神は奇跡を選ばない ――英雄たちの帰還譚―

えええ

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実地訓練が始まり、私たち四人と騎士団長、魔法師団長の六人は、山の中へと足を踏み入れた。

生い茂る木々が陽光を遮り、山道は薄暗い。
葉擦れの音、遠くで鳴く鳥の声――それらすべてが、かえって静寂を際立たせている。
合間を縫うように吹き抜ける風は冷たく、肌を撫でるたびに緊張を煽った。

――その時。

茂みが大きく揺れ、一匹の狼型の魔物が姿を現した。

灰色の毛並み。
地を這うような低い姿勢。
黄金色の瞳が、獲物を射抜くようにこちらを捉える。

「――来るぞ」

騎士団長が低く告げ、一歩前に出た。

「まずは手始めだ。あいつをやるぞ」

だが、その言葉に応える声はなかった。
私を除く三人――恭介、俊、直哉は、初めて直面する“命のやり取り”を前に、完全に身体を強張らせていた。

(……想定どおりね)

私は一歩引き、あくまで補助に徹する構えを取る。

魔物は直哉を狙い、地を蹴った。
直哉の身体が、目に見えて硬直する。

その瞬間、私は魔道具の起動を装い、威力を抑えたライトボールを放った。
光は魔物の進路を逸らし、直哉の脇をかすめて森の奥で弾ける。

「直哉くん、大丈夫?」

私は彼に駆け寄り、無事を確認する。
直哉は震える声で「ああ、ありがとう」と返した。

だが、その直後――
魔物は再び直哉へと襲いかかる。

「うわあああ!」

叫び声とともに、直哉は剣を振るった。
刃は鋭く閃き、空気を切り裂く音が響く。

しかし、傷は浅い。
それは魔物の怒りを煽っただけだった。

――一閃。

騎士団長の剣が闇を切り裂き、魔物はそのまま地に伏した。

「……今回は方針を変える」

騎士団長はそう告げる。

「まずは四人で攻撃し、最後は我々が仕留める。経験を積め」

それ以降、同じ流れが繰り返された。
三人は必死に攻撃を当て、最後は団長か師団長が止めを刺す。

――そして、襲撃ポイントの手前。

私は誰にも悟られぬよう、意識の奥でフェンリルに合図を送った。

(……もうすぐ着くわ)

返答はない。
だが、確かに気配が揺れた。

やがて視界が開け、切り立った岩壁に囲まれた渓谷へと辿り着く。
谷底から吹き上げる冷風が、肌を刺した。

――その瞬間。

茂みを突き破り、狼型の魔物が姿を現す。

灰色の毛並み。
獣じみた咆哮。

だが、その正体を知るのは、私だけ。

(擬態、完璧ね)

フェンリルは迷いなく私を標的に定め、跳躍した。

鋭い痛みが走る。
爪が腕を切り裂き、血が滲んだ。

私は体勢を崩し、尻もちをつく。

「い、いや……こないで……!」

恐怖に染まった声を上げ、怯えた少女を演じる。

次の瞬間――
私は地面に触れた手に、極限まで抑えた魔力を流し込み、魔法を発動させた。

自然崩落に見せかけ、岩場の支点だけを破壊する。
魔道具に記録されていない魔法だ。万に一つも気づかれない。

ゴゴゴ……ッ!!

足元が崩れ、世界が傾く。

私はフェンリルと共に、谷底へと投げ出された。

「――――っ!!」

誰かが、私の名前を呼んだ。

振り返りたい衝動を堪え、目を閉じる。
視界は闇に染まり、風切り音だけが耳を満たす。

(……これでいい)

私は“死んだ存在”になる。

――谷底へ叩きつけられる直前、すでに魔法は完成していた。

フェンリルを引き寄せ、空間を歪める。
衝撃は消え、私たちは静かに岩肌へと着地した。

「相変わらず無茶だな」

「計画通りよ」

治癒魔法で腕の傷を塞ぎ、私は指を鳴らす。

「出てきなさい、ルシファー」

現れたのは、美形だが軽薄な青年。
背には黒翼を持つ、かつて神に反逆し堕天した天使。

「どうしたんだい、姐さん?」

「上に残した三人を見守って」

「えぇ……面倒だなぁ」

私は笑顔のまま、圧をかける。

「いいからやりなさい」

「はいはい、わかりましたよ!」

彼はカラスの姿となり、闇へと飛び去った。

(……本当にお人よしだな)

亮が呆れたように言う。

(違うわ。使えるものを使ってるだけ)

そう言って、私は闇を見据える。

「――それでも、守ると決めたの」

――――――――――――――――――――

その夜。

焚き火の小さな炎を囲みながら、残された三人――恭介、俊、直哉は言葉少なに腰を下ろしていた。
パチパチと薪の弾ける音だけが、静寂の中でやけに大きく響いている。

「……なあ」

沈黙を破ったのは、恭介だった。

「俺たちってさ……」
「もしかして、特別な存在なんじゃないかって、ずっと思ってたんだ」

俊と直哉が、ゆっくりと顔を上げる。

「異世界に呼ばれて、勇者候補とか言われてさ」
「訓練中とはいえ、物語の主人公みたいなもんだろ?」

俊は、どこか自嘲するような、それでも未練を残した笑みを浮かべた。

「ピンチになったら、急に秘めた力が覚醒するとか……」
「そういう展開、ありそうじゃないか?」

直哉も、小さく頷く。

「俺も……正直、どこかで思ってた」
「どうせ最後は、なんとかなるんじゃないかって……」

焚き火が揺れ、三人の影が地面に歪んで伸びる。

だが――

「……でもさ」

俊の声が、低く沈んだ。

「今日の訓練、どうだった?」

その一言で、空気がはっきりと変わる。

直哉は唇を噛みしめ、焚き火へと視線を落とした。

「……正直、何もできなかった」
「魔物が目の前に来ただけで、身体が動かなかったんだ」

恭介も、強く拳を握り締める。

「俺もだ」
「剣を振ったけど……全然、通じなかった」

炎の向こうで、夜の森がざわめいた。
その音は、この世界の冷酷さを静かに物語っているようだった。

「これ、ゲームじゃないんだよな」

俊の言葉は、重く胸に落ちる。

「ここは……」
「普通に、あっさり死ぬ場所だ」

誰も、その言葉を否定できなかった。

奇跡も、覚醒も、
都合のいい“物語の補正”も――
この世界では、何ひとつ保証されていない。

「もし、あの人がいなかったら……」

直哉の脳裏に、赤い瞳の少女の姿が浮かぶ。

「俺、今日……」

その先の言葉は、喉の奥で消えた。

沈黙の中で、焚き火が一段と大きく揺れる。

やがて、恭介が顔を上げた。

「……だからさ」

その瞳には、もう軽さは残っていなかった。

「強くなろう」
「覚醒なんて、当てにするな」

俊も、静かに頷く。

「生き残るために、だな」

直哉は深く息を吸い込み、拳を胸に当てる。

「次は……」
「足が震えても、自分の力で立つ」

夜空には、雲の切れ間から星が覗いていた。

彼らは、まだ弱い。
だが、この夜を境に――確かに変わり始めていた。

――ここは、物語の世界ではない。
容赦なく命を奪う、現実の場所なのだ。

そして三人は、
“選ばれた存在”である前に、
“生き残る者”になることを選んだ。
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