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閑話:迂闊なことは
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「王妃陛下の人気はさすがですな」
宰相の言葉に、王の顔がぐぐぐと顰められる。
「……マイリスは女に優しいからな」
窓下の庭園では、王妃、つまりマイリスが招待した貴婦人たちとおしゃべりに興じていた。今日は、国内の有力貴族の婦人方を招いての茶会だ。
なのに、マイリスはドレス姿ではなく、近衛騎士の着る礼服のような装いだった。婦人方がたいそう喜んでいるようすも窺えて……女主人というよりも男主人と言ってもいいかもしれない立ち居振る舞いに、王は小さく吐息を漏らす。
マイリスは、城内の老若男女……いや、特に女性からの人気が高かった。
さすがは元“麗しの騎士”様。幼いころから叩き込まれた騎士道精神故か、徹底して女性には優しく丁寧に接するのだ。相手が貴婦人であろうと下働きの女中であろうと。
マイリスが皆にかわいがられることは喜ばしい。
だが、現状はむしろマイリスが皆をかわいがっているというのが正しいだろう。マイリスがかわいがる相手は自分だけがいいと言いたいが、それを言ってしまうと狭量さを叱られそうでとても言えない。
「贅沢とも無縁ですし……いえ、しかしながら、いつまでも男装されるよりももう少し贅沢をしていただいたほうがよいのですが。
それに、剣です。いかに元騎士であらせられるといっても、女性なのですから少しは自重していただきたい。陛下からも仰ってはいただけませんか」
マイリスはドレスも最小限しか新調しない。夜会であるとか、式典であるとか、何かしら必要があればしぶしぶ用意するが、普段城内で過ごすためのドレスは最低限の品質さえあればいいと言う。
むしろ、騎士時代のように、騎士のような恰好をしては剣を振り回しに出るので心臓に悪い。
「マイリスが剣の腕は落としたくないというんだ。近衛もいるのだから心配するなと言っても、俺の一番近くにいるのは自分なのだからと言うんだぞ。
それに、マイリスのドレスは一点豪華主義というらしい。ここぞというときのための装いにしっかり力を入れておけば、普段のドレスが質素だからと侮られることはないのだそうだ」
とたんにでれでれと表情を緩ませる王に、宰相は渋い表情を向ける。
何のことはない、王自身がマイリスに懐柔されているだけだった。
マイリス付の侍女たちが話していたのはこれか、と宰相はひそかに納得する。普段は地味に見せておき、ここぞというところで煌びやかな姿で他を圧倒する。落差を利用してマイリスの印象を強く刻みに行く作戦だ。
宰相は、思わず大きな溜息を漏らす。
「――陛下の御身が最重要であることに間違いはございませんが、王妃陛下の御身もそれに負けないくらいに重要であるというご自覚はおありなのでしょうか」
「大丈夫だ、マイリスは俺が守るから問題ない」
宰相はもう一つ溜息を吐いた。
この夫婦は根本的なところをわかっていないのか。
「国王陛下も王妃陛下も、仲睦まじくいらっしゃってたいへん結構にございます。ですが、双方どちらもかけがえのないお方であることに変わりはありません。御子も誕生したのですし、おとなしく、おふたり揃って仲良く近衛に守られてはいただけませんか」
むう、とまた顔を顰める王に、宰相も負けじと顔を顰めて見せた。
「だが、マイリスが喜ぶのだぞ。運動すると気分もよくなると言って」
「陛下、王妃陛下がお怪我をされてからでは遅いのです」
「大丈夫だ。治癒薬ならたくさんあるぞ。それに、先日、太陽神教会に施療院の許可を出しただろう。ついでに、神官を何人か、王城の医務室に常駐させるように要請した」
「いつの間に……」
「薬をいくつも寄越させるより、神官がいたほうが心強いからな。
マイリスも、使用人も含めて城内に詰める者たちの健康管理をきちんとすべきだと言うんだ。城内に病が入り込んでからじゃ、遅いんだと」
王は半竜であるがゆえに、生粋の人間に比べて身体はずっと頑丈だ。さほど鍛えているわけでもないのに、体力も力も、並の騎士ではかなわないほどに。
そのため、ともすれば、自分は平気だから皆も平気だろうなどと無頓着になりがちなところに、マイリスがうまく気を回したのかと、宰相は考える。
マイリスがどこまで意識しているかは不明だが、王妃としての心配りができるのは喜ばしいことである。
だが……。
「そうは仰られても、やはり陛下並びに王妃陛下には、自覚を持って守られていただきたいと申し上げます」
「なぜだ」
「周囲の者を安心させることも、両陛下のお役目にございますので」
むう、とまた眉を寄せて、王は不承不承ながら「善処する」と頷いた。
* * *
「宰相は心配に過ぎるのだ」
ぐっすりと眠る長男を確かめた後、部屋に戻るなりビタビタと尻尾で床を叩きながら、王は口を尖らせた。その子供っぽい表情を見る限り、この王は宰相の親ほどの歳になるのだと言われたところできっと信じられないだろう。
まだ赤子の長男と父である王の、機嫌が斜めになった時の表情も仕草も、つい笑ってしまうくらいにそっくりなのだ。
「でも、クスティ様。宰相閣下は陛下のことを思って仰ってるのですよ」
「あいつは、お前の剣にも不満を言ってたんだぞ」
「え」
マイリスも驚きに目を瞠る。
不満、不満と考えて、すぐに思いつくのは……。
「やはり、出産で鍛錬を一時やめていた私では、クスティ様の守りとして役に立たないのでしょうか……」
「ん? そういうことではない。刃物なんぞ振り回さず、俺と一緒に守られてればいいのにという不満だったな」
「そうでしたか」
おそるおそる尋ねて返ってきた答えに、マイリスはほっと息を吐いた。
「物心ついた時から剣を振っておりますので、心配は無用とお伝えください。
それに、万が一のことがあります。万が一の時には私がクスティ様の最後の盾となるために、鍛錬をやめるわけにはいかないでしょう?」
にっこり笑うマイリスにするすると寄って、王はぎゅうと抱き締めた。
「あのなマイリス。俺は剣の才能はイマイチだったが、父上から体術も習ってるし、そっちはなかなかだと言われたんだ。魔法も使えるし、感覚だって俺のほうが鋭い。だから、マイリスこそ心配無用だ。安心して俺に守られろ」
「そうは行きません。クスティ様は王なのですから」
「伴侶を守るのは雄竜の役目だと、俺は父上に教えられてるんだが」
「それが王というものなのですから、聞き分けてくださ……あっ」
マイリスに全部を言わせず、王は肩口をかぷりと噛んだ。
子供を産んでから少し肉がついて、以前よりも柔らかい。肩だけでなく、抱き締めた身体も以前に比べると丸く柔らかくなっている。
腹の上に置かれた手が、マイリスを確かめるようにさわさわと動き出す。もう片手が胸の上に置かれ、そっと、丸みを確かめるようにするりと撫でる。
「また大きくなったか?」
「……長男に乳をやらねばいけないんですから、大きくもなります」
「そうか、なるほどな」
王は嬉しそうに笑うと、マイリスの肩下まで伸びた髪に鼻を埋めるようにして、スンと鳴らした。
「この甘いのは、乳の匂いか」
「甘いですか?」
「ああ、すごく甘い。母上を思い出すな」
「下に子供が産まれると上の子供が赤ちゃん返りをするものだと母から聞いていますが、クスティ様が赤ちゃん返りですか?」
くすくす笑うマイリスの首に口付けて、王は少し考える。
「ずっとお前に付いていていいなら、それもいいな」
「クスティ様は父親になったのですから、それでは困ります」
「ん……だがな、乳母がいるというのに、お前はクルトに付ききりで、なかなかゆっくりできん。つまらんのだ」
乳母が付いているから、もちろんマイリス自身が授乳しなければならないわけでもない。心配はないとわかっていても、やはり何かと子供のところへ行ってしまうマイリスに、王は少しやきもちを焼いているようだった。
「もう少し辛抱なさってください。乳母の話では成長も早いようですから、手がかからなくなるのも早いようですし」
「だが、そうなれば今度は子供が付いて歩くようになるんだろう?」
「そうかもしれませんが」
「絶対にそうなる。俺がそうだったからな」
王のどことなく得意げな声音に、マイリスはまた笑ってしまう。
「子供が産まれると皆子供になると言いますが、本当ですね」
「そういうことだ。だから俺を放っておくとたいへんなことになるぞ」
「クスティ様は寂しがりのやきもち焼きであると、よく心得ておきますよ」
王が、笑い続けるマイリスの背を啄み始める。部屋着をゆっくりはだけられて、マイリスの身体がふるりと震えた。
騎士時代のような鍛錬からは遠ざかってしまったし、陽に当たることも少なくなった。色は白くなっただろうが、身体はずいぶん緩んでしまったんじゃないだろうか。出産で変わった体型も、元に戻ったとか言いがたい。
ひとつが気になりだすと、次から次へと気になることが湧き上がる。
けれど……。
「マイリスはきれいだ」
そう囁かれると、その気になることすべてが霧散してしまうのだ。
マイリスは、照れ臭さにほんのり赤らんだ顔を伏せてしまう。
そんなマイリスをくるりと回して、王は「どうした?」と顔を覗き込む。翼まで使ってしっかりと抱き込んで、頬擦りするように顔を寄せる。
「あまり煽てられると、図に乗ってしまいます」
「図に乗っていいんだぞ。マイリスは俺の宝なんだからな」
「ですが、それでは王妃として……」
「マイリスは真面目だな。だが心配するな。皆しっかりしてるから、多少図に乗ったところで問題ない。やり過ぎたところで、宰相あたりに小うるさく説教されて耳が痛くなるくらいで終わる」
キスをしながら機嫌よく言う王に、マイリスはそんなことでいいのだろうかと考えてしまう。
王は貴族たちを統括し、国の頂点に立つ者で、王妃はその王を影より支え、国内の貴婦人たちの手本となるべき者なのだと教えられてきた。
それなのに、こんなにいい加減でいいのだろうか。
「うちの官僚は優秀だからな。丸投げばかりでは確かによくないが、多少王が適当でもどうにかしてくれるくらいの力量はあるんだ。
それに、うるさく苦情も言いたててくるから、あまり無茶もできん」
「はい……」
言われてみれば、確かに王を直接呼び止めて陳情を上げる者も、ちらほらではあるが見かけた。王も、特に気を悪くすることなく彼らの言葉に耳を傾ける。
「ん? どうした、マイリス」
「クスティ様が、きちんと下の者たちのことまで考えておられることに、安心しました」
「む」
にっこりと微笑むマイリスの言葉に、王は小さく首を傾げる。
「実は先日、クスティ様だとわかっていても、やはり蛇は怖いと下働きの娘が言うのを聞いたもので、どのように申し上げたらと考えていたのです」
むう、と唸る王に、マイリスは「ですから、あまり皆を怖がらせないでください」と続ける。
「たまの夜会で貴族たちを相手にいたずらを仕掛けるくらいなら構いませんが、下働きの者たちの仕事を妨げるのはよくないですよ。
彼らのおかげで、私たちはつつがなく暮らせているのですし」
むむむとさらに眉間に皺を作って、王は小さく息を吐く。
「だがなマイリス」
「はい?」
「蛇の姿で散歩をしていると、面白い話が聞けるんだ」
「面白い話ですか?」
「俺が近くにいるとも知らず、口さがないことを声高に話す輩も多いからな」
「はあ……」
でも、それは宰相への言い訳として用意した理由ではなかっただろうか。
つい最近、宰相が「陛下はいくつになっても屁理屈が得意だ」などと愚痴をこぼしていた記憶があるのだが。
マイリスも小さく息を吐く。
どうした、と唇を啄む王の頬をするりと撫でて、マイリスは困ったように微笑んだ。
「それでも、都会暮らしの娘は蛇を怖がるものなのですから、あまり怯えさせてはいけませんよ。妹たちによれば、たとえ小さくて毒も害もないのだと理屈ではわかっていても、どうしても怖いのだと言うんです。
驚かせるのは、男相手だけにしてください」
「……わかった、善処する」
少し不満そうな顔になる王にキスを返して、マイリスはくすりと笑う。
「そのかわり、蛇になりたくなったら、いつでも私のところに来てください。私に絡んでいる蛇でしたら、皆も怖がりませんから」
とたんに、王の目がきらりと輝いた。
にんまりと笑みを浮かべ、「なるほど」と頷く。
「クスティ様?」
「それはいいな。蛇になれば、マイリスがずっと共にいるということだな」
「え、いえ、それは……」
「よし、明日からしばらく、俺は蛇のままでいることにするぞ」
「クスティ様!?」
にこにこと機嫌よくマイリスを抱き締めて、王はキスを降らせ始める。
宰相から「王妃陛下におかれましては、あまり迂闊なことを仰らないよう、くれぐれもお願い申し上げます」と言われたのは、この三日後であった。
宰相の言葉に、王の顔がぐぐぐと顰められる。
「……マイリスは女に優しいからな」
窓下の庭園では、王妃、つまりマイリスが招待した貴婦人たちとおしゃべりに興じていた。今日は、国内の有力貴族の婦人方を招いての茶会だ。
なのに、マイリスはドレス姿ではなく、近衛騎士の着る礼服のような装いだった。婦人方がたいそう喜んでいるようすも窺えて……女主人というよりも男主人と言ってもいいかもしれない立ち居振る舞いに、王は小さく吐息を漏らす。
マイリスは、城内の老若男女……いや、特に女性からの人気が高かった。
さすがは元“麗しの騎士”様。幼いころから叩き込まれた騎士道精神故か、徹底して女性には優しく丁寧に接するのだ。相手が貴婦人であろうと下働きの女中であろうと。
マイリスが皆にかわいがられることは喜ばしい。
だが、現状はむしろマイリスが皆をかわいがっているというのが正しいだろう。マイリスがかわいがる相手は自分だけがいいと言いたいが、それを言ってしまうと狭量さを叱られそうでとても言えない。
「贅沢とも無縁ですし……いえ、しかしながら、いつまでも男装されるよりももう少し贅沢をしていただいたほうがよいのですが。
それに、剣です。いかに元騎士であらせられるといっても、女性なのですから少しは自重していただきたい。陛下からも仰ってはいただけませんか」
マイリスはドレスも最小限しか新調しない。夜会であるとか、式典であるとか、何かしら必要があればしぶしぶ用意するが、普段城内で過ごすためのドレスは最低限の品質さえあればいいと言う。
むしろ、騎士時代のように、騎士のような恰好をしては剣を振り回しに出るので心臓に悪い。
「マイリスが剣の腕は落としたくないというんだ。近衛もいるのだから心配するなと言っても、俺の一番近くにいるのは自分なのだからと言うんだぞ。
それに、マイリスのドレスは一点豪華主義というらしい。ここぞというときのための装いにしっかり力を入れておけば、普段のドレスが質素だからと侮られることはないのだそうだ」
とたんにでれでれと表情を緩ませる王に、宰相は渋い表情を向ける。
何のことはない、王自身がマイリスに懐柔されているだけだった。
マイリス付の侍女たちが話していたのはこれか、と宰相はひそかに納得する。普段は地味に見せておき、ここぞというところで煌びやかな姿で他を圧倒する。落差を利用してマイリスの印象を強く刻みに行く作戦だ。
宰相は、思わず大きな溜息を漏らす。
「――陛下の御身が最重要であることに間違いはございませんが、王妃陛下の御身もそれに負けないくらいに重要であるというご自覚はおありなのでしょうか」
「大丈夫だ、マイリスは俺が守るから問題ない」
宰相はもう一つ溜息を吐いた。
この夫婦は根本的なところをわかっていないのか。
「国王陛下も王妃陛下も、仲睦まじくいらっしゃってたいへん結構にございます。ですが、双方どちらもかけがえのないお方であることに変わりはありません。御子も誕生したのですし、おとなしく、おふたり揃って仲良く近衛に守られてはいただけませんか」
むう、とまた顔を顰める王に、宰相も負けじと顔を顰めて見せた。
「だが、マイリスが喜ぶのだぞ。運動すると気分もよくなると言って」
「陛下、王妃陛下がお怪我をされてからでは遅いのです」
「大丈夫だ。治癒薬ならたくさんあるぞ。それに、先日、太陽神教会に施療院の許可を出しただろう。ついでに、神官を何人か、王城の医務室に常駐させるように要請した」
「いつの間に……」
「薬をいくつも寄越させるより、神官がいたほうが心強いからな。
マイリスも、使用人も含めて城内に詰める者たちの健康管理をきちんとすべきだと言うんだ。城内に病が入り込んでからじゃ、遅いんだと」
王は半竜であるがゆえに、生粋の人間に比べて身体はずっと頑丈だ。さほど鍛えているわけでもないのに、体力も力も、並の騎士ではかなわないほどに。
そのため、ともすれば、自分は平気だから皆も平気だろうなどと無頓着になりがちなところに、マイリスがうまく気を回したのかと、宰相は考える。
マイリスがどこまで意識しているかは不明だが、王妃としての心配りができるのは喜ばしいことである。
だが……。
「そうは仰られても、やはり陛下並びに王妃陛下には、自覚を持って守られていただきたいと申し上げます」
「なぜだ」
「周囲の者を安心させることも、両陛下のお役目にございますので」
むう、とまた眉を寄せて、王は不承不承ながら「善処する」と頷いた。
* * *
「宰相は心配に過ぎるのだ」
ぐっすりと眠る長男を確かめた後、部屋に戻るなりビタビタと尻尾で床を叩きながら、王は口を尖らせた。その子供っぽい表情を見る限り、この王は宰相の親ほどの歳になるのだと言われたところできっと信じられないだろう。
まだ赤子の長男と父である王の、機嫌が斜めになった時の表情も仕草も、つい笑ってしまうくらいにそっくりなのだ。
「でも、クスティ様。宰相閣下は陛下のことを思って仰ってるのですよ」
「あいつは、お前の剣にも不満を言ってたんだぞ」
「え」
マイリスも驚きに目を瞠る。
不満、不満と考えて、すぐに思いつくのは……。
「やはり、出産で鍛錬を一時やめていた私では、クスティ様の守りとして役に立たないのでしょうか……」
「ん? そういうことではない。刃物なんぞ振り回さず、俺と一緒に守られてればいいのにという不満だったな」
「そうでしたか」
おそるおそる尋ねて返ってきた答えに、マイリスはほっと息を吐いた。
「物心ついた時から剣を振っておりますので、心配は無用とお伝えください。
それに、万が一のことがあります。万が一の時には私がクスティ様の最後の盾となるために、鍛錬をやめるわけにはいかないでしょう?」
にっこり笑うマイリスにするすると寄って、王はぎゅうと抱き締めた。
「あのなマイリス。俺は剣の才能はイマイチだったが、父上から体術も習ってるし、そっちはなかなかだと言われたんだ。魔法も使えるし、感覚だって俺のほうが鋭い。だから、マイリスこそ心配無用だ。安心して俺に守られろ」
「そうは行きません。クスティ様は王なのですから」
「伴侶を守るのは雄竜の役目だと、俺は父上に教えられてるんだが」
「それが王というものなのですから、聞き分けてくださ……あっ」
マイリスに全部を言わせず、王は肩口をかぷりと噛んだ。
子供を産んでから少し肉がついて、以前よりも柔らかい。肩だけでなく、抱き締めた身体も以前に比べると丸く柔らかくなっている。
腹の上に置かれた手が、マイリスを確かめるようにさわさわと動き出す。もう片手が胸の上に置かれ、そっと、丸みを確かめるようにするりと撫でる。
「また大きくなったか?」
「……長男に乳をやらねばいけないんですから、大きくもなります」
「そうか、なるほどな」
王は嬉しそうに笑うと、マイリスの肩下まで伸びた髪に鼻を埋めるようにして、スンと鳴らした。
「この甘いのは、乳の匂いか」
「甘いですか?」
「ああ、すごく甘い。母上を思い出すな」
「下に子供が産まれると上の子供が赤ちゃん返りをするものだと母から聞いていますが、クスティ様が赤ちゃん返りですか?」
くすくす笑うマイリスの首に口付けて、王は少し考える。
「ずっとお前に付いていていいなら、それもいいな」
「クスティ様は父親になったのですから、それでは困ります」
「ん……だがな、乳母がいるというのに、お前はクルトに付ききりで、なかなかゆっくりできん。つまらんのだ」
乳母が付いているから、もちろんマイリス自身が授乳しなければならないわけでもない。心配はないとわかっていても、やはり何かと子供のところへ行ってしまうマイリスに、王は少しやきもちを焼いているようだった。
「もう少し辛抱なさってください。乳母の話では成長も早いようですから、手がかからなくなるのも早いようですし」
「だが、そうなれば今度は子供が付いて歩くようになるんだろう?」
「そうかもしれませんが」
「絶対にそうなる。俺がそうだったからな」
王のどことなく得意げな声音に、マイリスはまた笑ってしまう。
「子供が産まれると皆子供になると言いますが、本当ですね」
「そういうことだ。だから俺を放っておくとたいへんなことになるぞ」
「クスティ様は寂しがりのやきもち焼きであると、よく心得ておきますよ」
王が、笑い続けるマイリスの背を啄み始める。部屋着をゆっくりはだけられて、マイリスの身体がふるりと震えた。
騎士時代のような鍛錬からは遠ざかってしまったし、陽に当たることも少なくなった。色は白くなっただろうが、身体はずいぶん緩んでしまったんじゃないだろうか。出産で変わった体型も、元に戻ったとか言いがたい。
ひとつが気になりだすと、次から次へと気になることが湧き上がる。
けれど……。
「マイリスはきれいだ」
そう囁かれると、その気になることすべてが霧散してしまうのだ。
マイリスは、照れ臭さにほんのり赤らんだ顔を伏せてしまう。
そんなマイリスをくるりと回して、王は「どうした?」と顔を覗き込む。翼まで使ってしっかりと抱き込んで、頬擦りするように顔を寄せる。
「あまり煽てられると、図に乗ってしまいます」
「図に乗っていいんだぞ。マイリスは俺の宝なんだからな」
「ですが、それでは王妃として……」
「マイリスは真面目だな。だが心配するな。皆しっかりしてるから、多少図に乗ったところで問題ない。やり過ぎたところで、宰相あたりに小うるさく説教されて耳が痛くなるくらいで終わる」
キスをしながら機嫌よく言う王に、マイリスはそんなことでいいのだろうかと考えてしまう。
王は貴族たちを統括し、国の頂点に立つ者で、王妃はその王を影より支え、国内の貴婦人たちの手本となるべき者なのだと教えられてきた。
それなのに、こんなにいい加減でいいのだろうか。
「うちの官僚は優秀だからな。丸投げばかりでは確かによくないが、多少王が適当でもどうにかしてくれるくらいの力量はあるんだ。
それに、うるさく苦情も言いたててくるから、あまり無茶もできん」
「はい……」
言われてみれば、確かに王を直接呼び止めて陳情を上げる者も、ちらほらではあるが見かけた。王も、特に気を悪くすることなく彼らの言葉に耳を傾ける。
「ん? どうした、マイリス」
「クスティ様が、きちんと下の者たちのことまで考えておられることに、安心しました」
「む」
にっこりと微笑むマイリスの言葉に、王は小さく首を傾げる。
「実は先日、クスティ様だとわかっていても、やはり蛇は怖いと下働きの娘が言うのを聞いたもので、どのように申し上げたらと考えていたのです」
むう、と唸る王に、マイリスは「ですから、あまり皆を怖がらせないでください」と続ける。
「たまの夜会で貴族たちを相手にいたずらを仕掛けるくらいなら構いませんが、下働きの者たちの仕事を妨げるのはよくないですよ。
彼らのおかげで、私たちはつつがなく暮らせているのですし」
むむむとさらに眉間に皺を作って、王は小さく息を吐く。
「だがなマイリス」
「はい?」
「蛇の姿で散歩をしていると、面白い話が聞けるんだ」
「面白い話ですか?」
「俺が近くにいるとも知らず、口さがないことを声高に話す輩も多いからな」
「はあ……」
でも、それは宰相への言い訳として用意した理由ではなかっただろうか。
つい最近、宰相が「陛下はいくつになっても屁理屈が得意だ」などと愚痴をこぼしていた記憶があるのだが。
マイリスも小さく息を吐く。
どうした、と唇を啄む王の頬をするりと撫でて、マイリスは困ったように微笑んだ。
「それでも、都会暮らしの娘は蛇を怖がるものなのですから、あまり怯えさせてはいけませんよ。妹たちによれば、たとえ小さくて毒も害もないのだと理屈ではわかっていても、どうしても怖いのだと言うんです。
驚かせるのは、男相手だけにしてください」
「……わかった、善処する」
少し不満そうな顔になる王にキスを返して、マイリスはくすりと笑う。
「そのかわり、蛇になりたくなったら、いつでも私のところに来てください。私に絡んでいる蛇でしたら、皆も怖がりませんから」
とたんに、王の目がきらりと輝いた。
にんまりと笑みを浮かべ、「なるほど」と頷く。
「クスティ様?」
「それはいいな。蛇になれば、マイリスがずっと共にいるということだな」
「え、いえ、それは……」
「よし、明日からしばらく、俺は蛇のままでいることにするぞ」
「クスティ様!?」
にこにこと機嫌よくマイリスを抱き締めて、王はキスを降らせ始める。
宰相から「王妃陛下におかれましては、あまり迂闊なことを仰らないよう、くれぐれもお願い申し上げます」と言われたのは、この三日後であった。
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