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葡萄の町
旅の目的、って
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給仕が小さな炭の欠片を近づけると、カップの底にぽっと小さな音を立てて炎が灯った。あまり見たことのない、ゆらゆら揺れる青い炎がとても美しくて、エルヴィラは息を呑んでじっと見入ってしまう。
そんなエルヴィラを見た給仕は微笑ましげに目を細めて、それから、タイミングを見計らって一気に黒い液体を注ぎ入れた。
南方特産の豆をよく炒って煮出した、この辺りでよく飲まれる苦い苦い飲み物だ。
給仕はゆっくりと真っ黒な液体をかきまぜ、最後によく泡立ててふわふわになった真っ白いクリームをたっぷりと乗せた。
「さあ、どうぞ」
ようやく完成したのは、この“葡萄の町”名物の“カフェ”だ。
給仕がエルヴィラとミーケルの前にカップを置くと、にこにこと上機嫌なミーケルは立ち昇る香りをいっぱいに吸い込む。
「この地方特産のワインを蒸留して作った酒を固めた砂糖にたっぷり染み込ませて、火をつけて酒精を飛ばすんだ。そこにカフェを注ぎ入れて、甘いクリームと合わせて出来上がり。
この店が最初に始めたんだってさ」
「へえ」
エルヴィラは添えられたスプーンで少しだけクリームを掬い取って舐めてみた。ふんわりと軽いのにこってりと甘くて、これだけだと胸焼けしてしまいそうだ。
次にカフェを少し掬って舐めてみる。
パッと見にまるで炭を溶かしたようだと思ったが、その印象は間違っていなかった。砂糖を混ぜているから甘みはあるが、それにしたってとてつもなく苦い。
思わず顔を顰めるエルヴィラを、「馬鹿だな、ちゃんと混ぜて飲むものなんだよ、これは」とミーケルは楽しそうに笑った。
エルヴィラはミーケルと旅をするうち、ひとつ確実な事実に気づいていた。
ミーケルはかなりの食い道楽だ。
名物料理に限らず、とにかく美味いものさえ与えておけば、こいつはすこぶる機嫌がいい。
何か気に入らなくて機嫌を損ねていても、夕食をちょっと奮発するだけでたちまち上機嫌になるのだ。
さすが、各地の名物を食べ歩くために旅をするのだと、豪語するだけある。
「なあ、ミケ。ひとつ気になってたんだが」
「なんだよ。僕を犬猫みたいに呼ぶのは止めろっていつも言ってるだろう?」
「犬猫だと思えばお前にムカつくこともないからいいんだ」
あの“聖女の町”で一晩行方をくらましてから──実際はアンジェ神官宅で夜通し話し込んでいただけなのだが──エルヴィラは、ミーケルをまるで飼っている動物であるかのように“ミケ”と呼ぶようになっていた。
最初こそ、ミーケルも散々抗議したが、どんなに文句を言われてもエルヴィラはどこ吹く風で“ミケ”と呼び続ける。
しまいにはとうとう諦めて、ミーケル自身ももう勝手にしろと思うようになった。
それでもこうして時折、釘を刺すように抗議するのだが。
「で、何が気になってるんだ」
「お前、次に行く町ってどう決めてるんだ?」
怪訝そうに自分を見ていたミーケルは、エルヴィラがちらっと目をやると、「なんだそんなことか」とスプーンでカフェのクリームを混ぜ始めた。
「適当だよ。気分だね」
よく混ざったことを確認するようにミーケルはカップを覗き、それからこくりとカフェをひと口飲む。
見ていると、たちまちにっこりと口元が緩むからおもしろい。
「強いて言えば、なんとなくこれが飲みたかったから、今回はここに来たってところかな」
「ふうん。どうりで行く場所に一貫性がないと思った」
ふらふらと、まるでコインでも投げて決めているかのように目的も方角も不明なミーケルの旅程に、エルヴィラはやっと納得できたと頷く。
「僕はこれでずっとやってきてるんだ。文句は言わせないよ」
「別に文句を言うつもりはない。ただ、そうかと思っただけだ」
「あ、そ」
興味を失ったように、またカフェを飲みだすミーケルをもう一度ちらりと見て、エルヴィラもおそるおそるカフェをひと口飲み込んだ。
とたんに、ほんのちょっと火を灯しただけでは消えなかった、強い酒精と葡萄の香りが鼻を抜ける。
それからこってりとしたクリームの甘みがカフェの苦味を和らげ、絶妙なバランスを作って舌を転がっていく。
「これ――」
思わずもうひと口、もうひと口と飲み込んでいくエルヴィラに、ミーケルはふふっとなぜか自慢げに笑んでみせた。
「さすが元祖の味だろう? ここのカフェがいちばん苦味と甘みのバランスがいいんだ。クリームの濃さもちょうどいい。それに、このカフェ専用の蒸留酒もわざわざ用意してるくらいなんだよ。
ここのを飲んじゃったら、ちょっと他では飲めないくらいさ」
「たしかに」
こんな飲み物があるなんて知らなかったなと思いながら、エルヴィラはこくこく飲み続ける。甘くて苦くて柔らかくて……世の中は広いんだな、と考える。
ふと、エルヴィラは、ミーケルはそんな世界の広さを確かめるために、この旅を続けているんだろうか、なんてことまでを考えてしまった。
目の前のミーケルは、どう見てもそんなご大層なことなんて考えてなさそうなのに。
そんなエルヴィラを見た給仕は微笑ましげに目を細めて、それから、タイミングを見計らって一気に黒い液体を注ぎ入れた。
南方特産の豆をよく炒って煮出した、この辺りでよく飲まれる苦い苦い飲み物だ。
給仕はゆっくりと真っ黒な液体をかきまぜ、最後によく泡立ててふわふわになった真っ白いクリームをたっぷりと乗せた。
「さあ、どうぞ」
ようやく完成したのは、この“葡萄の町”名物の“カフェ”だ。
給仕がエルヴィラとミーケルの前にカップを置くと、にこにこと上機嫌なミーケルは立ち昇る香りをいっぱいに吸い込む。
「この地方特産のワインを蒸留して作った酒を固めた砂糖にたっぷり染み込ませて、火をつけて酒精を飛ばすんだ。そこにカフェを注ぎ入れて、甘いクリームと合わせて出来上がり。
この店が最初に始めたんだってさ」
「へえ」
エルヴィラは添えられたスプーンで少しだけクリームを掬い取って舐めてみた。ふんわりと軽いのにこってりと甘くて、これだけだと胸焼けしてしまいそうだ。
次にカフェを少し掬って舐めてみる。
パッと見にまるで炭を溶かしたようだと思ったが、その印象は間違っていなかった。砂糖を混ぜているから甘みはあるが、それにしたってとてつもなく苦い。
思わず顔を顰めるエルヴィラを、「馬鹿だな、ちゃんと混ぜて飲むものなんだよ、これは」とミーケルは楽しそうに笑った。
エルヴィラはミーケルと旅をするうち、ひとつ確実な事実に気づいていた。
ミーケルはかなりの食い道楽だ。
名物料理に限らず、とにかく美味いものさえ与えておけば、こいつはすこぶる機嫌がいい。
何か気に入らなくて機嫌を損ねていても、夕食をちょっと奮発するだけでたちまち上機嫌になるのだ。
さすが、各地の名物を食べ歩くために旅をするのだと、豪語するだけある。
「なあ、ミケ。ひとつ気になってたんだが」
「なんだよ。僕を犬猫みたいに呼ぶのは止めろっていつも言ってるだろう?」
「犬猫だと思えばお前にムカつくこともないからいいんだ」
あの“聖女の町”で一晩行方をくらましてから──実際はアンジェ神官宅で夜通し話し込んでいただけなのだが──エルヴィラは、ミーケルをまるで飼っている動物であるかのように“ミケ”と呼ぶようになっていた。
最初こそ、ミーケルも散々抗議したが、どんなに文句を言われてもエルヴィラはどこ吹く風で“ミケ”と呼び続ける。
しまいにはとうとう諦めて、ミーケル自身ももう勝手にしろと思うようになった。
それでもこうして時折、釘を刺すように抗議するのだが。
「で、何が気になってるんだ」
「お前、次に行く町ってどう決めてるんだ?」
怪訝そうに自分を見ていたミーケルは、エルヴィラがちらっと目をやると、「なんだそんなことか」とスプーンでカフェのクリームを混ぜ始めた。
「適当だよ。気分だね」
よく混ざったことを確認するようにミーケルはカップを覗き、それからこくりとカフェをひと口飲む。
見ていると、たちまちにっこりと口元が緩むからおもしろい。
「強いて言えば、なんとなくこれが飲みたかったから、今回はここに来たってところかな」
「ふうん。どうりで行く場所に一貫性がないと思った」
ふらふらと、まるでコインでも投げて決めているかのように目的も方角も不明なミーケルの旅程に、エルヴィラはやっと納得できたと頷く。
「僕はこれでずっとやってきてるんだ。文句は言わせないよ」
「別に文句を言うつもりはない。ただ、そうかと思っただけだ」
「あ、そ」
興味を失ったように、またカフェを飲みだすミーケルをもう一度ちらりと見て、エルヴィラもおそるおそるカフェをひと口飲み込んだ。
とたんに、ほんのちょっと火を灯しただけでは消えなかった、強い酒精と葡萄の香りが鼻を抜ける。
それからこってりとしたクリームの甘みがカフェの苦味を和らげ、絶妙なバランスを作って舌を転がっていく。
「これ――」
思わずもうひと口、もうひと口と飲み込んでいくエルヴィラに、ミーケルはふふっとなぜか自慢げに笑んでみせた。
「さすが元祖の味だろう? ここのカフェがいちばん苦味と甘みのバランスがいいんだ。クリームの濃さもちょうどいい。それに、このカフェ専用の蒸留酒もわざわざ用意してるくらいなんだよ。
ここのを飲んじゃったら、ちょっと他では飲めないくらいさ」
「たしかに」
こんな飲み物があるなんて知らなかったなと思いながら、エルヴィラはこくこく飲み続ける。甘くて苦くて柔らかくて……世の中は広いんだな、と考える。
ふと、エルヴィラは、ミーケルはそんな世界の広さを確かめるために、この旅を続けているんだろうか、なんてことまでを考えてしまった。
目の前のミーケルは、どう見てもそんなご大層なことなんて考えてなさそうなのに。
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