いつか夜明けをあなたと

ぎんげつ

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“娘”の物語

4.休日/後篇

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 ドンドン、と扉が叩かれた。
 顔を上げるカルミナの耳に、扉の向こうから自分を呼ぶ声が聞こえる。

「カルミナ!」

 返事をする間も無く、乱暴なくらいに大きな音を立てて扉が開いた。
 焦りを滲ませたイグナーツが、部屋に飛び込むなりぐるぐると中を見回す。

「――イグナーツ?」

 ハッと気付いて、カルミナはさっきまで“父”のいた場所に目をやったが、そこにはもう影すらも見えなかった。
 イグナーツはベッドに起き上がったカルミナを見て、あからさまに安堵の息を吐く。それからもう一度、慎重に注意深く部屋の中を確認しながら、ゆっくり近づいてきた。

「誰かいるんじゃないかと思ったんだ。落ち着かなくて……」

 イグナーツは勘が鋭い。
 それでも、カルミナでは間近にいてすら感じることのできない“父”の気配を、壁越しに感じられるほどとは思わなかったが。

「カルミナ?」
「誰かがいるわけ、ないだろう」

 イグナーツが怪訝そうに首を傾げた。
 大股に近寄ったと思ったら、いきなり顔を覗き込んだ。

「本当に? 何かあったんじゃないのか?」
「……あるわけが、ない」

 顔を背け、カルミナはベッドに倒れこむ。もうこれ以上、イグナーツの相手をする気はないと示して。
 けれど、いつもなら溜息とともに引っ込むはずのイグナーツは、なおも食い下がる。

「カルミナ、お前変だぞ」
「何が変だというんだ」

 力任せに振り向かされたカルミナは、やはりイグナーツを見ようとしない。

「変だろう。そんな不安そうな顔をして、何があったんだ。お前らしくない」

 本当に、どうしてイグナーツはこうも勘がいいのか。
 気付かなければいいのに。

「――夢見」
「ん?」
「たぶん、夢見が悪かったんだ」

 カルミナは、目を閉じたまま吐き捨てる。
 これでは、さすがのイグナーツにだって、ただの適当な言い訳だとわかるはずだ。
 現に、イグナーツは出て行こうとしない。
 わかっているのに、カルミナは取り繕うことができない。

 小さく溜息を吐いて、イグナーツがベッドの端に腰を下ろした。
 木を組んだ簡素なベッドが、ぎしりと軋みをあげる。

「お前が何もないと……いや、言いたくないならいいんだ」

 イグナーツの手が、熱を確かめるようにカルミナの額へと伸びる。
 寝かせる前までの燃えるような熱さは、もう引いていた。これなら、明日は起きても大丈夫なくらいには回復するだろう。
 カルミナは目を閉じたまま、やはり何も言わない。
 窓から月の光だけが差し込む部屋は、暗くしんと静まり返っている。

「――なあ、カルミナ。お前、楽しいと思えるようなことって何かあるか?」

 唐突な質問に、カルミナは思わず瞼を開いた。
 目を向ければ、イグナーツはどこか困ったように笑っていた。

「なぜ?」

 しばしの間黙り込んで、ようやくカルミナは口を開いた。
 けれど、それ以上言葉は続かない。
 イグナーツの手がそっと伸びて、カルミナの髪をつまむ。暗闇の中では赤というより黒に見える髪の感触を、イグナーツの指先が確かめるようにするりと撫でる。

「なんとなく、かな」

 イグナーツの指が髪を離れ、今度は手のひらがぽんぽんと頭を叩く。
 なぜか、その優しい感触がとても苦しいものと感じて、カルミナは目を伏せた。

「イグナーツ――わたしらしいというのは、どういうことだ」

 イグナーツは思わず目を瞠り、それからぱちくりと瞬いた。

「変なことを訊くんだな」
「――変か?」
「変というより、お前の口からそんな質問が出るなんて予想外だった。
 けど、まあ、そうだな……」

 目を伏せたままのカルミナに、イグナーツは腕を組んだ。考えるようなポーズを取って、今度は少しいたずらめいた笑みを浮かべた。

「まず、俺に関心がないよな」

 イグナーツは指を折り、自身の考える“カルミナの特徴”を数え上げていった。
 聞いているのかいないのか、カルミナは顔を俯けたまま、じっとしている。

「仕事のこと以外で俺と会話をする気もない。素直じゃないし、愛想もない。
 しかも、怖い」

 怖い、と呟いて、カルミナは小さく息を吐いた。
 そうだ、あの魔法使いベルだって言っていた。イグナーツはとにかく勘が鋭いと。何かを仕掛けようとしても敏感に察知して、必ず回避してしまうと。

 ――なら、どうしてイグナーツはカルミナから離れない?

 カルミナはイグナーツを殺したいのだ。ただ、カルミナの実力ではそこに至れないだけで、カルミナがイグナーツを狙っていることは間違いない。
 なのに、なぜイグナーツはいつまでもカルミナを側に置く?

 また、カルミナの頭にイグナーツの手が置かれた。

「そのくせ気になって仕方ないのか、ちらちらと俺を伺ってくるんだ。おかげで、人馴れしてない猫みたいで妙にかわいいと思ってしまう」
「――どういう意味だ」

 カルミナの頬にさっと朱がさす。
 思わず眉を顰めて睨みつけるカルミナに、イグナーツが、はは、と笑い出した。仕方ないなと笑いながら、イグナーツの手がぐりぐりとカルミナの頭を掻き回す。

「なんて顔してるんだよ」
「なんて、って……」

 本当に、どういう意味なのか。
 カルミナがイグナーツの隙を伺っていると知っていて、どうしてなのか。

 じっと見つめるカルミナの頭をもうひとつだけぽんと叩いてから、イグナーツは手のひらでカルミナの目を覆う。

「もう少し寝てろ。悪い夢なんか見ないように、俺が見張っててやるから。
 なんなら、子守唄でも歌ってやろうか?」
「いらん」

 カルミナは、不貞腐れたように背を向ける。立ち上がってカルミナの毛布を直したイグナーツは、今度は傍らの椅子に腰を下ろした。
 どうやら本当に見張りをするのか。
 そんなことを考えているうちに、カルミナはまた睡魔に呑まれていった。



 カルミナの呼吸がようやく安定したのを見て、イグナーツは安堵した。

 ――あれは、間違いなく良くない気配だった。

 イグナーツは、思い返してぞっとする。
 気配の正体が何かまではわからない。けれど、己が感じたことを疑わず、迷わず行動できるくらいに、イグナーツは自身の“勘”を信頼している。
 その“勘”が、あれは駄目だと言っていた。

 あの気配は、おそらくカルミナ自身の事情に関わるものなのだろう。
 傭兵仲間の突っ込んだ事情を知りたがるのは、マナー以前の問題だ。事と次第によっては相手に殺されたって文句は言えない。それほどの禁忌ですらある。
 イグナーツだって、そのくらい当然わきまえている。なのに、カルミナの事情を知りたいと考えてしまうのだ。知って、可能ならイグナーツ自身が助けになりたいと。

「我ながら、重症だ」

 暗い部屋の中で、イグナーツは嘆息する。
 こうして、自分が横に付いていても眠ってくれるくらいには、信用してもらえるようにはなった。けれど、本人にも言ったとおり、関心はないというポーズを取りながらイグナーツを伺っているのは相変わらずだ。
 なぜ、カルミナがそんなことをするのかはわからない。だが、完璧に無関心よりはいい……などとも考えてしまう。

 できることなら、カルミナから、もう少しカルミナ自身のことを聞けたらと思う。イグナーツのことも知ってほしい。
 そこまで考えているくせに悶々とするだけで行動に移せないのは、単に自分に覚悟がないだけなのだともわかっている。

「つくづく、重症だ」

 溜息しか出ない。
 いい歳をして、これでは十代の子供と一緒ではないか。

 いったいいつからなのか。
 考えてもそんなことわかるわけがない。気がついた時には既にというのが、この手の気持ちの定番なのだから。

 だからといって、このままずるずるのなあなあで良いとは、イグナーツだって思っていない。せめて、カルミナがもう少し会話をしてくれるようになったら……と、また、溜息を吐く。
 とはいえ、ここまで気を許してくれるようになったのだ。あと一年か二年か……どうにか付き合いを保っていければ、希望はあるだろう。

 イグナーツは、眠るカルミナを眺めて、早くそんな日が来ますようにと、小さく神々に祈った。
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