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第40話
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案の定、翌朝は片腕が痺れて冷たくなっていたけれど――朝になっても繋がれたままの手に、胸が温かくなった。意識を失っていても手を離さないなんて、互いに執着心がすごくて笑えてしまう。
私たちは――昨晩の告白などなかったように――いつも通り朝食をとって、そして肩を並べて出社した。色んな悩みが吹っ切れたお陰か、昨日よりもずっと体調が良い気がする。
商会長夫人からそれとなく体の心配をされたけれど、同時に「もしよ? もし問題ないなら、今日も残業を頼みたいのよね……」と申し訳なさそうに眉尻を下げられると、つい二つ返事で快諾してしまう。
まあ、今日は気分も含めて快調だから問題ないだろう。まだ月経は始まってすらいないのだから、貧血を起こして倒れるようなヘマもしない。
そうして通常業務をこなしていると、あっという間に15時過ぎ――学校帰りのカガリと友人が商会を訪ねてくる時間になった。
「お姉ちゃん、職員さん、こんにちは~」
カガリもまた、昨日の誘拐未遂事件なんてなかったことのように、ただいつも通りのニコニコ笑顔でやって来た。彼女の後ろには女の子と男の子が2人ずつ並んでいる。
彼らもまたカガリにならって「こんにちは~!」と元気の良い挨拶をしてくれた。
「いらっしゃい、今日はおかしなことはなかった? これだけお友達が居れば平気か」
「うん、今日は何もなかったよ! ……ふふふ、皆、私が商会の中を案内してあげるからついて来て!」
「案内するのは良いけど、職員さんの邪魔にならないようにしなさいね。あと、宿題が先よ」
勝手知ったると言わんばかりにえっへんと胸を張るカガリに、念のため忠告しておいた。友人の前だから良い格好をしたいのだろうが、調子に乗って普段やらないやらかしをされては敵わないと思ったからだ。
しかし、すぐさま「分かってるよ! 私、邪魔なんてしたことないし、いつもちゃんと宿題やってるでしょ!? お姉ちゃんってホントうるさい!」と強めに反発されて驚いた。
それと同時に、友人の前で口うるさく言うのはさすがに顔を潰すようで悪かったなと反省する。
素直に非を認めて「ごめんなさい、カガリの言う通りね」と苦く笑えば、私たちのやりとりをじっと見ていたカガリの友人が口を開いた。
「カガリちゃんって、いつもお姉ちゃんにそんなキツイ言い方をするの? 私、そういうのよくないと思うよ……」
「えっ? いや……違うよ、だって私、本当に邪魔なんてしたことないし、宿題だって毎日やってるし――お、お姉ちゃんが意地悪言うから、驚いて……」
強めの反応が引っかかったのか、友人の女の子が苦言を呈する。カガリは、まさか自分の友人からそんな注意を受けるとは思いもよらなかったようで、しどろもどろになりながら言い訳を口にした。
要らぬ軽口のせいで妙な空気にしてしまった責任を取ろうと、私は慌ててカガリのフォローに回る。そもそも彼女は、昨日の出来事があったせいで単純に気が立っている部分もあるはずなのだ。
「そうそう。お友達の前だから、ちょっとからかっちゃった。カガリはいつもイイコだものね、意地悪してごめんなさい。さあ、皆早く奥へ入って」
「……別に、意地悪って言うほどじゃなかったじゃん。カガリってそういうところあるよな~、俺の母ちゃんなんて毎日もっとキツイこと言ってくるぞ? お前は良いよなあ、優しくてなんでもできるスゲー姉ちゃんが居てさ」
友人の男の子まで同調してきて、やや焦る。しかしふと彼の顔に見覚えがある気がして、まじまじと見た後――ハッと閃いた。
「……イアン?」
「――えっ!? ス、スゲー! もしかしてセラス姉ちゃん、面倒見た子供のこと全員覚えてんの!? 母ちゃんから聞いたけど俺、どうしても子守の都合がつかないからって、ほんの2、3日だけセラス姉ちゃんに世話してもらったことあるんだって! まだ赤ん坊の頃だから7、8年前だぜ!」
「わあ、本当にイアンなの!? 大きくなったわね」
「セラス姉ちゃんに抱っこしてもらってる時の写真、持ってるんだ! 姉ちゃん結構俺の学校で人気だから、ちょっと自慢できんだよな」
指先で鼻の下を擦りながら言われて、私は嬉しくなって彼の頭を撫でた。
カガリが生まれた7、8年前、私は既に『子守』から『受付』の職員に転職していた。しかし、今まで当たり前にあった託児所がいきなり閉鎖すると困る職員も多く、どうにかお願いできないかと言われた時には臨時の子守もしていたのだ。
イアンは、その時に預かった子供のうちの1人だ。正直全員を確実に覚えているかと言われれば怪しいけれど、職場の先輩から「どう? うちの子、大きくなったでしょう?」なんて親バカ全開の顔をして度々写真を見せられていたから、彼のことはよく覚えている。
「えぇ~良いなあ、イアンずるい……。ねえねえ、セラスお姉ちゃんって商会ですっごく頑張っているんでしょう? 夜遅くまで働いて、仕事が終わった後にも色んなお店でまだ仕事してるってママとパパから聞いた! 働き者なんだねえ、尊敬する!」
「ふふふ、仕事以外にやることがないだけよ。皆の勉強と同じ」
「――えっ、一緒にすんなよ。俺らは寂しい姉ちゃんと違って、宿題以外にも遊ぶので超忙しいんだけど?」
「まあ、言ったわね!」
ニヤニヤと笑う男の子に横から突っ込まれて、子供たちと一緒になって笑った。しばらく子守から遠のいていたから、こういうやりとり自体が久しぶりで癒される。やっぱり子供は可愛くて良いものだ。
私はひとしきり笑った後、カガリの両肩にポンと手を置いた。
「――とにかく、つい意地悪しちゃったけど……ほら、このまま私に捕まっていると他の職員さんの邪魔になるわよ。早く行きなさい」
これくらい言っておけば、妙な空気は消えるだろう。まあ、いくら友人の前で株を下げるようなことを言った私が悪いとは言え、あんなに強く反発するほどのことだったのか――と思わなくもないけれど。
ただでさえ学校では、過去私と比較されて不快な思いをしていたのだ。そういったところも考慮してやるべきだったかも知れない。
そっとカガリの顔を覗き込めば、彼女はやや間を空けた後に「うん」と微笑んだのでホッとした。
私たちは――昨晩の告白などなかったように――いつも通り朝食をとって、そして肩を並べて出社した。色んな悩みが吹っ切れたお陰か、昨日よりもずっと体調が良い気がする。
商会長夫人からそれとなく体の心配をされたけれど、同時に「もしよ? もし問題ないなら、今日も残業を頼みたいのよね……」と申し訳なさそうに眉尻を下げられると、つい二つ返事で快諾してしまう。
まあ、今日は気分も含めて快調だから問題ないだろう。まだ月経は始まってすらいないのだから、貧血を起こして倒れるようなヘマもしない。
そうして通常業務をこなしていると、あっという間に15時過ぎ――学校帰りのカガリと友人が商会を訪ねてくる時間になった。
「お姉ちゃん、職員さん、こんにちは~」
カガリもまた、昨日の誘拐未遂事件なんてなかったことのように、ただいつも通りのニコニコ笑顔でやって来た。彼女の後ろには女の子と男の子が2人ずつ並んでいる。
彼らもまたカガリにならって「こんにちは~!」と元気の良い挨拶をしてくれた。
「いらっしゃい、今日はおかしなことはなかった? これだけお友達が居れば平気か」
「うん、今日は何もなかったよ! ……ふふふ、皆、私が商会の中を案内してあげるからついて来て!」
「案内するのは良いけど、職員さんの邪魔にならないようにしなさいね。あと、宿題が先よ」
勝手知ったると言わんばかりにえっへんと胸を張るカガリに、念のため忠告しておいた。友人の前だから良い格好をしたいのだろうが、調子に乗って普段やらないやらかしをされては敵わないと思ったからだ。
しかし、すぐさま「分かってるよ! 私、邪魔なんてしたことないし、いつもちゃんと宿題やってるでしょ!? お姉ちゃんってホントうるさい!」と強めに反発されて驚いた。
それと同時に、友人の前で口うるさく言うのはさすがに顔を潰すようで悪かったなと反省する。
素直に非を認めて「ごめんなさい、カガリの言う通りね」と苦く笑えば、私たちのやりとりをじっと見ていたカガリの友人が口を開いた。
「カガリちゃんって、いつもお姉ちゃんにそんなキツイ言い方をするの? 私、そういうのよくないと思うよ……」
「えっ? いや……違うよ、だって私、本当に邪魔なんてしたことないし、宿題だって毎日やってるし――お、お姉ちゃんが意地悪言うから、驚いて……」
強めの反応が引っかかったのか、友人の女の子が苦言を呈する。カガリは、まさか自分の友人からそんな注意を受けるとは思いもよらなかったようで、しどろもどろになりながら言い訳を口にした。
要らぬ軽口のせいで妙な空気にしてしまった責任を取ろうと、私は慌ててカガリのフォローに回る。そもそも彼女は、昨日の出来事があったせいで単純に気が立っている部分もあるはずなのだ。
「そうそう。お友達の前だから、ちょっとからかっちゃった。カガリはいつもイイコだものね、意地悪してごめんなさい。さあ、皆早く奥へ入って」
「……別に、意地悪って言うほどじゃなかったじゃん。カガリってそういうところあるよな~、俺の母ちゃんなんて毎日もっとキツイこと言ってくるぞ? お前は良いよなあ、優しくてなんでもできるスゲー姉ちゃんが居てさ」
友人の男の子まで同調してきて、やや焦る。しかしふと彼の顔に見覚えがある気がして、まじまじと見た後――ハッと閃いた。
「……イアン?」
「――えっ!? ス、スゲー! もしかしてセラス姉ちゃん、面倒見た子供のこと全員覚えてんの!? 母ちゃんから聞いたけど俺、どうしても子守の都合がつかないからって、ほんの2、3日だけセラス姉ちゃんに世話してもらったことあるんだって! まだ赤ん坊の頃だから7、8年前だぜ!」
「わあ、本当にイアンなの!? 大きくなったわね」
「セラス姉ちゃんに抱っこしてもらってる時の写真、持ってるんだ! 姉ちゃん結構俺の学校で人気だから、ちょっと自慢できんだよな」
指先で鼻の下を擦りながら言われて、私は嬉しくなって彼の頭を撫でた。
カガリが生まれた7、8年前、私は既に『子守』から『受付』の職員に転職していた。しかし、今まで当たり前にあった託児所がいきなり閉鎖すると困る職員も多く、どうにかお願いできないかと言われた時には臨時の子守もしていたのだ。
イアンは、その時に預かった子供のうちの1人だ。正直全員を確実に覚えているかと言われれば怪しいけれど、職場の先輩から「どう? うちの子、大きくなったでしょう?」なんて親バカ全開の顔をして度々写真を見せられていたから、彼のことはよく覚えている。
「えぇ~良いなあ、イアンずるい……。ねえねえ、セラスお姉ちゃんって商会ですっごく頑張っているんでしょう? 夜遅くまで働いて、仕事が終わった後にも色んなお店でまだ仕事してるってママとパパから聞いた! 働き者なんだねえ、尊敬する!」
「ふふふ、仕事以外にやることがないだけよ。皆の勉強と同じ」
「――えっ、一緒にすんなよ。俺らは寂しい姉ちゃんと違って、宿題以外にも遊ぶので超忙しいんだけど?」
「まあ、言ったわね!」
ニヤニヤと笑う男の子に横から突っ込まれて、子供たちと一緒になって笑った。しばらく子守から遠のいていたから、こういうやりとり自体が久しぶりで癒される。やっぱり子供は可愛くて良いものだ。
私はひとしきり笑った後、カガリの両肩にポンと手を置いた。
「――とにかく、つい意地悪しちゃったけど……ほら、このまま私に捕まっていると他の職員さんの邪魔になるわよ。早く行きなさい」
これくらい言っておけば、妙な空気は消えるだろう。まあ、いくら友人の前で株を下げるようなことを言った私が悪いとは言え、あんなに強く反発するほどのことだったのか――と思わなくもないけれど。
ただでさえ学校では、過去私と比較されて不快な思いをしていたのだ。そういったところも考慮してやるべきだったかも知れない。
そっとカガリの顔を覗き込めば、彼女はやや間を空けた後に「うん」と微笑んだのでホッとした。
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