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第25話
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応接室の机の上に置かれたのは、オレンジジュースの入ったコップが一つとコーヒーの入ったカップが二つ。それと、透明な小袋に分けられたクッキーがいくつか。ゴードンが持ってきたお盆の上には、冷たい水に浸けてから硬く絞られた布もある。
私はお礼を言ってその布を受け取ると、顔全面に「ゴードンが気に入りません」と書かれたカガリの目元を覆い隠した。布の冷たさに驚いたのか、小さな体が「ぴゃあ!」と言って跳ねる。
――我が妹ながら、この子は本当に可愛らしい顔をしていると思う。しかも、まるで雨が降りしきる中で凍えて鳴く子猫のように人の庇護欲を煽るのだ。それは誰からも愛されるに決まっている、「守らなければ」という強迫観念を植え付けられるのだ。
ずっと涙目で見られ続けると、いまだに気がおかしくなりそうになる時がある。8年一緒に居てもまだ慣れないのだ。妹に対して毅然とした態度を貫こうと思ったら、こうして目元を隠している方が話しやすいかも知れない。
そうでなければ私はきっと、途中で心が折れてしまうだろう。
「カガリは、父さんと母さんをどう思っているの?」
「へ? パパとママ? それは……いっぱい大切にしてくれるから好きだけど、でも変よ。特にママは、ずっとカガリ――私の傍に居て、離れないから……変」
変だということは理解できている。ただ、両親から受ける愛情の歪さを、他の言葉で上手く表現できないのだろう。カガリはやがて布の冷たさに慣れたのか、それを押さえる私の手に顔をぐりぐりと押し付けて甘えてくる。
母さえ居なければ、姉妹で仲良くできたのに――とは、最悪な発想だろうか。
物心つく前から「しっかり」するように教育されていたら、この子はきっと才色兼備になれただろうに……いや、まだ間に合うだろうか。いっそのことカガリ本人に選ばせようか?
このまま母の檻の中で恥に塗れて過ごすか――例え両親に嫌われて荊の道を歩くことになったとしても、それでも「しっかり」したいのか。
そうして私が悩んでいると、大きくて温かい手が肩に乗せられた。ふと見上げれば、ゴードンが頷いている。私が何を考えて何を悩んでいるか、お見通しなのだろう。こと恋愛に関しては死ぬほど鈍いが、彼は商人らしく勘が鋭いから。
なにやら背中を押されたような気がして、私も頷き返した。
「カガリ、正直に言うわね。今のあなたは恥ずかしい」
「え――」
「だってもう8歳なのに、何もできないでしょう? 出かける時はいつも母さんの腕の中、甘やかされて宿題も真面目にしないし、学校に居てもまるで家と同じようにワガママを言って、周りを振り回して――今あなたが皆に許されているのは……愛してもらえているのは、ただ見た目が可愛いからよ。でも、いずれソレだけでは世界が回らなくなるわ」
「なんで……なんでそんなこと言うの、お姉ちゃん? 学校の大っ嫌いな女の子と同じこと言う! やっぱりママの言った通り、私が嫌いなんだ! ヤキモチ!? どうして――」
布で目元を隠していても、震える声を聞くだけで激昂しているのがよく分かる。視界を奪われたまま両手を伸ばして私を探り当てると、制服をきつく握りしめた。
――どうして急に「恥ずかしい」なんて言い出したのか不思議だったけれど、どうも同級生にまともな子が居たようだ。きっとカガリがワガママ放題なのを見かねて、注意してくれたのだろう。
まあ、嫉妬を多分に含んでいることはまず間違いないだろうけど、わざわざカガリに嫌味を言ってくれるなんて……随分と気の利く、優しい子が居たものだ。皆から持て囃されている相手に向かって牙を剥くなど、どれだけの勇気が要っただろうか。
下手をすればイジメになりかねないので手放しに「良いこと」とは言えないが、少なくとも今のカガリにとっては良い薬だ。
「それで恥ずかしいなんて言い出したのね。でもそれって、カガリも分かってるってことでしょう?」
「そ、それは……」
「何がそんなに恥ずかしいと思ったの?」
カガリは口をへの字に曲げている。しばしそのまま閉口していたけど、改めて「カガリ?」と呼びかければ観念したように口を開いた。
「学校の子が……その子たちのパパやママだって、お姉ちゃんを知ってるって言う。ママが弱虫だったから、お姉ちゃんはしっかりしてたって……ママはいつも守られてて、全然ママらしくなかったって。だからお姉ちゃんが頑張るしかなかったのに、ママはますますダメになって、それで――お姉ちゃんは偉いけど、可哀相って」
「……そうね、それが原因で母さんは私のことが大嫌いなのよ。あの人はカガリみたいに甘えてくれる子が好きだから」
「でも、ママ以外は皆お姉ちゃんの味方よ! 子供も、大人も……近所のおばさんだって、私のことすごく変な目で見る! 何もさせようとしないママが悪いって言いながら、私まで悪いことしてるみたいに言う……!」
そうして私と比較された結果、「働きたい」「お姉ちゃんにできることなら、私にだってできる」というワガママに繋がった。
カガリはまだ、そもそも自分が何を悪く言われているのかも理解していないのだろう。ただ訳の分からない不条理に晒されたと思って――いや、事実母のエゴに振り回されているだけだから、彼女だって間違いなく被害者なのだ。
私はお礼を言ってその布を受け取ると、顔全面に「ゴードンが気に入りません」と書かれたカガリの目元を覆い隠した。布の冷たさに驚いたのか、小さな体が「ぴゃあ!」と言って跳ねる。
――我が妹ながら、この子は本当に可愛らしい顔をしていると思う。しかも、まるで雨が降りしきる中で凍えて鳴く子猫のように人の庇護欲を煽るのだ。それは誰からも愛されるに決まっている、「守らなければ」という強迫観念を植え付けられるのだ。
ずっと涙目で見られ続けると、いまだに気がおかしくなりそうになる時がある。8年一緒に居てもまだ慣れないのだ。妹に対して毅然とした態度を貫こうと思ったら、こうして目元を隠している方が話しやすいかも知れない。
そうでなければ私はきっと、途中で心が折れてしまうだろう。
「カガリは、父さんと母さんをどう思っているの?」
「へ? パパとママ? それは……いっぱい大切にしてくれるから好きだけど、でも変よ。特にママは、ずっとカガリ――私の傍に居て、離れないから……変」
変だということは理解できている。ただ、両親から受ける愛情の歪さを、他の言葉で上手く表現できないのだろう。カガリはやがて布の冷たさに慣れたのか、それを押さえる私の手に顔をぐりぐりと押し付けて甘えてくる。
母さえ居なければ、姉妹で仲良くできたのに――とは、最悪な発想だろうか。
物心つく前から「しっかり」するように教育されていたら、この子はきっと才色兼備になれただろうに……いや、まだ間に合うだろうか。いっそのことカガリ本人に選ばせようか?
このまま母の檻の中で恥に塗れて過ごすか――例え両親に嫌われて荊の道を歩くことになったとしても、それでも「しっかり」したいのか。
そうして私が悩んでいると、大きくて温かい手が肩に乗せられた。ふと見上げれば、ゴードンが頷いている。私が何を考えて何を悩んでいるか、お見通しなのだろう。こと恋愛に関しては死ぬほど鈍いが、彼は商人らしく勘が鋭いから。
なにやら背中を押されたような気がして、私も頷き返した。
「カガリ、正直に言うわね。今のあなたは恥ずかしい」
「え――」
「だってもう8歳なのに、何もできないでしょう? 出かける時はいつも母さんの腕の中、甘やかされて宿題も真面目にしないし、学校に居てもまるで家と同じようにワガママを言って、周りを振り回して――今あなたが皆に許されているのは……愛してもらえているのは、ただ見た目が可愛いからよ。でも、いずれソレだけでは世界が回らなくなるわ」
「なんで……なんでそんなこと言うの、お姉ちゃん? 学校の大っ嫌いな女の子と同じこと言う! やっぱりママの言った通り、私が嫌いなんだ! ヤキモチ!? どうして――」
布で目元を隠していても、震える声を聞くだけで激昂しているのがよく分かる。視界を奪われたまま両手を伸ばして私を探り当てると、制服をきつく握りしめた。
――どうして急に「恥ずかしい」なんて言い出したのか不思議だったけれど、どうも同級生にまともな子が居たようだ。きっとカガリがワガママ放題なのを見かねて、注意してくれたのだろう。
まあ、嫉妬を多分に含んでいることはまず間違いないだろうけど、わざわざカガリに嫌味を言ってくれるなんて……随分と気の利く、優しい子が居たものだ。皆から持て囃されている相手に向かって牙を剥くなど、どれだけの勇気が要っただろうか。
下手をすればイジメになりかねないので手放しに「良いこと」とは言えないが、少なくとも今のカガリにとっては良い薬だ。
「それで恥ずかしいなんて言い出したのね。でもそれって、カガリも分かってるってことでしょう?」
「そ、それは……」
「何がそんなに恥ずかしいと思ったの?」
カガリは口をへの字に曲げている。しばしそのまま閉口していたけど、改めて「カガリ?」と呼びかければ観念したように口を開いた。
「学校の子が……その子たちのパパやママだって、お姉ちゃんを知ってるって言う。ママが弱虫だったから、お姉ちゃんはしっかりしてたって……ママはいつも守られてて、全然ママらしくなかったって。だからお姉ちゃんが頑張るしかなかったのに、ママはますますダメになって、それで――お姉ちゃんは偉いけど、可哀相って」
「……そうね、それが原因で母さんは私のことが大嫌いなのよ。あの人はカガリみたいに甘えてくれる子が好きだから」
「でも、ママ以外は皆お姉ちゃんの味方よ! 子供も、大人も……近所のおばさんだって、私のことすごく変な目で見る! 何もさせようとしないママが悪いって言いながら、私まで悪いことしてるみたいに言う……!」
そうして私と比較された結果、「働きたい」「お姉ちゃんにできることなら、私にだってできる」というワガママに繋がった。
カガリはまだ、そもそも自分が何を悪く言われているのかも理解していないのだろう。ただ訳の分からない不条理に晒されたと思って――いや、事実母のエゴに振り回されているだけだから、彼女だって間違いなく被害者なのだ。
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