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神竜の加護ある町
怖い。だから、逃げない
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にこにこと嬉しそうに笑うエルヴィラが何を考えているのか、簡単に想像できてミーケルは肩を竦める。
「その歌姫は、この町を出たあと、ゆっくりと北西部を旅していたらしい。そのあたりには彼女が残した歌も多いし、彼女の逸話を伝える歌もいくつかあるんだ」
こくりと先を促すように頷くエルヴィラに、ミーケルはふっと笑った。
「……稀なる美声で世界の美しいものを歌い上げ、世界を巡る美しき歌姫。彼女に心を奪われた多くの貴人が先を争って愛を求めたが、彼女は決して首を縦に振らなかった。
なぜなら歌姫の心はただひとり、彼女に常に寄り添う護衛騎士に捧げられていたから」
まるで自分とミーケルみたいだ。
にやにやとそんなことを考えながら、エルヴィラはまたこくこくと頷く。
ミーケルの声が低く心地よく耳に響く。もっとよく聞きたくて、ぺたりと横に張り付くように、ミーケルの身体に耳を押し当てた。
ミーケルが笑って頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「けれど、歌姫はいきなり忽然と姿を消してしまった……なぜ、どこに消えたのか、伝説には語られていない」
「歌姫は、病に倒れでもしたのか?」
エルヴィラが不思議そうに見上げると、ミーケルは頭を撫でながら微笑んだ。
「……いや。彼女が姿を消したのは、詩人ではいられなくなったからだったんだ」
「いられなくなったって、まさか歌えなくなったのか?」
まさか、歌姫も自分のように元の声を無くしてしまったのだろうか。
ミーケルの顔を見つめたまま、エルヴィラは思わず眉を顰める。
「ある意味歌えなくなったんだ。でも、ヴィーが考えてるのとはちょっと違う理由でだよ。
歌姫は、歌姫ではいられなくなってしまったんだ」
「いられなくなった?」
よく意味がわからなくて、エルヴィラはやっぱり首を傾げる。
「そ。どうしても歌姫を続けられなくなって、歌姫をやめてしまったんだ」
「……もったいないな。すごい詩人だったのに」
頭をもたれ掛けて、エルヴィラはミーケルの膝上に置かれた書物に目を落とす。
そこに書かれているのは、たぶん、軍勢に対抗するためにこの町を走り回っていた当時の歌姫が日々感じていたことだったのだろう。
すっかり変色したインクで綴られた“怖い”という言葉を見つけて、ああ、やっぱり怖かったんだ、と思う。
町に押し寄せるヒューマノイドの軍勢なんて、怖くてあたりまえだ。もしエルヴィラがその場にいたら、やっぱり怖いと思うだろう。
そんなの、怖くないほうがおかしい。
「どうしたの?」
「歌姫って、どんなひとだったのかな。すごくきれいだったんだろうけど」
エルヴィラは手を伸ばし、書物の、“怖い”と記された箇所を指でなぞる。
怖いのに、故郷でもなんでもなく、たまたま居合わせたこの町に留まったのはどうしてだろうと思ったのだ。
「怖いのに、この町に残ったのはどうしてかなって。
騎士ならわかるんだ。私もそうだから。騎士なら、軍勢を見て自分だけ逃げ出すなんて、絶対できないし」
「どうしてそう思うの?」
「ん……だって、どんなに怖くても、騎士が怖気づいて逃げ出せば、後ろにいる戦えないひとたちが皆殺されてしまうんだ。だからどんなに怖くても、騎士は踏み止まって戦わなきゃいけない。
だから、後ろに守らなきゃいけないひとたちがひとりでもいる限り、騎士なら勇敢に戦うんだ」
「そうか」
ゆっくり頭を撫でながら、にっこりと優しくミーケルが笑う。
めったに見られないようなミーケルの笑顔が見られて、エルヴィラの心臓の鼓動が跳ね上がる。かあっと赤くなった。つい、ぎゅうっと抱き付いてしまう。
「ちょ、どうしたの」
「だから、ミケのそばには私が必ずいるからな」
「うん?」
「だから、ミケは大丈夫。怖いことなんてないからな」
真っ赤なままそう言って笑うエルヴィラに、ミーケルは吹き出してしまう。
「急に何を言い出すのさ」
へにゃっと笑うエルヴィラに、ふと思いついたように腕を回し、顔を寄せる。
「歌姫のことが気になるなら、話を聞きに行くかい?」
「聞きに行くって、どこに?」
「……歌姫のことを、いちばんよく知っているひとのところに」
エルヴィラは大きく目を瞠った。
伝説に少ししか語られていないという歌姫のことを、よく知る者がいるなんて。
「行きたい! どんなひとなんだ? 長命な種族なのかな」
「それは会ってからのお楽しみだ」
ぽん、と頭を叩かれて、エルヴィラは嬉しそうに頷いた。
思わぬところで手記の写しが手に入れられることになって、土産もできたのだ。
それに、エルヴィラはたぶん彼と気が合うんじゃないか。似た者同士という気がする。
「うん、僕も彼を訪ねるのはかなり久しぶりなんだ。楽しみだな」
エルヴィラはもちろん、彼も驚くんじゃないか。その時を想像して笑うミーケルを、エルヴィラも嬉しそうにじっと眺めていた。
* * *
「よう、顔見に来たぞ」
「アライト、どうした」
領主の屋敷でミーケルがせっせと書物を写しているところに、アライトが訪ねてきた。訪ねてきたと言っても、栗鼠の姿で窓からだが。
「その歌姫は、この町を出たあと、ゆっくりと北西部を旅していたらしい。そのあたりには彼女が残した歌も多いし、彼女の逸話を伝える歌もいくつかあるんだ」
こくりと先を促すように頷くエルヴィラに、ミーケルはふっと笑った。
「……稀なる美声で世界の美しいものを歌い上げ、世界を巡る美しき歌姫。彼女に心を奪われた多くの貴人が先を争って愛を求めたが、彼女は決して首を縦に振らなかった。
なぜなら歌姫の心はただひとり、彼女に常に寄り添う護衛騎士に捧げられていたから」
まるで自分とミーケルみたいだ。
にやにやとそんなことを考えながら、エルヴィラはまたこくこくと頷く。
ミーケルの声が低く心地よく耳に響く。もっとよく聞きたくて、ぺたりと横に張り付くように、ミーケルの身体に耳を押し当てた。
ミーケルが笑って頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「けれど、歌姫はいきなり忽然と姿を消してしまった……なぜ、どこに消えたのか、伝説には語られていない」
「歌姫は、病に倒れでもしたのか?」
エルヴィラが不思議そうに見上げると、ミーケルは頭を撫でながら微笑んだ。
「……いや。彼女が姿を消したのは、詩人ではいられなくなったからだったんだ」
「いられなくなったって、まさか歌えなくなったのか?」
まさか、歌姫も自分のように元の声を無くしてしまったのだろうか。
ミーケルの顔を見つめたまま、エルヴィラは思わず眉を顰める。
「ある意味歌えなくなったんだ。でも、ヴィーが考えてるのとはちょっと違う理由でだよ。
歌姫は、歌姫ではいられなくなってしまったんだ」
「いられなくなった?」
よく意味がわからなくて、エルヴィラはやっぱり首を傾げる。
「そ。どうしても歌姫を続けられなくなって、歌姫をやめてしまったんだ」
「……もったいないな。すごい詩人だったのに」
頭をもたれ掛けて、エルヴィラはミーケルの膝上に置かれた書物に目を落とす。
そこに書かれているのは、たぶん、軍勢に対抗するためにこの町を走り回っていた当時の歌姫が日々感じていたことだったのだろう。
すっかり変色したインクで綴られた“怖い”という言葉を見つけて、ああ、やっぱり怖かったんだ、と思う。
町に押し寄せるヒューマノイドの軍勢なんて、怖くてあたりまえだ。もしエルヴィラがその場にいたら、やっぱり怖いと思うだろう。
そんなの、怖くないほうがおかしい。
「どうしたの?」
「歌姫って、どんなひとだったのかな。すごくきれいだったんだろうけど」
エルヴィラは手を伸ばし、書物の、“怖い”と記された箇所を指でなぞる。
怖いのに、故郷でもなんでもなく、たまたま居合わせたこの町に留まったのはどうしてだろうと思ったのだ。
「怖いのに、この町に残ったのはどうしてかなって。
騎士ならわかるんだ。私もそうだから。騎士なら、軍勢を見て自分だけ逃げ出すなんて、絶対できないし」
「どうしてそう思うの?」
「ん……だって、どんなに怖くても、騎士が怖気づいて逃げ出せば、後ろにいる戦えないひとたちが皆殺されてしまうんだ。だからどんなに怖くても、騎士は踏み止まって戦わなきゃいけない。
だから、後ろに守らなきゃいけないひとたちがひとりでもいる限り、騎士なら勇敢に戦うんだ」
「そうか」
ゆっくり頭を撫でながら、にっこりと優しくミーケルが笑う。
めったに見られないようなミーケルの笑顔が見られて、エルヴィラの心臓の鼓動が跳ね上がる。かあっと赤くなった。つい、ぎゅうっと抱き付いてしまう。
「ちょ、どうしたの」
「だから、ミケのそばには私が必ずいるからな」
「うん?」
「だから、ミケは大丈夫。怖いことなんてないからな」
真っ赤なままそう言って笑うエルヴィラに、ミーケルは吹き出してしまう。
「急に何を言い出すのさ」
へにゃっと笑うエルヴィラに、ふと思いついたように腕を回し、顔を寄せる。
「歌姫のことが気になるなら、話を聞きに行くかい?」
「聞きに行くって、どこに?」
「……歌姫のことを、いちばんよく知っているひとのところに」
エルヴィラは大きく目を瞠った。
伝説に少ししか語られていないという歌姫のことを、よく知る者がいるなんて。
「行きたい! どんなひとなんだ? 長命な種族なのかな」
「それは会ってからのお楽しみだ」
ぽん、と頭を叩かれて、エルヴィラは嬉しそうに頷いた。
思わぬところで手記の写しが手に入れられることになって、土産もできたのだ。
それに、エルヴィラはたぶん彼と気が合うんじゃないか。似た者同士という気がする。
「うん、僕も彼を訪ねるのはかなり久しぶりなんだ。楽しみだな」
エルヴィラはもちろん、彼も驚くんじゃないか。その時を想像して笑うミーケルを、エルヴィラも嬉しそうにじっと眺めていた。
* * *
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