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灰色の世界の天上の青
16.出し抜くには
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ヴィエナがずっと考えていたのは、どうにかして悪魔を出し抜けないかということばかりだった。
だがやはりヴィエナだけでは何も思いつかない。
かといって、オーウェンにこんなこと相談はできない。“賭け”がどんなものかを話してしまうことなんて、できない。
じゃあ、誰に知恵を借りれば……と、ヴィエナは考えた。
「イヴリンさん、あの」
「なあに?」
刺繍の道具を手に持ったまま、ヴィエナはちらりと外を見た。
今日、オーウェンはたいした仕事がないからと、鍛錬代わりにアライトと剣を合わせている。部屋へは当分戻って来ない。
「ミーケルさんに、聞きたいことがあって……お話が、したいんです」
「ミーケルに?」
ヴィエナはこくんと頷く。
「司祭様には内緒で」
イヴリンは微かに眉を寄せて、しばし考える。ヴィエナのようすから考えるに、彼女の抱えている事情からなんだろう。
ミーケルには、オーウェンも何度か相談に訪れていたのだから。
「わかった、呼んでくるわ。少し待っててちょうだい」
イヴリンは刺繍道具をテーブルの片隅に寄せると、すぐに部屋を出て行った。
「で、僕に聞きたいことって?」
さほど待たされることもなく、入れ替わりにミーケルが現れた。
多少ラフではあるが、以前何度か会った時のようなだらしの無い格好ではなくて、ヴィエナは少し驚いた。
「あの、ミーケルさんは、すごい詩人なんですよね」
「まあね、否定はしない。で、それがどうかした?」
「あの……悪魔を出し抜く方法が、知りたいんです」
ミーケルの眉が跳ね上がる。長椅子に座ろうとしたままの姿勢でしばしの間ヴィエナをじっと見つめて、それから少し乱暴にどかりと腰を下ろした。
そのまま、またヴィエナを伺うように、値踏みするかのように見つめて「ふうん」と口の端だけで笑みを作る。
「君、自分に憑いてる悪魔がどんな奴か知ってて、聞いてる?」
「よく、知らないです」
しおしおと眉尻の下がったヴィエナに、ミーケルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「九層地獄界の第八層を統べ、魔術と炎を司る悪魔大公。
さらには、今や神となった悪魔王の右腕とも言われるほどの力を持ち……かの悪魔に対抗できるのは、もはや神のみではないか、と言う者もいる」
立て板に水のようなミーケルの言葉に、ヴィエナは大きく瞠目する。
それに……神のみ?
そんなとんでもない悪魔が相手?
「そもそも君は、自分が“賭け”に勝つための条件を知ってるのかな?」
ヴィエナは小さく頷いた。
「ふうん。でも、義兄殿は知らない、と」
ヴィエナはまた小さく頷いた。
「それで、わざわざこっそりそんなことを尋ねに来てるってことは、正面から勝とうとは思ってないってことか」
「だって、司祭様が、オーウェン様が、まんいち悪魔の怒りや恨みを買ってしまったら、私……」
「あの義兄殿なら、そんなこと気にしないんじゃない?」
「わ、わかってます。でも……」
は、とひとつ息を漏らして、ミーケルは呆れたように目を眇めた。
「──“愛とはかくも我儘で度し難いものである”、とはよく言ったものだ」
「え? 何を……」
「僕としては、おとなしく正攻法で賭けに勝つほうがよほど簡単だし、理に適ってると思うけどね……あの義兄殿が相手だとしても、さ」
ミーケルにじろりと見られて、ヴィエナは喉を鳴らす。何かを探られているようにも感じて落ち着かない。
「悪魔を出し抜くには、少しばかり相手が悪すぎる。さらに言えば、出し抜かないまでも悪魔の印をどうにかするだけなら、幾つか方法もある。けれどこれにしたって付けた悪魔が悪魔だ、並の方法では手が出ない」
ヴィエナはこくりと頷く。そのくらいなら、あの山羊髭の悪魔と顔を合わせた時に、既に覚悟している。
「どこの……そうだね、たとえ、悪魔に対してならいちばんの力を誇る、騎士と正義の神の教会の教皇でも無理だろう。たとえ、神に愛され、最高の神術である“奇跡”の行使を許されたほどの者であっても、おそらく力は足りない。
できるとしたら印をつけた悪魔本人か、天の者だけだ」
「それじゃ……」
「だから、まず君は、十天国界へ次元転移ができるほどに高位の魔術師か司祭を探さなければいけない」
「次元、転移?」
「そう。この世界に天の者がいるかどうか、定かじゃないからね」
「天の者……」
思わず目を見開いて、ミーケルの顔を見返す。天の者、ともういちど繰り返すヴィエナに、ミーケルは頷いてみせた。
「神々のおわす十天国界になら、確実にかの悪魔に対抗するのに十分な、高位の天の者がいるだろう。だから十天国界に行って、直接、自分と悪魔との縁を切り離してくれと交渉するんだ」
「そんな……」
それじゃ、以前会った天人の言うような方法しかないということだろうか。
彼は、確か、十天国界の聖水の海に漬けて退魔を繰り返せば印を剥がせるだろうと言っていた。
けれど。
「だから、言っただろう? 正攻法のほうがよっぽど簡単だって。それに、君にそんな伝手があったら、とっくの昔に君は悪魔から解放されてるさ」
ヴィエナは、ぐ、と唇を噛む。
このままじゃ、きっと賭けには勝てず、それでも、オーウェンはどうにか悪魔を退けようとして無茶をするだろう。
すべて、“護ると誓った責任感”から。
ヴィエナが黙り込んでしまうと、ミーケルは小さく溜息を吐いた。
「――あの義兄殿は、ヴィーが騎士として独り立ちできるようになっても甘やかすのを止めない、とんでもないクソ兄貴だったんだよ。
喜んで甘えるヴィーもヴィーだけどさ」
突然、何を言い出したのかと呆気にとられて顔を上げたヴィエナに、ミーケルはやれやれと肩を竦めてみせる。
「それが、君を預かるようになってから、君の優先度のほうが上がってる。ようやく妹から卒業できたってところなんだろうけど……あの義兄殿に、妹以外に率先して護りたいと思う相手ができたってだけで上等だ。
そうはいっても、そっちの感情が年齢に追い付いてないのがアレだし、確かに、君が時間に押されて焦る気持ちはわかるよ」
「オーウェン様は」
「ん?」
勢い込んでそこまで言って、ヴィエナはまた黙ってしまう。止まった言葉を促すように、ミーケルが見つめる。
「――オーウェン様は、このことが終わったら、私を養子にして、いいところにお嫁に出してあげるからって。だから」
「義兄殿、そんなこと言ったんだ。正義神の聖騎士も真っ青な固さだね」
は、と呆れに吐息を漏らし、ミーケルは視線を巡らせて……いきなり扉を振り向くと、急に席を立った。つい、釣られて扉に目をやるヴィエナの横へ来て、同じように立ち上がらせる。
「あの、ミーケルさん?」
なんだか寄り添っているようで、妙に距離が狭い気がして、首を傾げる。そんなヴィエナに、ミーケルは楽しそうににいっと笑いかけて抱き寄せる。
「あの、ミーケルさん、何を」
「ちょっとの間だけだから、試してみよう」
「試すって、何を?」
「何だろうね」
くつくつと笑い続けるミーケルに抱き竦められ、耳元で囁かれてヴィエナはますます慌ててしまう。
この人は、オーウェンの妹の旦那さんではなかったのか。
振りほどきたいのに、がっちりと抑え込まれてもぞもぞと身じろぎすることしかできない。いったいどうしたらいいのか。ヴィエナが必死に身体を動かしていると、「しばらくこのまま、じっとしてて」とさらにしっかりと抱き込まれてしまった。
そこへ、ノックの音とヴィエナを呼ぶ声とともに、ガチャリと扉が開く。
「ヴィエナ、どう……ミーケル? 来て……いや、お前、何をしている?」
すうっとオーウェンの目が眇められた。
その後ろでは、アライトが「おいおい」と呆れたように呟いた。
「ミーケル、答えろ。ヴィエナに何をしている」
「いや別に。そろそろこの子も大人のあれこれを知らなきゃいけない歳だろうって、それだけだよ」
オーウェンの眉間にくっきりと皺が寄るのを見て、ヴィエナはますます慌てた。ミーケルの腕にさらに力がこもり、あえなく抑えられてしまったが。
「何を……手を離せ」
「どうしてさ? ああ、あれこれ収まったあとの、この子の処遇が心配? だったら、このままうちに第二夫人として来てもらうのもやぶさかじゃないよ」
「第二夫人、だと?」
思っても見なかったことを言われて、オーウェンが驚きに目を瞠った。
ミーケルはただ笑うだけだ。どことなく、嘲るようにも見える表情すら浮かべて、笑っていた。
「そ。義兄殿も僕の出自は知ってるだろう? 慣習的に、うちの直系は皆、数人程度の側室を抱えてきてるからね。ヴィーの他にもうひとりくらいならなんとかなる収入もあるし、僕のほうにも問題はないよ。もちろん、不自由しない暮らしだって約束してあげる」
「お前、何を言っている。ヴィエナは……」
「なら、義兄殿は、“悪魔憑き”の“魔女”でも良いという相手に心当たりは?」
呆然とするオーウェンに、ミーケルは首を傾げて返答を促す。
このままオーウェンとミーケルを放っておいてはいけない。ヴィエナはおたおたとしつつも何か言葉をと、口を開こうとした。
「しさい、さ……」
けれど、ミーケルはヴィエナの顔を身体に押し付けて言葉を遮り、「君は黙って」と鋭く囁く。
「お前は、何を言ってるんだ。ヴィエナを第二夫人? 冗談は休み休み言え」
「良いじゃない。悪いようにはしないんだ。
ああ、もしかして、ヴィーのことかな? ヴィーなら心配ないよ。ちゃんと第一夫人として大切にするし、ヴィーも絶対納得してくれるから」
「そうではない! お前は、ヴィエナの弱みに漬け込もうとでもいう気か!」
「そう見える?」
またミーケルはくつくつと笑う。
「でもさ、“魔女”ならともかく、元“悪魔憑き”じゃ、第二夫人でもしかたないんじゃないかな。貰ってくれるだけでありがたいものだろう? それに、僕のところに来れば、義兄殿も安心して今後を見守れるはずだ」
「――貴様は!」
足を踏み鳴らして、オーウェンはとうとうミーケルへと詰め寄った。襟元を掴み上げ、ギリギリと奥歯を軋ませ……しばし睨み付けた後、固く握り締めた右の拳を思い切り振り抜く。
堪らず倒れこんだミーケルの腕からヴィエナを奪い返すと、「行くぞ」と引き摺るように、振り向きもせず部屋を出て行った。
一連の出来事を後ろから見ているだけだったアライトは、視線だけでちらりとオーウェンを見送る。
「よお、兄さん。顎は大丈夫か?」
「……痛い。思いっきり殴りやがって、僕じゃ治し切れなかったらどうするんだ。顎もガタガタだし、顔は商売道具なのに」
「そんだけ喋れれば、顎は折れてねえな」
「折れてようがなかろうが、痛いものはものすごく痛いんだよ」
ぷっ、と笑いながらアライトは、顔を顰めてむっくりと起き上がるミーケルへと手を差し出した。
その手を借りて身体を起こすと、ミーケルはすぐにもごもごと最低限の治癒の呪文を唱えた。たちまち、どうしようもない痛みだけは引いていく。
だが、触るとやっぱり痛いし、熱も持っているようだ。きっと大きな痣は残っているだろう。部屋に戻ったら癒しの魔法薬も飲まなきゃいけない。
「それにしても、ミーケル。あんた、よくもまあ、あんなデタラメばっかぽんぽん出てくるよな」
「デタラメ?」
「側室何人もとか、あれ、嘘だろ。“唯一”を決めた青銅竜の末裔が、他に目移りするわけあるかよ」
呆れた顔のアライトに、ミーケルも苦笑を浮かべた。
「まあね。うち、王族のくせに側室も愛人もぜんっぜん無かったからなあ。周辺の親族も、調べたら血の濃いとこはそんなんばっかりだったしさ」
「だよなあ。司祭の兄さんは頭に血が上り過ぎて、そんなこと全然思いつかなかったみたいだけど」
「そうそう。ヴィーのことより先にヴィエナのことが出てくるくせに。鈍感すぎて、本当、面倒臭い。あれで歳は僕のひとつ上なんだから、驚きだ」
ヴィエナの選択は別なものみたいだし、オーウェンが本当に“賭け”に勝てるほどの愛情をヴィエナに対して持つのかもわからない。
これ以上、自分が口を挟んでもしかたないだろう。
「そもそもの話、この先は心配してもしなくても、義兄殿が今後、僕にヴィエナを近付けることは無いだろうね」
「あんた、そこまで考えてのアレか」
「だって、どう考えても面倒に巻き込まれそうだったからね。本当、“愛とはかくも我儘で度し難いものである”って、よく言ったものだよ」
いてて、と顔を顰めながら、ミーケルは肩を竦めた。
だがやはりヴィエナだけでは何も思いつかない。
かといって、オーウェンにこんなこと相談はできない。“賭け”がどんなものかを話してしまうことなんて、できない。
じゃあ、誰に知恵を借りれば……と、ヴィエナは考えた。
「イヴリンさん、あの」
「なあに?」
刺繍の道具を手に持ったまま、ヴィエナはちらりと外を見た。
今日、オーウェンはたいした仕事がないからと、鍛錬代わりにアライトと剣を合わせている。部屋へは当分戻って来ない。
「ミーケルさんに、聞きたいことがあって……お話が、したいんです」
「ミーケルに?」
ヴィエナはこくんと頷く。
「司祭様には内緒で」
イヴリンは微かに眉を寄せて、しばし考える。ヴィエナのようすから考えるに、彼女の抱えている事情からなんだろう。
ミーケルには、オーウェンも何度か相談に訪れていたのだから。
「わかった、呼んでくるわ。少し待っててちょうだい」
イヴリンは刺繍道具をテーブルの片隅に寄せると、すぐに部屋を出て行った。
「で、僕に聞きたいことって?」
さほど待たされることもなく、入れ替わりにミーケルが現れた。
多少ラフではあるが、以前何度か会った時のようなだらしの無い格好ではなくて、ヴィエナは少し驚いた。
「あの、ミーケルさんは、すごい詩人なんですよね」
「まあね、否定はしない。で、それがどうかした?」
「あの……悪魔を出し抜く方法が、知りたいんです」
ミーケルの眉が跳ね上がる。長椅子に座ろうとしたままの姿勢でしばしの間ヴィエナをじっと見つめて、それから少し乱暴にどかりと腰を下ろした。
そのまま、またヴィエナを伺うように、値踏みするかのように見つめて「ふうん」と口の端だけで笑みを作る。
「君、自分に憑いてる悪魔がどんな奴か知ってて、聞いてる?」
「よく、知らないです」
しおしおと眉尻の下がったヴィエナに、ミーケルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「九層地獄界の第八層を統べ、魔術と炎を司る悪魔大公。
さらには、今や神となった悪魔王の右腕とも言われるほどの力を持ち……かの悪魔に対抗できるのは、もはや神のみではないか、と言う者もいる」
立て板に水のようなミーケルの言葉に、ヴィエナは大きく瞠目する。
それに……神のみ?
そんなとんでもない悪魔が相手?
「そもそも君は、自分が“賭け”に勝つための条件を知ってるのかな?」
ヴィエナは小さく頷いた。
「ふうん。でも、義兄殿は知らない、と」
ヴィエナはまた小さく頷いた。
「それで、わざわざこっそりそんなことを尋ねに来てるってことは、正面から勝とうとは思ってないってことか」
「だって、司祭様が、オーウェン様が、まんいち悪魔の怒りや恨みを買ってしまったら、私……」
「あの義兄殿なら、そんなこと気にしないんじゃない?」
「わ、わかってます。でも……」
は、とひとつ息を漏らして、ミーケルは呆れたように目を眇めた。
「──“愛とはかくも我儘で度し難いものである”、とはよく言ったものだ」
「え? 何を……」
「僕としては、おとなしく正攻法で賭けに勝つほうがよほど簡単だし、理に適ってると思うけどね……あの義兄殿が相手だとしても、さ」
ミーケルにじろりと見られて、ヴィエナは喉を鳴らす。何かを探られているようにも感じて落ち着かない。
「悪魔を出し抜くには、少しばかり相手が悪すぎる。さらに言えば、出し抜かないまでも悪魔の印をどうにかするだけなら、幾つか方法もある。けれどこれにしたって付けた悪魔が悪魔だ、並の方法では手が出ない」
ヴィエナはこくりと頷く。そのくらいなら、あの山羊髭の悪魔と顔を合わせた時に、既に覚悟している。
「どこの……そうだね、たとえ、悪魔に対してならいちばんの力を誇る、騎士と正義の神の教会の教皇でも無理だろう。たとえ、神に愛され、最高の神術である“奇跡”の行使を許されたほどの者であっても、おそらく力は足りない。
できるとしたら印をつけた悪魔本人か、天の者だけだ」
「それじゃ……」
「だから、まず君は、十天国界へ次元転移ができるほどに高位の魔術師か司祭を探さなければいけない」
「次元、転移?」
「そう。この世界に天の者がいるかどうか、定かじゃないからね」
「天の者……」
思わず目を見開いて、ミーケルの顔を見返す。天の者、ともういちど繰り返すヴィエナに、ミーケルは頷いてみせた。
「神々のおわす十天国界になら、確実にかの悪魔に対抗するのに十分な、高位の天の者がいるだろう。だから十天国界に行って、直接、自分と悪魔との縁を切り離してくれと交渉するんだ」
「そんな……」
それじゃ、以前会った天人の言うような方法しかないということだろうか。
彼は、確か、十天国界の聖水の海に漬けて退魔を繰り返せば印を剥がせるだろうと言っていた。
けれど。
「だから、言っただろう? 正攻法のほうがよっぽど簡単だって。それに、君にそんな伝手があったら、とっくの昔に君は悪魔から解放されてるさ」
ヴィエナは、ぐ、と唇を噛む。
このままじゃ、きっと賭けには勝てず、それでも、オーウェンはどうにか悪魔を退けようとして無茶をするだろう。
すべて、“護ると誓った責任感”から。
ヴィエナが黙り込んでしまうと、ミーケルは小さく溜息を吐いた。
「――あの義兄殿は、ヴィーが騎士として独り立ちできるようになっても甘やかすのを止めない、とんでもないクソ兄貴だったんだよ。
喜んで甘えるヴィーもヴィーだけどさ」
突然、何を言い出したのかと呆気にとられて顔を上げたヴィエナに、ミーケルはやれやれと肩を竦めてみせる。
「それが、君を預かるようになってから、君の優先度のほうが上がってる。ようやく妹から卒業できたってところなんだろうけど……あの義兄殿に、妹以外に率先して護りたいと思う相手ができたってだけで上等だ。
そうはいっても、そっちの感情が年齢に追い付いてないのがアレだし、確かに、君が時間に押されて焦る気持ちはわかるよ」
「オーウェン様は」
「ん?」
勢い込んでそこまで言って、ヴィエナはまた黙ってしまう。止まった言葉を促すように、ミーケルが見つめる。
「――オーウェン様は、このことが終わったら、私を養子にして、いいところにお嫁に出してあげるからって。だから」
「義兄殿、そんなこと言ったんだ。正義神の聖騎士も真っ青な固さだね」
は、と呆れに吐息を漏らし、ミーケルは視線を巡らせて……いきなり扉を振り向くと、急に席を立った。つい、釣られて扉に目をやるヴィエナの横へ来て、同じように立ち上がらせる。
「あの、ミーケルさん?」
なんだか寄り添っているようで、妙に距離が狭い気がして、首を傾げる。そんなヴィエナに、ミーケルは楽しそうににいっと笑いかけて抱き寄せる。
「あの、ミーケルさん、何を」
「ちょっとの間だけだから、試してみよう」
「試すって、何を?」
「何だろうね」
くつくつと笑い続けるミーケルに抱き竦められ、耳元で囁かれてヴィエナはますます慌ててしまう。
この人は、オーウェンの妹の旦那さんではなかったのか。
振りほどきたいのに、がっちりと抑え込まれてもぞもぞと身じろぎすることしかできない。いったいどうしたらいいのか。ヴィエナが必死に身体を動かしていると、「しばらくこのまま、じっとしてて」とさらにしっかりと抱き込まれてしまった。
そこへ、ノックの音とヴィエナを呼ぶ声とともに、ガチャリと扉が開く。
「ヴィエナ、どう……ミーケル? 来て……いや、お前、何をしている?」
すうっとオーウェンの目が眇められた。
その後ろでは、アライトが「おいおい」と呆れたように呟いた。
「ミーケル、答えろ。ヴィエナに何をしている」
「いや別に。そろそろこの子も大人のあれこれを知らなきゃいけない歳だろうって、それだけだよ」
オーウェンの眉間にくっきりと皺が寄るのを見て、ヴィエナはますます慌てた。ミーケルの腕にさらに力がこもり、あえなく抑えられてしまったが。
「何を……手を離せ」
「どうしてさ? ああ、あれこれ収まったあとの、この子の処遇が心配? だったら、このままうちに第二夫人として来てもらうのもやぶさかじゃないよ」
「第二夫人、だと?」
思っても見なかったことを言われて、オーウェンが驚きに目を瞠った。
ミーケルはただ笑うだけだ。どことなく、嘲るようにも見える表情すら浮かべて、笑っていた。
「そ。義兄殿も僕の出自は知ってるだろう? 慣習的に、うちの直系は皆、数人程度の側室を抱えてきてるからね。ヴィーの他にもうひとりくらいならなんとかなる収入もあるし、僕のほうにも問題はないよ。もちろん、不自由しない暮らしだって約束してあげる」
「お前、何を言っている。ヴィエナは……」
「なら、義兄殿は、“悪魔憑き”の“魔女”でも良いという相手に心当たりは?」
呆然とするオーウェンに、ミーケルは首を傾げて返答を促す。
このままオーウェンとミーケルを放っておいてはいけない。ヴィエナはおたおたとしつつも何か言葉をと、口を開こうとした。
「しさい、さ……」
けれど、ミーケルはヴィエナの顔を身体に押し付けて言葉を遮り、「君は黙って」と鋭く囁く。
「お前は、何を言ってるんだ。ヴィエナを第二夫人? 冗談は休み休み言え」
「良いじゃない。悪いようにはしないんだ。
ああ、もしかして、ヴィーのことかな? ヴィーなら心配ないよ。ちゃんと第一夫人として大切にするし、ヴィーも絶対納得してくれるから」
「そうではない! お前は、ヴィエナの弱みに漬け込もうとでもいう気か!」
「そう見える?」
またミーケルはくつくつと笑う。
「でもさ、“魔女”ならともかく、元“悪魔憑き”じゃ、第二夫人でもしかたないんじゃないかな。貰ってくれるだけでありがたいものだろう? それに、僕のところに来れば、義兄殿も安心して今後を見守れるはずだ」
「――貴様は!」
足を踏み鳴らして、オーウェンはとうとうミーケルへと詰め寄った。襟元を掴み上げ、ギリギリと奥歯を軋ませ……しばし睨み付けた後、固く握り締めた右の拳を思い切り振り抜く。
堪らず倒れこんだミーケルの腕からヴィエナを奪い返すと、「行くぞ」と引き摺るように、振り向きもせず部屋を出て行った。
一連の出来事を後ろから見ているだけだったアライトは、視線だけでちらりとオーウェンを見送る。
「よお、兄さん。顎は大丈夫か?」
「……痛い。思いっきり殴りやがって、僕じゃ治し切れなかったらどうするんだ。顎もガタガタだし、顔は商売道具なのに」
「そんだけ喋れれば、顎は折れてねえな」
「折れてようがなかろうが、痛いものはものすごく痛いんだよ」
ぷっ、と笑いながらアライトは、顔を顰めてむっくりと起き上がるミーケルへと手を差し出した。
その手を借りて身体を起こすと、ミーケルはすぐにもごもごと最低限の治癒の呪文を唱えた。たちまち、どうしようもない痛みだけは引いていく。
だが、触るとやっぱり痛いし、熱も持っているようだ。きっと大きな痣は残っているだろう。部屋に戻ったら癒しの魔法薬も飲まなきゃいけない。
「それにしても、ミーケル。あんた、よくもまあ、あんなデタラメばっかぽんぽん出てくるよな」
「デタラメ?」
「側室何人もとか、あれ、嘘だろ。“唯一”を決めた青銅竜の末裔が、他に目移りするわけあるかよ」
呆れた顔のアライトに、ミーケルも苦笑を浮かべた。
「まあね。うち、王族のくせに側室も愛人もぜんっぜん無かったからなあ。周辺の親族も、調べたら血の濃いとこはそんなんばっかりだったしさ」
「だよなあ。司祭の兄さんは頭に血が上り過ぎて、そんなこと全然思いつかなかったみたいだけど」
「そうそう。ヴィーのことより先にヴィエナのことが出てくるくせに。鈍感すぎて、本当、面倒臭い。あれで歳は僕のひとつ上なんだから、驚きだ」
ヴィエナの選択は別なものみたいだし、オーウェンが本当に“賭け”に勝てるほどの愛情をヴィエナに対して持つのかもわからない。
これ以上、自分が口を挟んでもしかたないだろう。
「そもそもの話、この先は心配してもしなくても、義兄殿が今後、僕にヴィエナを近付けることは無いだろうね」
「あんた、そこまで考えてのアレか」
「だって、どう考えても面倒に巻き込まれそうだったからね。本当、“愛とはかくも我儘で度し難いものである”って、よく言ったものだよ」
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