54 / 64
第54話
しおりを挟む
魔女の住む森には、電気が通っていなかった。辺りには頼りない月明りが降り注ぎ――とは言っても、鬱蒼と茂った葉に邪魔されて所々に薄い光の柱が立っているだけ。
町で生まれて町で暮らし、物心ついた頃には電気に囲まれて育った私の夜目が利くはずもない。あらかじめ用意していたランタンに火を入れて、それで足元を照らしながら町まで帰った。
本来ならば、子宮が戻らないことに意気消沈して――この世の終わりみたいな顔で帰宅するはずだった。けれど私の胸中は、お節介にも「魔女は平気なのだろうか」という心配でいっぱいだ。
一丁前に『友人』気取りなのだから、自分でも手に負えない。私はほんの少し話しただけで、あの魔女が大好きになってしまったらしい。もしかすると、命を救ってくれた恩人ぐらいに思っているのだろうか。
魔女は自分で調剤できるくせに、どうして喘息に効く薬を持っていないのか。不老不死の代わりに、ありとあらゆる薬が効かない? それともただ単に薬を切らしていただけ?
喘息といえば吸入ステロイドで症状を治めるものだと思っていたから、薬がないとどうしていいか分からなかった。どうにかあの魔女に、薬なしで楽をさせてやれないものか……ぼんやりとそんなことを考えていると、前方から「セラス!」と呼ばれて顔を上げた。
見れば、この世の終わりみたいな顔をしたゴードンがこちらに駆けて来るところだった。まさか私ではなく彼があんな顔をしているなんて――いや、やはり魔女に指摘された通り、私の言動に振り回される彼こそが一番の被害者で間違いないらしい。
「一体、こんな時間までどこに!? 今日が退院日だと聞いて、セラスが帰ってくるのをずっと待っていたのに――病院へ問い合わせても、今朝早くに出て行ったとしか言われないし」
「あ……心配をかけて本当にごめんなさい、せめて行先を告げてから出るべきだったわ」
「お前、自分が病み上がりだってことが分かっているのか? 頼むからもう無茶をしないでくれ」
まるで、痛みに耐えるような表情を浮かべるゴードン。彼の分厚い体に両腕を回して、ポンポンと宥めるように背中を叩いた。
ただそれだけのことで彼の体温が上がって、顔が近付いてくる。私は唇を塞がれる前に背伸びをし、頬にキスして誤魔化すように笑った。そうしてゴードンから体を離せば、どこか物足りない顔と目が合ってまた笑みを零す。
「――帰りながら話しましょうか。ちょっと、西の森へ行っていたのよ」
「西の森? 何をしにそんな場所へ?」
「もちろん、『不老不死の魔女』に会うため」
「は……?」
一歩踏み出せば、少し遅れてゴードンがついてくる。私は道すがら、魔女と秘薬についての噂を説明した。
そして実際に魔女と会ったけれど、秘薬なんて都合のいいものは存在しなかったので、子宮は戻らなかった――と。
彼は、「そんな馬鹿な話を信じたのか?」なんてことは言わなかった。ただ「それは、残念だった」と眉尻を下げて「でも体のことは心配しなくて良い、俺がなんとかする」と心強い言葉をかけてくれた。
「なんとかしなくて良いの、もう商会長夫人と話してあるから」
「話すって――」
「……ゴードンあなた、私と結婚できないなら商会を捨てると言ったそうね。親も町も、何もかも捨てると」
ちらと振り向けば、大男は口を真一文字に引き結び黙り込んでいる。彼は商人なのに嘘がつけない。こうして何も言わないのは、肯定と同じだった。
「正直、嬉しくなかったと言えば嘘になるわ。私は本気であなたと結婚したいと思っていたし、これからも商会で楽しく働くんだと思っていたから」
「……じゃあ」
「でも、何もかも捨ててあなたと2人きりで生きるのは、違う。誰からも祝福されないのは御免だし、私を生かしてくれた商会を――商会長夫妻を裏切ってゴードンを選んで、死ぬまで幸せで居られるかしら。あなたは私を、目に見えない罪悪感からも守ってくれるの?」
彼は何も答えなかった。ここで無責任に「守る!」と断言してくれれば、ほんの少しは嫌いになれたかも知れないのに……どこまでも誠実で、本当に困る。
「私は、あなたの妻として必要なものを欠いたの。だから……婚約は破棄よ。これで終わりにして、仲の良い幼馴染に戻りましょう」
「……セラスの想いは――俺に対する気持ちは、そんな簡単に諦めがつくほどのモノだったのか?」
苦しげに歪められた顔を見て、心が折れそうだった。そんなはずない、諦められなかったから魔女にまで会ったのだ。
しかしここで否定すれば、甘い顔をすれば、彼はいつまでも私に囚われてしまうだろう。それだけはいけない、魔女にも覚悟を示せと言われたのだから。
「俺は無理だ、諦められない。何を捨てても、失ったとしても――セラスだけは手放せない。このままお前を失ったら、俺は何もかも憎むぞ。血筋がどうのと押しつけがましい商会も、両親も――俺たちを祝福しない町も、この世の全部」
「……あら、私の自慢の幼馴染はそんなに狭量だったの?」
「茶化すな! ――俺はずっと、セラスが欲しかったんだ……子供の頃から、お前と一緒になることだけを目標に……好きになってもらいたくて、その一心で生きてきた。お前は俺の、生きる意味だったのに」
足音が止まったので、私も立ち止まって振り向いた。参ったように大きな手の平で目元を覆っているゴードンを見て、居た堪れなくなる。
――ああ、今なら、言えるだろうか? きっと私の本音も、嘘に変わるはずだ。
「…………好きよ、ゴードン」
「――気休めは辞めてくれ! 同情も要らない……そんな言葉を欲しがっている訳じゃない、何よりも俺を選んで欲しいだけなのに、どうしてお前は……」
私は目を細めて、口の中でもう一度「好きよ」と呟いた。
単なる自己満足に過ぎないけれど、ずっと言いたかった言葉を口にできてホッとする。残念ながら彼にとっては『嘘』らしいけれど、それで構わない。
――さあ、荷物をまとめて、一日も早くあの温かい家を出よう。
商会の引継ぎも済ませて、退職して……それから、しばらく魔女の家に転がり込むのはどうだろうか。至極迷惑そうなつり目を思い浮かべて、ひっそりと息を吐く。
魔女は私の行動を褒めてくれるだろうか? 世界のどこかに逃げ場があるというのは、こんなにも心強いのか――。
立ちすくむ幼馴染と向き合ったまま、私はじっと彼の姿を目に焼き付けた。私を心の底から愛してくれた人を、私が振り回して傷付けた人を、これから何度でも思い出せるように。
町で生まれて町で暮らし、物心ついた頃には電気に囲まれて育った私の夜目が利くはずもない。あらかじめ用意していたランタンに火を入れて、それで足元を照らしながら町まで帰った。
本来ならば、子宮が戻らないことに意気消沈して――この世の終わりみたいな顔で帰宅するはずだった。けれど私の胸中は、お節介にも「魔女は平気なのだろうか」という心配でいっぱいだ。
一丁前に『友人』気取りなのだから、自分でも手に負えない。私はほんの少し話しただけで、あの魔女が大好きになってしまったらしい。もしかすると、命を救ってくれた恩人ぐらいに思っているのだろうか。
魔女は自分で調剤できるくせに、どうして喘息に効く薬を持っていないのか。不老不死の代わりに、ありとあらゆる薬が効かない? それともただ単に薬を切らしていただけ?
喘息といえば吸入ステロイドで症状を治めるものだと思っていたから、薬がないとどうしていいか分からなかった。どうにかあの魔女に、薬なしで楽をさせてやれないものか……ぼんやりとそんなことを考えていると、前方から「セラス!」と呼ばれて顔を上げた。
見れば、この世の終わりみたいな顔をしたゴードンがこちらに駆けて来るところだった。まさか私ではなく彼があんな顔をしているなんて――いや、やはり魔女に指摘された通り、私の言動に振り回される彼こそが一番の被害者で間違いないらしい。
「一体、こんな時間までどこに!? 今日が退院日だと聞いて、セラスが帰ってくるのをずっと待っていたのに――病院へ問い合わせても、今朝早くに出て行ったとしか言われないし」
「あ……心配をかけて本当にごめんなさい、せめて行先を告げてから出るべきだったわ」
「お前、自分が病み上がりだってことが分かっているのか? 頼むからもう無茶をしないでくれ」
まるで、痛みに耐えるような表情を浮かべるゴードン。彼の分厚い体に両腕を回して、ポンポンと宥めるように背中を叩いた。
ただそれだけのことで彼の体温が上がって、顔が近付いてくる。私は唇を塞がれる前に背伸びをし、頬にキスして誤魔化すように笑った。そうしてゴードンから体を離せば、どこか物足りない顔と目が合ってまた笑みを零す。
「――帰りながら話しましょうか。ちょっと、西の森へ行っていたのよ」
「西の森? 何をしにそんな場所へ?」
「もちろん、『不老不死の魔女』に会うため」
「は……?」
一歩踏み出せば、少し遅れてゴードンがついてくる。私は道すがら、魔女と秘薬についての噂を説明した。
そして実際に魔女と会ったけれど、秘薬なんて都合のいいものは存在しなかったので、子宮は戻らなかった――と。
彼は、「そんな馬鹿な話を信じたのか?」なんてことは言わなかった。ただ「それは、残念だった」と眉尻を下げて「でも体のことは心配しなくて良い、俺がなんとかする」と心強い言葉をかけてくれた。
「なんとかしなくて良いの、もう商会長夫人と話してあるから」
「話すって――」
「……ゴードンあなた、私と結婚できないなら商会を捨てると言ったそうね。親も町も、何もかも捨てると」
ちらと振り向けば、大男は口を真一文字に引き結び黙り込んでいる。彼は商人なのに嘘がつけない。こうして何も言わないのは、肯定と同じだった。
「正直、嬉しくなかったと言えば嘘になるわ。私は本気であなたと結婚したいと思っていたし、これからも商会で楽しく働くんだと思っていたから」
「……じゃあ」
「でも、何もかも捨ててあなたと2人きりで生きるのは、違う。誰からも祝福されないのは御免だし、私を生かしてくれた商会を――商会長夫妻を裏切ってゴードンを選んで、死ぬまで幸せで居られるかしら。あなたは私を、目に見えない罪悪感からも守ってくれるの?」
彼は何も答えなかった。ここで無責任に「守る!」と断言してくれれば、ほんの少しは嫌いになれたかも知れないのに……どこまでも誠実で、本当に困る。
「私は、あなたの妻として必要なものを欠いたの。だから……婚約は破棄よ。これで終わりにして、仲の良い幼馴染に戻りましょう」
「……セラスの想いは――俺に対する気持ちは、そんな簡単に諦めがつくほどのモノだったのか?」
苦しげに歪められた顔を見て、心が折れそうだった。そんなはずない、諦められなかったから魔女にまで会ったのだ。
しかしここで否定すれば、甘い顔をすれば、彼はいつまでも私に囚われてしまうだろう。それだけはいけない、魔女にも覚悟を示せと言われたのだから。
「俺は無理だ、諦められない。何を捨てても、失ったとしても――セラスだけは手放せない。このままお前を失ったら、俺は何もかも憎むぞ。血筋がどうのと押しつけがましい商会も、両親も――俺たちを祝福しない町も、この世の全部」
「……あら、私の自慢の幼馴染はそんなに狭量だったの?」
「茶化すな! ――俺はずっと、セラスが欲しかったんだ……子供の頃から、お前と一緒になることだけを目標に……好きになってもらいたくて、その一心で生きてきた。お前は俺の、生きる意味だったのに」
足音が止まったので、私も立ち止まって振り向いた。参ったように大きな手の平で目元を覆っているゴードンを見て、居た堪れなくなる。
――ああ、今なら、言えるだろうか? きっと私の本音も、嘘に変わるはずだ。
「…………好きよ、ゴードン」
「――気休めは辞めてくれ! 同情も要らない……そんな言葉を欲しがっている訳じゃない、何よりも俺を選んで欲しいだけなのに、どうしてお前は……」
私は目を細めて、口の中でもう一度「好きよ」と呟いた。
単なる自己満足に過ぎないけれど、ずっと言いたかった言葉を口にできてホッとする。残念ながら彼にとっては『嘘』らしいけれど、それで構わない。
――さあ、荷物をまとめて、一日も早くあの温かい家を出よう。
商会の引継ぎも済ませて、退職して……それから、しばらく魔女の家に転がり込むのはどうだろうか。至極迷惑そうなつり目を思い浮かべて、ひっそりと息を吐く。
魔女は私の行動を褒めてくれるだろうか? 世界のどこかに逃げ場があるというのは、こんなにも心強いのか――。
立ちすくむ幼馴染と向き合ったまま、私はじっと彼の姿を目に焼き付けた。私を心の底から愛してくれた人を、私が振り回して傷付けた人を、これから何度でも思い出せるように。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
うわさの行方
下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。
すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。
戦場から帰るまでは。
三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。
ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる