女暗殺者の嫁もまた暗殺者

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変わりゆく状況と覚悟

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 真っ赤な視界のなかで、ミカエルが拳を放つのが見えた。恵叶はその手首をつかみ、内側へと引き寄せる。
 バランスを崩しにかかり、そのこめかみに手刀を打とうとして、
「……っ」
 貧血のせいか、視界が暗転した。一瞬だったが、その一瞬の隙をミカエルが逃すはずもなく、恵叶は逆に頭突きを食らってしまう。
「……っう!」
 唇から血が噴き出て、恵叶はふらついた。
「可哀想にな。かばって戦うのも限界だろう」
「はっ、はあっ、はあ……」
 恵叶は目元に流れた血を拭いながら、ミカエルを見据えた。
 血を流しすぎて、足がフラフラする。恵叶の背後には、ぐったりしたライリーがいた。負けるわけにはいかないが、相手も状況も悪すぎる。
 いや、勝たなくてもいい。紗美がスマホを取り返すまで、しのげれば……。
 だが、そんなことはミカエルもわかっている。勝機が見えないでいると、ミカエルにふっと影がかかった。
「紗美……?」
 影が大剣を振りかぶり、ミカエルを真っ二つにしようとする。ミカエルは難なくそれを避けたが、紗美だと思っていたそれに、二人は同時に首をかしげるはめになった。
 それは、墓場を守るガイコツだった。
「紗美、ちょっと痩せた?」
「お前、意外と余裕あるだろ……」
 いや、何こいつ。
 ガイコツが動いていた。いや、どうせAI仕掛けだろうし、ガイコツが動くのはいいとして、攻撃してくるのは何故だろう。
「暴れすぎたから、怒ってるのかな?」
「それにしたって、殺意がむき出しすぎるだろう」
「ガイコツだけに? ふ、ふふっ……」
「……わかった。お前、血を流しすぎてハイになってるな」
 今度は、恵叶の頭蓋骨めがけて、大剣を振り下ろしてくる。避けようとして、自分の足につまずいた。
 あ、やば……。
 ふら、と力が抜ける。大剣が目の前に迫ってくる。と、ミカエルが恵叶を抱っこして、その場から離れた。
 恵叶をてきとうなところに下ろすと、ミカエルはガイコツの間合いに潜り込んだ。上方に強烈な蹴りを繰り出すと、ガイコツはバラバラになって動かなくなった。
「どうして、助けたの……?」
 ミカエルがシーッ、と恵叶の唇に人差し指をあてた。
「耳を澄ましてみろ」
「耳鳴りが酷くて……」
「明らかに状況が異常だ。ここ以外でも、何かが起こっている。状況が変化した以上、未だに命令が有効かわからない」
 だから中断した、とミカエルはこだわりなく言った。
「……そんな理由で?」
「お前、私を戦闘狂か何かと勘違いしていないか? 命令を下されたから抹殺に動いていただけで、そこに私の意思は介在しない。……お前と戦うのが楽しいのは認めるが」
 ミカエルはスマホを取り出し、ついでのようにポケットを探る。ぽん、と恵叶に投げて寄越したのは、何と止血クリームだった。
「まあ、少し待て。お前を殺すべきかどうか、確認するから」
「これは?」
「一方的なハーフタイムの詫びだ」
「……あなた、天然って言われたりしない?」
 訊くと、ミカエルがスマホを離してふっと笑った。
「たまにな」
 止血クリームの蓋を開けると、恵叶はライリーの頭に塗りたくった。傷が深いので、あくまで応急処置だが、これで多少はマシになるだろう。
「ライリー、他にどこが痛い?」
「全部。ううっ、全部が痛い……。きっともう死ぬんだ……」
「死なないて」
 骨が折れてないか確かめていると(「痛あいっ! 押すな、お前! ケイティ、おま……痛いってば!」)、ミカエルが通話を終えた。
「で、どうするの? 続ける?」
「いや。命令が変更になった。どうやら、お前たちに構っている場合じゃないらしい」
「よかった」
 何が何だかわからないけど、よかった。いや、よくない。私に構っている場合じゃないっていうのは、逆に何かが悪化しているってことで……。
 駄目、フラフラして考えられない。頭を押さえていると、ミカエルがカプセルを取り出した。
「これを飲め。失った血を取り戻せる」
「ありがとう……。クリーム返すわね」
「何だ、お前。自分に使ってないじゃないか」
 ミカエルがクリームをすくい取ると、恵叶の額と唇にべちょりと塗りつけた。続いて、服をめくって、体をぺたぺた触り出す。
「裂傷、火傷、擦過傷、打撲痕、深い切り傷……」
「いたた。痛い」
「骨はヒビだけか。……丈夫な奴だな」
 そういえば、アリアは。
 はたと思い出したとき、迷宮の奥からとんでもない速さで走ってくる者がいた。
「うきゃあああミカエルー!!! ガイコツガイコツ! ガイコツがいっぱい! ガイコツうううう!」
「ガブリエル、叫ばないで! めちゃくちゃ集まって来てるから!」
「あの馬鹿」
 逃げるガブリエルと紗美を先頭に、ガイコツの軍隊がこちらに向かってくる。
 ミカエルと頷きを交わし合うと、同時に壁を蹴って跳び上がった。ガイコツが落とした大剣を振るって、頭を落としていく。
 大剣で体を払うと、骨は難なくバラバラになった。手首を柔らかく使って刃を返し、文字通り関節を外していく。
 ほどなくして、恵叶とミカエルは骨の山に立っていた。
「上々」
 ぽいと大剣を投げ捨てると、紗美がほっとした様子で抱きついてきた。
「怖かったぁ、恵叶……」
 あざとくて可愛い。「ショウお前、物理ホラー耐性は強かっただろ」というミカエルの声は聞こえない振りをする。
 と、うずくまっていたガブリエルが「あーっ!」と恵叶を指さした。
「ま、抹殺対象が揃ってるぅ! のんびりしている場合じゃ……。ミ、ミカエル、お願いしますぅ!」
「うるさい。もうその命令は取り消された」
「えっ。ほ、本当にーですかー……?」
「本当だ。新しい命令が入っている」
 ガブリエルと紗美が同時に肩の力を抜いた。
「……じゃ、スマホ返して」
「あうっ。……でも良かった、ショウを殺さずにすんで。それで、そのー……新たに下された命令というのは……」
「その前に、状況を説明する。お前らにも関係のあることだからな」
「あ、待って。先に私の話を聞いて。恵叶、アリアが大変なの……」





「何なんだ、この抹殺命令はあああ! ふざけるな! 私も狙われてしまう! 貴様らが無能なせいだ!」
 CASでは、白髪が怒り狂い、口から泡を飛ばしていた。誰かれ構わず当たり散らすせいで、ボスは逆に自分が冷めていくのを感じていた。
 ……こいつには、上に立つ資格がない。
「とっとと命令を上書きしろ! 御門帝夜など殺して構わん! 早く奴を殺せ!」
 無理です、と技術班の一人が言った。
「アクセス権が乗っ取られました。我々にはどうにもできません」
「黙れええええー!!!」
 白髪がデスクの上を乱暴に手で払う。
 コーヒーカップや大切なデータがばらばらと落ちた。
「私が狙われているのだぞ! とっとと、コントロールを奪い返せ! この使えないカスどもが!」
 ポニーテールがそそくさと自分のスマホを取り出し、作り笑いを浮かべた。
「そ、それでは、私は現世に帰るとしよう……」
 白髪はずんずんとポニーテールに寄ると、スマホを奪い取った。床に叩きつけて、何度も足で踏み潰す。
「あああっ! 貴様、何をする!」
「やかましい。こうなった以上、お前も道連れだ! お前だけ逃げるなんて許さん!」
「何だと、貴様あああー!!!」
 白髪とポニーテールが口汚くののしり合い、服を引っ張り、引っ掻いている。
 醜い。醜すぎる争いを前に、CASのメンバーはただじっと、ボスとレオの出方を窺っていた。
 ボスはCASの本部を見回した。
 ここは02、中華ファンタジー世界の外れにある。
 観光地からは遠く離れているだけでなく、周囲には景色を模したホログラムが設置されていて、建物は巧妙に隠されている。
 よほど近くで見ないと、景色がブラフだとは気付かない。
 それでも、AI仕掛けの生き物には通らないだろう。いずれはこの場所を察知して、襲いかかってくるはずだ。
 どんな生き物が来るにせよ、対処は間に合わない。技術班は、戦闘能力はゼロと言っていい。
 ……俺はここを預かる者として、正しい判断を下さなければならない。
「……レオ」
 呼びかけると、レオが厳粛な面持ちでこちらを見た。
「やるべきことは、わかっているな?」
 レオがこくりと頷く。
 白髪とポニーテールが肩で息をしながら、ばっとレオを見た。
「そうだ、お前! お前は馬鹿だが、腕が立つ! 来い、私を守れ! それがお前の仕事だ!」
「馬鹿な! 奴は私が貰う! おい、私の側を離れるな! 命をかけて、私を守るのだ!」
「金を払おう! お前では一生かかっても手に入らない金だぞ! だから、今から私の専属ボディガードになるのだ!」
「ずるいぞ、貴様! 私はその二倍出す! とっとと……」
「いいのか、ボス」
 レオが静かに割り込んだ。ボスは小さく笑んで、大切なCASのメンバーを見回す。誰もが強い意志を瞳に秘め、しかし少しだけ寂しそうに笑っていた。
 それは、自分の運命を受け入れた者の顔つきだった。
「逃げたいのなら、とっくに逃げている。……だろう?」
 はい、と異口同音に返ってくる。そして、次々に口を開き始めた。
「見くびってもらっちゃ困るよ、レオ。ここには誰一人、覚悟のない者なんていない」
「俺たちの仕事は、最後まで異世界の平和を守ること」
「戦う仲間を置いて、自分だけ逃げるなんて卑怯な真似できない」
「終わったら、今度こそ特別手当は貰うけどね」
「そうかよ」
 レオが笑って立ち上がる。ボスはその肩を叩いた。
「ここはいい。避難が完了するまで、異世界の人々を守れ。……お前なら、それができる」
「わかった」
「ま、待て! 何を勝手に命令している! 命令するのは、この私で……!」
「ふざ……ふざけるなぁ! どこに行く気だ! くだらない愚民なんざ、どうでもいい! 私を守れ! 待て、待てええええ!!!」
 情けない悲鳴を上げながら、サリエルズがレオにすがろうとする。レオはそれをするりと抜けると、ジャンプした。
 ……頼んだぞ。
 ボスはレオを信じて送り出した。

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