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第39話

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「――これが後になってセラスの耳に入って、離婚騒動にまで発展すると困るから……今のうちにゲロっておこう。俺がどれだけ計算高くて、イヤなヤツか」
「良いわね、面白そう。話してごらんなさい」

 知らぬ間に彼の術中に嵌っていたということだろうか? 詳しく聞いてみないことには分からないけれど、私は割とが好きなのだ。人の何倍も考えて、諦めずに考え続けて、何かを掴み取る人が。

 思考を放棄するのも諦めるのも容易いけれど、その逆は難しい――私が正に、そうやって楽な道を選んで生きてきた人間だ。私にできないことをやれる人というのは、好ましいし尊敬する。

 とんでもない地雷の可能性もあるけれど、なんだかワクワクした。ベッドの上から身を乗り出して、床に寝そべるゴードンの肩をペシペシと叩く。するとすぐさまギュッと手を握られて、私も握り返した。

「俺が物心ついた頃には、もうセラスが居ただろ? たぶん一番古い記憶で言うと、3歳とか4歳とかで……セラスは今のカガリぐらいだった」
「そうね。商会で働く母について来て、なし崩し的に子守の仕事をもらったから。……そういえば私、あなたのオムツを替えたこともあるのよね」
「――それは今すぐに忘れて欲しい」

 ゴードンは、ばつが悪そうに「ンンッ」と喉を鳴らした。それがおかしくてまた笑って、「それで?」と続きを促す。

「母さんも父さんも同じ建物内には居たけど、結局仕事があるから俺の相手ばかりしていられない。当時の俺を誰よりも世話していたのは、間違いなくセラスだ」
「ええ」
「初めはたぶん、刷り込みに近かった。世話をしてくれるのがセラスだったから、自然と追いかけるようになって――でも昔は俺の他にも子供が居て、セラスは全員を平等に世話した。結局、全員が刷り込みでお前を求めているのを見て……何か違うと思った。色んなことが気に入らなくて、どうすれば俺だけ見てくれるのか考えるようになった」
「違うって何よ、変なの」
「他のヤツらは刷り込みで、俺のは恋だったってこと」

 彼の他にも私を――『保護者』として――求める雛鳥たちを客観的に見た時、ハッと我に返ったらしい。
 ただ世話をしてくれるのが、一番構ってくれるのが手近に居る私だったというだけ。単なる依存を、まるで拙い恋愛感情のように勘違いしている子供たちを見たら、冷静になったのだと言う。

 ――そうして明確になったのは、驚くことに「俺のは依存や勘違いとは違う、だ」ということ。

「セラスが他の子供の相手をすると苛立つし、俺を見ていないと不安で気が狂いそうだった」
「だけど、それこそ恋愛感情というよりも「お母さんを他のお友達にとられたくない~」っていう欲求と焦りじゃないの?」
「どれだけ子供の面倒を見たって、セラスが母親に成り代わることはない。俺には――他の子供たちにだって、母親が居る。よくて姉だろう」
「……それもそうね。10歳にも満たない母親なんて居る訳がないし、なんだか恥ずかしい思い上がりをしていた気分だわ」

 言われてみればその通りだった。どれだけ子供の世話をしたところで、本物の母親が居る限り私は代用品でしかない。ただの世話係のお姉さんといったところで、いくら刷り込みがされていたって家に帰ればちゃんとした母親が居るのだから。

「そこからは、セラスを観察することに尽力した。どういう時に喜ぶのか、どうされると嬉しいのか」
「へえ……私はどういう時に喜んだの?」
「……誰かに強く依存された時。しつこく追いかけても喜ぶし、ワガママを言って振り回しても、必死に応えようと心を砕いてくれた。とにかく頼りにして、思う存分甘えるだけで――たぶんセラスも俺に、徐々に依存した」

 手を握る力が強まって、なんとも言えない複雑な気持ちになった。まだ商人のイロハも教わっていない頃から、なんて恐ろしい子供だったのだろうかと。

「セラスはいつも1人で立とうと躍起になっていたから、それを邪魔すると……変に助けようと手を出すと、反発する。だから邪魔だけはしないように、陰から見守る程度に留めた。もしもの時に支える準備だけは怠らずに、セラスが気持ちよく過ごせるように散々甘えて、商会じゃなくて家に通えとワガママを言って独占した」
「あなたって、私よりも私に詳しいのね」
「何年見てると思っているんだ? 強がってばかりで可愛げのないお前が、本当に――昔から好きで仕方がない。だから、いつ折れても助けられるように体を鍛えて、勉強して、仕事した。セラスに頼られるのも、甘えられるのも俺だけで良い。セラスを助けるのも俺だ、きっと守れるのも俺だけで……こんなにも守りたいと思う相手は、他に居ない」
「……ちょっと趣味も悪くて、将来が心配だわ」

 段々照れくさくなってきて茶化すように言えば、ゴードンは「セラスが俺の妻の座に大人しくついてくれれば、これ以上悪趣味に拍車がかかることはない」と自信満々に言い放った。

 何やら、一体私のどこが良いのかしら? なんて悩んでいたことが一気に馬鹿馬鹿しくなった。特別で明確な理由などなくても、これと言ったキッカケなんてなくても、人は人を好きになるし強く求めるのだ。
 むしろゴードンの『好き』の重さに気後れしそうなレベルで、カガリがどうとか取り柄がどうとか言っている場合ではない。

「前に、俺だけ居れば良いと言ってくれただろう? セラスがセラスで居られるのは、俺の傍だけだと……カガリがピーピー泣いていた時」
「え? あ、ああ……ええ、そうね」
「あれも嬉しかったが、いつかセラスの口から「好き」を聞きたい。今はまだ、たぶん俺の頑張りが足りないんだろうけど――結婚して、商会も世間体も何もかも関係なく、ただを好きになった時に聞かせて欲しい」

 ――そんなもの、ずっと前から好きなのに。

 ただ、どうすべきか少しだけ悩んだ。悩んだというか、照れくさかった。今更どの面下げて「ずっと前から好きでした」なんて言うのだ? いや、でもいい加減伝えなければ、なんだかこのまま一生「好き」を口にできない気がする。

 私は意を決して、静かに息を吸った。そうして口を開きかけると、暗くて何も見えないだろうに気配を察したのか「待った!」とストップがかかる。

「今は……その、今言われると、俺がワガママで無理やり言わせたみたいだから……それはちょっと、納得できないというか――日を改めて頂きたい。できれば1か月以上空けて欲しい」
「――ップ、何よソレ? もう……はいはい、承知いたしました」

 思いきり噴き出して、ひとしきり笑った後に「おやすみ」を言う。床から「おやすみ」が返ってきて、満ち足りた気持ちで目を閉じる。
 どうやら繋いだ手は離してもらえないようで、これは明日の朝腕が痺れているだろうなと思いつつ――でもまあ、それも良いかと口元を緩めた。
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