騎士と竜

ぎんげつ

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07.バカ王では困ります

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「宰相殿、陛下が寝室からお出になりません」
「――は?」

 少し慌てた侍女頭から耳打ちされた内容に、宰相はわけがわからないという顔でぽかんと口を開ける。

 昨夜の報告から、首尾よく本懐を遂げたことはわかっていた。
 これでようやく世継ぎの誕生が期待できると、祖父の墓前に報告しようかと考えていたところだったのだ。

「どういうことだ?」
「政務のお時間もありますし、そろそろ起きていただくようにお声掛けしたのですが……その、寝室に入るなとかなりの剣幕で仰いまして。
 それだけでしたらさほどの問題ではないのでしょうが、エルヴェラム様から離れたくないからこのままここにいるとも仰るので、いかがすべきかと……」
「何を考えていらっしゃるんだ!」

 眉を顰めて立ち上がる宰相に、侍女頭の眉尻が下がる。
 王が妃を迎えるのは、王宮に勤める者全員の悲願だった。だが、妃にはまり込んで政務を蔑ろにされてしまうのでは本末転倒だ。

「今すぐ向かう」
「はい」

 侍女頭と並んで、宰相は早足に王の住まう一角へと歩き出す。マイリスが唆したとは思わないが、それでも万が一を考え、確かめねばなるまい。



「陛下!」
「何用だ」

 ドンドン扉を叩くと、中から恐ろしく不機嫌な声が返ってきた。

「そろそろお時間が近づいております! 本日は、面会の予定も詰まっておりますし、会議もございます! とっとと起きて務めを果たしてください!」
「嫌だ! 今日の仕事は無しだ! 俺は一日ここにいると決めた!」
「陛下! 王の務めを何と心得ますか!」
「たまには構わんだろう!」
「それにはまず調整が必要でしょうが!」
「俺は働きすぎだと思わんのか!」
「そういう問題ではありません!」

 扉越しに怒鳴り合いが始まって、侍女頭がおろおろと困った視線をそばの護衛の近衛騎士に送る。だが、騎士にだってどうしていいかわからない。
 怒鳴り合いはだんだんとエスカレートしていき……。

「へ、陛下?」

 と、そこに起き抜けなのか、少し気の抜けたマイリスの声が上がった。



「あの、陛下。いったいどうなされたのですか」
「おお、起きたのか。お前は気にしなくていい、今日一日、俺はお前とともにここにいると決めただけだからな」
「え……は? 待ってください、陛下。政務はいかがするおつもりですか」
「クスティと呼べと何度も言っているだろう、物覚えの悪いやつだな。だが、そこがかわいいぞ」
「は? いえ、そうではなく、いったいどういうおつもりなのかと……」
「気にするな。俺はだいぶ働きすぎてるとお前も思うだろう?」

 宰相が扉を叩く音と怒鳴る声は続いている。気にするなと言われても、気にならないわけがない。

「陛下、ですが、政務が滞っては……宰相閣下もお困りのようですし」
「大丈夫だ、ああ見えて宰相は有能だ。なんとかするだろうし問題ない」
「はあ?」

 今の王の言葉と宰相の怒鳴り声から推測するに、昨夜のあれこれでのぼせ上がった王が、政務を放り出してここに留まろうとしているといったところか。
 そんなの、問題だらけだろう。

 つまり、マイリスがいると王が腑抜けになってしまうと?
 暗君の治世再びであると?

 マイリスの血の気が引いていく。

「――陛下」
「クスティだ」

 しっかりと抱き込んだ腕を押しやって、マイリスは王を正面から見上げた。
 王が訝しむように見返して、首を傾げる。

「仕事にお戻りください」
「嫌だ」
「子供のように駄々をこねられても、皆困ります」
「たまには休みを取ったところで、構わないだろう」
「病に倒れたわけでもないのに、いけません」

 なし崩しにマイリスを抱えてまたベッドに倒れこもうとする王を、どうにか押し留める。さすがに半竜である王の力は強いが、マイリスも負けてはいない。
 ぐぐぐと倒れ込まないよう堪えるマイリスに、王がぴくりと眉を寄せる。

「陛下」
「嫌だ。クスティと呼ばなきゃ聞いてやらん」
「では、クスティ様」
「ん」
「クスティ様は王であらせられます」
「ん?」

 王の眉がさらにぐぐっと寄った。
 まださらに続けようというのか、という顔だ。

 マイリスは必死に考える。
 どう言えば、王はきちんと務めへ向かってくれるだろうか。
 婚姻だ世継ぎだ以前に、このまま浮かれたあげくに王からバカ王に成り果てることだけは避けないと。
 そんなことになれば、マイリスはもちろん、エルヴェラムの家だって王を堕落させた重罪人という烙印を押されてしまうのだ。万が一国を荒らすようなことになれば、先祖にも家族にも国にも申し訳が立たない。

「王には、王ご自身でなくてはなせない務めがあるのですよね」
「マイリス」
「臣下がどれほど力を尽くそうとも、王がその務めを果たさねば、国は簡単に沈んでしまうのです」
「マイリス!」
「先々代のアーロン王の治世で、この国に生きるものは皆が身を以て学んだのだと、私は祖父から聞き及んでおります」
「――むう」

 話の雲行きに、王がますます眉間の皺を深くする。

 さっきまでのふわふわした空気が、すっかりどこかへ吹き飛んでしまった。
 今日は気の済むまでマイリスについているつもりだったのに、と、王の尾がピシピシと不機嫌にシーツを打ち始める。
 王は顔を顰めたまま動こうとしない。
 言葉だけではだめなのか、とマイリスは小さく溜息を吐く。
 斯くなる上は、やはり覚悟を決めなければならないのか。

「クスティ様、私がいては王の務めができないと仰るのでしたら……」

 マイリスは周囲にちらりと目を走らせた。だが、もちろん刃物など見当たらない。それならと、するっと床に降りるマイリスへ、王は胡乱な目を向ける。
 いったい何を、と問おうとする王の目の前でマイリスはすたすた窓に向かった。
 ちらりと王に視線を投げて、それからいきなりバンと大きく開け放つ。

「――マイリス!?」

 マイリスは、半身を窓から乗り出すようにして王を振り返った。

「何をする、危ないだろう! お前に翼はないんだぞ!」
「わかっております。ですが、私が王の堕落を呼ぶというのであれば、ここから身を投げて皆様に詫びようかと」

 王の居室は王宮の上階だ。ここから落ちたなら、いかに鍛えていたとしてもただでは済まない。生命だって落としかねないだろう。
 まん丸に目を見開いた王は、硬直したままぱくぱくと口を喘がせる。

「ま、ま、マイリス、お前」
「陛下、どうか王の務めを」
「ま、待て! 馬鹿なことはやめろ!」
「私が陛下を惑わせるなど、あってはならないことですから」
「わかった! ちゃんとする! ちゃんと王の務めを果たしてくる! だから早まらないでくれ!」

 慌てふためき取り縋る王に、マイリスは、ほっと息を吐いた。
 扉の向こうの宰相も、いつの間にか静かになっていた。

「では陛下、我儘は終わりになさって、執務へ向かってください」
「む……しかたない。急いで終わらせて来よう。お前はここにいろよ」
「はい。陛下のお望みとあらば、私はこちらでお待ち申し上げます」
「うむ」

 しぶしぶと、けれど頷いて、ピシリとひとつ尾で床を叩くと、王は部屋を出て行った。マイリスはへたりとその場に座り込んで、大きく息を吐く。
 すぐに侍女頭が現れてマイリスを布で包むと、「マイリス様、湯浴みをなさいましょうね」と手を取った。



「さすが“麗しの騎士様”でございます。ごねる陛下があんなにたやすく言うことをお聞きになるなんて。
 それに、エルヴェラム家は皆さま筋を通す方々だと聞いておりましたが、そのとおりでございましたね」
「はあ……不敬だと、お叱りを受けねば良いのですが」
「何を仰いますか。マイリス様は見事に陛下の我儘をお収めになって、お尻を叩いたのですよ。これならストーミアン王家も安泰です。
 ――けれど、あまり無茶なことはなさらないでくださいね。あの宰相殿ですら、扉の前で青くなっておられたのですから」
「はあ……」

 ふふ、と笑う侍女頭に、マイリスの眉尻が下がる。
 あそこで王が頷かなければ、本当に飛び降りるしかなかったのだ。王に分別があってよかった。

「マイリス様? 大丈夫ですか?」
「いえ……あの窓はずいぶん高かったなと、今になって思い出してしまって」
「まあ! マイリス様、お背中を流して差し上げますから、この後はお昼までゆっくりなさってくださいな」
「すみません、お手数をおかけします」

 改めて思い返せば、昨日の妹たちの訪問からずっと、気の休まる暇がなかったのだ。ここは言葉に甘えて、少し休ませてもらおう。

「マイリス様のお着替えはこちらです。湯浴みの間に朝食も準備いたしますが、何か希望がございますか?」
「あ、いえ、私は食べられるものでしたら何でも……」
「まあ。それでは用意のしがいがありませんわ。遠慮なく申し付けてくださってよろしいのですよ」
「す、すみません」
「では、昼食には何がよいか、考えておいてくださいませ」
「はい」

 侍女頭はくすくすと笑いながら部屋を出て行く。
 それから、ふと、マイリスは「あれ?」と首を傾げた。もしかしてこの状況は、“外堀を埋められた”というべきものではないだろうか。

「――父上と兄上に、どう説明すればいいんだ?」

 マイリスは頭を抱え込んでしまった。
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