いつか夜明けをあなたと

ぎんげつ

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“娘”の物語

4.休日/前篇

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 グラールスでの依頼を終え、再び巡回者たちとフローブルクまで戻った。

 イグナーツもカルミナも、主に王国の北方辺境で仕事をしている。フローブルクの町は北方辺境への入り口とされる。ここまで戻れば、ふたりの拠点であるフリーマールまであと少しだ。
 フリーマールは、北方辺境の中心と言っていい町だ。
 前王国時代は、旧王都に近いこともあってかなり発展していた。現王国となって王都がもっと南へ移動して、フリーマール周辺が辺境と呼ばれるようになった今でも、その名残は高く堅牢な城壁に残っている。

 巡礼者たちと別れて、イグナーツとカルミナはフリーマールまで北上する。
 数ヶ月ぶりにようやく戻った馴染みの土地で、最初はふたり揃ってしばらくは落ち着いて――などと考えていた。
 だが、どうも町に入った直後からカルミナのようすがおかしい。
 胡乱な目で見ているイグナーツにも気付かず、どことなくぼうっとして、どこを見ているのか視線が定まらず彷徨ったままで……そういえば、ずいぶんと顔が赤らんで目も潤んでいるような?
 呼吸も早く浅いようだ。

「おい、カルミナ」
「――なんだ」

 定宿にしている宿の食堂でがたんと音を立ててイグナーツが立ち上がる。普段ならすぐに油断なく反応するはずのカルミナは、一拍どころか二拍も三拍も遅れてゆっくりと振り返り、精彩を欠く声で目を眇めただけだった。
 無言で手を伸ばしたイグナーツを避けることもしない。ただ、ぼんやりと額に伸ばされた手を見つめるだけだ。

「お前な……調子が悪いなら悪いと、ちゃんと言えよ」

 はあ、と嘆息して、イグナーツは呆れ顔になる。

「我慢強いのは美徳かもしれないが、時と場合を考えろ」
「気付かなかった、だけだ」

 カルミナの額を触れば、相当に熱かった。
 なのに、顔色は青く、指先は氷のように冷たくなって、震えていた。
 素人目に見ても、典型的な熱病ではないか。

「なにが気付かないだ。これだけ熱を出しておいてそんなわけないだろうが」
「問題ない」
「問題大有りだ」
「問題ない」
「――ったく」

 頑なに「問題ない」を繰り返すカルミナを、イグナーツはいきなり抱き上げた。
 いつもなら断固としてそんなことを許さないはずのカルミナは弱々しく抵抗することしかできない。声にも動きにも張りはなく、いつものような鋭さなどまったく感じない。

「何を」
「何をじゃねえよ。病人はおとなしく寝てるのが常識ってもんだろうが」
「下ろせ」
「このままお前の部屋に連れてくからな」

 普段なら仕方ないと引き下がるはずのイグナーツも、今日は断固として押し通す。
 ベッドに放り込んで、そのまますぐに薬師を呼びに行く。
 季節の変わり目に流行る熱病だと断じられ、薬さえ飲めば数日で治ると言われてようやく、イグナーツは安堵の吐息を漏らした。

 ――多少の抵抗はしても、寝かせればすぐにおとなしくなってしまうくらいだ。本当は、かなり苦しかったのだろう。
 そもそも、これだけの高熱だ。大の男だってまともに歩けないはずなのに、なぜそこまで我慢をするのか。

 イグナーツの知る限り、出会ってからずっと、カルミナは気を張り詰めているようにも見えた。もしかしたら、気を張り続け過ぎて休まる暇がなかったから、こんな熱病を得てしまったんじゃないだろうか。

「いいかげん、馴れてくれないもんかな」

 薬が効いたのか、ようやく眠り始めたカルミナを眺め、イグナーツは独りごちる。ここまで無防備な姿を見せてくれるなんて、これまで一度も無かったことだ。
 病気と薬に、感謝した方がいいだろうか。

「いつもこんなんだったらいいのにな」

 カルミナの額はまだまだ熱い。
 数日と言うけれど、いったいいつまで続くのだろうか。

 最初は、何があっても動じない――というよりは、何も感じていないように見えていたけれど、もう、イグナーツにはそうでないとわかっている。
 今だって、相変わらず、話はしても会話らしい会話は続かない。
 けれど、カルミナの無感動も無関心も表面的なものでしかない。少々薄情に感じることはあるが、それでもカルミナの目に浮かぶものを見ていれば、中に隠されたままのいろいろなものが伺える。
 ただ見えないだけで、本当のカルミナの内面は、きっととても豊かなはずだ。

「まったく、なんだってこんな厄介な性格なんだろうな、お前は」

 半分とは言わない。けれど、自分にはもう少しだけでも、そういう内面を見せてくれないものか。
 そんなこと言おうものなら、ますます殻に閉じこもるのだろうか。
 せめてもう少しだけ馴染んでくれれば、今よりもいろいろなことを話してくれるようになるだろうか。

 期待と諦めが、イグナーツの中にぐるぐると渦を巻く。

「とりあえず、しばらくはゆっくり寝てろよ」

 眠り込んだカルミナの頭を軽く撫でて、それから立ち上がる。
 イグナーツは、しばし目を瞑ったままのカルミナをじっと見下ろして……そっと触れるだけのキスを額に落とすと、小さな溜息をひとつ吐いて部屋を出た。


  * * *


 何かの気配に、ふと意識が覚醒した。
 そっと目を開けると、もう部屋は暗かった。

 あれから自分は眠り込んでしまったのか。
 イグナーツを前にして、何という体たらくなのか。

 そこまで考えて、なら、この横に感じる気配はイグナーツかと目を上げて……ぎくりと身体が揺れる。
 気配の主は、いつの間にか傍らに立ってカルミナをじっと見下ろしていた。影のようにそっと、微かな物音すらも立てずにじっとカルミナを見ていた。

 息を呑むカルミナに、影の赤い目がゆっくりと細まる。喉の奥からくつくつと小さな笑い声が聞こえてくる。

「父さま……どうして」
「お前は弱いな」

 反射的に身体を起こしたカルミナへ、“父”と呼ばれた男は優しげに手を伸ばす。だが、その指先に触れられたカルミナは大きく目を見開き竦みあがった。

「お前は何をしているのだ、ラーべ・・・?」
「父さま、私……」
「約束まで、もう半分を切ったというのに、何をしている?」

 はあ、はあ、とカルミナの息が荒く苦しくなる。
 心臓をぎゅっと掴まれるような恐怖に、身体が竦んで動かない。

「本当にお前は弱いな」

 いきなり、“父”が顔を覗き込んだ。
 赤い目は笑むように細められたままだ。“父”はいつもと変わらない笑顔を浮かべて、カルミナを見ている。

 “カルミナ”は、以前、“父”の笑顔が怖いのだと、“ラーべ”にだけこっそりと打ち明けていた。その時はなぜ怖いのかわからなかったけれど、今、たしかに怖いと自分も感じている。

 もう一度、カルミナは「父さま」と呼んだ。
 声に怯えがにじまないように小さく、小さく呼んだ、
 笑みを深めた“父”が、手を伸ばす。
 そっと頬に触れられて、カルミナは身体を固く縮こませた。

「諦めてはどうだ?」

 “父”の指がゆっくりと頬をなぞる。

「どうせ一年など無駄に終わる」
「そんなことは……」
「お前に任せたい仕事だってないわけではないのだぞ」

 仕事、という単語に、カルミナはびくりと震えた。
 覗き込む“父”の目を直視することができない。
 “父”の手が、肩上で切り揃えたカルミナの髪を一房掬い取った。

「せっかく美しい黒に染めていたのに、戻してしまうとはな」
「――だ、だって、父さま」
「“カルミナ”になれば、うまくできるとでも思ったのか?」
「それ、は……」
「それとも」

 くすりと“父”が嗤う。
 物心ついた頃からまったく変わらない姿の“父”は、今、幾つなのだろう。
 “父”の顔がゆっくりと近づいた。赤い目を合わせたまま“父”の顔はすぐ目の前まで迫り、カルミナの唇を啄ばんだ。

「その身体を使うつもりか?」
「それは……」
「身体であれを籠絡し、油断を誘って喉を搔き切ろうとでも考えているのか?」
 
 “父”がいきなり首を掴み、締め上げた。
 たちまち息がつまり、喘ぐカルミナの喉がひゅっと音を立てる。

「お前にできるのか? “カルミナ”の真似さえすれば、お前ラーべにもできると思っている?」

 何か返さなければと思っても、声が出ない。そもそも、どう返すべきかがわからない。苦しさに息をしようとしても、締められた喉はひゅうひゅうと音を立てるだけで、ろくに呼吸ができない。
 カルミナの手が、誰かの助けを求めるように宙を掻く。
 不意に、“父”の手が緩んだ。

「たとえ“カルミナ”を真似ようと、お前にやれる見込みは皆無だ。
 わかっているのだろう?」
「父さま、でも、私……私がやらないと……」

 また、“父”が嗤う。

「私が代わりにやってもいいのだよ、“ラーべ”」
「父さま、それは」
「お前はただ真似ているだけで“カルミナ”ではない。お前は“ラーべ”だ」
「それは」

 カルミナは身体を強張らせる。
 “父”の言うとおりだ。
 もう、半分も過ぎたというのに、自分は未だに手を出しあぐねている。どう足掻いても実力でイグナーツに敵わず、隙を見出すこともできず、ただ、そばにいるだけだ。
 けど、それでも、カルミナ自身の手で……。

 “父”はまた、カルミナに口付ける。それからカルミナの固く閉じた唇をぺろりと舐めると、おもしろそうに口元を歪めた。

「ほんとうに、お前は弱い」

 怯えるカルミナに、“父”は言い聞かせるように囁いた。

「“ラーべ”。お前はいい子なのだろう? わたしを失望させないでくれるね?」
「は……い、父さま」

 “父”はまた、くつくつと笑う。
 カルミナは“父”から目を逸らさないよう、必死に見つめた。“父”を失望させてはいけない。万が一、失望させてしまえば――。

「ああ、だが、約束したのだったな。一年を与えると」

 ハッとカルミナは顔を上げる。
 では、このまま?

「約束どおり、次の若葉の季節までは待ってあげよう。
 しかし、お前が手に余ると判断したなら、いつでもわたしを呼ぶのだよ。約束だ、“ラーべ”。わたしはいつでも、かわいいお前のために用意を整えておこう」
「――はい、父さま」

 にい、と“父”の唇が三日月の形を作る。
 俯くカルミナの顎を上げさせて、“父”はもう一度唇にキスをした。
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