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天上の青持つ最愛の君
03.格好いい男に
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毎日いっしょに屋敷の周りを走り、毎日いっしょに剣を振るった。
ヴィエナさんのいうとおり、マデラインの見た目はヴィエナさんによく似ているのに、中身はオーウェン司祭のように勇敢で、男勝りのお転婆で……ぼくはいつもマデラインに負かされてばかりだった。
負けるのは少し悔しいけれど、マデラインが喜ぶ姿はきれいでかわいくて、そのようすを見られるのはうれしかった。
オーウェン司祭からは「もう少し勝利に貪欲になれ」と言われたけれど、ぼくはマデラインに勝てなくても構わなかった。
それに、たぶん、ぼくはあまり剣に向いてないのだとも思った。
* * *
「私ね、都に行こうと思うの」
「ディー、ほんとうに?」
マデラインが十四になる年の冬、三つ上の彼女の従兄がひさしぶりに町に帰って来た。
彼はこの前の春に、都の戦神教会の騎士隊でようやく騎士になったのだという。騎士隊の話やあちらにいる聖騎士の叔父のこと、春先のハーピィ討伐のことなどいろいろな話を、マデラインやぼくにしてくれた。
マデラインはきらきらと目を輝かせ、彼の話に聞き入っていた。きっと、夢中で話を聞くうちに自分も都で騎士になりたいと思ったんだろう。
「ほんとうよ。お父さんに頼むつもり。
叔父さんとお爺ちゃんを通して、都の教会の騎士隊に見習いで入れるようにお願いするの。叔母さんも、以前、教会の騎士隊の一員だったっていうし、だから、私も都で騎士隊の騎士になりたい」
「そんな……」
きらきら明るく笑うマデラインを前に、ぼくの気持ちは沈む。
――これまで、マデラインとずっといっしょに剣を学んできて、ぼくは剣の使い手としての自分にそろそろ限界を感じていた。ぼくは十六になった今でも、ふたつ下の女の子であるマデラインを相手にすんなり勝つことができないのだ。
小さな子供のうちなら、体格や体力の男女差なんて気にならなかった。むしろ女の子のほうが有利なくらいだったから。けれど、今はぼくのほうが背も伸びて、手も足も長くなって、体格的には有利なはずなのだ。
これまで鍛えてきたおかげで、ある程度の力と体力はついているだろう。けれど、ぼくは性差が現れる歳になった今も、マデラインには敵わない。
彼女の従兄に比べるとひと回りは細い自分の身体に、小さく溜息を吐く。
つまり、ぼくには、彼女の従兄やオーウェン司祭のような剣の使い手になれないということなのだ。
「エイン?」
ぼくは黙ってマデラインを抱き締めた。
「エイン、どうしたの?」
ぼくに、マデラインをここへ引き留める権利なんてない。
「ううん。うまく都の騎士隊に入って、立派な騎士になれるといいね」
「エインは? いっしょに騎士にならないの?」
言外に、当然、ぼくも騎士になるんだろうと尋ねられているようで、思わず苦笑が浮かんでしまう。
「ぼくに騎士は無理だよ」
「どうして?」
「それに、ぼくは猛きものを敬ってはいるけど、信仰してるわけじゃない。教会の騎士隊には入れないよ」
「でも……」
マデラインが不安そうにぼくを見る。
そんな表情をすることが、少しだけうれしい。
うれしい、けど。
「騎士になるのはマデラインの夢なんだろう? ぼくのことは気にしないで」
「エインは、騎士になりたくないの?」
マデラインの天上の青にじっと見つめられて、ぼくはたぶん、今、すごく困った表情を浮かべているんだろう。
マデラインは、ぼくがどうして急にそんなことを言い出し始めたのかと、縋り付くように言いつのる。
「ごめん、ディー。ぼくは剣に対してディーほど一生懸命じゃないんだ。それに、ぼくはそもそもディーに勝てない程度の腕なんだよ? だから、そんなぼくが教会の騎士隊に入るなんてできないよ」
「でも、ずっといっしょにお父さんの訓練を受けてきたじゃない。だったら、都にもいっしょに行って、教会でいっしょにがんばれば――」
どこか必死に、マデラインはぼくを見つめるマデラインの青が、少し曇ってしまった。けれど、それでも十分に鮮やかできれいな天上の青だ。
「ディー、剣を使わないぼくは、やっぱり格好悪いかな」
「そんなこと! だって」
「あのね、ディー」
ぼくは小さく微笑んで、ディーの額に口付ける。
「ぼくには、君の従兄のような騎士になんてなれないよ」
「私、エインも騎士になりたいから、ここに……父さんのところに、剣を習いに来たんだと思ってたのに」
マデラインの青が揺れる。
「だから、きっと騎士隊に行ってもいっしょだって思ってて……」
「ねえ、ディー。ディーは、ぼくが行かないでくれって言ったら、騎士になるのを諦められる?」
「私……」
「諦められないだろう?」
言い淀むマデラインに、つい、くすりと笑ってしまう。
「なら、ディーは都の騎士隊に行ったほうがいいよ。ぼくは君がどこにいても、何をしていても、君のことが大好きだ。
騎士になった君は、きっととてもすてきで格好いいだろうね」
不意に、マデラインがぼくに抱きついた。
ぎゅうっと腕にいっぱいの力を込めて。
「ねえ、エインは私が騎士に憧れてるから、剣を習ってたの? エインは、ほんとうは剣なんて嫌いだった?」
「そんなことはないよ」
ぼくが、ほんとうは不本意なのに剣を続けていたのか、なんて考えてしまったのだろうか。
マデラインはとても不安そうにぼくを見る。
「たしかに、君が剣を習うと聞いて、ぼくもって考えたのはほんとうだ。でも、それだけじゃない。剣を習ってよかったと思ってる。ほんとうだよ」
ゆっくりと手を伸ばして、マデラインの頰に触れる。こぼれた涙を拭って、その頰に軽くキスをする。
マデラインはまだ十四だ。何年も都で暮らして騎士になれば、ぼくのことなんて忘れてしまうだろう。
でもマデラインがよければ、それでもいいんじゃないだろうか。
「ディー。ぼくはほんとうに君が大好きで、いつか君の恋人になりたかった」
「エイン!」
「都に行けば、きっと、強くて格好いい騎士がたくさんいる。ディーは騎士が好きだろう? だから、ぼくがいなくても、きっと大丈夫だよ」
「エイン……まさか、どこかに行っちゃうの?」
「どこにも行かないよ」
抱き付くというよりも、しがみ付いてくるマデラインは、ぼくが急に離れるようなことを言ったから、驚いて慌てているだけなんだろう。
ぼくはゆっくりとマデラインの背を撫でる。
「――ディー、ひとつだけ、お願いを聞いてくれないかな」
「エイン?」
「君の唇に、キスさせてほしい」
マデラインは驚いたように顔を上げて、それから小さく頷いた。
ぼくは笑むように目を細める。そっと頰を撫でると、マデラインがきょときょとと視線を動かし、軽く目を伏せた。
マデラインの、淡い金の髪よりもほんのり濃い色の睫毛はとても長くて、天上の青を鮮やかで、とても柔らかい色に見せていた。
ぼくはゆっくりと顔を近づける。
ぼくの唇でマデラインの唇に触れると、暖かくて、ふんわりと柔らかくて、漏れる吐息に擽られるようだった。
ずっとこのままでいられたらいいのに。
ぼくはしっかりと唇を合わせ、それから、またゆっくりと離れた。
「ありがとう」
頰を擦り合わせるように抱き締めて、ぼくはマデラインに微笑む。
マデラインはじっとぼくの顔を見つめている。
「エイン、あのね」
「なに?」
「私も、エインの角、触ってみたい」
「ぼくの、角?」
「ひとの角に、むやみに触っちゃいけないことなら知ってるわ。でも、エインの角に、触ってみたいの」
悪魔混じりの角や尾は、弱点だとも言われてる。だから、滅多なことで他人には触れさせないものなのだと。
「うん、いいよ」
けれど、マデラインならいい。マデラインになら、触ってほしい。
傾けたぼくの頭にマデラインの手が伸びて、そっと角に触れる。
角の表面のざらざらを確かめるように、マデラインの指がぼくの角を辿り……お腹の底が落ち着かなくなるような変な気持ちが湧き上がる。
「あんまり冷たくないのね。思っていたよりもずっと、柔らかい感じがするの。エインの角だからかな」
落ち着かなくなって、ああ、だから角と尾はむやみに他人に触らせてはいけないのか、と思う。
落ち着かなくても、触れているのがマデラインなら、嫌な感じはしない。むしろ、もっともっとぼくに触れてほしい。
ぼくはもういちどマデラインを抱き締めた。
「少し迷ってたんだけど、踏ん切りがついた。明日にでもオーウェン司祭と話をするよ。ぼくは塔に戻るからって」
「もう、お父さんに話しちゃうの?」
「うん。ぐずぐず迷ってたら、ディーを困らせることになりそうだしね」
また、くしゃっとマデラインの顔が歪む。
「大丈夫だよ。君なら絶対きれいで格好いい騎士になれるから。
それに、ぼくはいなくなるわけじゃなくて、塔に戻るだけだよ。君がこの町に戻ってきたら、いつでも会える」
翌日、オーウェン司祭と話をすると少し残念そうな顔をされた。
「そうか……私は、エインが自分が考えているほど不向きでもないと思っていたのだがな。しかしお前がよくよく考えてのことなら、引留めはすまい。
ただ、お前が来たくなったら、いつでもここにおいで」
「はい」
マデラインは、次の春、ぼくが塔に戻った少し後、都に向かって出発した。
* * *
塔に戻ってしばらく、ぼくはいろんなことにやる気が起こらないまま、ただぼんやりと過ごしていた。
そんなぼくにとうとう呆れたのか、母が部屋を訪れた。
「エイン? いつまで腑抜けているつもりなのかしら、私の息子が」
「母さん」
くすりと笑った母は、ぼくの横に少し乱暴にどすんと座る。
「ダーリンは放っておくつもりみたいだけど、私は鬱陶しいのは嫌いなの」
「ぼく、鬱陶しいかな」
「ええ、とっても。カビが生えてきそうなくらい、じっとりしてて鬱陶しいわ。それでも私とダーリンの息子なのかしらって呆れて言葉もないくらい」
思わず振り返るぼくの顔を、母が笑いながらピタピタと手のひらで叩いた。
「エインは優しい子だけど、優しさと卑屈さを履き違えるのは良くないわね」
「え、母さん?」
「愛は本来とってもわがままなものなのに、あなたはそれを押し潰して無いものにしようとしてるでしょう?」
「そんなこと、ないと思うんだけど」
おずおずと見返すぼくに、母がふっと笑った。
笑って、小さく首を傾げる。
「それで、エインはこれからどうするつもりかしら?」
「どうする……」
「あの子から離れて、あなたはどうしたいの?」
尋ねられて、考えて、でも、何も浮かばない。
「……わからない」
「そう」
母はぐいっとぼくの頭を引き寄せ、抱き込んだ。そのまま、よしよしと、まるで小さな子供にするように頭を撫でる。
しばらく撫で続けて、それからおもむろに、母が「そうねえ」と呟いた。
「あなたがここできれいに切り替えられないのは、しかたがないことなのよ」
「母さん?」
「だって、あなたはもうずっとあの子のことを思っていたくせに、やり切ってないでしょう?」
「やり切って?」
「そうよ」
母が頷く。
「エインはやり切る前に諦めてしまったじゃない」
「そんな、諦めたつもりなんて」
「あら、わかってないのね。あなたは見事なくらいに諦めて、ここへ逃げ帰って来たっていうのに」
反射的に、違う、と顔を上げたぼくに、ふっと母が笑う。まったく、しかたのない子だと言いたげな顔で。
「ぼくは、ただ……」
「ただ、あの子のためを思って? 違うでしょう」
またよしよしと撫でられる。
まるで、剣を習いに行く前のまだ小さかった頃みたいに。
「あの子は騎士に憧れてて、けれど、エインは騎士にはなれない。だから、失望される前に身を引いた。
そんなところかしら。まったく、臆病なんだから」
ぐ、と黙り込むぼくを、母は撫で続ける。
「ほんとうにしかたない子だわ」
溜息を漏らして、ぼくの頭をきゅっと抱き締める。
「――今度は、私がひと肌脱ぐ番なのかもしれないわね」
「え?」
いったい何をと顔を上げるぼくを制して、母の表情が真剣なものに変わった。
「エイン、あなたが魔術師になる気があるなら、私は都の魔術士学院にある伝手を使いましょう。そうすれば、あなたは都の学院で魔術を学ぶ学生になれる」
ぽかんとするぼくの顔を、母が覗き込む。
「でも、剣が駄目だから魔術師って、少し安易なんじゃ……」
「あら、安易な方向転換の何が悪いの? あなたは、既に私から基礎を叩き込まれてるのよ。たとえ見習いの見習い程度でも魔術を学ぶ素地ができてるっていうのに、魔術師を目指したら悪いなんて誰が言うのかしら?
……それに、戦神教会は学院や協会と協力関係にあるの。うまくいけば、騎士隊のあの子と共同の任務に携わることもできるわね」
「母さん?」
「エイン。カーリス家は代々猛きものに縁深い家で、呆れるくらい脳筋で、愛ですら勝ち取るものだっていうのよ」
母はいったい何を言おうとしているのか。
意図するところがわからなくて、ぼくはただぽかんと聞いているだけだ。
「愛が戦いだというのはあながち間違いではないけど、相手は戦神教会よ。一筋縄じゃいかないわ。あの子もああ見えてカーリスの血筋だもの、推して知るべしね。いちど逃げたあなたには、相当ながんばりが必要よ」
ごくり、と喉がなる。
「ねえ、エイン。“格好いい”というのは、何も剣の腕の良し悪しだけで決まるものじゃないわ。騎士だけが格好いいなんて、誰が決めたのかしら?
考えてみなさいよ。ダーリンは騎士じゃないけど格好いいでしょう?
愛は麗しきお方の司るもの。あなたには愛の女神の祝福と加護がついてるのよ。カーリス家が勝ち取れって言うなら、勝ち取ってやればいいわ。
いい、エイン。騎士であろうとなかろうと、格好いい男になりなさい」
ヴィエナさんのいうとおり、マデラインの見た目はヴィエナさんによく似ているのに、中身はオーウェン司祭のように勇敢で、男勝りのお転婆で……ぼくはいつもマデラインに負かされてばかりだった。
負けるのは少し悔しいけれど、マデラインが喜ぶ姿はきれいでかわいくて、そのようすを見られるのはうれしかった。
オーウェン司祭からは「もう少し勝利に貪欲になれ」と言われたけれど、ぼくはマデラインに勝てなくても構わなかった。
それに、たぶん、ぼくはあまり剣に向いてないのだとも思った。
* * *
「私ね、都に行こうと思うの」
「ディー、ほんとうに?」
マデラインが十四になる年の冬、三つ上の彼女の従兄がひさしぶりに町に帰って来た。
彼はこの前の春に、都の戦神教会の騎士隊でようやく騎士になったのだという。騎士隊の話やあちらにいる聖騎士の叔父のこと、春先のハーピィ討伐のことなどいろいろな話を、マデラインやぼくにしてくれた。
マデラインはきらきらと目を輝かせ、彼の話に聞き入っていた。きっと、夢中で話を聞くうちに自分も都で騎士になりたいと思ったんだろう。
「ほんとうよ。お父さんに頼むつもり。
叔父さんとお爺ちゃんを通して、都の教会の騎士隊に見習いで入れるようにお願いするの。叔母さんも、以前、教会の騎士隊の一員だったっていうし、だから、私も都で騎士隊の騎士になりたい」
「そんな……」
きらきら明るく笑うマデラインを前に、ぼくの気持ちは沈む。
――これまで、マデラインとずっといっしょに剣を学んできて、ぼくは剣の使い手としての自分にそろそろ限界を感じていた。ぼくは十六になった今でも、ふたつ下の女の子であるマデラインを相手にすんなり勝つことができないのだ。
小さな子供のうちなら、体格や体力の男女差なんて気にならなかった。むしろ女の子のほうが有利なくらいだったから。けれど、今はぼくのほうが背も伸びて、手も足も長くなって、体格的には有利なはずなのだ。
これまで鍛えてきたおかげで、ある程度の力と体力はついているだろう。けれど、ぼくは性差が現れる歳になった今も、マデラインには敵わない。
彼女の従兄に比べるとひと回りは細い自分の身体に、小さく溜息を吐く。
つまり、ぼくには、彼女の従兄やオーウェン司祭のような剣の使い手になれないということなのだ。
「エイン?」
ぼくは黙ってマデラインを抱き締めた。
「エイン、どうしたの?」
ぼくに、マデラインをここへ引き留める権利なんてない。
「ううん。うまく都の騎士隊に入って、立派な騎士になれるといいね」
「エインは? いっしょに騎士にならないの?」
言外に、当然、ぼくも騎士になるんだろうと尋ねられているようで、思わず苦笑が浮かんでしまう。
「ぼくに騎士は無理だよ」
「どうして?」
「それに、ぼくは猛きものを敬ってはいるけど、信仰してるわけじゃない。教会の騎士隊には入れないよ」
「でも……」
マデラインが不安そうにぼくを見る。
そんな表情をすることが、少しだけうれしい。
うれしい、けど。
「騎士になるのはマデラインの夢なんだろう? ぼくのことは気にしないで」
「エインは、騎士になりたくないの?」
マデラインの天上の青にじっと見つめられて、ぼくはたぶん、今、すごく困った表情を浮かべているんだろう。
マデラインは、ぼくがどうして急にそんなことを言い出し始めたのかと、縋り付くように言いつのる。
「ごめん、ディー。ぼくは剣に対してディーほど一生懸命じゃないんだ。それに、ぼくはそもそもディーに勝てない程度の腕なんだよ? だから、そんなぼくが教会の騎士隊に入るなんてできないよ」
「でも、ずっといっしょにお父さんの訓練を受けてきたじゃない。だったら、都にもいっしょに行って、教会でいっしょにがんばれば――」
どこか必死に、マデラインはぼくを見つめるマデラインの青が、少し曇ってしまった。けれど、それでも十分に鮮やかできれいな天上の青だ。
「ディー、剣を使わないぼくは、やっぱり格好悪いかな」
「そんなこと! だって」
「あのね、ディー」
ぼくは小さく微笑んで、ディーの額に口付ける。
「ぼくには、君の従兄のような騎士になんてなれないよ」
「私、エインも騎士になりたいから、ここに……父さんのところに、剣を習いに来たんだと思ってたのに」
マデラインの青が揺れる。
「だから、きっと騎士隊に行ってもいっしょだって思ってて……」
「ねえ、ディー。ディーは、ぼくが行かないでくれって言ったら、騎士になるのを諦められる?」
「私……」
「諦められないだろう?」
言い淀むマデラインに、つい、くすりと笑ってしまう。
「なら、ディーは都の騎士隊に行ったほうがいいよ。ぼくは君がどこにいても、何をしていても、君のことが大好きだ。
騎士になった君は、きっととてもすてきで格好いいだろうね」
不意に、マデラインがぼくに抱きついた。
ぎゅうっと腕にいっぱいの力を込めて。
「ねえ、エインは私が騎士に憧れてるから、剣を習ってたの? エインは、ほんとうは剣なんて嫌いだった?」
「そんなことはないよ」
ぼくが、ほんとうは不本意なのに剣を続けていたのか、なんて考えてしまったのだろうか。
マデラインはとても不安そうにぼくを見る。
「たしかに、君が剣を習うと聞いて、ぼくもって考えたのはほんとうだ。でも、それだけじゃない。剣を習ってよかったと思ってる。ほんとうだよ」
ゆっくりと手を伸ばして、マデラインの頰に触れる。こぼれた涙を拭って、その頰に軽くキスをする。
マデラインはまだ十四だ。何年も都で暮らして騎士になれば、ぼくのことなんて忘れてしまうだろう。
でもマデラインがよければ、それでもいいんじゃないだろうか。
「ディー。ぼくはほんとうに君が大好きで、いつか君の恋人になりたかった」
「エイン!」
「都に行けば、きっと、強くて格好いい騎士がたくさんいる。ディーは騎士が好きだろう? だから、ぼくがいなくても、きっと大丈夫だよ」
「エイン……まさか、どこかに行っちゃうの?」
「どこにも行かないよ」
抱き付くというよりも、しがみ付いてくるマデラインは、ぼくが急に離れるようなことを言ったから、驚いて慌てているだけなんだろう。
ぼくはゆっくりとマデラインの背を撫でる。
「――ディー、ひとつだけ、お願いを聞いてくれないかな」
「エイン?」
「君の唇に、キスさせてほしい」
マデラインは驚いたように顔を上げて、それから小さく頷いた。
ぼくは笑むように目を細める。そっと頰を撫でると、マデラインがきょときょとと視線を動かし、軽く目を伏せた。
マデラインの、淡い金の髪よりもほんのり濃い色の睫毛はとても長くて、天上の青を鮮やかで、とても柔らかい色に見せていた。
ぼくはゆっくりと顔を近づける。
ぼくの唇でマデラインの唇に触れると、暖かくて、ふんわりと柔らかくて、漏れる吐息に擽られるようだった。
ずっとこのままでいられたらいいのに。
ぼくはしっかりと唇を合わせ、それから、またゆっくりと離れた。
「ありがとう」
頰を擦り合わせるように抱き締めて、ぼくはマデラインに微笑む。
マデラインはじっとぼくの顔を見つめている。
「エイン、あのね」
「なに?」
「私も、エインの角、触ってみたい」
「ぼくの、角?」
「ひとの角に、むやみに触っちゃいけないことなら知ってるわ。でも、エインの角に、触ってみたいの」
悪魔混じりの角や尾は、弱点だとも言われてる。だから、滅多なことで他人には触れさせないものなのだと。
「うん、いいよ」
けれど、マデラインならいい。マデラインになら、触ってほしい。
傾けたぼくの頭にマデラインの手が伸びて、そっと角に触れる。
角の表面のざらざらを確かめるように、マデラインの指がぼくの角を辿り……お腹の底が落ち着かなくなるような変な気持ちが湧き上がる。
「あんまり冷たくないのね。思っていたよりもずっと、柔らかい感じがするの。エインの角だからかな」
落ち着かなくなって、ああ、だから角と尾はむやみに他人に触らせてはいけないのか、と思う。
落ち着かなくても、触れているのがマデラインなら、嫌な感じはしない。むしろ、もっともっとぼくに触れてほしい。
ぼくはもういちどマデラインを抱き締めた。
「少し迷ってたんだけど、踏ん切りがついた。明日にでもオーウェン司祭と話をするよ。ぼくは塔に戻るからって」
「もう、お父さんに話しちゃうの?」
「うん。ぐずぐず迷ってたら、ディーを困らせることになりそうだしね」
また、くしゃっとマデラインの顔が歪む。
「大丈夫だよ。君なら絶対きれいで格好いい騎士になれるから。
それに、ぼくはいなくなるわけじゃなくて、塔に戻るだけだよ。君がこの町に戻ってきたら、いつでも会える」
翌日、オーウェン司祭と話をすると少し残念そうな顔をされた。
「そうか……私は、エインが自分が考えているほど不向きでもないと思っていたのだがな。しかしお前がよくよく考えてのことなら、引留めはすまい。
ただ、お前が来たくなったら、いつでもここにおいで」
「はい」
マデラインは、次の春、ぼくが塔に戻った少し後、都に向かって出発した。
* * *
塔に戻ってしばらく、ぼくはいろんなことにやる気が起こらないまま、ただぼんやりと過ごしていた。
そんなぼくにとうとう呆れたのか、母が部屋を訪れた。
「エイン? いつまで腑抜けているつもりなのかしら、私の息子が」
「母さん」
くすりと笑った母は、ぼくの横に少し乱暴にどすんと座る。
「ダーリンは放っておくつもりみたいだけど、私は鬱陶しいのは嫌いなの」
「ぼく、鬱陶しいかな」
「ええ、とっても。カビが生えてきそうなくらい、じっとりしてて鬱陶しいわ。それでも私とダーリンの息子なのかしらって呆れて言葉もないくらい」
思わず振り返るぼくの顔を、母が笑いながらピタピタと手のひらで叩いた。
「エインは優しい子だけど、優しさと卑屈さを履き違えるのは良くないわね」
「え、母さん?」
「愛は本来とってもわがままなものなのに、あなたはそれを押し潰して無いものにしようとしてるでしょう?」
「そんなこと、ないと思うんだけど」
おずおずと見返すぼくに、母がふっと笑った。
笑って、小さく首を傾げる。
「それで、エインはこれからどうするつもりかしら?」
「どうする……」
「あの子から離れて、あなたはどうしたいの?」
尋ねられて、考えて、でも、何も浮かばない。
「……わからない」
「そう」
母はぐいっとぼくの頭を引き寄せ、抱き込んだ。そのまま、よしよしと、まるで小さな子供にするように頭を撫でる。
しばらく撫で続けて、それからおもむろに、母が「そうねえ」と呟いた。
「あなたがここできれいに切り替えられないのは、しかたがないことなのよ」
「母さん?」
「だって、あなたはもうずっとあの子のことを思っていたくせに、やり切ってないでしょう?」
「やり切って?」
「そうよ」
母が頷く。
「エインはやり切る前に諦めてしまったじゃない」
「そんな、諦めたつもりなんて」
「あら、わかってないのね。あなたは見事なくらいに諦めて、ここへ逃げ帰って来たっていうのに」
反射的に、違う、と顔を上げたぼくに、ふっと母が笑う。まったく、しかたのない子だと言いたげな顔で。
「ぼくは、ただ……」
「ただ、あの子のためを思って? 違うでしょう」
またよしよしと撫でられる。
まるで、剣を習いに行く前のまだ小さかった頃みたいに。
「あの子は騎士に憧れてて、けれど、エインは騎士にはなれない。だから、失望される前に身を引いた。
そんなところかしら。まったく、臆病なんだから」
ぐ、と黙り込むぼくを、母は撫で続ける。
「ほんとうにしかたない子だわ」
溜息を漏らして、ぼくの頭をきゅっと抱き締める。
「――今度は、私がひと肌脱ぐ番なのかもしれないわね」
「え?」
いったい何をと顔を上げるぼくを制して、母の表情が真剣なものに変わった。
「エイン、あなたが魔術師になる気があるなら、私は都の魔術士学院にある伝手を使いましょう。そうすれば、あなたは都の学院で魔術を学ぶ学生になれる」
ぽかんとするぼくの顔を、母が覗き込む。
「でも、剣が駄目だから魔術師って、少し安易なんじゃ……」
「あら、安易な方向転換の何が悪いの? あなたは、既に私から基礎を叩き込まれてるのよ。たとえ見習いの見習い程度でも魔術を学ぶ素地ができてるっていうのに、魔術師を目指したら悪いなんて誰が言うのかしら?
……それに、戦神教会は学院や協会と協力関係にあるの。うまくいけば、騎士隊のあの子と共同の任務に携わることもできるわね」
「母さん?」
「エイン。カーリス家は代々猛きものに縁深い家で、呆れるくらい脳筋で、愛ですら勝ち取るものだっていうのよ」
母はいったい何を言おうとしているのか。
意図するところがわからなくて、ぼくはただぽかんと聞いているだけだ。
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「ねえ、エイン。“格好いい”というのは、何も剣の腕の良し悪しだけで決まるものじゃないわ。騎士だけが格好いいなんて、誰が決めたのかしら?
考えてみなさいよ。ダーリンは騎士じゃないけど格好いいでしょう?
愛は麗しきお方の司るもの。あなたには愛の女神の祝福と加護がついてるのよ。カーリス家が勝ち取れって言うなら、勝ち取ってやればいいわ。
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