騎士と竜

ぎんげつ

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08.何かがずれている

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 朝食を終え、王の居室に留まったまま、マイリスはぼけらと考える。

 どう考えてもおかしい。
 どう考えても、マイリスに王をたらしこめる要素が見つからない。
 酔った勢いとはいえ、王は、初めて抱く気になった女だからのぼせ上がっているだけではないか。
 でなければ解せない。

 身長や体格は確かに王の方が上だ。
 母である前王譲りの優しげな顔に似合わず、身体は意外にしっかりと鍛えられていた。半竜である王には、騎士として十分以上に鍛え、並の男には負けない自信があるマイリスでも、たぶん敵わない。

 だからといって、王と比較すればマイリスも女らしく見えるのかというと、そんなはずもなかった。
 なにしろ、並の令嬢程度の振る舞いすら、マイリスには無理なのだ。
 剣を持つようになってからずっと、スカートなんて穿いたことはない。踵の高い靴を履いたことだって一度もない。紳士のように淑女をエスコートしたことなら数え切れないほどだが、淑女のようにエスコートされた経験は皆無だ。
 エルヴェラム家の長女ではなく次男というのが、今までのマイリスの立ち位置だった。今さら女らしさなど求められても、マイリスは困ってしまう。

 それにしても、王は感覚が竜寄りなのだろうか。竜なら身体つきにもあまり性差はないだろう。振る舞いだって、たぶん大差はない。
 そういえば、王は人間の美醜がよくわからないとも言っていた。

 つまり、王は、自分の手近なところにいて、そこそこの家の出で面倒も無さそうな、性別女のマイリスで手を打つことにしたのかもしれない。
 だいたい、宰相だって、「子を産める女ならなんでもいい」なんてことを本気で言うわけがないのだ。マイリスをうまくはめたことからも明らかだ。

 マイリスは、ふう、と息を吐く。
 だったら納得はできる。

 なら、今のマイリスに課せられた役目は立派な子を産むことだろう。首尾よく王子を献上できた暁には、また騎士に戻り誠心誠意お仕えすれば問題ない。
 自分は妃などという柄ではないのだ。
 そういう役目なら、マイリスにも理解できるし務められそうでもある。



「マイリス様」
「は!」

 コツコツとノックの後、返答を待って扉を開けたのは侍女頭だった。

「イングヴァール・エルヴェラム様が訪ねていらっしゃいました。王の許可は下りています。サロンへご案内いたしましょう」

 兄が訪ねてきた? と、マイリスは驚きに目を瞠る。

 そういえば、今、父母は領地に滞在中だったなと思い出す。大方、今回の件について城から連絡がいって、取り急ぎ父の代わりに登城したのだろう。
 マイリスは慌てて立ち上がり、しゃちこばって礼をする。

「は、わざわざありがとうございます」
「まあ、これは私の役目ですから、あまりかしこまらずに」

 くすくす笑う侍女頭に先導されて、マイリスはサロンへと向かった。



「マイリス」
「兄上! お身体の調子は」

 侍女頭に礼をいって広いサロンへ入ると、兄が待ち受けていた。
 病弱ゆえに色白で線の細いイングヴァールは、マイリスの兄だ。だから当然男装していてるのだが、それでもマイリスよりずっと淑女のように見える。

「ぼくのことなら心配はない。今はいい季節だからね。それよりマイリス、お前、まだ騎士服を着ているの?」
「はい、慣れておりますし、陛下のお側におらねばなりませんから、このほうが都合もよいかと」

 それはどうなのかと呆れるイングヴァールを、マイリスは何かおかしいだろうかと、きょとんと見返した。
 こほんと小さく咳払いをして、イングヴァールは先を続ける。

「宰相閣下からの連絡には驚いたよ。父上には急ぎの使いを送ったけど、どんなに急いでこちらへ向かっても数日はかかる」
「あの、兄上にはご心配おかけして、申し訳なく……」

 恐縮して項垂れるマイリスの頭を、イングヴァールはぽんぽんと撫でる。

「マイリス、座ってゆっくり話そうか」
「はい」



 目の前に置かれたカップを手に取ると、「よい香りだね」と、イングヴァールはにっこり笑った。それから、じっとマイリスを見つめて――

「では、お前がどうして陛下の妃として迎えたいと打診を受けるようなことになっているのか、話してくれるね?」

 いきなり核心を突いてきた。

 “消えてしまいそうに美しい光の精霊ウィスプ”と称されることも多いが、こう見えてイングヴァールもエルヴェラムの男なのだ。マイリスよりずっと頭も回る。深窓の令嬢のような印象のおかげもあって、イングヴァールこそがエルヴェラム家で一番面倒な相手だとも言えるだろう。
 昔からずっと、マイリスがこの兄に隠し事などできた試しはなかったけれど、それでも、マイリスはなんとかごまかそうとがんばってみた。
 だが結局、にこやかな兄に突っ込まれ、近衛の辞令を受けてから今に至るところまでを洗いざらい吐かざるを得なかったのだが。

「――宰相閣下はたしかに遣り手と言われるお方だけど、今回はお前がうっかりに過ぎたようだね」

 やれやれと肩を竦めるイングヴァールに、マイリスの頭が上がらない。
 イングヴァールの言うように、今になって振り返ってみれば、もう少し、いろいろとやりようがあったことも確かなのだ。

「申し訳ありません……私が男に生まれていれば、兄上や父上にこんなご面倒を掛けることなどなかったのですが」
「マイリス」
「はい」

 は、と嘆息するイングヴァールに、マイリスは肩を落とす。
 自分が男だったら、エルヴェラム家の当主となるイングヴァールの弟として、今回のような面倒ごとを起こすことなく、兄を支えられたのに。

「お前は何かというとすぐに男ならと言いだすけれど、ぼくはマイリスが男だったらなんて考えたことはないよ」
「でも、兄上、私は……」
「むしろ、ぼくに人並の体力さえあれば、マイリスにこんな負担を掛けることなんてなかったのにと思うことばかりだ」
「いえ、そんな、負担なんて! 私は今が性に合ってるんですから!」

 慌てるマイリスに、イングヴァールは、ほらねと笑う。

「ねえ、マイリス。お互い様だろう?
 ぼくとお前ははきょうだいなんだ。面倒も負担も掛けたり掛けられたりが当然なのだから、いちいち気にすることなんてないんだよ」
「兄上……」

 ほ、と息を吐くマイリスに、けれど、イングヴァールはおもむろに姿勢を正した。マイリスも釣られて背を伸ばす。

「だからマイリス、改めて、だ。
 もしお前が家のため、望まずして陛下の妃にというなら、考え直しなさい」
「いえ、兄上、そんなことは……」
「マイリス、さっきはああ言ったけれど、ぼくの身体が弱いばかりにお前にずいぶんと負担をかけてきたことは本当なんだ。
 お前が望み、陛下に望まれて嫁ぐというなら、それでもいい。たしかに、我が家にとって悪いことではないからね。
 ただ、お前のことだ。何かいらない義務感でそうしなければと考え、望まぬのに嫁ごうとしているのだとしたら、今ここで考え直しなさい」
「まさか、兄上」

 真剣な兄の目が、杞憂だと笑い飛ばすことを許さなかった。
 マイリスの喉が、ごくりと鳴る。

「兄上、その……私は、陛下がお望みであるなら、大丈夫です」
「本当に?」

 はい、と笑って返すマイリスに、なら、いいのだけどと兄は吐息を漏らす。
 しかし、口ではいいと言うこの妹は、本当に意味がわかっているのか。

「これが私に与えられた役目なのですから、全力を尽くすまでです、兄上」
「……戦場にでも赴くみたいな口ぶりじゃないか」
「当たらずとも遠からずかもしれません。奥向きは女の戦場なのだと、母からも聞き及んでおりますし」

 微妙な表情の兄の前で、マイリスは気合十分だ。
 王のため国のため、そして家のため。この戦場でしっかり戦い抜いてみせようではないかと言わんばかりのマイリスに、イングヴァールは知らず溜息を吐く。

「マイリス。やはりその、何かずれてると思うんだ。お前は人より少し思い込みが激しいから……」
「大丈夫です、兄上。十分に承知しておりますから」

 にっこり笑うマイリスに、イングヴァールの不安は拭えない。そして、どうにも浮かない顔のイングヴァールに、マイリスも少し不安になってくる。

「兄上? それとも、他にも何か心配なことがあるんですか?」
「マイリス、お前はちゃんと陛下を愛しているのかい?」
「もちろん、私は陛下を敬愛申し上げていますよ」

 兄はやっぱり嘆息する。
 そういうことではなくと言いかけて、けれど、それを指摘したところで不毛なことに変わりはないのだと思い直して、別な言葉を口にする。

「ぼくはお前に幸せになってほしいよ、マイリス」
「兄上、ご心配なさらず。私は兄上や陛下のお役に立てて幸せですから」
「……お前はぼくの大切な妹だ。もし、お前が何か辛くなった時には、いつでも家に戻っておいで」
「兄上、陛下のお許しがなければそうそう帰るわけにはいきませんよ」

 何を言うのかと笑うマイリスに、イングヴァールも苦笑を浮かべた。
 本当に大丈夫なのかという不安は燻っているが、これ以上は自分の口出しすべきところではないだろう。イングヴァールは大地と豊穣の女神に、この結びつきがうまくいくようにと心中でひっそり祈る。

「ぼくにだって、伝手のひとつやふたつくらいあるんだよ。お前が困った時にはいつでも助けるから、心配はいらない」
「新兵時代の野戦訓練以上に困ることなんてそうそうありませんから、ご心配なさらずに。兄上こそ身体をお厭いくださいね」
「――ああ」

 やっぱりどこかずれた返答に、イングヴァールの不安は尽きない。
 けれど。

「ではそろそろ、ぼくはお暇申し上げることにしよう。
 輿入れの品は後々揃えて送るから、お前が心配することはないよ。母上が戻り次第、妹たちと大騒ぎで見繕うだろうしね。
 式典や儀式のことは、父上と宰相閣下の間で詰めることになるだろう。お前は、この先も陛下に誠心誠意お仕えすることを一番に考えなさい」
「はい」

 立ち上がるイングヴァールの後に続き、マイリスも部屋を出る。

 この怒涛のような出来事で、家にも心配を掛けてしまったなと考えながら扉をくぐったところで……いきなりぼとりと蛇が降ってきた。
 驚きのあまりにふたりとも固まって、それからすぐにその鱗と姿が昨日見た蛇にそっくりだと気づいたマイリスが声を上げる。

「へ、陛下!」

 ハッと我に返ったイングヴァールは、慌てて臣下の礼を取った。

「これは、国王陛下にございましたか。イングヴァール・エルヴェラムです。本日は宰相閣下より受けた報せの件で、我が妹に会いに参りました。目通りをお許しいただき、感謝いたします」
「うむ」

 するするとマイリスの身体を伝って肩の上に落ち着くと、王は鷹揚に頷いた。

「――陛下。マイリスは少々融通の利かないところがありますが、幼い頃より陛下と国への忠誠を父や祖父より叩き込まれて参りました。この先も、陛下には誠実にあることと存じます。
 どうか、我が妹をよろしくお願い申し上げます」
「心配するな、任せろ」

 王の調子が今朝とまるで違う。形式張って、どこか頑なな印象の王に、マイリスは内心で首を捻る。

「恐悦至極に存じます。それでは、私はこれにて御前を失礼いたします」

 立ち上がったイングヴァールは、深く敬礼するとゆっくり歩き去った。
 その背を見送り、それから妙に言葉の少ない王をじっと見つめる。王は相変わらずマイリスに巻き付いたまま、肩に落ち着いている。

「陛下、また蛇になどなられて。宰相閣下に叱られてしまいますよ」
「いいのだ」
「今度は何を拗ねていらっしゃるのですか。まだご政務が残っているのではないですか?」
「……うむ」
「陛下、では執務室までお連れいたします。私も一緒に参りますから、ご機嫌を直してください」
「うむ」

 何か気に触ることでもあったのだろうか。
 どうにも気落ちしているような不機嫌なような王のようすは気になったが、マイリスはゆっくりと歩き出した。
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