真夜中の吸血鬼

ぎんげつ

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4.ミカちゃんとご近所さん

閑話:天使と初夜

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「あ、ローラン司祭、ちょうどよかった。相談したいことがあるというお客様が来てるんですけど、お願いできますか。男性の司祭のほうがいいと仰るんです」
「ん? 構わないよ。じゃあ、応接室のほうに」
「はい」

 大地と豊穣の女神教会で朝の礼拝を終え、ふんふんと鼻歌を歌いつつ引っ込もうとしたところを呼び止められて、ローランは何だろうなと考えた。
 この教会の女神は豊穣を司っている。豊穣とは、つまり大地の恵みはもちろん、子孫繁栄までを含んだ豊穣だ。
 よって、女神は結婚と夫婦と子供の守護者ともされている。
 ゆえに、この教会が受ける相談の半分は夫婦生活についての悩みである。男性司祭に相談したいというなら、相談者は男性なんだろう。
 そんなことを考えながら、いつも相談に使う応接室へとローランは赴いた。

 ――そうやって、相談室へと通されてきたのは、都でも有名な、正義と騎士の神の教会の、“神の愛子”とも名高い天人ハーフ・エンジェルの聖騎士カイルだった。
 まさかまさかとしばし呆然としてから、ローランはおずおずと口を開く。

「あの、いったい今日の相談とは……?」

 自分の記憶では、彼はまだ未婚だったはずだ。未婚なのに夫婦生活の相談はないだろう。なら、まさかこの教会で何か不祥事でも発覚したわけではないよな、とすらも考えて、眉根が寄ってしまう。
 どことなく落ち着かない彼の様子に、ローランは大ごとじゃなければいいのだがと、緊張の面持ちでじっと言葉を待つ。

「あ、その……」
「はい」

 おずおずと話し始めるカイルに、ローランはごくりと喉を鳴らした。

「実は、つい先日、婚約したのだが」
「……はい?」

 え、婚約? とローランの眉が上がった。

「その、初夜というのはいかように……」
「……あっ、あんたもか!」

 思わず大声を上げたローランを、カイルがぽかんと見つめた。
 なんだなんだ、これいつか通った道じゃないか。

 ローランの脳内に真っ先に浮かんだのは、もちろん友人である太陽神の高神官エリーだ。彼も、かつて、この聖騎士と同じように、「初夜ってどうすればいいんでしょう」と相談を持ちかけてきたのだ。
 当時片思いしていた愛しい彼女をうまく落としてリードするために、初夜を乗り越え、夜のあれやこれやをどう進めればいいだろうかと。
 もっとも、エリーの場合はもっとあっけらかんとしていて、昼飯どうしようくらいのノリだったが。

「どうせ、閨でのあれこれがよくわからんっていうんだろ。なんだよあんたも童貞だったのかよ。あんだけモテるくせに、つまみ食いのひとつもしなかったってことか。ま、いいからちょっと待ってろ」

 すっかり砕けた調子になったローランに、「司祭どの?」とカイルは思わず手を上げる。まだ本題に入ってないのに、そんなに自分の相談内容はわかりやすかったのだろうか。おまけに、童貞ってすぐバレてしまうなんて。

「いいからそのまま待ってろ。いいもの持ってくるから」

 そのままと言われてもどうしたものかとおろおろしつつ、カイルはひたすらじっとおとなしく待った。



 しばし席を外したローランは、それほど時間をおかずに戻ってきた。

「ほら、初心者用の閨の教本だ。女と付き合ったことのない奴にもわかりやすいのは確認済みだぞ。お前もそれ読んで頑張れ。まあ、念のため、医学書もちょっとは読んでおいて損はないがな」

 カイルは渡された本を何気なくぱらりと捲ってみる……が、いきなり目に飛び込んだ図解にたちまち真っ赤になり、すぐに本を閉じてしまった。
 ああ、これは相当だ。

「あと、その婚約者だが、ロマンス小説は読むのか?」
「え、ロマンス小説?」

 視線を彷徨わせるカイルは、畳み掛けるような質問に目を白黒させつつ、「わからない」と答えた。

「ふむ……なら、こいつを読んでおくといい。今、都で一番人気のロマンス小説だ」

 さらにもう一冊の本を渡されたカイルは、ごくりと唾を飲み込んだ。

「そ、その、ロマンス小説というのは、いったい……」
「ひとことで言って、女向けのエロ小説だな」
「え、エロ……!?」
「ああ。男向けのエロ本よりもよっぽど参考になるぞ。なんせ、女が読んで憧れる濡れ場がどんなものかの集大成だ」
「そ、その、その、女性も、そんなものを読むのだろうか……」
「あたりまえだろ」

 目を白黒させるカイルに、ローランは思わず吐息を漏らす。

「まさかあんた、女に性欲はないなんて幻想持ってるわけじゃないよな?」

 そんなばかな、と言いそうになったカイルは、先日ルカに押し倒され泣かれたことを思い出した。
 あれは、つまり、やはりそうなんだろう。
 ルカも、つまり、自分に抱かれたいと思っているということなのだ。
 つまり、ルカにも性欲が……。
 ぐるぐる視線を泳がせ、ぱくぱく口を開閉するカイルの顔色を見やり、ローランは、はあっと溜息を吐く。
 カイルが非常に童貞らしく夢を見ていたことが、態度から丸わかりだ。

「……あのな。女に性欲が無かったら、どうやって子作りすればいいんだよ。童貞の幻想はそこまでにしとけ」
「あ……」

 きっぱりと断言されて、カイルは項垂れてしまう。何といっても、自分がそう考えてきた結果があの事件なのだ。認識を改めなければいけない。

「あんたのとこの教会は純潔を尊んでるが、豊穣と繁栄のためにセックスは神聖な営みであるというのが、うちの女神様の考えだ。男女の付き合いをする以上避けられないものでもあり、夫婦となって子供を作るなら、絶対に必要な、通らなきゃいけない道だ」
「あ、ああ」

 おずおずと頷いて、カイルはゆっくりと顔を上げた。
 信じていたいろいろなものが突き崩されてしまったような表情を浮かべているが、そんな大げさなことだろうか。
 どんな生き物だって、雌雄が情を交わして子供を作り、次代へと生命を繋げていくものなのだから。そもそも、自分だってその結果生まれてきたのだぞ。
 ローランは内心首を捻りながら続ける。

「必然なら、お互いが気持ちよくなれたほうが夫婦円満にも繋がるってもんだ。大地の女神だって、そこは否定していない。むしろ推奨している」
「なるほど……」
「だからこそ、うちの教会ではそういった夫婦生活の相談にも乗るし、あんたみたいな奴のための教本だって用意しているというわけだ」

 カイルはいたく感心したという面持ちになって、もう一度頷いた。

「それにしても、エリーみたいなのがもうひとりいると思わなかったな……。
 で、あんたはどうする? 玄人のお姉さんに練習を頼んでみるか? 今なら俺が口利いてやるぞ。うちの教会が管理してる娼館限定だけどな」
「え? あ、いや、そこはいい」
「あー、そうか、お前も操立ててるクチか。なるほど」

 また赤くなって俯くカイルを眺めながら、そういやこいつの歳は自分とそう変わらなかったような気がするんだけどな、と考える。正義神の聖騎士は堅物ぞろいだが、こいつはその中でも群を抜いてるんじゃないだろうか。

「……なんていうか、聖職者として優秀な奴って、そっち方面の習熟度とバーターだったりするのかね」

 ぼそりと呟くローランに、カイルが「え?」と訊き返した。

「いや、何でもない。
 ま、気になることがあればまた来るといい。相談ならいつでも乗るから」
「ああ、大地の女神とあなたに感謝を。とても助かった」

 いやいや、と手を振るローランにカイルは一礼し、いとまを告げるのだった。


 * * *


 その数ヶ月後。

 ようやく愛するルカと夫婦として認められたその日、特別な夜のために用意した部屋の大きなベッドの上で、カイルとルカは向かい合って正座をしていた。
 ガチガチに緊張して向き合うふたりの顔は、どちらも首まで真っ赤っかだ。

「か、カイル……“変装”、解いて、ほしいな」
「あ、そうだな」

 カイルが耳につけたままの魔道具を外すと、ばさりと背に大きな……。

「あっ」

 カイルは慌てて縫い目が軋んだバスローブの袖を抜く。上半身をはだけた背に、広げると片翼だけで身長くらいの大きさになる白い翼が現れた。
 ルカはごくりと唾を飲んで、正座をした膝の前に指をつく。ゆっくりと頭を下げて、ここは一発大和撫子らしく、と口を開き……。

「ふっ……ふ、ふつつかもっぐっ」

 噛んだ。

「あ、ちょ、ルカ、大丈夫か!」

 思い切り舌を噛み、口を押さえるルカに、カイルは慌てふためいてしまう。

「あ、え、はっ、はっ、“遥か高みより我らを導く尊きお方の御名において、これなる者に癒しを”」

 カイルの手がわずかに光った。ふがふがと目を潤ませて堪えていたルカの口から、たちまち痛みが消えていく。
 ――大きく深呼吸したルカは、心配そうに覗き込むカイルを押し留めて座り直すと、改めてもう一度指をついた。

「う……その、ふ、不束者ですけど、末長く、よろしくお願いいたします」

 もうぐだぐだだ。ルカの腹積りでは、たおやかに三つ指をつくところまで流れるように決めた後、首尾よく初夜に雪崩れ込むはずだったのに。

「あ、そ、その、僕のほうこそ、よろしくお願いいたします」

 カイルも真似をして指をつき、頭を下げる。
 なぜか双方とも頭を下げ、微動だにしないまま、時間だけが過ぎていく。

 いったい、この後どうすればいい?

 カイルの頭の中に、ローラン司祭の言葉がようやく蘇った。

“なるべくなら、男からリードしてやれ”

 そうだ、今日に備えて教本だって借りたのだ。あの司祭が言うロマンス小説だって読んでみた。結局ルカの好きなシチュエーションというものはわからなかったが、なんとか、どうにかいいようにここを越えて……。

 カイルはゆっくりと頭を上げて手を伸ばす。
肩に触れると、ルカはぴくりと震えたが、すぐに身体を起こして身を委ねてきた。
 ドキドキとうるさいくらいに高鳴る心臓の音で、自分の緊張が丸わかりではないかとすら思えてくる。
 かつて恐ろしい魔人ハーフ・デヴィルを相手にした時だって、恐ろしさも緊張も感じなかったというのに。

「ルカ……」
「……や、やさしく、お願い、します」
「もちろんだ」

 自信ありげに頷くが、実際のところ、何をどうすると“やさしく”なのか、カイルには見当もつかない。だが、夜は長い。きっとまだ長い。誰もが越える山なのだ。きっと自分にだって越えられる。

 カイルの戦いは今始まったばかりだ。


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