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閑話:正解とは?
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「本当に、いいんですか?」
「構わん」
今夜はマイリスが正式に王の婚約者として出席する初めての夜会だ。どちらかと言えば、マイリスのお披露目が主目的の夜会だろう。
そのため、国内はもちろん、国外からの賓客も招いた相当に大規模なものだ。
「ですが、宰相閣下に叱られませんか」
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。お前が俺の宝だと示すなら、これが一番手っ取り早いだろうが」
「そうなんでしょうか」
はあっと吐息を漏らすマイリスに、王は、まるで仕掛けたいたずらを見守る子供のように笑う。
「ほれ、そろそろ時間だ。行くぞ」
「はい」
マイリスは観念して歩き始めた。
王の出で立ちにはさすがの使用人も驚いた顔になるが、王は尻尾をひと振りして黙らせてしまう。
「国王トールヴェルト陛下並びにマイリス・エルヴェラム嬢です」
王の到着を告げる声に、騒めいていたホールが一瞬鎮まった。
けれど、扉が大きく開け放たれたそこには人影がひとつのみで……戸惑いと不審に、客たちがさざめき始める。
「皆、楽しんでいるか」
そこへ、確かに王の声が響いた。
なのに、やはり王の姿は見えない。
「――陛下!」
真っ先に声を上げたのは、やはり宰相だった。
「つ、常のお姿でと申し上げましたのに、いったいそれは……」
「いいだろう。俺がマイリスから離れずにいるには、こうするのが最善なのだぞ。賢いだろう?」
マイリスの胴から肩に巻き付いた、蛇の姿の王が得意げに鎌首をもたげた。よくよく見れば、蛇の鱗も目も王の持つ色だ。
王は、皆の反応を確かめて、にやりと笑った。
しゅるりと舌を出してゆっくりと周囲を見回すと、「マイリス。壇上へあがるぞ」と玉座の置かれた場所を尻尾で示す。
「はい」
王を巻きつけたマイリスは、ことさらにゆっくりとした足取りで、壇上に設えた王の座へと向かった。
いかに蛇の姿をしているとはいえ、王は王だ。
顔を引き攣らせ、腰の引けた貴族たちが順番に挨拶に来るが、皆、話もそこそこにすぐ退散してしまう。貴族令嬢となると、王に顔を向けることすらできない者ばかりだ。
平気なのは、騎士団の経験がある者か田舎出身の貴族くらいか。
さすがに慣れているのか、使用人や近衛騎士たちも平気なようだ。
ただし、王だけでなく、王を肩に乗せたまま平然と座るマイリスのことまで、何か恐ろしい者のように見つめてくるのはいかがなものなのか。
「――さすが、“麗しの騎士様”ですわ」
「いかに陛下の御身であろうと、あのような蛇を連れて平然としていらっしゃるなんて」
「きっと、陛下は“麗しの騎士様”の強く美しいところに魅かれたのですわ。さすが陛下でございます」
そんなひそひそ話も聞こえて、マイリスの頭は痛い。
「エルヴェラム家が当主ヨーアンでございます。我が妻エリサベト、継嗣イングヴァールとともにご挨拶に参上いたしました」
父の順番が回って来たことに気づいて、マイリスの背すじが伸びる。
母と兄を伴い、御前へと歩み出た父は恭しく膝をつくと、マイリスの肩上の王へと臣下の礼を取った。
「陛下におかれましては、本日も麗しくいらっしゃる。
我が娘に対する日頃のご厚情に加え、陛下の珍しいお姿も拝見できた幸運、恐悦至極に存じます」
「うむ」
伏せられた顔がどんな表情を浮かべているかはわからないが、父や母はともかく、兄は笑っているのではないだろうか。
肩がほんのりと揺れている気がする。
「陛下の、我が娘へのご配慮にも感謝いたします」
「なんだ、知ってたのか」
するりと肩から膝の上へと移動して、王はまるで内緒話をするかのように、頭をヨーアンへと寄せた。
「陛下のご配慮のおかげで、マイリスでなくては、という声が聞こえるほどでございますれば。それに、この程度察することができずして、エルヴェラム家を纏めることができましょうか」
王の言葉を受けてにっこり笑うヨーアンに、マイリスの背は、やはりぴんと伸ばされる。
「だがな、ヨーアン。マイリスは実際すごいのだぞ。この姿の俺を、初見で、しかも一瞬で掴み捕らえた女など、マイリスくらいだ」
「陛下。失礼ながら、いかに陛下であろうと、蛇ごときを相手に遅れを取るような者が、エルヴェラム家の騎士とはなれません」
「まったくだ。よくぞマイリスを騎士として育ててくれたな。礼を言う」
「身に余る光栄にございます」
王と父の会話は、本当に娘を嫁に出す父とそれを娶ろうとする男のものだろうか。マイリスが内心首を捻りながら視線を巡らせると、イングヴァールはやはり笑いをこらえていた。
「クスティ様、ひとつ問題があることに気づいてしまったのですが」
招待された貴族たちのご機嫌伺いも終わる頃、マイリスが、「あ」と小さく声を上げた。
「マイリス、どうした?」
「この後、クスティ様は私と最初のダンスを踊ることになっていたのではありませんでしたか?」
「ふむ」
王はもたげた首をこてりと傾ける。そう言えばそうだったなと考えて宰相を見やると、何やら必死な顔で頷いていた。
心なしか、王の務めを果たせと言われている気もする。
「仕方あるまい」
「陛下?」
「それに、夜会でお前と踊るのは、今日が初めてなのだしな」
マイリスの身体からひょいと飛び降りた王の、身体の輪郭がぼんやりと歪み……たちまち人間の姿をした王が目の前に立っていた。
黒髪と翠玉の目は確かに王だが、鱗のない柔らかな皮膚に鉤爪のない手は紛うことなく人間のものだ。下肢も、踵の上がった竜のような脚ではなく、普通の、人間の脚だった。もちろん、背の翼も尾も角も今はない。身長は、半竜の時に比べるといくらか低いだろうか。
マイリスは目をまん丸に見開いて、ぽかんと王を見上げる。
たしかに、人間の姿を取った王は、相当な美男子と言えるだろう。
「マイリス、どうだ? 俺に惚れ直したか?」
「いえ、その……なんと申しますか」
「ん?」
予想とは微妙に違うマイリスの反応を若干不審に思いつつも、王は、にこにこと笑いながら続く言葉を待つ。
「どこか物足りないと言いますか」
「物足りない?」
マイリスがちらりと……いつもなら尾がある場所を見る。
床を叩いたり跳ねまわったりと、意外に雄弁に動き回る尾がないのは、どうにも調子が出ない気がする。
「クスティ様には、半竜のお姿がもっとも相応しく、お似合いかと存じます」
「ふむ」
急に王がふにゃりと笑み崩れた。
マイリスの腰を抱いて、「音楽を!」と合図を送る。
「クスティ様?」
そのままの姿でぐいとマイリスを引っ張り、ホールの真ん中へ出た王は、始まった演奏に合わせてステップを踏みだした。
「やはり、俺はマイリスを選んで正解だった」
「クスティ様?」
王に振り回されるように、マイリスもくるくると回り始める。
いったい何が正解だというのか。
気になって聞き返したかったが、今日までにどうにか覚えたステップをなぞるのに必死なマイリスは、それどころではなかった。
「構わん」
今夜はマイリスが正式に王の婚約者として出席する初めての夜会だ。どちらかと言えば、マイリスのお披露目が主目的の夜会だろう。
そのため、国内はもちろん、国外からの賓客も招いた相当に大規模なものだ。
「ですが、宰相閣下に叱られませんか」
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。お前が俺の宝だと示すなら、これが一番手っ取り早いだろうが」
「そうなんでしょうか」
はあっと吐息を漏らすマイリスに、王は、まるで仕掛けたいたずらを見守る子供のように笑う。
「ほれ、そろそろ時間だ。行くぞ」
「はい」
マイリスは観念して歩き始めた。
王の出で立ちにはさすがの使用人も驚いた顔になるが、王は尻尾をひと振りして黙らせてしまう。
「国王トールヴェルト陛下並びにマイリス・エルヴェラム嬢です」
王の到着を告げる声に、騒めいていたホールが一瞬鎮まった。
けれど、扉が大きく開け放たれたそこには人影がひとつのみで……戸惑いと不審に、客たちがさざめき始める。
「皆、楽しんでいるか」
そこへ、確かに王の声が響いた。
なのに、やはり王の姿は見えない。
「――陛下!」
真っ先に声を上げたのは、やはり宰相だった。
「つ、常のお姿でと申し上げましたのに、いったいそれは……」
「いいだろう。俺がマイリスから離れずにいるには、こうするのが最善なのだぞ。賢いだろう?」
マイリスの胴から肩に巻き付いた、蛇の姿の王が得意げに鎌首をもたげた。よくよく見れば、蛇の鱗も目も王の持つ色だ。
王は、皆の反応を確かめて、にやりと笑った。
しゅるりと舌を出してゆっくりと周囲を見回すと、「マイリス。壇上へあがるぞ」と玉座の置かれた場所を尻尾で示す。
「はい」
王を巻きつけたマイリスは、ことさらにゆっくりとした足取りで、壇上に設えた王の座へと向かった。
いかに蛇の姿をしているとはいえ、王は王だ。
顔を引き攣らせ、腰の引けた貴族たちが順番に挨拶に来るが、皆、話もそこそこにすぐ退散してしまう。貴族令嬢となると、王に顔を向けることすらできない者ばかりだ。
平気なのは、騎士団の経験がある者か田舎出身の貴族くらいか。
さすがに慣れているのか、使用人や近衛騎士たちも平気なようだ。
ただし、王だけでなく、王を肩に乗せたまま平然と座るマイリスのことまで、何か恐ろしい者のように見つめてくるのはいかがなものなのか。
「――さすが、“麗しの騎士様”ですわ」
「いかに陛下の御身であろうと、あのような蛇を連れて平然としていらっしゃるなんて」
「きっと、陛下は“麗しの騎士様”の強く美しいところに魅かれたのですわ。さすが陛下でございます」
そんなひそひそ話も聞こえて、マイリスの頭は痛い。
「エルヴェラム家が当主ヨーアンでございます。我が妻エリサベト、継嗣イングヴァールとともにご挨拶に参上いたしました」
父の順番が回って来たことに気づいて、マイリスの背すじが伸びる。
母と兄を伴い、御前へと歩み出た父は恭しく膝をつくと、マイリスの肩上の王へと臣下の礼を取った。
「陛下におかれましては、本日も麗しくいらっしゃる。
我が娘に対する日頃のご厚情に加え、陛下の珍しいお姿も拝見できた幸運、恐悦至極に存じます」
「うむ」
伏せられた顔がどんな表情を浮かべているかはわからないが、父や母はともかく、兄は笑っているのではないだろうか。
肩がほんのりと揺れている気がする。
「陛下の、我が娘へのご配慮にも感謝いたします」
「なんだ、知ってたのか」
するりと肩から膝の上へと移動して、王はまるで内緒話をするかのように、頭をヨーアンへと寄せた。
「陛下のご配慮のおかげで、マイリスでなくては、という声が聞こえるほどでございますれば。それに、この程度察することができずして、エルヴェラム家を纏めることができましょうか」
王の言葉を受けてにっこり笑うヨーアンに、マイリスの背は、やはりぴんと伸ばされる。
「だがな、ヨーアン。マイリスは実際すごいのだぞ。この姿の俺を、初見で、しかも一瞬で掴み捕らえた女など、マイリスくらいだ」
「陛下。失礼ながら、いかに陛下であろうと、蛇ごときを相手に遅れを取るような者が、エルヴェラム家の騎士とはなれません」
「まったくだ。よくぞマイリスを騎士として育ててくれたな。礼を言う」
「身に余る光栄にございます」
王と父の会話は、本当に娘を嫁に出す父とそれを娶ろうとする男のものだろうか。マイリスが内心首を捻りながら視線を巡らせると、イングヴァールはやはり笑いをこらえていた。
「クスティ様、ひとつ問題があることに気づいてしまったのですが」
招待された貴族たちのご機嫌伺いも終わる頃、マイリスが、「あ」と小さく声を上げた。
「マイリス、どうした?」
「この後、クスティ様は私と最初のダンスを踊ることになっていたのではありませんでしたか?」
「ふむ」
王はもたげた首をこてりと傾ける。そう言えばそうだったなと考えて宰相を見やると、何やら必死な顔で頷いていた。
心なしか、王の務めを果たせと言われている気もする。
「仕方あるまい」
「陛下?」
「それに、夜会でお前と踊るのは、今日が初めてなのだしな」
マイリスの身体からひょいと飛び降りた王の、身体の輪郭がぼんやりと歪み……たちまち人間の姿をした王が目の前に立っていた。
黒髪と翠玉の目は確かに王だが、鱗のない柔らかな皮膚に鉤爪のない手は紛うことなく人間のものだ。下肢も、踵の上がった竜のような脚ではなく、普通の、人間の脚だった。もちろん、背の翼も尾も角も今はない。身長は、半竜の時に比べるといくらか低いだろうか。
マイリスは目をまん丸に見開いて、ぽかんと王を見上げる。
たしかに、人間の姿を取った王は、相当な美男子と言えるだろう。
「マイリス、どうだ? 俺に惚れ直したか?」
「いえ、その……なんと申しますか」
「ん?」
予想とは微妙に違うマイリスの反応を若干不審に思いつつも、王は、にこにこと笑いながら続く言葉を待つ。
「どこか物足りないと言いますか」
「物足りない?」
マイリスがちらりと……いつもなら尾がある場所を見る。
床を叩いたり跳ねまわったりと、意外に雄弁に動き回る尾がないのは、どうにも調子が出ない気がする。
「クスティ様には、半竜のお姿がもっとも相応しく、お似合いかと存じます」
「ふむ」
急に王がふにゃりと笑み崩れた。
マイリスの腰を抱いて、「音楽を!」と合図を送る。
「クスティ様?」
そのままの姿でぐいとマイリスを引っ張り、ホールの真ん中へ出た王は、始まった演奏に合わせてステップを踏みだした。
「やはり、俺はマイリスを選んで正解だった」
「クスティ様?」
王に振り回されるように、マイリスもくるくると回り始める。
いったい何が正解だというのか。
気になって聞き返したかったが、今日までにどうにか覚えたステップをなぞるのに必死なマイリスは、それどころではなかった。
応援ありがとうございます!
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