真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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4.ミカちゃんとご近所さん

9.桜とバカップル作戦

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「律子さん、起きてください」
「ん……まだ暗いよ?」

 ホワイトデーにはまだまだ早い土曜日の早朝……というより、まだまだ夜も明けやらぬ頃、私はミカちゃんにいきなり起こされた。
 急にどうしたんだろうと思いつつ、言われるままに着替えて出掛ける準備をしていると、その隙にいつの間にか借りてあったレンタカーに、これまたいつの間にかしっかり用意していた荷物を積んだミカちゃんが、私を待っていた。

「ねえミカちゃん、どこに行くの?」

 車に乗り込んでそう尋ねても、ハンドルを握るミカちゃんは「それは着いてのお楽しみです」とにっこり笑うだけだ。
 ナビには目的地すらも登録していない。これはまさか、計画的サプライズか。目的地へのルートもバッチリなくらい、計画的なのか。

 首都高を抜けて東名高速へと入り……いったいどこまで行くのだろうか。まさか大阪まで運ばれるわけじゃないだろう。さすがに車だし。

 途中のサービスエリアで軽く朝食を食べてからも、まだまだ走る。箱根を過ぎて、車の窓から富士山が見えて……沼津ICから伊豆縦貫道路に入る。

「伊豆?」
「はい」
「わあ」

 伊豆なんて何年ぶりだろう。そもそも遠出自体、ミカちゃんがうちに来るまでほとんどしてなかったのだ。もしかしたら、大学の時に友達と熱海に行ったのが最後かもしれない。

「あれ、でも、伊豆なら小田原とか真鶴道路とか通るんじゃなかったっけ? それとも西伊豆なのかな」
「昨年くらいに伊豆縦貫道路が修善寺のあたりまで繋がって、小田原から真鶴へ抜けるより、沼津を回ったほうが早くなったんだそうです」
「へえ」

 浦島太郎ってこんな感じじゃないだろうかと思いながら周りを見る。確かに舗装も何もかもまだ新しい。

「伊豆って、車で来るのも電車で来るのも大変って印象だったけど、すごく便がよくなったんだね」
「はい」

 まだ朝は早い。道路もがらがらで、さほど引っかかることもなくどんどん進む。途中の道の駅で少し休んで、また進む。

 修善寺も過ぎて、もしかして南伊豆だろうか、なんて考え始めた後、大きなぐるぐる渦巻く陸橋を降りて川沿いの道路に入って……。

「うわ、ピンクだ!」
「はい」

 川沿いの一面ピンクに染まった並木に目を丸くすると、ミカちゃんが嬉しそうに頷いた。

「ね、これってもしかして河津桜? テレビで満開ですって放送してた?」
「そうですよ」
「すごい! ほんとにピンクなんだね!」

 興奮して窓にはりつく私を、ミカちゃんがくすくす笑う。テレビでは毎年ニュースやらで見かけるけど、実際に見るのは初めてだ。

「並木に近いところに臨時の駐車場がいくつもあるのだそうです。もう少しで着きますから、ゆっくり散策しましょう」

 いつもならこれから会社に行くぞという時間なのに、駐車場は既に相当いっぱいだった。都内からも意外に近いし、満開だからと訪れる人もたくさんいるようだ。もうちょっと遅かったら、駐車場待ちの行列組に入っていたかもしれない。
 無事車を駐めて、最低限の荷物だけを持って降りる。駐車場は川沿いの土手から道を一本入ったくらいの場所で、お誂え向きだ。

「河津桜の原木というのは、少し離れたところにあるんですね」
「原木なんてあるんだ」

 駐車場の係員にもらった周辺案内マップをふたりで覗き込みながら、どういうルートで歩こうかと相談する。

「その木が河津桜の大元のようですよ」
「じゃ、せっかくだし見に行こうか」
「はい」

 目の前にすっと差し出された手を取り、歩き出しながら、ミカちゃんは本当にこういうのうまいなあと考えた。

 ぎりぎりセンターラインがあるくらいの狭い道路沿いにある河津桜の原木は、たくさんの人に囲まれていた。二階建ての民家の屋根よりもずっと高い、立派な木だ。どっしりとした幹だし結構な樹齢なのかと思えば、まだ六十年くらいらしい。

「うちの婆ちゃんより若いんだ」
「木としてはまだまだですね」

 いちめんピンクを纏った木を見上げながら、へえ、と感心する。

「あれ、じゃあもしかして、河津桜ってすごく最近の桜なの?」
「そのようですよ。この木が見つかったのも偶然だと書いてありますね」
「え、つまり品種改良した桜じゃないってこと?」
「そうなりますね」

 にっこり微笑むミカちゃんの返答に、私は感心しきりだ。

 なら、この辺の山の中には気付かれずに咲いてる河津桜の木もあるのだろうか。なんだかおもしろい。

「律子さん」

 ミカちゃんが、ぽかんと桜を見上げる私の肩を叩く。

「ん?」
「せっかくですので、写真を撮りましょう」
「え?」

 ミカちゃんのポケットからコンデジが出てきた。いつの間に買ってたのだと驚く私に、「便利な世の中になりましたから」と笑う。比較サイトでじっくり吟味を重ね、店頭で実機を見て決めたらしい。

「さ、こちらへ」

 道路を渡ったところでミカちゃんがひょいと私を抱いて、自撮りよろしくカメラを向けてシャッターを押した。ちょっと恥ずかしくも嬉しくもあり、変な顔になったかもしれない。

「自分の写真なんて、最近じゃ証明写真くらいしか撮ってなかったよ」

 取れた写真を液晶で確認しながらそう呟くと、ミカちゃんは、「たまにはこういうのも良いでしょう?」と楽しそうだった。

「なんだかちょっと照れくさいなあ」
「そうですか? 周りでは皆さんこうして撮っているようですが」 

 たしかに、周囲のカップルと思しきふたり連れは、皆一様に自撮り棒などを駆使して桜を背景にふたりの写真を撮っている。

「うーん、どうも慣れなくって。でも確かに、こういうのもいいね」
 へへ、と笑う私の手を握って、「それでは河原へ行ってみましょうか」とミカちゃんは歩き出す。



 河津桜の植えられた川沿いの小道は、どこから見てもピンクだった。
 ソメイヨシノなんかよりもはるかに濃いピンクで、自分の知ってる桜並木よりずっと華やかだ。

「うわあ、ピンクの壁があるみたいだね」
「桜の城壁ですか?」
「そうそう、そんな感じ」

 原木の周りよりはるかに多くなった人出に驚きながら、ゆっくりと桜並木の下を歩く。小道に沿って、露店もいろいろと並んでる。

「なんだかお祭りみたい。去年の夏祭り思い出すね」
「たしかに、そんな雰囲気ですね」
「……あの天使に初めて会ったのって、あのお祭りの時だっけね」
「……そういえば、そうですね」

 ミカちゃんの声に、どうして、今ここでそんなことを思い出すのか、という響きがこもる。

「あの時は、天使とミカちゃんがまさかあんなに仲良くなるなんて思わなかったな」

 くすくす笑う私に、ミカちゃんがちょっと顔を顰めた。

「べつに仲良くなどはなっておりませんが?」
「だって、ホワイトデー教室してあげたんでしょ?」
「……律子さんのご友人のためですし」

 は、と溜息を吐きながら、ミカちゃんは憮然とする。私はそんなミカちゃんにやっぱりくすくす笑ってしまう。

「ミカちゃんてさ」
「はい?」
「なんだかんだ言って、私に大甘だよね。
 律子飼育から、律子甘やかし係に昇格だね」

 ミカちゃんの目が丸くなった。

「まあ、飼育するよりは、甘やかすほうが良いですね」

 憮然とした顔のまま、だけどほんの少しだけ目元を赤らめてそんなことを言う。私も、ミカちゃんに飼育されるより、甘やかされるほうがいい。

「ま、ミカちゃんが私の甘やかし係に疲れたら、私がミカちゃんの甘やかし係になってあげるよ。だから、心配しなくていいからね」
「何の心配ですか」

 ぷっと笑ったミカちゃんは、また私をひょいと持ち上げて素早く写真を撮った。なんという手際のよさだ。

「ねえ、ミカちゃん、もしかして自撮り練習した?」

 あまりの手際に思わず訊くと、ミカちゃんはほんの少し目を瞠った。

「……図星だ」
「何のことでしょう?」

 にっこり微笑むミカちゃんは、さっき確かに図星を指されたという顔をしていた。私はふふっとにんまり笑う。

「ミカちゃんて結構かわいいとこあるよね」
「そうですか? 律子さんのほうがかわいいですよ」

 澄ました顔でミカちゃんはやっぱり微笑む。
 でも、さすがにもうちゃんとわかるのだ。こういう笑顔のミカちゃんは何かを取り繕おうとしているのだということくらい、もうわかる。
 やっぱりミカちゃんはかわいい。

「あ、ミカちゃん、あそこで何か食べよう」

 屋台が並ぶちょっとした広場に向かって、私はぐいぐい手を引っ張った。
 屋台で買った串焼きやらお団子やらを食べながらふと思いつく。

「どうせだし、バカップルしようか」
「バカップルですか?」
「そう、バカップル。ほら、ミカちゃん、デジカメ出して」

 くすくす笑いながらミカちゃんとふたり、そこら中でくっついてカメラを構えては、自撮りツーショット写真を大量生産したのだった。



 ミカちゃんの計画的サプライズは、夜まで続いた。

 なんと、おいしくて本格的なフレンチのコース料理が食べられると評判の、ちょっと贅沢なプチホテルまで予約してあったのだ。
 なんという……これは男子力というのだろうか。
 さすがミカちゃんだ。

 案内された部屋はシンプルでおしゃれで、いかにもな内装だった。何気にベッドマットが高級で、寝心地はすごく良さそうだ。
 露天もついた貸切風呂まであるというのもすごい。

「よくこんなところ見つけたね」
「少し前に、テレビで紹介されていましたから」

 ミカちゃんは番組チェックにも余念がないようだ。旅番組も結構好きで見てるみたいだし。

「ね、お風呂行こう、お風呂。温泉だし」
「はい」

 着替えとタオルを持って、さっそくふたりでお風呂に向かう。
 山の上だけあって、露天から見える風景もなかなかだった。日が沈んでゆっくりと暗くなっていく空を眺めて、ほう、と、感嘆の溜息を吐く。

 いつものようにミカちゃんにまるっと洗われたあと、そのまま抱えられてお湯に浸かった。ゆっくりと風景を眺めて、こうやってずっとのんびりできたらいいなあなんてことも考える。広いお風呂で背中からぎゅっと抱き締められるのも、すごく気持ちいい。
 背後にミカちゃんの吐息を感じたなと思ったとたん、ちゅ、とうなじに軽くキスをされた。

「んふ」

 なんだかいつもよりくすぐったくて首を竦めると、ミカちゃんの腕に力がこもる。いつもよりしっかり抱き締めてます、って力のこもり具合だった。

「律子さん」
「ん?」

 急に名前を呼ばれた。
 どことなく改まったミカちゃんの声に、私は首を傾げつつ振り返る。

「なに、ミカちゃん」

 ミカちゃんは何故だか言いあぐねているようにちらりと目を泳がせて、啄むように唇にキスをした。
 それから、小さく息を吐いて……。

「私のものに、なりませんか?」
「……へ?」

 ミカちゃんの言葉の意味がよくわからなくて、ぽかんとしてしまう。

「でも、ミカちゃん、もう、私の心も身体もミカちゃんのだよ?」
「はい。ですから、社会的身分のうえでも、私のものになりませんかと」

 社会的身分……社会的身分……と考えて、もう一度「へ?」と変な声を出してしまう。呆然とミカちゃんの顔を見つめてしまう。

「ミカちゃん、それって」
「はい」

 とたんに、私の頭の中を考えが巡る。
 寿命のこととか、私はどんどんお婆ちゃんになっちゃうのにいいのかなとか、ちょっと前まで考えたけどどうにも答えが出なくて考えるのを止めてしまったことが、頭の中をぐるぐるまわる。
 けれど……。

「律子さん、返事を聞かせてください」

 いつもあんなに澄ました顔で笑ってるミカちゃんの目が、どことなく不安げに揺れていた。そんなミカちゃんの表情を見たら、考えてたこと全部がどうでもよくなってしまった。
 いつもみたいに、きっと、どうにかいいように回っていくのだ。

「うん、じゃあ、ミカちゃんのものになろうか。まるっと全部」
「はい」

 ミカちゃんは大きく目を見開いて、それから嬉しそうに蕩けそうに笑った。

「それにしても、温泉に浸かりながらプロポーズって初めて聞いたよ」

 くすくす笑いながら言うと、ミカちゃんは少し顔を赤らめてぷいっと目を逸らしてしまう。

「なんとなく、今がチャンスではないかと思ったんです」
「ええ? チャンスって?」
「今なら律子さんも絆されてくれるんじゃないかと」

 ちらりと私の顔を見るミカちゃんは、やっぱりかわいいと思う。私よりずっと身長も高いし体格だってしっかりなのに、なんだかかわいい。

「ん、たしかにミカちゃんの作戦勝ちだね。見事に絆されちゃった」

 ふふっと笑う私に、嬉しそうなミカちゃんがキスをした。



 お風呂を出て、どことなくふわふわしながらドレスアップして食事をして……あんまり美味しいのと、ミカちゃんの視線がどうにも気恥ずかしいのとでぱくぱくとひたすら食べて……結構な量を完食した結果、私のお腹が食べ過ぎだと反乱を起こしてしまった。
 記念すべき日なのに、と胃薬を飲んでうんうん唸っていたら、ミカちゃんが「とても律子さんらしいですよ」と笑っていた。
 とても私らしいってどういうことなのだ。
 私の女子力、どこに行ってしまったのだ。

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