婚約者が別人なので、本物を捜します

ぎんげつ

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4.お姫様は間違えない

身体の中身

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 獅子たちに周囲を守らせつつ、ネリアーはすこし長い呪文の詠唱を終えた。
 唱えたのは、“魔力感知”の応用魔術だ。
 魔力だけではなく、それに準ずるもの……つまり、“霊体アストラル”を見る力を得た目で、ネリアーは軽く集中しつつぐるりと周囲を見回す。
 部屋の大半を占める魔導機関の放つ強い魔力が邪魔をするが、それでもどうにか見分けられないでもない。

 を確認して、ネリアーはなるほど、と目を眇める。
「乙女、
「やっぱり!」
 じっと光霊アルコンとアルトゥールを見比べていたネリアーは、さらに集中を続ける。ジェルヴェーズが、いったい何のことかと目を瞠る。
「なら、ネリアー。戻すことは?」
「可能です。が、この状況では少々無理ですね」
 長杖から放たれる魔術を避けるため、魔力の障壁を張りながら、ネリアーはあっさりと肩を竦めた。
「あちらの中に、何かが入っていますから」
「じゃあ」
「まずは追い出す必要がありますが、この状況ではやはり無理です」
「やっぱり、先に取り押さえなきゃいけないってことね」
「はい」
 長杖に蓄えた魔術では埒があかないと判断したのか、アルトゥールが自らの魔術を使おうと呪文の詠唱を始めた。
 合わせて、トーヴァもリュートを構える。
 自分の技量でどこまで邪魔できるかはわからないが、やってみるしかない。
 アルトゥールの声に合わせ、トーヴァはそのリズムと調和を壊すような不快な和音を奏でる。
「小癪な」
 集中を乱されたアルトゥールが、チ、と舌打ちして杖を振った。
 カーティスを囲む“剣の亡霊”が数体トーヴァへ向かう。

 “剣の亡霊”は、その名のとおり死霊術で生み出された亡霊アンデッドだ。ここに高司祭がひとりでもいれば、さほど厄介な相手ではない。
 だが、ここに司祭や神官はひとりもいない。

 そんなことを考えながら、トーヴァはジェルヴェーズの前に立つ。魔力封じの結界は魔術を防いではくれるが、亡霊の侵入を阻んではくれない。
「姫様、あれに斬られないよう私の後ろに」
「斬られたら、どうなるの?」
「……あの亡霊は、生者から全身の力を吸い取り殺して、自分と同じものに変えるんです。カーティスのように、神の加護に護られていれば別ですが」
「それじゃ、トーヴァが」
「大丈夫ですよ。姫様にお仕えする前、私が冒険者をしていたことはお聞きでしょう? これでも、荒事には結構慣れているんです」
  ゆらゆらと近づいてくる黒い影を睨みつけながら、トーヴァは小剣を抜く。
「――アンバー」
「はあい?」
「姫様をお願いね」
「わかってるわ」
 トーヴァは一歩前へと踏み出した。
 亡霊をジェルヴェーズに近づけてはいけない。
「“天高く太陽は輝けり”」
 口をついて、自然と歌が溢れる。
 太陽神の神官である義姉に教えてもらった、太陽神の讃美歌だ。太陽神は生命を司る。その輝ける光で死者アンデッドを焼き、再び死の眠りへと引き戻す。
 だから、生ける死者アンデッドに対して、太陽神は数ある神々の中で最強を誇るという。
 大丈夫。
 少しだけ持ち堪えれば、カーティスかネリアーがなんとかしてくれる。

 トーヴァは集中して剣を構えた。
 倒せなくていい。今は守り切ればいいのだ。
 ネリアーが呪文を詠唱する声が聞こえた。目の前に迫る“剣の亡霊”の一体がいきなり消える。
「ネリアー!」
「乙女、消えたのは今だけです。すぐに戻ってしまいますから、その前に――“魔力の矢よ!”」
「ええ」
 魔力で形作られた矢が亡霊に刺さる。苦悶に身体を揺らしはしても、亡霊の歩みは止まらない。
 讃美歌を口ずさみながら、トーヴァは亡霊目掛けて小剣を振るった。
 兄や母のような力や技量があればよかったのだが、あいにく、トーヴァはあまり剣に向いてはいなかった。
 けれど、ここでジェルヴェーズを護るくらいは……。
「乙女!」
 振り下ろされた亡霊の剣が、トーヴァの腕を掠める。
 ただ掠っただけなのに身体中の力を抜き取られるような感覚に襲われて、トーヴァは息を呑んだ。
 手足が萎えて、剣を取り落としそうになる。
「トーヴァ!」
「大丈夫です。姫様は、そのまま下がっていてください」
 亡霊が相手では、幻術で惑わすこともできない。
 さらに言えば、目で見ているのかどうかもわからないのだ。目隠しの霧を生み出したところで、トーヴァ自身が不利になるだけだ。

「“混沌の海に満ちる力よ、いかづちとなりて我が敵を討て”」
 空気を引き裂く雷鳴が響き、目の前の亡霊を雷撃が襲った。黒い影のような姿がわずかに薄れたように見えて、トーヴァはすかさず追撃ををかける。
「“混沌の海より生まれし力は焔へと変わり、我が前の敵を灰にする”」
 突き出した指先から、渦巻く焔が噴き出て亡霊を焼いた。亡霊の姿が掻き消えて、トーヴァはほっと息を吐く。
 ネリアーがさらに呪文を唱える。
 最初に消えた亡霊が再び戻る前に、少しでも数を減らさなければいけない。
「“混沌の海に揺蕩う力よ、天誅の雷のごとく、彼の者たちを打て”」
「“混沌の海より来たりし力よ、我が名に従い、我が前より消えよ”」
 ネリアーの放とうとした呪文が消された。すぐに次の魔術をと集中するが、そのネリアーより先にアルトゥールが呪文を紡ぎ始める。
「“混沌の海より生まれし力ある言葉よ、我が敵に死を”」
 あれは、とトーヴァは驚愕に目を見開いた。すぐに剣を捨ててリュートを構え、いつも以上の集中と魔力を呼び出す。
「“世にありしは不和の種。善き恋人を惑わす悪夢よ”」
 トーヴァの掻き鳴らす不協和音で、アルトゥールの放ったはずの呪文は力を発することなく消えた。
 たかが詩人にと、アルトゥールは怒りに目を細める。

 それにしても、とトーヴァは考える。
 対象に死をもたらす“力ある言葉パワーワード”は、魔術師の奥義と言ってもいいほどに高難易度の魔術だ。それほどの魔術を、なぜ、アルトゥールが放てるのか。

「“大魔導師の杖”に“力ある言葉”なんて――」
 トーヴァはそこまで呟いて顔を上げた。
「それじゃ、アルトゥール殿下の中に入ったのは……」
「ねえ、トーヴァ」
 トーヴァのマントが、くい、と不意に引かれた。
「はい、姫様」
 トーヴァはマントを引いたジェルヴェーズの手に自分の手を重ねた。
 アルトゥールからは視線を外さず、半ば呆然としたまま、トーヴァは次に取れる手段を必死に考える。

 ――どうにかしてあの中に入り込んだものを、ネリアーが追い出すだけの時間を作らなければいけない。
 魂と身体は“銀の緒シルバーコード”で繋がれている。本来なら、何かの事故で身体から出てしまったところですぐに戻れるはずなのだ。
 なのに、アルトゥールの魂は未だに光霊としてさまよったまま。
 つまり、あの身体に別な者が入り込んでしまったがゆえに、アルトゥールは戻れなくなってしまったということだ。
 例えば、“大魔導師”の魂が……。

「わたくし考えたの。あれは本当にオーリャ様で、でも、身体だけがそうで、本当のオーリャ様の中身は光霊アルコンってことなのね?」
「そうなんです」
 ぼそぼそと囁くような問いに、トーヴァは頷いた。
「それならどうしてオーリャ様は戻れないの? まさか、死んでしまっているから? もう、オーリャ様を助けることはできないの?」
「いえ、それは違います」
 マントを握り締めて、ジェルヴェーズが震えていた。力づけるようにその手をしっかりと包んで、トーヴァは続ける。
「アルトゥール殿下の中にいるのは“大魔導師”です。そいつが邪魔で、殿下が戻れずにいるんです」
「じゃあ……」
「はい。そいつを追い出せば、アルトゥール殿下は元どおりですよ。ですからどうにか時間を作れれば、ネリアーが……」
 ジェルヴェーズは大きく目を見開いてアルトゥールを凝視する。
 アルトゥールの身体にアルトゥールでない者が居座っていて、だから本当のアルトゥールが戻れない。
 それなら。

「――アンバー!」
「はあい?」
「こんどこそ、わたくしの“お願いウィッシュ”を叶えてもらうわよ」
「あら? 何かしら」
「え、姫様?」

 戸惑うトーヴァには構わず、アルトゥールをじっと睨みつけたまま、ジェルヴェーズはきっぱりと述べる。

「オーリャ様の身体に居座るオーリャ様でないものを、今すぐオーリャ様の身体から追い出しなさい!」
「はあい」

 アンバーはくすくすと笑いながら片手を振るった。
 キラキラ輝く光に取り巻かれたアルトゥールが、顔色を変える。
 ジェルヴェーズはそんなアルトゥール……いや、大魔導師ににこりと微笑み返して、つんと顎を反らす。

「まさか」
「その身体はオーリャ様のものなのでしょう? なら、返してもらうわね」
「何を……小娘めが、っぐ」
 アルトゥールが胸のあたりを掴み、苦悶するように身体を折り曲げた。
 ギリギリと歯噛みしつつジェルヴェーズを睨み……けれどその目がいきなりぐるりと裏返り、ばたりと倒れ込む。
「オーリャ様!」
「殿下!?」
 走り出そうとするジェルヴェーズを抑えて、トーヴァは慌てて光霊へと目をやった。光霊がふるりと震え、アルトゥールの身体に吸い込まれていく。
 ネリアーが驚いた表情で、ジェルヴェーズを見つめていた。

 そして、倒れたアルトゥールの上に半透明の人影がゆっくりと湧き上がる。

 人影……黒い長衣に口髭を蓄えた初老の、半透明の男がさっと手を振るうと、傍らに転がっていた黒い長杖が浮き上がり、その手に収まった。
『せっかく手に入れた私の身体を……小娘が。その風精ジンニーヤも、さっさと殺して……いや、あの時、指輪を取り上げておくべきだった。
 私の魔導機関の燃料として、焚べてしまえばよかったのだ!』
 空洞にわんわんと反響するような耳障りな声で、大魔導師の亡霊が喚く。
「……“死霊ゴースト”ですね。死者の魂が生への執着のあまり、この世に留まり続けているものですよ」
 ネリアーはすぐにその正体を見極めて、目を眇めた。カーティスが、ようやく戻ってきた最後の剣の亡霊を斬り捨てる。
「あれが今回の本命か。剣の亡霊は片付けたというのに、面倒なことだ」

 レイスやスペクター、ファントムと、魂がアンデッド化した幽体にはいくつか種類はあるが、死霊ゴーストはいちばん面倒だと言われている。
 もちろん、神官か司祭さえいれば、神術の聖なる力で浄化はできる。
 だが、それ以外の方法でこの世とあの世の境界アケロン河を超えさせるためには、生への執着を断ち切るか、もう一度魔法で殺すしかないのだ。

「ネリアー殿。あの死霊をどうにかすれば、こちらの勝ちということですね」
『おお、おお、我が宿敵。忌まわしき暁の黒魔術師め……!』
「ええ、そのとおりですよ。あなたとその剣の本領発揮というわけです」
 歓喜の声をあげるシェーファーをちらりと見て、あとは任せたと言わんばかりのネリアーに、カーティスは苦笑を漏らす。
「ネリアー殿は召喚術師ではありませんでしたか?」
「光霊ならともかく、亡霊だの死霊だのというのは死霊術に属するものなんですよ。私の専門外です」
 ネリアーはすばやく短い呪文を唱えた。
 倒れたままのアルトゥールの身体がふわりと浮いて、床を滑り来る。
「オーリャ様!」
 アルトゥールの身体が魔力封じの結界の中に引き込まれるのを確認して、カーティスは剣を構えた。
「戦いと勝利の神の聖なる御名において、猛きものの剣たるカーティス・カーリスが参る……悪しき魔術師の亡霊よ、覚悟せよ!」
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