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序.お姫様と王子様の婚約
“I wish”
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ジェルヴェーズが二通手紙を出すと、アルトゥールの返事が一通来る……というのが、いつものペースだった。
“朱の国”の次期魔術師長となるアルトゥールは、ジェルヴェーズほど自由な時間が取れるわけではない。
少しだけ不満はあるけれど、アルトゥールが立派な魔術師長になるためなのだから。そう、ぐっと堪えていた。
それに、アルトゥールはどうやら魔術で手紙を届けさせているようだった。届くタイミングをはかって用意しておけば、アルトゥールの手紙と引き換えにジェルヴェーズの手紙を持っていってくれるのだ。
やっぱりアルトゥールはすてき。
ジェルヴェーズは次に会える日を心待ちにしていた。
* * *
「オーリャ、ジェルヴェーズ姫はどうだった?」
「ドゥーシャ兄上」
初顔合わせ後、最初の“深森の国”訪問から帰国してほどなく、待ち構えていた兄王子に捕まった。
五歳上のアレクセイ・ジェニス・ラスィエットは“朱の国”の王太子であり、剣匠としても知られている偉丈夫だ。アルトゥールよりもやや長身の身体はしっかりと鍛えられていて、ジェルヴェーズの言う「悪魔の手からお姫様を助け出す王子様」のイメージにはぴったりだろう。
祖父に似た兄は、どちらかといえば母に似たと言われるアルトゥールよりも、骨太でいかつい顔立ちでもある。
きっと、ジェルヴェーズなら、この兄こそが“豪傑”だと喜ぶのだろう。
「姫はとても素直で元気の良いお方でした」
「そうか。手紙のやりとりもずいぶんしているようだな」
「はい、姫がどうしてもと」
アルトゥールは、この兄を前にするとどうしても気後れしてしまう。きっと漂わせている雰囲気のせいだろう……と、思う。
この国で忌避される“魔術師”などではなく、剣匠として名声を得ている兄はいつも自信に溢れているのだ。その自信に裏打ちされた兄に対して、アルトゥールはどうにも苦手意識が拭えない。
「――歳のこともあるし、どうだろうかと少し危惧していたんだ。だが、そのようすならよかった。うまくやっていけそうか?」
「ええ……はい」
アルトゥールはやや目を伏せる。アレクセイはわずかに目を細めて、そんなアルトゥールの背を励ますように叩く。
「お前はどちらかといえば内向的なほうだから、元気の良い姫だというのがよかったんだろう」
「そうかも、しれません」
「こちらへ来る日が待ち遠しいな」
「そうですね」
「あとで父上とも話をするといい。どうやら心配しておられたようだからな」
「はい」
では、と立ち去る兄を見送って、アルトゥールは“塔”へと向かう。
王宮の敷地のはずれにあるこの塔は、かつて、この国が“暁の国”と呼ばれていた頃、尊大で残酷な“魔導師”たちの研究室が置かれていた塔だ。
今は、その当時の忌まわしい実験施設のほぼすべては破棄されて、魔術師協会と魔術省の本部が置かれている。
もっとも、魔術師か係わりのある文官、そして警備を任された兵くらいしか、わざわざ近づく者などいないのだが。
塔入り口の警備兵の礼に応えながら、扉をくぐる。
魔術師協会、魔術省といっても、属する魔術師は、見習いも含めてせいぜいが三十といったところだ。
忌まわしい“暁の国”の記憶のせいで、この国で魔術師は忌避される。
“大災害”のどさくさ紛れの反乱に加担し、“朱の国”建国に尽力した極少数の魔術師たちも、結局、“魔術師”という者に対する偏見に晒され、迫害される側となり、国を出て行ってしまうほどに。
これでは迫害される側が迫害する側に変わっただけだ。
そう、事態を憂いた二代めの王が、魔術師はすべて王家が統括すると宣言して、ようやく迫害はおさまった。
少なくとも、表面的には。
「アルトゥール殿下」
「ああ、リュドミラ殿」
ひとつ歳下のリュドミラは、魔術師見習いで、トゥロマ伯爵家の次女だ。彼女が何を思って自ら魔術師なぞになろうと思ったのかは知らないけれど、父親にも婚約者にもずいぶん反対されたと聞いている。
魔術師のどこにそれほど惹かれたのか、“魔術師にならねばならなかった”アルトゥールには、想像もつかない。
「地下倉庫のものの選別は、あらかた済みました。といっても、ほとんどが魔力を帯びた物品だそうですが」
「そうか……次は、それをさらに選別だな」
「はい。どの魔力を帯びてるかがわかったものもいくつかありますが、非常に強い魔力を帯びたものも、少なからずあるようです。
作成した目録は、魔術師長に報告してあります」
リュドミラの報告を聞きながら、アルトゥールはじっと考える。あとは、アルトゥールも含めた正魔術師の仕事だろう。
「わかっていると思うけれど、それらには直接触れないようにして、隔離しておいてくれ。取り扱いは見習いだけでなく、必ず正魔術師同席のうえでを徹底するように」
「はい、わかりました」
塔の地下にまだ隠された部屋があったと判明したのは、最近だった。
誰がどんな意図を持って隠していたのか、どうせ“魔導師”の仕業なのだと考えれば、ろくでもない目的であることに間違いはない。
中に置かれたもののほとんどが魔術の媒体や魔道具であることは、すぐにわかった。魔術師長を通じて王に報告し細心の注意を払って調査の上、必要なら処分することはもう決まっている。
ただ、魔道具を下手に扱えば、災厄を招くことになりかねない。
綿密な調査をしたうえで、処分か封印か……なぜこんな時期にそんなものが出てきてしまったのかと、アルトゥールはつい嘆息してしまう。
定期的に届くジェルヴェーズからの手紙に返信を書きながら、小魔法を披露した時のことを思い出す。
あんな子供騙しの魔術であれほど喜ばれるなんて、予想もしなかった。
魔術としても、ちょっと飲み込みのいい見習い程度が使えるほどのものでしかないし――それに、“朱の国”であれば、あんな箸にも棒にもかからない小魔法ですら、人々の恐怖を煽りかねないのに。
つい先日訪れた時には、約束通り一生懸命練習したのだというリュートの演奏も披露してくれた。
本職の吟遊詩人や楽人に比べたら拙い演奏だったけれど、それに合わせて幻を変化させるのは、とても楽しかった。たしかに兄王子の言う通り、アルトゥールとジェルヴェーズはうまくやっていけるのかもしれない。
ジェルヴェーズの、いつものように他愛ない出来事をしたためた手紙を読み返しながら、アルトゥールはつい笑ってしまう。
最初に比べてずいぶん達筆になったのは、文字の練習を積んだからだろう。ジェルヴェーズはこれぞと思ったことへの努力を惜しまないようで、他にもあれこれ挑戦しているのだと話していた。
まだ子供という年齢の小さな女の子であるジェルヴェーズの、どこにそんなバイタリティがあるのだろうか。
ペンを取り手紙の続きを書く。
ジェルヴェーズほど話は巧みでないアルトゥールは、今、魔術省の仕事が忙しいのだということをさらりと書いた。
あまり多くを明かすことはできないけれど、最近見つかった魔導師の遺産の整理に、結構な時間を取られてしまっている、と。
本当はもう少しゆっくり時間を取って、たまには贈り物も送りたい。
だが、それには時間がなさすぎる。
アルトゥールは小さく吐息を漏らして封をすると、いつものようにアンバーを呼び出し、手紙を託した。
初顔合わせから二度目の訪問の時、アルトゥールはようやく約束どおり、「本物の花を作る魔術」を習得して、ジェルヴェーズに披露することができた。
“創造術”と呼ばれる分野の初歩の初歩ではあるけれど、何かを創造するためには、その何かをよく知らなくてはならない。
アルトゥールは、ジェルヴェーズに似合う花をと約束した通り、いろいろな花を調べ、詳細まで観察し、ようやく作れるようになったのだ。
いつもの、あの屈託のない満面の笑顔で喜ぶジェルヴェーズに、アルトゥールはほっとした。
次はどんな魔術で喜ばせようか……などと考える自分に気づいて、思ったよりもジェルヴェーズを気に入っていることに、少し慌ててしまう。
「アルトゥール殿下、次はこちらです」
「ああ、置いてくれ」
木箱に入れられたままの黒い長杖を、リュドミラが作業台に置いた。
魔道具の鑑定には、とにかく詳細な調査が必要不可欠だ。
施された微細な装飾までをこぼさず細かく確認し、文献をあたり、魔力感知の魔術でどんな種類の魔力を帯びているかを何度も調べながら推測を重ね……そして、最後の最後に“鑑定”の魔術を掛けるのだ。
しかし、そこまでやっても、完璧に判明するわけではないのだが。
アルトゥールは魔力感知の魔術を掛けて、杖の観察を始める。リュドミラが傍らに立ち、アルトゥールが口に出したことを一言一句漏らさないようにと控えている。扉のそばには、万一の事態に備えて騎士もひとり控えている。
魔道具が引き起こす事故には、さまざまな事象がある。魔物を呼び寄せたり……などというのが、一番多い事故なのだ。
「素材は黒檀……装飾は、魔術紋の一種。他に、赤い石が数個……」
アルトゥールの声と、カリカリとペン先が羊皮紙を引っ掻く音だけが響く。
顔を近づけたり離したり、斜めから透かし見てみたり……何かこの杖の手がかりになるようなものはあるかとじっと観察を繰り返す。
「使用されている石は、主に紅玉で……これは?」
その、装飾に使われた一番大きな紅玉の中に何かが揺らめいた気がして、アルトゥールは目を止めた。
じっと目を眇め、直視しないように、けれど詳細を読み取ろうと集中する。
この石は、何かで見たような気がする。
どこか、引っかかる。
傍らで、リュドミラが固唾を飲んでアルトゥールの言葉を待つ。
騎士が剣の柄に手を掛けながら、数歩近づく。
急に、アルトゥールが大きく瞠目した。
控えたふたりにすぐ下がれと言いたいのに、どうしても言葉が出てこない。ぱくぱくと口を開け閉めするに終始してしまう。杖から目を逸らそうとしても、どうしても視線を外すことができない。
必死に考えた末、嵌めていた指輪を引き抜いて、アンバーに呼びかける。
「あらあ珍しい。ご主人様、どうしちゃったの?」
ポン、と音を立てて現れた風精がくるりと宙返りをするが、アルトゥールの視線は杖に縛られたままだった。
「アンバー……“お願い”、だ」
「アルトゥール殿下?」
突然現れたアンバーに驚いたリュドミラが、訝しむようにアルトゥールを見つめた。騎士も剣を抜き放って歩み寄る。
アルトゥールの額を伝って、汗が滴り落ちる。どうにか言葉を出そうとするのに、声にならない。
この言葉を、口に出すことは許されていない。
ならば、と、歯を食い縛ってしばし考え込む。それから、今度は眉を寄せて思い切ったように口を開く。
「アンバー……ニナ姫を、護ってくれ。頼む」
「アルトゥール・オレグ・ラスィエット。ひとつ目の願い、たしかにこのアンバーが聞き届けたわ」
「アンバー、ふたつめの“お願い”だ」
立て続けの“願い”に、さすがのアンバーも目を瞠る。
「ふたつめ!? ご主人様、そんな“お願い”の大安売りしていいわけ?」
「アルトゥール殿下、どうしたんです? いったい何が……“お願い”って」
「アンバー、これ以降、僕の身体が口にした命令には決して従うな!」
いったい何が起きているのか。
さっぱり状況が掴めないリュドミラと騎士が、はっきり困惑の表情を浮かべてアルトゥールとアンバーを交互に見やる。
「殿下、いったい何が……いったいどうなさったんですか!?」
「アルトゥール・オレグ・ラスィエット。ふたつ目の願いも、このアンバーが聞き届けた。では、ワタシは姫さんのところに行くわね」
アンバーは風に姿を変えてそのまま消えてしまった。
アルトゥールは身を屈めて杖を覗き込んだまま、微動だにしない。リュドミラはごくりと喉を鳴らして、アルトゥールの肩へと手を伸ばす。
「あの……殿下……?」
ポンと肩を叩かれて、アルトゥールがびくりと跳ねるように身体を起こす。
「――いや、何でもないよ」
「でも、殿下、今のは……」
「殿下、失礼します」
大股に近づく騎士を振り向いたアルトゥールの目が、怪しく光った。たちまち騎士の身体がピクリとも動かなくなってしまう。
それを確認したリュドミラが、大きく目を見開く。
「え、殿下? どうして」
すっと伸びたアルトゥールの手が、混乱するリュドミラの頭を掴んだ。
「“混沌の海にたゆたいし力よ。この者の時を止めよ”」
「……あ」
リュドミラの足が崩折れて、ぱたりと床に倒れこむ。だが、騎士は未だ瞬きすらままならないほど、身動きが取れずにいる。
「さて……私はお前たちをどうすべきだと思う?」
木箱の杖を拾い上げて確認すると、アルトゥールは、ふむ、と考えるように顎に手をやった。
“朱の国”の次期魔術師長となるアルトゥールは、ジェルヴェーズほど自由な時間が取れるわけではない。
少しだけ不満はあるけれど、アルトゥールが立派な魔術師長になるためなのだから。そう、ぐっと堪えていた。
それに、アルトゥールはどうやら魔術で手紙を届けさせているようだった。届くタイミングをはかって用意しておけば、アルトゥールの手紙と引き換えにジェルヴェーズの手紙を持っていってくれるのだ。
やっぱりアルトゥールはすてき。
ジェルヴェーズは次に会える日を心待ちにしていた。
* * *
「オーリャ、ジェルヴェーズ姫はどうだった?」
「ドゥーシャ兄上」
初顔合わせ後、最初の“深森の国”訪問から帰国してほどなく、待ち構えていた兄王子に捕まった。
五歳上のアレクセイ・ジェニス・ラスィエットは“朱の国”の王太子であり、剣匠としても知られている偉丈夫だ。アルトゥールよりもやや長身の身体はしっかりと鍛えられていて、ジェルヴェーズの言う「悪魔の手からお姫様を助け出す王子様」のイメージにはぴったりだろう。
祖父に似た兄は、どちらかといえば母に似たと言われるアルトゥールよりも、骨太でいかつい顔立ちでもある。
きっと、ジェルヴェーズなら、この兄こそが“豪傑”だと喜ぶのだろう。
「姫はとても素直で元気の良いお方でした」
「そうか。手紙のやりとりもずいぶんしているようだな」
「はい、姫がどうしてもと」
アルトゥールは、この兄を前にするとどうしても気後れしてしまう。きっと漂わせている雰囲気のせいだろう……と、思う。
この国で忌避される“魔術師”などではなく、剣匠として名声を得ている兄はいつも自信に溢れているのだ。その自信に裏打ちされた兄に対して、アルトゥールはどうにも苦手意識が拭えない。
「――歳のこともあるし、どうだろうかと少し危惧していたんだ。だが、そのようすならよかった。うまくやっていけそうか?」
「ええ……はい」
アルトゥールはやや目を伏せる。アレクセイはわずかに目を細めて、そんなアルトゥールの背を励ますように叩く。
「お前はどちらかといえば内向的なほうだから、元気の良い姫だというのがよかったんだろう」
「そうかも、しれません」
「こちらへ来る日が待ち遠しいな」
「そうですね」
「あとで父上とも話をするといい。どうやら心配しておられたようだからな」
「はい」
では、と立ち去る兄を見送って、アルトゥールは“塔”へと向かう。
王宮の敷地のはずれにあるこの塔は、かつて、この国が“暁の国”と呼ばれていた頃、尊大で残酷な“魔導師”たちの研究室が置かれていた塔だ。
今は、その当時の忌まわしい実験施設のほぼすべては破棄されて、魔術師協会と魔術省の本部が置かれている。
もっとも、魔術師か係わりのある文官、そして警備を任された兵くらいしか、わざわざ近づく者などいないのだが。
塔入り口の警備兵の礼に応えながら、扉をくぐる。
魔術師協会、魔術省といっても、属する魔術師は、見習いも含めてせいぜいが三十といったところだ。
忌まわしい“暁の国”の記憶のせいで、この国で魔術師は忌避される。
“大災害”のどさくさ紛れの反乱に加担し、“朱の国”建国に尽力した極少数の魔術師たちも、結局、“魔術師”という者に対する偏見に晒され、迫害される側となり、国を出て行ってしまうほどに。
これでは迫害される側が迫害する側に変わっただけだ。
そう、事態を憂いた二代めの王が、魔術師はすべて王家が統括すると宣言して、ようやく迫害はおさまった。
少なくとも、表面的には。
「アルトゥール殿下」
「ああ、リュドミラ殿」
ひとつ歳下のリュドミラは、魔術師見習いで、トゥロマ伯爵家の次女だ。彼女が何を思って自ら魔術師なぞになろうと思ったのかは知らないけれど、父親にも婚約者にもずいぶん反対されたと聞いている。
魔術師のどこにそれほど惹かれたのか、“魔術師にならねばならなかった”アルトゥールには、想像もつかない。
「地下倉庫のものの選別は、あらかた済みました。といっても、ほとんどが魔力を帯びた物品だそうですが」
「そうか……次は、それをさらに選別だな」
「はい。どの魔力を帯びてるかがわかったものもいくつかありますが、非常に強い魔力を帯びたものも、少なからずあるようです。
作成した目録は、魔術師長に報告してあります」
リュドミラの報告を聞きながら、アルトゥールはじっと考える。あとは、アルトゥールも含めた正魔術師の仕事だろう。
「わかっていると思うけれど、それらには直接触れないようにして、隔離しておいてくれ。取り扱いは見習いだけでなく、必ず正魔術師同席のうえでを徹底するように」
「はい、わかりました」
塔の地下にまだ隠された部屋があったと判明したのは、最近だった。
誰がどんな意図を持って隠していたのか、どうせ“魔導師”の仕業なのだと考えれば、ろくでもない目的であることに間違いはない。
中に置かれたもののほとんどが魔術の媒体や魔道具であることは、すぐにわかった。魔術師長を通じて王に報告し細心の注意を払って調査の上、必要なら処分することはもう決まっている。
ただ、魔道具を下手に扱えば、災厄を招くことになりかねない。
綿密な調査をしたうえで、処分か封印か……なぜこんな時期にそんなものが出てきてしまったのかと、アルトゥールはつい嘆息してしまう。
定期的に届くジェルヴェーズからの手紙に返信を書きながら、小魔法を披露した時のことを思い出す。
あんな子供騙しの魔術であれほど喜ばれるなんて、予想もしなかった。
魔術としても、ちょっと飲み込みのいい見習い程度が使えるほどのものでしかないし――それに、“朱の国”であれば、あんな箸にも棒にもかからない小魔法ですら、人々の恐怖を煽りかねないのに。
つい先日訪れた時には、約束通り一生懸命練習したのだというリュートの演奏も披露してくれた。
本職の吟遊詩人や楽人に比べたら拙い演奏だったけれど、それに合わせて幻を変化させるのは、とても楽しかった。たしかに兄王子の言う通り、アルトゥールとジェルヴェーズはうまくやっていけるのかもしれない。
ジェルヴェーズの、いつものように他愛ない出来事をしたためた手紙を読み返しながら、アルトゥールはつい笑ってしまう。
最初に比べてずいぶん達筆になったのは、文字の練習を積んだからだろう。ジェルヴェーズはこれぞと思ったことへの努力を惜しまないようで、他にもあれこれ挑戦しているのだと話していた。
まだ子供という年齢の小さな女の子であるジェルヴェーズの、どこにそんなバイタリティがあるのだろうか。
ペンを取り手紙の続きを書く。
ジェルヴェーズほど話は巧みでないアルトゥールは、今、魔術省の仕事が忙しいのだということをさらりと書いた。
あまり多くを明かすことはできないけれど、最近見つかった魔導師の遺産の整理に、結構な時間を取られてしまっている、と。
本当はもう少しゆっくり時間を取って、たまには贈り物も送りたい。
だが、それには時間がなさすぎる。
アルトゥールは小さく吐息を漏らして封をすると、いつものようにアンバーを呼び出し、手紙を託した。
初顔合わせから二度目の訪問の時、アルトゥールはようやく約束どおり、「本物の花を作る魔術」を習得して、ジェルヴェーズに披露することができた。
“創造術”と呼ばれる分野の初歩の初歩ではあるけれど、何かを創造するためには、その何かをよく知らなくてはならない。
アルトゥールは、ジェルヴェーズに似合う花をと約束した通り、いろいろな花を調べ、詳細まで観察し、ようやく作れるようになったのだ。
いつもの、あの屈託のない満面の笑顔で喜ぶジェルヴェーズに、アルトゥールはほっとした。
次はどんな魔術で喜ばせようか……などと考える自分に気づいて、思ったよりもジェルヴェーズを気に入っていることに、少し慌ててしまう。
「アルトゥール殿下、次はこちらです」
「ああ、置いてくれ」
木箱に入れられたままの黒い長杖を、リュドミラが作業台に置いた。
魔道具の鑑定には、とにかく詳細な調査が必要不可欠だ。
施された微細な装飾までをこぼさず細かく確認し、文献をあたり、魔力感知の魔術でどんな種類の魔力を帯びているかを何度も調べながら推測を重ね……そして、最後の最後に“鑑定”の魔術を掛けるのだ。
しかし、そこまでやっても、完璧に判明するわけではないのだが。
アルトゥールは魔力感知の魔術を掛けて、杖の観察を始める。リュドミラが傍らに立ち、アルトゥールが口に出したことを一言一句漏らさないようにと控えている。扉のそばには、万一の事態に備えて騎士もひとり控えている。
魔道具が引き起こす事故には、さまざまな事象がある。魔物を呼び寄せたり……などというのが、一番多い事故なのだ。
「素材は黒檀……装飾は、魔術紋の一種。他に、赤い石が数個……」
アルトゥールの声と、カリカリとペン先が羊皮紙を引っ掻く音だけが響く。
顔を近づけたり離したり、斜めから透かし見てみたり……何かこの杖の手がかりになるようなものはあるかとじっと観察を繰り返す。
「使用されている石は、主に紅玉で……これは?」
その、装飾に使われた一番大きな紅玉の中に何かが揺らめいた気がして、アルトゥールは目を止めた。
じっと目を眇め、直視しないように、けれど詳細を読み取ろうと集中する。
この石は、何かで見たような気がする。
どこか、引っかかる。
傍らで、リュドミラが固唾を飲んでアルトゥールの言葉を待つ。
騎士が剣の柄に手を掛けながら、数歩近づく。
急に、アルトゥールが大きく瞠目した。
控えたふたりにすぐ下がれと言いたいのに、どうしても言葉が出てこない。ぱくぱくと口を開け閉めするに終始してしまう。杖から目を逸らそうとしても、どうしても視線を外すことができない。
必死に考えた末、嵌めていた指輪を引き抜いて、アンバーに呼びかける。
「あらあ珍しい。ご主人様、どうしちゃったの?」
ポン、と音を立てて現れた風精がくるりと宙返りをするが、アルトゥールの視線は杖に縛られたままだった。
「アンバー……“お願い”、だ」
「アルトゥール殿下?」
突然現れたアンバーに驚いたリュドミラが、訝しむようにアルトゥールを見つめた。騎士も剣を抜き放って歩み寄る。
アルトゥールの額を伝って、汗が滴り落ちる。どうにか言葉を出そうとするのに、声にならない。
この言葉を、口に出すことは許されていない。
ならば、と、歯を食い縛ってしばし考え込む。それから、今度は眉を寄せて思い切ったように口を開く。
「アンバー……ニナ姫を、護ってくれ。頼む」
「アルトゥール・オレグ・ラスィエット。ひとつ目の願い、たしかにこのアンバーが聞き届けたわ」
「アンバー、ふたつめの“お願い”だ」
立て続けの“願い”に、さすがのアンバーも目を瞠る。
「ふたつめ!? ご主人様、そんな“お願い”の大安売りしていいわけ?」
「アルトゥール殿下、どうしたんです? いったい何が……“お願い”って」
「アンバー、これ以降、僕の身体が口にした命令には決して従うな!」
いったい何が起きているのか。
さっぱり状況が掴めないリュドミラと騎士が、はっきり困惑の表情を浮かべてアルトゥールとアンバーを交互に見やる。
「殿下、いったい何が……いったいどうなさったんですか!?」
「アルトゥール・オレグ・ラスィエット。ふたつ目の願いも、このアンバーが聞き届けた。では、ワタシは姫さんのところに行くわね」
アンバーは風に姿を変えてそのまま消えてしまった。
アルトゥールは身を屈めて杖を覗き込んだまま、微動だにしない。リュドミラはごくりと喉を鳴らして、アルトゥールの肩へと手を伸ばす。
「あの……殿下……?」
ポンと肩を叩かれて、アルトゥールがびくりと跳ねるように身体を起こす。
「――いや、何でもないよ」
「でも、殿下、今のは……」
「殿下、失礼します」
大股に近づく騎士を振り向いたアルトゥールの目が、怪しく光った。たちまち騎士の身体がピクリとも動かなくなってしまう。
それを確認したリュドミラが、大きく目を見開く。
「え、殿下? どうして」
すっと伸びたアルトゥールの手が、混乱するリュドミラの頭を掴んだ。
「“混沌の海にたゆたいし力よ。この者の時を止めよ”」
「……あ」
リュドミラの足が崩折れて、ぱたりと床に倒れこむ。だが、騎士は未だ瞬きすらままならないほど、身動きが取れずにいる。
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