いつか夜明けをあなたと

ぎんげつ

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“娘”の物語

3.森の魔法使いの依頼/前篇

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 王都の南西にあるグラールスという町には、この王国でも最大の規模と言われる大地と豊穣の女神の教会がある。この地は女神の加護が篤く、そのために常に豊穣に恵まれていると考えられているからだ。
 その大地と豊穣の女神は、この西大陸で一番信仰されていると言っても過言でない女神である。それゆえ、このグラールスの町へ巡礼に訪れる信者もかなりの数に上る。

 フローブルクからの女神教会巡礼の護衛が、今回の仕事だ。

 大地の女神は豊穣のほかにも結婚や子宝を司ると言われ、ほかの神々に比べて女性の巡礼者も多い。今回の一団も、おおよそ七割を女性が占めている。
 体力のあまりない女性や子供を多く抱えての旅は、通常よりもかなりゆっくりのペースとなった。女神教会の治癒魔法使いも伴い、本来なら十五日もあれば十分なはずの日程は、その倍、三十日近くにも及ぶ長さだった。

「やっと着いたな。何事もなく到着できてよかったよ」
「ああ」

 そう言って伸びをするイグナーツをちらりと見て、カルミナも頷く。

 フローブルクへ戻るのは一ヶ月後だ。
 それまでは、護衛の傭兵たちもここで自由に過ごすことになっている。もちろん、短期で終わる仕事なら受けて問題はないことも確認済だ。
 巡礼者たちは教会の宿舎に寝泊まりするが、傭兵たちは各々の自由だ。
 もちろん、巡礼者と一緒に教会に滞在することも可能で、そうすれば費用もさほどは掛からない。だが、その代わりに質素で窮屈な暮らしを送らねばならなくなってしまう。

 カルミナとイグナーツは、別に女神の信者というわけでもない。だから、普段通りに宿に部屋を取っての滞在を選んでいた。

「カルミナ、お前はどうする?」
「何がだ」

 宿に荷物を置いて出発までの宿代を先払いしたイグナーツは、これから太陽と正義の神の教会に行ってみるなどと言いだした。

「なんでも、神の御使いが置いてった犬がいるんだっていうんだ。せっかくだから、どんな犬か見てこようかと思って」
「興味ない」

 一緒にどうだというイグナーツの誘いに、カルミナはにべもない。がっくりと肩を落としたイグナーツは、「お前は本当に愛想がないな」とぼやく。

「ま、いいさ。夕食時になったらここで落ち合おう」
「わかった」

 興味がないんじゃ仕方ないと気を取り直したのか、イグナーツはひらひら手を振って行ってしまった。
 その後ろ姿を見送ってから、カルミナも腰を上げる。
 これまで、王都より北のほうばかりを歩いていたカルミナにとって、このグラールスは初めて訪れる町だ。実際に歩いたうえで、地理も含めて把握しておいたほうがいい。



 町に出たカルミナは、さっそく店先を冷やかし、路地を覗き込み、ぶらぶらと何気ない風を装ってあちこちと歩き回る。
 ひとしきり散策を楽しみ、それから近道をしてみようと思い立ち、細い路地へと入り込んで……そう見えるような振る舞いを消して、いきなり立ち止まった。

「何の用だ」

 振り返っても、人影はなかった。
 それでもそこにいる誰かを咎めるように問いただすと、すぐに気配もなく物陰からするりと男が姿を現した。
 男は軽く一礼し、くすりと笑う。

「それは、こちらの質問ですよ、カルミナ……いえ、ラーベ・・・

 カルミナはじっと目を眇めた。
 若くもなければ年寄りでもない、中肉中背に、顔の上半分を仮面で隠したまま自分を観察する男を、カルミナも値踏みするかのように観察する。

「――なぜ、ラーベだと」
「魔法使いかそうでないかくらい、身のこなしを見ていればわかります」

 くつくつと楽しげに男は笑う。
 カルミナはおそらくこの男に敵わない。男の方もそうと知っている。
 カルミナはますます顔をしかめて、それからそっと息を吐いた。

「ここで仕事をする予定はない」
「では、本当に巡礼者の護衛としてのみであると?」
「ああ」
「あなたの連れは……」
「あれはただの傭兵だ」

 なるほど、と男が頷く。

「あなたがなぜ急にこの町に現れたのか、それを知りたかっただけですよ。私の主人が気にしておいででしたので」

 カルミナは余所者・・・だ。いきなり現れた余所者に彼らのシマを荒らされるのは困るから釘を刺しに来たと、そういうことか。
 カルミナは無言のまま立ち尽くす。
 男は口元をまた笑みの形に歪めて、仮面の隙間からカルミナをじっと見つめた。目の位置にある穴を通して覗かれているだけなのに、まるで何もかもを見透かされているような気がしてくる。

「せっかくですからご挨拶くらいはと。
 それにしても噂通り、あなたは現在休業中というわけですか。驚きですね」

 顔を顰めたまま身じろぎすらしないカルミナに、男はもう一度「なるほど」と呟く。
 何がなるほどなのか。
 そう考えたけれど、カルミナは口を開こうともせずに、ただじっと待つ。このやりとりとカルミナの態度に満足したのか、男はそれ以上は何も言わず、来た時と同様に物陰へと姿を消した。

 そのまま完全に気配が消えるまでひたすら息を殺して立ち尽くし――誰もいないと確信できてようやく、カルミナは緊張を解いた。
 深く息を吐いて、知らず知らずのうちに固く握り締めていた拳からそっと力を抜いて、ぎしぎし軋むような身体をゆっくりと動かして……開いた手のひらには、くっきりと爪の痕が残っていた。



 宿に戻ると、先に戻ったイグナーツがカルミナを待っていた。
 おかえりと手を振られて、カルミナはなんとなく頷き返す。

「なあ、カルミナ」
「なんだ」
「何かあったのか?」
「なぜ?」

 頬杖を突いたイグナーツが、へらりと笑う。

「ずいぶん疲れてるように見えるからさ」
「お前こそ、犬はどうだった」
「ああ、普通の人懐こい犬だったぞ」
「そうか」
「でかくて金色の長い毛がふさふさしてて、触り心地も良かった」
「そうか」
「女神の御使いのお気に入りでもあるんだそうだ」
「そうか」

 おざなりな返答に、イグナーツの表情が呆れたものに変わった。
 どこか上の空のカルミナが、じっと見つめるイグナーツに気づいて首を傾げる。

「カルミナ、お前さ、ひとに話振ったくせに、会話する気ないだろう」
「質問の意味がわからない」
「わからない振りするのはやめろっての」

 イグナーツはさらに呆れる。
 わかっているくせに鈍感な振りをしていることくらい、イグナーツだって気づいているのだ。その鈍感な振りをする目的までは、さすがにわからないけれど。

「お前が俺に関心無いのは今に始まったことじゃないが、話を振ったのはお前なんだぞ。ちゃんと会話くらいしたらどうだ?」

 カルミナは溜息を漏らす。

「面倒臭い」
「……お前がそういう奴だとは知ってたけどさ」

 思わずテーブルに突っ伏して、イグナーツも大きく嘆息する。頭をがりがりと掻いてちらりとカルミナを伺うが、カルミナは目を合わせようともしない。

「そこはもうちょっと、他に言いようがあるんじゃないか?」
「そうか」
「お前、見た目はいいんだし、もう少し愛想を身に付けたらいいのにな」
「ああ――」

 イグナーツのぼやきに、ふと、少し前のベルとの会話を思い出した。そういえば、ベルはカルミナが身体でイグナーツを誑し込んだのではと疑っていたっけ。

「お前、わたしに色仕掛けでもしてほしかったのか?」
「なっ、何言い出してんだ!」

 いきなり出た“色仕掛け”という言葉に、イグナーツは勢いよく顔を上げた。
 心なしか、その耳の端が赤い。

「お、お前の色仕掛けになんか、怖くて乗れるかってんだ」
「怖いとは心外だ。わたしがお前に力で敵うわけ無いだろうに」

 イグナーツの顔が、今度はたちまち不機嫌そうに顰められる。まさか、力尽くで迫れば勝てるだろうと暗に揶揄られるとは、どんな男だと思われているのか。

「――そうと知ってて、なおさらやれるかよ」
「お前がそんなことを気にしているなんて、知らなかったな」
「あのな……お前、俺を何だと思ってるんだよ」
「男だ」

 せせら笑うカルミナに、イグナーツはまた突っ伏してしまう。

「そこはせめて、俺とそれ以外くらいに分けておいてくれないか」
「無理だ」
「即答かよ」

 イグナーツは、これ以上ないほど、盛大に溜息を吐いた。


 * * *


 翌日、イグナーツとカルミナに名指しでの招待状が届いた。

「ここの領主夫人? しかも今日の午後? カルミナ、心当たりは――」
「あるわけがない」

 つまみ上げた仰々しく上品な封書を、イグナーツは途方に暮れた顔で眺める。
 カルミナはいつものように軽く一瞥しただけだ。

「どうしろってんだ」
「何の招待なんだ?」
「茶会だとよ」

 差し出された招待状を開けると、確かに領主夫人の茶会への招待とあった。

「内々の席だから気軽にとか言われてもなあ」

 イグナーツもカルミナもただの傭兵だ。
 こんな招待に応じられるような礼服なんて持っていない。

「普段どおりで行けばいいだろう」
「けど、領主ってのはつまり貴族だぞ?」
「こんなものを寄越すんだ。こちらのことくらい向こうも知っているはずだろう。なら、急に呼び出すほうが悪い」
「そうは言ってもだな、カルミナ」
「わたしの知ったことか」

 それでも、貴族の招待だ。無視することはできない。
 イグナーツもカルミナも、手持ちの衣服なんてたかが知れている。比較的きれいな服でどうにか身支度を整え、ほとんど開き直って、指定された刻限に領主家の館へと赴いた。



 イグナーツが多少の緊張とともに門兵に招待状を差し出すと、意外にも、何ひとつ咎められることなく門を通された。
 そのまま迎えに出てきた使用人に、屋敷の奥の小綺麗なサロンへと案内される。

「こんなんで、いいのか?」

 戸惑うイグナーツを、カルミナがちらりと見やる。

「貴族ってのは、もう少しいろいろなんかあるものだろ?」
「知らん」

 いつになく落ち着かずやたらと話し掛けてくるイグナーツをあしらいながら、カルミナはさりげなく館の様子を観察した。

 さすがのイグナーツも、いつもの大剣は置いて、代わりに小剣を腰にいている。当然、門を通る際に取り上げられるのだとばかり考えていたのだが、チェックすらされることなくそのままだ。
 服だって、洗濯した古着程度でしかない。
 なのに、使用人たちからは侮りも蔑みも何も感じなかった。
 至って普通に歓迎されて、驚きが隠せない。



「お待たせ致しました。わたくしが領主の妻、アントニアですわ。今日は突然のご招待だったのに、いらしてくれてありがとう」

 待てと言われてしばし後、動きやすそうな、シンプルなドレスを纏った領主夫人アントニアが現れた。人当たりの良い笑顔で貴族らしく礼をする年配の夫人に、イグナーツとカルミナは慌てて立ち上がる。

「こちらこそ、お招きいただいてありがとうございます。俺……私はイグナーツで、こちらはカルミナです。何分、こういう場に慣れていないもので、その……」
「あらあらあら、堅苦しいのは無しにしましょう? いつも通りでいいのよ。どうぞ寛いでくださいな」

 夫人は笑顔で椅子を勧め、それから手を叩く。
 たちまち茶器や菓子類を携えた侍女たちが現れて、魔法のように手際よく用意を整えていった。

「おや、少し遅れてしまったかね」
「大丈夫、今から始めるところだったの。
 パメラ、こちらが傭兵のイグナーツさんとカルミナさん」

 さらに、少し遅れて魔法使いの長衣を着た老女も現れた。領主夫人と魔法使いの気安い様子にも驚きつつ、イグナーツとカルミナのふたりは軽く会釈を返す。

「こちらはパメラ。グラールスの“森の魔法使い”よ」
「イグナーツです」
「カルミナです」

 なぜここで急に魔法使いと引き合わされたのかさっぱりわからない。
 戸惑いながら、それでも握手を交わす。



「――それでね、わたくしがおふたりを招いたのは、お願いしたいことがあるからなのよ」

 一杯目のお茶を半分ほど飲み終えたころ、夫人がにっこりと微笑んで、今回の用件らしきものを切り出した。

「仕事ということでしょうか?」

 ようやく合点がいったと、イグナーツは安堵の表情を浮かべる。
 なぜこんな茶会に招待されたのかの理由もさっぱりわからず、どうにも落ち着けずにいたのだが、仕事の依頼であれば納得だ。

「わたくしのお友達が、お仕事を頼むならあなたたちが適任だと教えてくれたの。それほど時間もかからないし、ぜひ引き受けていただきたいわ」
「まずは聞いてみないことには、引き受けるかどうかも決められませんが」

 いつもの調子を取り戻したイグナーツの横で、“お友達”かとカルミナは考える。領主夫人の“お友達”というのは、きっと昨日の男のことだろう。
 何しろ、昨日の今日だ。
 それに、あれが“お友達”だというなら、このいかにも上流階級然とした領主夫人自身も一筋縄ではいかない人間だということか。

 イグナーツは、愛想良く魔法使いと夫人の話に応じている。イグナーツのことだ、依頼の理由も、ただ友人からの評判を聞いたから……くらいに考えているのだろう。

「それもそうねえ。パメラ、説明してもらえるかしら?」
「ああ」

 アントニアに代わり、パメラが“仕事”についての説明を始めた。
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