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終.大いなる転輪を巡った先で
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「マイリスでなければ嫌だ」
そう言って、ぼたぼたと涙を零して取り縋るクスティに、「幾つになっても仕方のない方ですね」とマイリスは笑う。
「まるで駄々っ子のようですよ」
ほんのりと笑って、小さく吐息を漏らす。
あんなに鍛えていたのに、歳をとったらこんなに萎えてしまうなんて。
それに、ここのところ眠くて眠くて仕方ない。そろそろ自分にも神のお召しがある頃合いなのだろう。
この日が来るのは、ずっと怖かった。
自分がいなくなってしまったら、クスティはいったいどうなるのかと考えると、とても怖かった。
兄イングヴァールは、結局、子をなすどころか結婚すらしなかった。
エルヴェラムの家は、マイリスの産んだ娘と妹の産んだ三番目の息子が婚姻を結んで継いでいる。
三つ下の従弟を見るなり「この子、わたしの!」と高らかに宣言した娘は、きっと父であるクスティに似てしまったのだろう。
幸い、従弟も娘を気に入ってくれたので、つつがなく婚姻を結び、仲睦まじい夫婦となることができて安心した。
王位は無事に息子が継承した。息子も父に似てしまったのか、父のように伴侶探しには手間取っているようだった。
だが、焦らずともきっと見つかるだろう。
ストーミアン王家の血筋は、皆、強運なのだから。
この世界に生きる者……魂を持つものは皆、大いなる転輪の中を巡っていくと言われている。
その転輪が回るのはこの世界だけなのか、それとも数多ある次元界の中すべてなのかは神々しか知らないことで……でも。
「また、この世界に生まれて来れるよう、神々にお願いしますよ。そうすれば、クスティ様に見つけていただけるでしょう?」
ボロボロ泣いて、前王としての威厳はどこへというクスティに、マイリスはつい笑ってしまう。
そんなに泣いたら、きれいな翠玉が溶けて無くなってしまう。だから泣かないでと言っても、クスティの涙は止まらない。
ぼそぼそと呟く言葉は、もうはっきりとした音にはならず。
それにしても、ああ、眠い。
マイリスは、小さく、吐息交じりに呟いて……。
* * *
「マーイ! また空見てるの? もう行くよ」
「あ、うん」
高く青く澄み渡った空は好きだ。
あの、はるか高みの向こう、空の彼方から、何かとても素敵なものがやってくるような気がするから。
「どうにも惹かれてやまないものや、全く覚えがないのに知っている光景というのは、自身の魂に刻まれた、生まれる以前の自分の記憶なのだと言われています」
そう、得意げに話していたのは、仲間の司祭だ。
知識の神に仕える彼は、いつか、神々ですら多くを知らないというおおいなる転輪の秘密が知りたいのだと、何かにつけて語るのだ。
――おおいなる転輪か。
いくつもの次元を超えて、次の生を待つ魂が巡る場所。
なら、この、どうにもならない空の彼方に対する期待感のようなものは、自分の魂の記憶によるものなのだろうか。
この世界に産まれて、もう五十年を越えた。本来なら、まだ成人とはとても言えない年齢だし、郷から出してもらうことだって難しい。
けれど、魔術の基礎は修めたのだからもういいだろうと、親を押し切り家出同然に飛び出してしまった。
別に、故郷が嫌いなわけではない。親兄弟との折り合いも悪くない。
ただ、ここに居たらだめだと思っただけなのだ。
何がだめなのかはわからない。
ただ、ここに居たら見つけてもらえないという、どうにもならない焦燥に追われるように外へ出てしまっただけで、何か考えていたわけでもない。
この焦燥が、タチの悪い呪いだったらどうしようかと悩みはした。
したけれど、調べても何も出て来なかったし、なら、悩んでも仕方ないとようやく開き直ったところなのだ。
よっこらしょ、と杖を手に立ち上がる。
自分を呼ぶ斥候の猫人に手を振り返して、荷物を背負う。
冒険者と呼ばれるようになって数年経つが、最初よりはマシになったと言っても、やはり身体には自信がない。
自分の華奢な腕を見て、もうちょっと体力があれば文句なかったのにな、なんてことを考える。はあ、と息を吐いて、歩き出す前にもう一度空を仰いだのはいつもの習慣だった。
「え?」
きら、と何かが陽光を反射して輝いた。
輝く点が、みるみる近づいてくる。
「マーイ?」
ぽかんと空を見上げたまま微動だにしなくなったことを訝しんで、仲間たちも、いっせいに視線を上へ向けた。
そこにある、翼を広げて滑り落ちるように一直線にやってくるきらめく人影に、皆がぽかんと口を開く。
「あれ、何? 魔人?」
「いえ……違います。半竜じゃないですか?」
空を指差す斥候に、知識神の司祭が呆気にとられた顔でそう呟く。
「――マイリス!」
半竜がどうしてここに、と言い返そうとして、名前を呼ばれた。
ばさりばさりと大きく翼をはためかせて舞い降りた半竜は、迷いもせず、まっすぐマイリスを抱きしめる。
「マイリス、見つけた」
「た、たしかに私の名前はマイリスだけど、人違いじゃない?」
「俺がマイリスを間違えるわけがない」
甘えるように顔を擦り寄せながら、半竜が囁く。
見も知らぬ半竜なのにと、おたおたするマイリスの顔を、甘く甘く蕩けるような表情の半竜が覗き込んで……まるで、恋人に相対するように見つめられて、どうしたらいいのかわからない。
何より、あまり嫌ではない、満更でもないことに戸惑ってしまう。
「お前、今度は妖精族にしたのか。なら、長くいられるな、マイリス」
「え、な、何のこと?」
「俺が、すぐにいなくなるのは嫌だと言ったからだな。うれしいぞ。さすがは俺のマイリスだ」
「ねえ、ちょっと」
「クスティだ」
「え?」
「俺のことはクスティと呼べと言うのに、本当にお前は物覚えが悪い」
「――クスティ?」
ああそうか。
この人があんまり泣くから、もう泣かせないようにしなきゃと思ったのだ。
泣いて泣いて、泣きすぎてせっかくの綺麗な翠玉が真っ赤になって溶けて、乾いて死んでしまったらどうしようとすごく心配になってしまったのだ。
――こんなんじゃ、とてもひとりになんてしておけない。次に会うときはどうにかして長く一緒にいられるようにしなくちゃと。
「マイリス」
呼ばれて、マイリスはハッと我に返る。
まるで自分のようでいて、自分ではないような……?
今考えたことは、いったい何なのか。
「お前、男装してるんだな」
「そんなの、このほうが動きやすいんだから当たり前じゃない」
「今も蛇を獲って食べたりするのか?」
「え……」
今も? と怪訝な表情を浮かべて、けれど何かを期待するようなクスティの顔に、つい答えてしまう。
「そりゃ、まあ、どうしてもって時なら、獲って食べるわよ」
「そうか!」
たちまち笑み崩れるクスティに、戸惑うマイリスの眉が寄る。
「……ねえ、本当になんなの?」
「お前、今は魔術師なのか」
「そうよ」
「鍛えたお前も良かったが、華奢なお前もかわいいな。けれど、細すぎて折れてしまいそうだ。大丈夫か? ちゃんと食べているのか?」
「た、食べてるわ!」
ひょいと抱き上げられて、マイリスの顔が真っ赤に上気してしまう。
軽いだの軽すぎるだの騒ぐクスティの後ろから、「えー、ごほん」とわざとらしい咳払いが聞こえた。
「ええと、マイリスと半竜の……クスティさん?」
くるりと振り向くクスティとマイリスを、困ったような笑みを浮かべた仲間たちが見つめていた。
「俺たち、これから町に戻るんです。
事情はよくわからないんだけど……でも、積もる話もあるみたいだし、とりあえずは戻って、それからゆっくり話しませんか?」
クスティがきょとんと首を傾げて、すぐに破顔した。
嬉しくて仕方ないという顔に、この人はどうしてそんな顔で笑うのだろうと、マイリスはじっと見入ってしまう。
「ああ、そうだな。マイリスを疲れさせちゃいけない」
マイリスを横抱きに抱き上げたまま足取り軽く街道を歩き始めるクスティの後を、皆は軽く肩を竦め、付いていく。
「マイリス」
「だから、何?」
何度も何度も親しげにただ名前を呼んで、クスティは、ひたすら幸せそうににこにこと自分を見つめている。この人は、いったいどうして自分を知ってるように振る舞うのだろうかと考えて……。
マイリスは必死に考えてみたけれど、わかるはずもなく。
ただ、ずっと自分が待っていた、自分を見つけ出してくれる何かが間違いなく彼なのだという確信が、大きくなるばかりだった。
そう言って、ぼたぼたと涙を零して取り縋るクスティに、「幾つになっても仕方のない方ですね」とマイリスは笑う。
「まるで駄々っ子のようですよ」
ほんのりと笑って、小さく吐息を漏らす。
あんなに鍛えていたのに、歳をとったらこんなに萎えてしまうなんて。
それに、ここのところ眠くて眠くて仕方ない。そろそろ自分にも神のお召しがある頃合いなのだろう。
この日が来るのは、ずっと怖かった。
自分がいなくなってしまったら、クスティはいったいどうなるのかと考えると、とても怖かった。
兄イングヴァールは、結局、子をなすどころか結婚すらしなかった。
エルヴェラムの家は、マイリスの産んだ娘と妹の産んだ三番目の息子が婚姻を結んで継いでいる。
三つ下の従弟を見るなり「この子、わたしの!」と高らかに宣言した娘は、きっと父であるクスティに似てしまったのだろう。
幸い、従弟も娘を気に入ってくれたので、つつがなく婚姻を結び、仲睦まじい夫婦となることができて安心した。
王位は無事に息子が継承した。息子も父に似てしまったのか、父のように伴侶探しには手間取っているようだった。
だが、焦らずともきっと見つかるだろう。
ストーミアン王家の血筋は、皆、強運なのだから。
この世界に生きる者……魂を持つものは皆、大いなる転輪の中を巡っていくと言われている。
その転輪が回るのはこの世界だけなのか、それとも数多ある次元界の中すべてなのかは神々しか知らないことで……でも。
「また、この世界に生まれて来れるよう、神々にお願いしますよ。そうすれば、クスティ様に見つけていただけるでしょう?」
ボロボロ泣いて、前王としての威厳はどこへというクスティに、マイリスはつい笑ってしまう。
そんなに泣いたら、きれいな翠玉が溶けて無くなってしまう。だから泣かないでと言っても、クスティの涙は止まらない。
ぼそぼそと呟く言葉は、もうはっきりとした音にはならず。
それにしても、ああ、眠い。
マイリスは、小さく、吐息交じりに呟いて……。
* * *
「マーイ! また空見てるの? もう行くよ」
「あ、うん」
高く青く澄み渡った空は好きだ。
あの、はるか高みの向こう、空の彼方から、何かとても素敵なものがやってくるような気がするから。
「どうにも惹かれてやまないものや、全く覚えがないのに知っている光景というのは、自身の魂に刻まれた、生まれる以前の自分の記憶なのだと言われています」
そう、得意げに話していたのは、仲間の司祭だ。
知識の神に仕える彼は、いつか、神々ですら多くを知らないというおおいなる転輪の秘密が知りたいのだと、何かにつけて語るのだ。
――おおいなる転輪か。
いくつもの次元を超えて、次の生を待つ魂が巡る場所。
なら、この、どうにもならない空の彼方に対する期待感のようなものは、自分の魂の記憶によるものなのだろうか。
この世界に産まれて、もう五十年を越えた。本来なら、まだ成人とはとても言えない年齢だし、郷から出してもらうことだって難しい。
けれど、魔術の基礎は修めたのだからもういいだろうと、親を押し切り家出同然に飛び出してしまった。
別に、故郷が嫌いなわけではない。親兄弟との折り合いも悪くない。
ただ、ここに居たらだめだと思っただけなのだ。
何がだめなのかはわからない。
ただ、ここに居たら見つけてもらえないという、どうにもならない焦燥に追われるように外へ出てしまっただけで、何か考えていたわけでもない。
この焦燥が、タチの悪い呪いだったらどうしようかと悩みはした。
したけれど、調べても何も出て来なかったし、なら、悩んでも仕方ないとようやく開き直ったところなのだ。
よっこらしょ、と杖を手に立ち上がる。
自分を呼ぶ斥候の猫人に手を振り返して、荷物を背負う。
冒険者と呼ばれるようになって数年経つが、最初よりはマシになったと言っても、やはり身体には自信がない。
自分の華奢な腕を見て、もうちょっと体力があれば文句なかったのにな、なんてことを考える。はあ、と息を吐いて、歩き出す前にもう一度空を仰いだのはいつもの習慣だった。
「え?」
きら、と何かが陽光を反射して輝いた。
輝く点が、みるみる近づいてくる。
「マーイ?」
ぽかんと空を見上げたまま微動だにしなくなったことを訝しんで、仲間たちも、いっせいに視線を上へ向けた。
そこにある、翼を広げて滑り落ちるように一直線にやってくるきらめく人影に、皆がぽかんと口を開く。
「あれ、何? 魔人?」
「いえ……違います。半竜じゃないですか?」
空を指差す斥候に、知識神の司祭が呆気にとられた顔でそう呟く。
「――マイリス!」
半竜がどうしてここに、と言い返そうとして、名前を呼ばれた。
ばさりばさりと大きく翼をはためかせて舞い降りた半竜は、迷いもせず、まっすぐマイリスを抱きしめる。
「マイリス、見つけた」
「た、たしかに私の名前はマイリスだけど、人違いじゃない?」
「俺がマイリスを間違えるわけがない」
甘えるように顔を擦り寄せながら、半竜が囁く。
見も知らぬ半竜なのにと、おたおたするマイリスの顔を、甘く甘く蕩けるような表情の半竜が覗き込んで……まるで、恋人に相対するように見つめられて、どうしたらいいのかわからない。
何より、あまり嫌ではない、満更でもないことに戸惑ってしまう。
「お前、今度は妖精族にしたのか。なら、長くいられるな、マイリス」
「え、な、何のこと?」
「俺が、すぐにいなくなるのは嫌だと言ったからだな。うれしいぞ。さすがは俺のマイリスだ」
「ねえ、ちょっと」
「クスティだ」
「え?」
「俺のことはクスティと呼べと言うのに、本当にお前は物覚えが悪い」
「――クスティ?」
ああそうか。
この人があんまり泣くから、もう泣かせないようにしなきゃと思ったのだ。
泣いて泣いて、泣きすぎてせっかくの綺麗な翠玉が真っ赤になって溶けて、乾いて死んでしまったらどうしようとすごく心配になってしまったのだ。
――こんなんじゃ、とてもひとりになんてしておけない。次に会うときはどうにかして長く一緒にいられるようにしなくちゃと。
「マイリス」
呼ばれて、マイリスはハッと我に返る。
まるで自分のようでいて、自分ではないような……?
今考えたことは、いったい何なのか。
「お前、男装してるんだな」
「そんなの、このほうが動きやすいんだから当たり前じゃない」
「今も蛇を獲って食べたりするのか?」
「え……」
今も? と怪訝な表情を浮かべて、けれど何かを期待するようなクスティの顔に、つい答えてしまう。
「そりゃ、まあ、どうしてもって時なら、獲って食べるわよ」
「そうか!」
たちまち笑み崩れるクスティに、戸惑うマイリスの眉が寄る。
「……ねえ、本当になんなの?」
「お前、今は魔術師なのか」
「そうよ」
「鍛えたお前も良かったが、華奢なお前もかわいいな。けれど、細すぎて折れてしまいそうだ。大丈夫か? ちゃんと食べているのか?」
「た、食べてるわ!」
ひょいと抱き上げられて、マイリスの顔が真っ赤に上気してしまう。
軽いだの軽すぎるだの騒ぐクスティの後ろから、「えー、ごほん」とわざとらしい咳払いが聞こえた。
「ええと、マイリスと半竜の……クスティさん?」
くるりと振り向くクスティとマイリスを、困ったような笑みを浮かべた仲間たちが見つめていた。
「俺たち、これから町に戻るんです。
事情はよくわからないんだけど……でも、積もる話もあるみたいだし、とりあえずは戻って、それからゆっくり話しませんか?」
クスティがきょとんと首を傾げて、すぐに破顔した。
嬉しくて仕方ないという顔に、この人はどうしてそんな顔で笑うのだろうと、マイリスはじっと見入ってしまう。
「ああ、そうだな。マイリスを疲れさせちゃいけない」
マイリスを横抱きに抱き上げたまま足取り軽く街道を歩き始めるクスティの後を、皆は軽く肩を竦め、付いていく。
「マイリス」
「だから、何?」
何度も何度も親しげにただ名前を呼んで、クスティは、ひたすら幸せそうににこにこと自分を見つめている。この人は、いったいどうして自分を知ってるように振る舞うのだろうかと考えて……。
マイリスは必死に考えてみたけれど、わかるはずもなく。
ただ、ずっと自分が待っていた、自分を見つけ出してくれる何かが間違いなく彼なのだという確信が、大きくなるばかりだった。
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