご主人様?」
ポフンという小さな煙とともに、たちまち褐色の肌をした女が現れる。
纏うのは最低限の薄衣だけという、何かの書物に描かれていた、南方の民族衣装のような服装だ。
「手紙を届けてくれ」
「あらあら、またですかあ? ご婚約者様宛ですねえ? しかたありませんねえ……ふふ、ご主人様の大切な女の子ですものねえ。
それにしても、ラブレターだからってちょっと頻度が多すぎやしませんかあ? ワタシが独り身なのわかってますう?」
にやにやと笑いながら、アンバーはふわりと空中に浮かび上がってくるりと回る。その、からかうような態度にアルトゥールは軽く顔を顰めた。
「ほーんと、お可愛らしい方ですよねえ。まだ十歳でしたっけ。政略じゃなきゃ、ワタシ、ご主人様の趣味を疑っちゃうところでしたわあ」
「無駄口はやめろ」
にやにや笑い続けながら、アンバーは差し出された手紙を受け取った。
この態度はいただけないが、両国を行き来する商人を使うよりアンバーを使った方が、早く確実に手紙を届けられるのだ。
アルトゥールは少し諦め気味に溜息を吐く。
「さっさと行ってこい」
「はーい。じゃあ、さっそく……ワタシならひとっ飛びですものねえ」
「寄り道はするなよ」
「わかってますって。最速でお届けしますわよ。この風精の速さを舐めないでくださいな」
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