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葡萄の町
不審なやつとダメなやつ
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演奏の間、エルヴィラはさりげなく不審人物を観察した。
人数はふたり。従卒か侍従のようなお仕着せを着ているが、どこの家の者かを示すようなものが特に見当たらない。
こんな場所でそれは確かにおかしいと、エルヴィラにもわかる。
紋章入りの何かを身につけている風でもない。何より袖口に何かを仕込んでいるような不自然な動きもあって、これはまずい。
折しも、問題のお忍びでここへ来たという伯爵家令息に近づいているようでもある。
かすかに眉を顰めてエルヴィラはミーケルを窺った。その視線に気付いてか、ミーケルの口の端が笑むように持ち上がる。
エルヴィラはほんの少しだけ腰を落として、いつでも動けるように体勢を整える。
その途端、ふたりがいきなり令息に襲いかかった。
咄嗟に、近いほう目掛けてエルヴィラは飛びかかる。腰の短剣を鞘ごと握り、柄元で相手の鳩尾を殴りつける。
「“伏せろ”」
もうひとりをと振り返ったエルヴィラの耳にミーケルの声が響く。
間に合わないと思ったはずの不審者は、だが、目の前でいきなり床に伏せた。エルヴィラはこれ幸いと、すかさずうなじ目掛けて短剣の柄を叩き込む。
もしこのふたりが鎧を着ていたら、これほどうまくはいかなかっただろう。
不審者が本職の戦士でなかったことにも安堵する。
あっという間に無力化できたことにほっと息を吐いて、エルヴィラはゆっくりと騎士の礼を取った。それから倒れたふたりの襟首を無造作に掴むど、ずるずる引きずって奥へと引っ込んでしまう。
客から見えなくなった場所で酒場の警備担当に引き渡し、ようやく本当に安堵した。顔は必死に平然を装っていたが、騎士服の下は冷や汗でびっしょりだった。
いきなりの出来事にぽかんと呆気に取られていた客たちはようやく我に返ったのか、急に騒ぎ始めた。
けれど、ミーケルがざわめきを打ち消すようにゆったりとリュートを鳴らし、続けて穏やかな曲の演奏を始めると、すぐに皆、落ち着きを取り戻す。
その音楽に乗った、詩人の魔法のおかげだ。
「どうなることかと思った」
演奏も無事に終わり、ようやく楽屋に引っ込んだところで、エルヴィラがはあっと大きく息を吐いた。
ミーケルは「あんまり腕が立つ刺客ではなかったようだね」と笑う。
「ちょっとこっちが突いたら、素直に動いてくれたし」
「え? まさかミケがやったのか?」
目を丸くするエルヴィラに、ミーケルは軽く肩を竦める。
「他のタイミングで来られても、店も僕も迷惑だろう? だから、やるなら今だって後押ししただけだよ」
「そういう腹づもりだったんなら、先に言え」
「君ならなんとかできるかなと思ったし、実際なんとかなったじゃないか。
それにしても、君、結構な馬鹿力だよね。大の男ふたり、あんな軽々引きずって出て行くなんて思わなかった」
「コツがあるんだ。それに担いだわけじゃないから」
愉快そうに笑うミーケルに、エルヴィラは呆れる。なんとかならなかったら、いったいどうするつもりだったのか。
「お前こそ、よく騒ぎにせずに治めたじゃないか」
「だから僕は吟遊詩人だと言ったろう? あのくらい訳ないよ」
少し得意げなミーケルに、やっぱりエルヴィラは呆れずにいられない。
「ミーケル殿、エルヴィラ殿。オットー様がお呼びなのでこちらへ」
「はい、ただいま」
酒場の使用人がふたりを呼びに来た。シェーンフェルト伯爵家のオットーというのが、今日、お忍びで来ていた令息の名前だった。
待たせて失礼にあたってはいけないと、すぐにふたりとも立ち上がる。
「君はチャンスだろう。しっかりやりなよ」
「――わかってる」
正直なところあまり気乗りがしない。
けれど、エルヴィラはとりあえずはと頷いてみせた。
「やあ、見事な手際だったね、護衛騎士殿に吟遊詩人殿」
オットーは陽気にそう言って、ふたりに椅子を勧めた。ミーケルが優雅に礼をして座るのに合わせて、エルヴィラも一礼して腰を下ろす。
オットーの年齢は、二十を少し出たところのように見えた。
栗色の髪をきちんと揃え、身なりにも隙がない。あくまでもにこやかに穏やかな笑みを浮かべる、とても貴族らしい青年だった。
ついでに、どこかで聞いたことがあると思ったら、あの姫様のところで耳にした名前だったと、エルヴィラはようやく思い出した。
「エルヴィラ・カーリスだったね。こんなきれいで可愛いお嬢さんが、あんなに手際よく賊を仕留めてくれるとは、本当に驚いたよ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
エルヴィラはやや緊張しながらぺこりと一礼する。
妙にじろじろ見られていて落ち着かない。 一体何でこんなに気乗りがしなくて落ち着かないんだろうと考えて、またひとつ思い出した。
あの姫様の屋敷で、女性関係にだらしないとよく名前が挙がっていた男性が、このオットーだったのだ。
夜会についていくたび、侍女たちがいろいろ噂をしていたんだっけ。
今度はどこそこの令嬢がとか未亡人がとか。
幸い、姫様は身分的にコナをかけられるようなことはなかったし、自分がターゲットにされることもほぼ確実にないことだった。
だからあの時は他人事として聞き流していたけど――
妙にちらちらと視線を寄越すオットーに、エルヴィラはまた冷や汗をかいていた。いかに鈍感であろうとはっきりわかるくらい、あからさまに誘われている。
おかげでオットーとミーケルの会話が頭に入ってこない。
これにミーケルが気付いてないわけがない。
むしろこれを押そうとでもいうのだろうか――いうのだろう。ミーケルは常々、さっさと相手を見つけて行ってしまえとエルヴィラに言ってるのだから。
でもこいつはだめだ。タラシはだめだ。
人数はふたり。従卒か侍従のようなお仕着せを着ているが、どこの家の者かを示すようなものが特に見当たらない。
こんな場所でそれは確かにおかしいと、エルヴィラにもわかる。
紋章入りの何かを身につけている風でもない。何より袖口に何かを仕込んでいるような不自然な動きもあって、これはまずい。
折しも、問題のお忍びでここへ来たという伯爵家令息に近づいているようでもある。
かすかに眉を顰めてエルヴィラはミーケルを窺った。その視線に気付いてか、ミーケルの口の端が笑むように持ち上がる。
エルヴィラはほんの少しだけ腰を落として、いつでも動けるように体勢を整える。
その途端、ふたりがいきなり令息に襲いかかった。
咄嗟に、近いほう目掛けてエルヴィラは飛びかかる。腰の短剣を鞘ごと握り、柄元で相手の鳩尾を殴りつける。
「“伏せろ”」
もうひとりをと振り返ったエルヴィラの耳にミーケルの声が響く。
間に合わないと思ったはずの不審者は、だが、目の前でいきなり床に伏せた。エルヴィラはこれ幸いと、すかさずうなじ目掛けて短剣の柄を叩き込む。
もしこのふたりが鎧を着ていたら、これほどうまくはいかなかっただろう。
不審者が本職の戦士でなかったことにも安堵する。
あっという間に無力化できたことにほっと息を吐いて、エルヴィラはゆっくりと騎士の礼を取った。それから倒れたふたりの襟首を無造作に掴むど、ずるずる引きずって奥へと引っ込んでしまう。
客から見えなくなった場所で酒場の警備担当に引き渡し、ようやく本当に安堵した。顔は必死に平然を装っていたが、騎士服の下は冷や汗でびっしょりだった。
いきなりの出来事にぽかんと呆気に取られていた客たちはようやく我に返ったのか、急に騒ぎ始めた。
けれど、ミーケルがざわめきを打ち消すようにゆったりとリュートを鳴らし、続けて穏やかな曲の演奏を始めると、すぐに皆、落ち着きを取り戻す。
その音楽に乗った、詩人の魔法のおかげだ。
「どうなることかと思った」
演奏も無事に終わり、ようやく楽屋に引っ込んだところで、エルヴィラがはあっと大きく息を吐いた。
ミーケルは「あんまり腕が立つ刺客ではなかったようだね」と笑う。
「ちょっとこっちが突いたら、素直に動いてくれたし」
「え? まさかミケがやったのか?」
目を丸くするエルヴィラに、ミーケルは軽く肩を竦める。
「他のタイミングで来られても、店も僕も迷惑だろう? だから、やるなら今だって後押ししただけだよ」
「そういう腹づもりだったんなら、先に言え」
「君ならなんとかできるかなと思ったし、実際なんとかなったじゃないか。
それにしても、君、結構な馬鹿力だよね。大の男ふたり、あんな軽々引きずって出て行くなんて思わなかった」
「コツがあるんだ。それに担いだわけじゃないから」
愉快そうに笑うミーケルに、エルヴィラは呆れる。なんとかならなかったら、いったいどうするつもりだったのか。
「お前こそ、よく騒ぎにせずに治めたじゃないか」
「だから僕は吟遊詩人だと言ったろう? あのくらい訳ないよ」
少し得意げなミーケルに、やっぱりエルヴィラは呆れずにいられない。
「ミーケル殿、エルヴィラ殿。オットー様がお呼びなのでこちらへ」
「はい、ただいま」
酒場の使用人がふたりを呼びに来た。シェーンフェルト伯爵家のオットーというのが、今日、お忍びで来ていた令息の名前だった。
待たせて失礼にあたってはいけないと、すぐにふたりとも立ち上がる。
「君はチャンスだろう。しっかりやりなよ」
「――わかってる」
正直なところあまり気乗りがしない。
けれど、エルヴィラはとりあえずはと頷いてみせた。
「やあ、見事な手際だったね、護衛騎士殿に吟遊詩人殿」
オットーは陽気にそう言って、ふたりに椅子を勧めた。ミーケルが優雅に礼をして座るのに合わせて、エルヴィラも一礼して腰を下ろす。
オットーの年齢は、二十を少し出たところのように見えた。
栗色の髪をきちんと揃え、身なりにも隙がない。あくまでもにこやかに穏やかな笑みを浮かべる、とても貴族らしい青年だった。
ついでに、どこかで聞いたことがあると思ったら、あの姫様のところで耳にした名前だったと、エルヴィラはようやく思い出した。
「エルヴィラ・カーリスだったね。こんなきれいで可愛いお嬢さんが、あんなに手際よく賊を仕留めてくれるとは、本当に驚いたよ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
エルヴィラはやや緊張しながらぺこりと一礼する。
妙にじろじろ見られていて落ち着かない。 一体何でこんなに気乗りがしなくて落ち着かないんだろうと考えて、またひとつ思い出した。
あの姫様の屋敷で、女性関係にだらしないとよく名前が挙がっていた男性が、このオットーだったのだ。
夜会についていくたび、侍女たちがいろいろ噂をしていたんだっけ。
今度はどこそこの令嬢がとか未亡人がとか。
幸い、姫様は身分的にコナをかけられるようなことはなかったし、自分がターゲットにされることもほぼ確実にないことだった。
だからあの時は他人事として聞き流していたけど――
妙にちらちらと視線を寄越すオットーに、エルヴィラはまた冷や汗をかいていた。いかに鈍感であろうとはっきりわかるくらい、あからさまに誘われている。
おかげでオットーとミーケルの会話が頭に入ってこない。
これにミーケルが気付いてないわけがない。
むしろこれを押そうとでもいうのだろうか――いうのだろう。ミーケルは常々、さっさと相手を見つけて行ってしまえとエルヴィラに言ってるのだから。
でもこいつはだめだ。タラシはだめだ。
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