26 / 38
4.お姫様は間違えない
身体の中身
しおりを挟む
獅子たちに周囲を守らせつつ、ネリアーはすこし長い呪文の詠唱を終えた。
唱えたのは、“魔力感知”の応用魔術だ。
魔力だけではなく、それに準ずるもの……つまり、“霊体”を見る力を得た目で、ネリアーは軽く集中しつつぐるりと周囲を見回す。
部屋の大半を占める魔導機関の放つ強い魔力が邪魔をするが、それでもどうにか見分けられないでもない。
それを確認して、ネリアーはなるほど、と目を眇める。
「乙女、つながっています」
「やっぱり!」
じっと光霊とアルトゥールを見比べていたネリアーは、さらに集中を続ける。ジェルヴェーズが、いったい何のことかと目を瞠る。
「なら、ネリアー。戻すことは?」
「可能です。が、この状況では少々無理ですね」
長杖から放たれる魔術を避けるため、魔力の障壁を張りながら、ネリアーはあっさりと肩を竦めた。
「あちらの中に、何かが入っていますから」
「じゃあ」
「まずは追い出す必要がありますが、この状況ではやはり無理です」
「やっぱり、先に取り押さえなきゃいけないってことね」
「はい」
長杖に蓄えた魔術では埒があかないと判断したのか、アルトゥールが自らの魔術を使おうと呪文の詠唱を始めた。
合わせて、トーヴァもリュートを構える。
自分の技量でどこまで邪魔できるかはわからないが、やってみるしかない。
アルトゥールの声に合わせ、トーヴァはそのリズムと調和を壊すような不快な和音を奏でる。
「小癪な」
集中を乱されたアルトゥールが、チ、と舌打ちして杖を振った。
カーティスを囲む“剣の亡霊”が数体トーヴァへ向かう。
“剣の亡霊”は、その名のとおり死霊術で生み出された亡霊だ。ここに高司祭がひとりでもいれば、さほど厄介な相手ではない。
だが、ここに司祭や神官はひとりもいない。
そんなことを考えながら、トーヴァはジェルヴェーズの前に立つ。魔力封じの結界は魔術を防いではくれるが、亡霊の侵入を阻んではくれない。
「姫様、あれに斬られないよう私の後ろに」
「斬られたら、どうなるの?」
「……あの亡霊は、生者から全身の力を吸い取り殺して、自分と同じものに変えるんです。カーティスのように、神の加護に護られていれば別ですが」
「それじゃ、トーヴァが」
「大丈夫ですよ。姫様にお仕えする前、私が冒険者をしていたことはお聞きでしょう? これでも、荒事には結構慣れているんです」
ゆらゆらと近づいてくる黒い影を睨みつけながら、トーヴァは小剣を抜く。
「――アンバー」
「はあい?」
「姫様をお願いね」
「わかってるわ」
トーヴァは一歩前へと踏み出した。
亡霊をジェルヴェーズに近づけてはいけない。
「“天高く太陽は輝けり”」
口をついて、自然と歌が溢れる。
太陽神の神官である義姉に教えてもらった、太陽神の讃美歌だ。太陽神は生命を司る。その輝ける光で死者を焼き、再び死の眠りへと引き戻す。
だから、生ける死者に対して、太陽神は数ある神々の中で最強を誇るという。
大丈夫。
少しだけ持ち堪えれば、カーティスかネリアーがなんとかしてくれる。
トーヴァは集中して剣を構えた。
倒せなくていい。今は守り切ればいいのだ。
ネリアーが呪文を詠唱する声が聞こえた。目の前に迫る“剣の亡霊”の一体がいきなり消える。
「ネリアー!」
「乙女、消えたのは今だけです。すぐに戻ってしまいますから、その前に――“魔力の矢よ!”」
「ええ」
魔力で形作られた矢が亡霊に刺さる。苦悶に身体を揺らしはしても、亡霊の歩みは止まらない。
讃美歌を口ずさみながら、トーヴァは亡霊目掛けて小剣を振るった。
兄や母のような力や技量があればよかったのだが、あいにく、トーヴァはあまり剣に向いてはいなかった。
けれど、ここでジェルヴェーズを護るくらいは……。
「乙女!」
振り下ろされた亡霊の剣が、トーヴァの腕を掠める。
ただ掠っただけなのに身体中の力を抜き取られるような感覚に襲われて、トーヴァは息を呑んだ。
手足が萎えて、剣を取り落としそうになる。
「トーヴァ!」
「大丈夫です。姫様は、そのまま下がっていてください」
亡霊が相手では、幻術で惑わすこともできない。
さらに言えば、目で見ているのかどうかもわからないのだ。目隠しの霧を生み出したところで、トーヴァ自身が不利になるだけだ。
「“混沌の海に満ちる力よ、雷となりて我が敵を討て”」
空気を引き裂く雷鳴が響き、目の前の亡霊を雷撃が襲った。黒い影のような姿がわずかに薄れたように見えて、トーヴァはすかさず追撃ををかける。
「“混沌の海より生まれし力は焔へと変わり、我が前の敵を灰にする”」
突き出した指先から、渦巻く焔が噴き出て亡霊を焼いた。亡霊の姿が掻き消えて、トーヴァはほっと息を吐く。
ネリアーがさらに呪文を唱える。
最初に消えた亡霊が再び戻る前に、少しでも数を減らさなければいけない。
「“混沌の海に揺蕩う力よ、天誅の雷のごとく、彼の者たちを打て”」
「“混沌の海より来たりし力よ、我が名に従い、我が前より消えよ”」
ネリアーの放とうとした呪文が消された。すぐに次の魔術をと集中するが、そのネリアーより先にアルトゥールが呪文を紡ぎ始める。
「“混沌の海より生まれし力ある言葉よ、我が敵に死を”」
あれは、とトーヴァは驚愕に目を見開いた。すぐに剣を捨ててリュートを構え、いつも以上の集中と魔力を呼び出す。
「“世にありしは不和の種。善き恋人を惑わす悪夢よ”」
トーヴァの掻き鳴らす不協和音で、アルトゥールの放ったはずの呪文は力を発することなく消えた。
たかが詩人にと、アルトゥールは怒りに目を細める。
それにしても、とトーヴァは考える。
対象に死をもたらす“力ある言葉”は、魔術師の奥義と言ってもいいほどに高難易度の魔術だ。それほどの魔術を、なぜ、アルトゥールが放てるのか。
「“大魔導師の杖”に“力ある言葉”なんて――」
トーヴァはそこまで呟いて顔を上げた。
「それじゃ、アルトゥール殿下の中に入ったのは……」
「ねえ、トーヴァ」
トーヴァのマントが、くい、と不意に引かれた。
「はい、姫様」
トーヴァはマントを引いたジェルヴェーズの手に自分の手を重ねた。
アルトゥールからは視線を外さず、半ば呆然としたまま、トーヴァは次に取れる手段を必死に考える。
――どうにかしてあの中に入り込んだものを、ネリアーが追い出すだけの時間を作らなければいけない。
魂と身体は“銀の緒”で繋がれている。本来なら、何かの事故で身体から出てしまったところですぐに戻れるはずなのだ。
なのに、アルトゥールの魂は未だに光霊としてさまよったまま。
つまり、あの身体に別な者が入り込んでしまったがゆえに、アルトゥールは戻れなくなってしまったということだ。
例えば、“大魔導師”の魂が……。
「わたくし考えたの。あれは本当にオーリャ様で、でも、身体だけがそうで、本当のオーリャ様の中身は光霊ってことなのね?」
「そうなんです」
ぼそぼそと囁くような問いに、トーヴァは頷いた。
「それならどうしてオーリャ様は戻れないの? まさか、死んでしまっているから? もう、オーリャ様を助けることはできないの?」
「いえ、それは違います」
マントを握り締めて、ジェルヴェーズが震えていた。力づけるようにその手をしっかりと包んで、トーヴァは続ける。
「アルトゥール殿下の中にいるのは“大魔導師”です。そいつが邪魔で、殿下が戻れずにいるんです」
「じゃあ……」
「はい。そいつを追い出せば、アルトゥール殿下は元どおりですよ。ですからどうにか時間を作れれば、ネリアーが……」
ジェルヴェーズは大きく目を見開いてアルトゥールを凝視する。
アルトゥールの身体にアルトゥールでない者が居座っていて、だから本当のアルトゥールが戻れない。
それなら。
「――アンバー!」
「はあい?」
「こんどこそ、わたくしの“お願い”を叶えてもらうわよ」
「あら? 何かしら」
「え、姫様?」
戸惑うトーヴァには構わず、アルトゥールをじっと睨みつけたまま、ジェルヴェーズはきっぱりと述べる。
「オーリャ様の身体に居座るオーリャ様でないものを、今すぐオーリャ様の身体から追い出しなさい!」
「はあい」
アンバーはくすくすと笑いながら片手を振るった。
キラキラ輝く光に取り巻かれたアルトゥールが、顔色を変える。
ジェルヴェーズはそんなアルトゥール……いや、大魔導師ににこりと微笑み返して、つんと顎を反らす。
「まさか」
「その身体はオーリャ様のものなのでしょう? なら、返してもらうわね」
「何を……小娘めが、っぐ」
アルトゥールが胸のあたりを掴み、苦悶するように身体を折り曲げた。
ギリギリと歯噛みしつつジェルヴェーズを睨み……けれどその目がいきなりぐるりと裏返り、ばたりと倒れ込む。
「オーリャ様!」
「殿下!?」
走り出そうとするジェルヴェーズを抑えて、トーヴァは慌てて光霊へと目をやった。光霊がふるりと震え、アルトゥールの身体に吸い込まれていく。
ネリアーが驚いた表情で、ジェルヴェーズを見つめていた。
そして、倒れたアルトゥールの上に半透明の人影がゆっくりと湧き上がる。
人影……黒い長衣に口髭を蓄えた初老の、半透明の男がさっと手を振るうと、傍らに転がっていた黒い長杖が浮き上がり、その手に収まった。
『せっかく手に入れた私の身体を……小娘が。その風精も、さっさと殺して……いや、あの時、指輪を取り上げておくべきだった。
私の魔導機関の燃料として、焚べてしまえばよかったのだ!』
空洞にわんわんと反響するような耳障りな声で、大魔導師の亡霊が喚く。
「……“死霊”ですね。死者の魂が生への執着のあまり、この世に留まり続けているものですよ」
ネリアーはすぐにその正体を見極めて、目を眇めた。カーティスが、ようやく戻ってきた最後の剣の亡霊を斬り捨てる。
「あれが今回の本命か。剣の亡霊は片付けたというのに、面倒なことだ」
レイスやスペクター、ファントムと、魂がアンデッド化した幽体にはいくつか種類はあるが、死霊はいちばん面倒だと言われている。
もちろん、神官か司祭さえいれば、神術の聖なる力で浄化はできる。
だが、それ以外の方法でこの世とあの世の境界を超えさせるためには、生への執着を断ち切るか、もう一度魔法で殺すしかないのだ。
「ネリアー殿。あの死霊をどうにかすれば、こちらの勝ちということですね」
『おお、おお、我が宿敵。忌まわしき暁の黒魔術師め……!』
「ええ、そのとおりですよ。あなたとその剣の本領発揮というわけです」
歓喜の声をあげるシェーファーをちらりと見て、あとは任せたと言わんばかりのネリアーに、カーティスは苦笑を漏らす。
「ネリアー殿は召喚術師ではありませんでしたか?」
「光霊ならともかく、亡霊だの死霊だのというのは死霊術に属するものなんですよ。私の専門外です」
ネリアーはすばやく短い呪文を唱えた。
倒れたままのアルトゥールの身体がふわりと浮いて、床を滑り来る。
「オーリャ様!」
アルトゥールの身体が魔力封じの結界の中に引き込まれるのを確認して、カーティスは剣を構えた。
「戦いと勝利の神の聖なる御名において、猛きものの剣たるカーティス・カーリスが参る……悪しき魔術師の亡霊よ、覚悟せよ!」
唱えたのは、“魔力感知”の応用魔術だ。
魔力だけではなく、それに準ずるもの……つまり、“霊体”を見る力を得た目で、ネリアーは軽く集中しつつぐるりと周囲を見回す。
部屋の大半を占める魔導機関の放つ強い魔力が邪魔をするが、それでもどうにか見分けられないでもない。
それを確認して、ネリアーはなるほど、と目を眇める。
「乙女、つながっています」
「やっぱり!」
じっと光霊とアルトゥールを見比べていたネリアーは、さらに集中を続ける。ジェルヴェーズが、いったい何のことかと目を瞠る。
「なら、ネリアー。戻すことは?」
「可能です。が、この状況では少々無理ですね」
長杖から放たれる魔術を避けるため、魔力の障壁を張りながら、ネリアーはあっさりと肩を竦めた。
「あちらの中に、何かが入っていますから」
「じゃあ」
「まずは追い出す必要がありますが、この状況ではやはり無理です」
「やっぱり、先に取り押さえなきゃいけないってことね」
「はい」
長杖に蓄えた魔術では埒があかないと判断したのか、アルトゥールが自らの魔術を使おうと呪文の詠唱を始めた。
合わせて、トーヴァもリュートを構える。
自分の技量でどこまで邪魔できるかはわからないが、やってみるしかない。
アルトゥールの声に合わせ、トーヴァはそのリズムと調和を壊すような不快な和音を奏でる。
「小癪な」
集中を乱されたアルトゥールが、チ、と舌打ちして杖を振った。
カーティスを囲む“剣の亡霊”が数体トーヴァへ向かう。
“剣の亡霊”は、その名のとおり死霊術で生み出された亡霊だ。ここに高司祭がひとりでもいれば、さほど厄介な相手ではない。
だが、ここに司祭や神官はひとりもいない。
そんなことを考えながら、トーヴァはジェルヴェーズの前に立つ。魔力封じの結界は魔術を防いではくれるが、亡霊の侵入を阻んではくれない。
「姫様、あれに斬られないよう私の後ろに」
「斬られたら、どうなるの?」
「……あの亡霊は、生者から全身の力を吸い取り殺して、自分と同じものに変えるんです。カーティスのように、神の加護に護られていれば別ですが」
「それじゃ、トーヴァが」
「大丈夫ですよ。姫様にお仕えする前、私が冒険者をしていたことはお聞きでしょう? これでも、荒事には結構慣れているんです」
ゆらゆらと近づいてくる黒い影を睨みつけながら、トーヴァは小剣を抜く。
「――アンバー」
「はあい?」
「姫様をお願いね」
「わかってるわ」
トーヴァは一歩前へと踏み出した。
亡霊をジェルヴェーズに近づけてはいけない。
「“天高く太陽は輝けり”」
口をついて、自然と歌が溢れる。
太陽神の神官である義姉に教えてもらった、太陽神の讃美歌だ。太陽神は生命を司る。その輝ける光で死者を焼き、再び死の眠りへと引き戻す。
だから、生ける死者に対して、太陽神は数ある神々の中で最強を誇るという。
大丈夫。
少しだけ持ち堪えれば、カーティスかネリアーがなんとかしてくれる。
トーヴァは集中して剣を構えた。
倒せなくていい。今は守り切ればいいのだ。
ネリアーが呪文を詠唱する声が聞こえた。目の前に迫る“剣の亡霊”の一体がいきなり消える。
「ネリアー!」
「乙女、消えたのは今だけです。すぐに戻ってしまいますから、その前に――“魔力の矢よ!”」
「ええ」
魔力で形作られた矢が亡霊に刺さる。苦悶に身体を揺らしはしても、亡霊の歩みは止まらない。
讃美歌を口ずさみながら、トーヴァは亡霊目掛けて小剣を振るった。
兄や母のような力や技量があればよかったのだが、あいにく、トーヴァはあまり剣に向いてはいなかった。
けれど、ここでジェルヴェーズを護るくらいは……。
「乙女!」
振り下ろされた亡霊の剣が、トーヴァの腕を掠める。
ただ掠っただけなのに身体中の力を抜き取られるような感覚に襲われて、トーヴァは息を呑んだ。
手足が萎えて、剣を取り落としそうになる。
「トーヴァ!」
「大丈夫です。姫様は、そのまま下がっていてください」
亡霊が相手では、幻術で惑わすこともできない。
さらに言えば、目で見ているのかどうかもわからないのだ。目隠しの霧を生み出したところで、トーヴァ自身が不利になるだけだ。
「“混沌の海に満ちる力よ、雷となりて我が敵を討て”」
空気を引き裂く雷鳴が響き、目の前の亡霊を雷撃が襲った。黒い影のような姿がわずかに薄れたように見えて、トーヴァはすかさず追撃ををかける。
「“混沌の海より生まれし力は焔へと変わり、我が前の敵を灰にする”」
突き出した指先から、渦巻く焔が噴き出て亡霊を焼いた。亡霊の姿が掻き消えて、トーヴァはほっと息を吐く。
ネリアーがさらに呪文を唱える。
最初に消えた亡霊が再び戻る前に、少しでも数を減らさなければいけない。
「“混沌の海に揺蕩う力よ、天誅の雷のごとく、彼の者たちを打て”」
「“混沌の海より来たりし力よ、我が名に従い、我が前より消えよ”」
ネリアーの放とうとした呪文が消された。すぐに次の魔術をと集中するが、そのネリアーより先にアルトゥールが呪文を紡ぎ始める。
「“混沌の海より生まれし力ある言葉よ、我が敵に死を”」
あれは、とトーヴァは驚愕に目を見開いた。すぐに剣を捨ててリュートを構え、いつも以上の集中と魔力を呼び出す。
「“世にありしは不和の種。善き恋人を惑わす悪夢よ”」
トーヴァの掻き鳴らす不協和音で、アルトゥールの放ったはずの呪文は力を発することなく消えた。
たかが詩人にと、アルトゥールは怒りに目を細める。
それにしても、とトーヴァは考える。
対象に死をもたらす“力ある言葉”は、魔術師の奥義と言ってもいいほどに高難易度の魔術だ。それほどの魔術を、なぜ、アルトゥールが放てるのか。
「“大魔導師の杖”に“力ある言葉”なんて――」
トーヴァはそこまで呟いて顔を上げた。
「それじゃ、アルトゥール殿下の中に入ったのは……」
「ねえ、トーヴァ」
トーヴァのマントが、くい、と不意に引かれた。
「はい、姫様」
トーヴァはマントを引いたジェルヴェーズの手に自分の手を重ねた。
アルトゥールからは視線を外さず、半ば呆然としたまま、トーヴァは次に取れる手段を必死に考える。
――どうにかしてあの中に入り込んだものを、ネリアーが追い出すだけの時間を作らなければいけない。
魂と身体は“銀の緒”で繋がれている。本来なら、何かの事故で身体から出てしまったところですぐに戻れるはずなのだ。
なのに、アルトゥールの魂は未だに光霊としてさまよったまま。
つまり、あの身体に別な者が入り込んでしまったがゆえに、アルトゥールは戻れなくなってしまったということだ。
例えば、“大魔導師”の魂が……。
「わたくし考えたの。あれは本当にオーリャ様で、でも、身体だけがそうで、本当のオーリャ様の中身は光霊ってことなのね?」
「そうなんです」
ぼそぼそと囁くような問いに、トーヴァは頷いた。
「それならどうしてオーリャ様は戻れないの? まさか、死んでしまっているから? もう、オーリャ様を助けることはできないの?」
「いえ、それは違います」
マントを握り締めて、ジェルヴェーズが震えていた。力づけるようにその手をしっかりと包んで、トーヴァは続ける。
「アルトゥール殿下の中にいるのは“大魔導師”です。そいつが邪魔で、殿下が戻れずにいるんです」
「じゃあ……」
「はい。そいつを追い出せば、アルトゥール殿下は元どおりですよ。ですからどうにか時間を作れれば、ネリアーが……」
ジェルヴェーズは大きく目を見開いてアルトゥールを凝視する。
アルトゥールの身体にアルトゥールでない者が居座っていて、だから本当のアルトゥールが戻れない。
それなら。
「――アンバー!」
「はあい?」
「こんどこそ、わたくしの“お願い”を叶えてもらうわよ」
「あら? 何かしら」
「え、姫様?」
戸惑うトーヴァには構わず、アルトゥールをじっと睨みつけたまま、ジェルヴェーズはきっぱりと述べる。
「オーリャ様の身体に居座るオーリャ様でないものを、今すぐオーリャ様の身体から追い出しなさい!」
「はあい」
アンバーはくすくすと笑いながら片手を振るった。
キラキラ輝く光に取り巻かれたアルトゥールが、顔色を変える。
ジェルヴェーズはそんなアルトゥール……いや、大魔導師ににこりと微笑み返して、つんと顎を反らす。
「まさか」
「その身体はオーリャ様のものなのでしょう? なら、返してもらうわね」
「何を……小娘めが、っぐ」
アルトゥールが胸のあたりを掴み、苦悶するように身体を折り曲げた。
ギリギリと歯噛みしつつジェルヴェーズを睨み……けれどその目がいきなりぐるりと裏返り、ばたりと倒れ込む。
「オーリャ様!」
「殿下!?」
走り出そうとするジェルヴェーズを抑えて、トーヴァは慌てて光霊へと目をやった。光霊がふるりと震え、アルトゥールの身体に吸い込まれていく。
ネリアーが驚いた表情で、ジェルヴェーズを見つめていた。
そして、倒れたアルトゥールの上に半透明の人影がゆっくりと湧き上がる。
人影……黒い長衣に口髭を蓄えた初老の、半透明の男がさっと手を振るうと、傍らに転がっていた黒い長杖が浮き上がり、その手に収まった。
『せっかく手に入れた私の身体を……小娘が。その風精も、さっさと殺して……いや、あの時、指輪を取り上げておくべきだった。
私の魔導機関の燃料として、焚べてしまえばよかったのだ!』
空洞にわんわんと反響するような耳障りな声で、大魔導師の亡霊が喚く。
「……“死霊”ですね。死者の魂が生への執着のあまり、この世に留まり続けているものですよ」
ネリアーはすぐにその正体を見極めて、目を眇めた。カーティスが、ようやく戻ってきた最後の剣の亡霊を斬り捨てる。
「あれが今回の本命か。剣の亡霊は片付けたというのに、面倒なことだ」
レイスやスペクター、ファントムと、魂がアンデッド化した幽体にはいくつか種類はあるが、死霊はいちばん面倒だと言われている。
もちろん、神官か司祭さえいれば、神術の聖なる力で浄化はできる。
だが、それ以外の方法でこの世とあの世の境界を超えさせるためには、生への執着を断ち切るか、もう一度魔法で殺すしかないのだ。
「ネリアー殿。あの死霊をどうにかすれば、こちらの勝ちということですね」
『おお、おお、我が宿敵。忌まわしき暁の黒魔術師め……!』
「ええ、そのとおりですよ。あなたとその剣の本領発揮というわけです」
歓喜の声をあげるシェーファーをちらりと見て、あとは任せたと言わんばかりのネリアーに、カーティスは苦笑を漏らす。
「ネリアー殿は召喚術師ではありませんでしたか?」
「光霊ならともかく、亡霊だの死霊だのというのは死霊術に属するものなんですよ。私の専門外です」
ネリアーはすばやく短い呪文を唱えた。
倒れたままのアルトゥールの身体がふわりと浮いて、床を滑り来る。
「オーリャ様!」
アルトゥールの身体が魔力封じの結界の中に引き込まれるのを確認して、カーティスは剣を構えた。
「戦いと勝利の神の聖なる御名において、猛きものの剣たるカーティス・カーリスが参る……悪しき魔術師の亡霊よ、覚悟せよ!」
0
あなたにおすすめの小説
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
婚約破棄のあと、あなたのことだけ思い出せない
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢セシリアは、王宮の舞踏会で王太子レイヴンから公開の場で婚約破棄を言い渡され、その場で倒れた。
目覚めた彼女は、礼儀も常識も覚えているのに――ただ一つ、レイヴンだけを思い出せない。
「あなたは、どなたですか?」
その一言に、彼の瞳は壊れた。
けれどレイヴンは何も語らず、セシリアを遠ざける。彼女を守るために、あの日婚約を捨てたのだと告げられないまま。
セシリアは過去を断ち切り、王宮の侍女として新しい生活を始める。
優しく手を差し伸べる護衛騎士アデルと心を通わせていくほど、レイヴンの胸は嫉妬と後悔で焼けていった。
――守るために捨てたはずなのに。忘れられたまま、他の男に笑う彼女を見ていられない。
一方、王宮では“偽聖女”の陰謀と、セシリアの血に眠る秘密が動き出す。
記憶を取り戻せば、彼女は狙われる。取り戻さなければ、二人は永遠に届かない。
これは、忘れてしまった令嬢と、忘れられてなお愛を捨てられない王太子が、もう一度“選び直す”恋の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる