いつか夜明けをあなたと

ぎんげつ

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“娘”の物語

3.森の魔法使いの依頼/後篇

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 “仕事”というのは、一言で言ってしまえば、“森の魔法使い”パメラの弟子の、巡回の護衛というものだった。

 町の隣に広がる森の定期巡回は、グラールスの“森の魔法使い”の重要な役目だ。
 だが、魔法使いパメラはもう高齢で、そろそろ弟子に任せる必要がある。どうしようかと思案していたところにちょうどいい護衛がいると聞いて、それならと、ひとりで行かせてみることにした。

 今回確認しなければならないのは、森の北側の三箇所だ。
 一日で回って帰れる距離ではないから、野営をする必要もあるだろう。危険な魔物や獣の心配はない森だが、その三箇所にもしかしたら危険があるかもしれない。

 ……等々の説明を聞いて、イグナーツとカルミナは引き受けることに決めた。
 一ヶ月もだらけていたら身体が鈍るから、などとイグナーツはうそぶいていたが、言い訳でしかない。一番の理由は、その、森の中の巡回しなきゃならない場所が何なのか、興味をそそられたからだ。


 * * *


 約束の日の朝、約束の場所に、魔法使いの長衣姿の十代と思しき少年がやってきた。魔法使いらしい、ひょろりとした線の細そうな印象の少年だ。

「“森の魔法使い”パメラの弟子、ヴィルムです」
「イグナーツとカルミナだ。これから五日間、よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

 にこやかに握手を交わして幾分かほっとしたのか、ヴィルムは微かに笑顔を浮かべた。

「ではさっそく行きましょうか」
「ああ」

 もしものための魔道具と野営用の荷物は、ヴィルムの連れたロバの背に積まれている。馬は宿に預けたままだ。竜の時のようなメリットはないのに、わざわざ連れて行く必要はない。

「最初の場所は、今日の夕方くらいに着く予定です。そこと次の二箇所はそんなに問題はないはずなんですけど、最後の一箇所がここのところ少し不安定らしくて、師匠も心配してるんです」
「不安定って?」

 イグナーツが尋ねると、ヴィルムはかすかに眉を寄せた。

「なんて言えばいいか……魔法が不安定というか……」
「そもそも、これから巡回するというのは、いったいどういう場所なんだ?」
「ああ、それなら」

 どう説明したものかと口ごもるヴィルムに、カルミナが質問を投げると、ヴィルムはやっと笑顔を見せた。

「この森にはいろいろと厄介なものがあって、“森の魔法使い”が定期的に確認しないといけないんです」
「厄介なもの?」
「はい。前王国時代に作られたものだという、まだ使える魔法設備です」
「へえ? 魔法設備って、たしか魔道具の大掛かりなやつだっけ?」
「そんなところです」

 イグナーツが聞きかじりの記憶を口にすると、ヴィルムは首肯した。

「本当はきれいに壊せればいいんですけど、壊すにもいろいろ手間がかかるんですよ。それに、ちょっとやそっとの力じゃ壊せないので、こうやって入り込んだものが変に起動させたりしてないか、事故が起こってないか、巡回して確認するので手一杯なんです」
「王都の魔術師団に任せたりはしないのか?」
「ばあちゃん……師匠が、師団に任せたりしたら何をされるかわからないって」
「なるほどなあ」

 イグナーツは、自分が知る魔術師団の魔法使いを思い出して、苦笑を浮かべた。
 魔術師団なら、たしかにある程度は安全かもしれない。だが、それ以上に魔法使いたちの好奇心に晒されて余計なことが起こるかもしれない。
 パメラやヴィルムには、“森の魔法使い”にとってはこのあたりの安全が一番なのだと伺える。なら、魔術師団任せは歓迎できないのだろう。

 カルミナは、ふたりの話をぼんやりと聞き流していた。
 ここは魔力がよく集まる土地のようだ。なら、魔法使いが魔法設備を作りたがるのも、仕方あるまいと考えながら。

「それに、あと数年のうちに代替わりもしなきゃならなくて。だから、そろそろ俺ひとりで行けってことになったんです」
「なるほど、じゃあしっかり務めを果たさないとな」

 気が重いと憂鬱そうなヴィルムに、イグナーツは笑った。



 ひとつめとふたつめは、つつがなく確認できた。
 木々に埋もれかけた建物の蔦を払い、隙間を作って中へと入り込む。目当てのものに何も起きていないことを確認して建物を出たら、また植物を元どおりにする。
 野営の時も、この二箇所が予想どおりであったことにヴィルムは安堵していた。最後の一箇所で何も起こっていなければ、無事任務完了だ。



 けれど、最後の巡回場所、三箇所めの目的地に近づくにつれてヴィルムの表情は険しくなっていった。

「魔力、が?」

 とうとう立ち止まったヴィルムが、あたりを見回して呟く。

「どうした?」
「おかしいです。変だ。こんな魔力を感じるなんて。もしかしたら穴が開いたのかも」
「穴?」

 イグナーツはもちろん、カルミナにも“変な魔力”など感じられなかった。そもそも、本職の魔法使いでもないふたりに、そこまで繊細に魔力を感じ取ることはできないのだ。
 しかし、ヴィルムがそう言うならたしかにそうなのだろう。
 ヴィルムがいきなり走り出した。その後を追って、訳も分からないながら、イグナーツとカルミナも走り出した。

 目的地の入口は、これまで同様固く絡まり合った蔦に閉ざされていた。侵入者があったわけではないことに、三人とも少しだけほっとする。
 それから、蔦を切り裂き、隙間からどうにか中へと滑り込む。
 内側には未知の異様な気配が満ちていた。イグナーツとカルミナにすら感じられるほどに濃く、背中が総毛立つような嫌な気配だ。
 ヴィルムの表情がますます険しくなる。

「まずい」
「俺たちはどうすればいい?」

 イグナーツに尋ねられて、ヴィルムははっと振り向いた。

「魔神が出てきている可能性があります」
「魔神? 神話に出てくる、あの魔神か?」
「そうです」

 ヴィルムの肯定に、イグナーツもカルミナも驚きを隠せない。
 イグナーツがごくりと喉を鳴らす。

「けど、神話ほどすごい魔神じゃありませんから、安心してください」
「ああ……」
「剣は効くのか?」

 カルミナが尋ねると、ヴィルムは眉尻を下げた。

「魔剣でもなければ、たぶん、あんまり。魔力付与をすればなんとか」
「そうか」

 考え込むカルミナをちらりと見て、ヴィルムは簡単に指示を出した。

「まずは、イグナーツさんとカルミナさんで魔神の牽制をお願いします。俺はその間に穴を塞ぎますから。穴さえ塞げば、魔神は倒せるんです」
「わかった」
「イグナーツ、わたしが付与をかける。その間はお前がひとりでやれ」
「おう、任せろ」

 イグナーツが笑って背中の大剣を抜き放ち、ぶんとひと振りした。



 問題の部屋の中には、青銅色の肌に長い尾を持った人型の魔神がいた。下肢は鋭い爪を持つ獣のようで、頭には棘のような角のようなものが何本も生えている。

「部屋の結界は生きてるみたいだ。よかった」

 魔神は何度も部屋を出ようとしては何かに阻まれているようだった。入り口からそっと中を伺ったヴィルムは、そのことにほっと安堵する。

「魔法を使って来ると思います。それと、床の線を崩さなければ、こいつはこの部屋から出られないはずです」
「魔神には線を消せないのか?」
「はい、そういう風に作ってあるんです。一応床に彫り込まれてはいますけど、俺たちが消そうとすれば簡単に消えてしまうものなので、気をつけてください」
「意外と厄介なんだな」

 ヴィルムは集中と詠唱を開始した。
 それに気づいた魔神が、不協和音のような不快な言葉を吼える。

「カルミナ、こいつがどんな奴か知ってるか?」
「知るわけない。魔神なんて初めてだ」
「やっぱそうか」

 まずは斬ってみるかと、イグナーツが大剣を振り上げ、走り出す。
 それに合わせて、大剣にぼうっとほの明るい魔法の光がともった。カルミナだ。魔力を与えられた大剣に斬り裂かれて、魔神が苦悶の声を上げる。

「よし、効いた」

 これならいけそうだと、イグナーツは笑みを浮かべる。竜の鱗に比べれば、魔神の身体はずいぶん柔らかいじゃないか、と。
 ――だが、そんなイグナーツを嘲笑うかのように、魔神の傷はみるみるうちに塞がってしまう。

「そりゃない」

 呆れ声で溢して、イグナーツはもう一度と斬りかかる。だが、何合斬っても、どんなに深く斬っても、傷はやはりたちまち塞がってしまう。
 舌打ちをして、イグナーツはひたすらに斬り続ける。無駄とわかっていても、手を止めてしまえばやられるのはこっちなのだ。
 そのうち、うまく魔神の背後を取るようにして、カルミナも参戦した。
 ふたり掛かりで魔神の意識がヴィルムへ向かないよう、休むことなく斬り続ける。

「塞ぎました」
「おう」

 イグナーツの背後から、ようやく待ち望んだ言葉が来た。なら、あとは倒すだけだと、イグナーツの腕に力がこもる。

 数歩下がり、距離を取ったヴィルムが立て続けに防御と強化の魔法を唱えていった。
 魔神の尾や爪の一撃をうまく躱しつつ、ふたりで確実に魔神を追い詰めていく。ヴィルムは魔法での援護に徹しつつ、魔神の魔法を阻害して――突然、雄叫びとともに魔神の手が禍々しい光を帯びた。

「カルミナ、避けろ!」

 その声にカルミナは身体を捻る。
 だが一拍遅れ、カルミナの首が魔神の手に掴まれてしまった。

「あ」
「おい!」

 イグナーツの呼びかけが微かに聞こえたのを最後に、意識が暗転する。


 * * *


 森の中で土を掘り返す。
 真っ白な霧が木々の隙間を満たした凍てつく寒さの中、必死で掘り返す。
 穴を掘るための道具なんてない。
 ただひたすらに手と剣を使って土を崩し、掻き出す作業を繰り返していた。

 何刻も何刻もかけて必要な大きさの穴を掘り終えて、ようやく、傍らに横たえていた身体をもう一度だけ抱き締める。
 すっかり冷えて固くなってしまった、己の半身を。

 産まれた時から、いや、産まれる前からずっと一緒だった。
 そして、これからも一緒だと思っていた。
 黒く染めていた髪を一房、せめてこれだけでも共にあれと一緒に埋めた。
 いつか自分も必ずそこへ行くから待っていてくれと、最後に口付けた。
 唇はすでに冷たく固かった。
 かすかな血の味と甘い香りだけを感じた。

 ――だけど、それ以外は何も、不思議と何も感じなかった。

 自分はただの人形だ。
 “父”に忠実にあれと、役目だけを果たせと、そう作られた人形だ。
 無駄なことはするなと言われた。手に余るとわかっていて何故そんなことをするのかと、何度も問われた。
 けれど、それでも、これだけはどうしてもと、一年だけの猶予を貰ったのだ。
 私と私の半身のために。

 ――カルミナが、私を見ている。

 私と同じ顔で、じっと、ガラス玉のように透明な、虚ろな目で。

「大丈夫、忘れていない」

 真っ白な吐息は、霧の中に溶けていく。

「私は、忘れていないから」

 だから待っていて。
 もう少しだから。
 時間はまだ半分あるから。
 ちゃんと果たすから。
 必ず、またそばに行くから。


 * * *


「カルミナ、落ち着け!」

 ぱちりと目を開けて、最初に視界に飛び込んだ顔を見て、反射的に短剣を振りかざして――すぐにその腕は捕らえられてしまった。

 心臓が早鐘を打つ。
 掴まれた腕はぴくりとも動かない。
 やはり自分では足りないのだと、思い知らされる。

「魔神は、心に影響するような魔法を好んで使うんです。
 すみません、俺が、力不足だったから……」

 若い魔法使いの弟子が、申し訳なさそうに目を伏せた。
 カルミナは深く息を吐く。

「――もう大丈夫だ。少し混乱しただけだ」

 カルミナが力を緩めるのを認めて、イグナーツはようやく腕を放した。

 あれは、魔神が見せたものだったのか。
 やけに生々しく感じたのは、まだ新しい記憶だったからなのか。

 半ば呆然としながら、カルミナはさっきまで見ていたもののことを考えていた。

「大丈夫か?」

 黙り込むカルミナの顔を、イグナーツが心配そうに覗き込む。
 一瞬、背すじが粟立つのを堪えて、カルミナは小さく頷いた。

「大丈夫だ」

 まだ少しだけ、動悸が残っている。
 ひどく脈打つ心臓をどうにか落ち着かせようと、カルミナはもう一度深く息を吐く。

 あと半年で、どうしたら――と考えて、カルミナは急に不安に襲われた。

「魔神はどうしたんだ」

 顔を伏せたまま問うと、イグナーツは背後の床を示した。

「もちろん倒した。なかなか呆気なかったな。とどめを刺したら、溶けちまった」
「――そうか」

 カルミナは頷いて、黒い染みだけが残った床を見る。
 あれは、もしかしたら半年後の自分の姿なのかもしれない。

「ともかく、ここが最後です」

 ヴィルムも床へと目を向けて、それからふたりにぺこりとお辞儀をした。

「あとでばあちゃん……師匠と後始末に来る必要はありますけど、これで当分はなんとかなると思います。
 おふたりとも、ありがとうございました」

 ヴィルムとイグナーツに助け起こされて、カルミナは立ち上がる。あとはここの入り口を閉じて、町へ戻るだけだ。
 もう一度だけ床の染みを振り返って、カルミナは森を後にした。
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