神は奇跡を選ばない ――英雄たちの帰還譚―

えええ

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  私の反応を見て、魔王――ソフィアの姿をしたそれは、満足そうに口角を歪めた。

  「くくくっ……その顔だ」

  「その絶望と嫌悪が入り混じった表情が、見たかった」

  胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。
  私は感情を切り離すように、静かに《観測者の眼》を使った。

  視界が歪み、世界の表層が剥がれ落ちていく。
  ――解析、完了。 表示された結果を見た瞬間、思考が一拍、止まった。

【対象:肉体】
  一致率:100%
  識別名:ソフィア

   否定の余地はない。

  生命活動は外部魔力による強制維持。
  魂反応、意思反応――完全に欠如。

  これは、紛れもなくソフィア本人の肉体だった。

  私は小さく息を吐き、感情を押し殺した声で吐き捨てる。

  「……死者の身体を使うなんて」
  「本当に、趣味の悪いことをするわね」

  その言葉に、魔王は愉快そうに肩を揺らした。

  「ははは……趣味、か」
  「誤解するな。我が選んだのではない」

  一歩、こちらへ踏み出す。
  ソフィアの顔で、ソフィアではあり得ない冷笑を浮かべながら。

  「最も効果的だっただけだ」
  「お前の心を揺らし、刃を鈍らせる――」
  「その“器”としてな」

  拳が、勝手に震えそうになる。
  私はそれを、強引に押さえ込んだ。

  「……中身は、空っぽ」
  「魂も、意思も、何も残っていない」

  自分に言い聞かせるように呟く私を見て、魔王は目を細める。
 
  「ほう?」
  「理解しているではないか」

  耳障りなほど穏やかな声で、言葉が続く。

  「安心しろ」
  「この女は、もう何も感じておらん」
  「悲しみも、恐怖も、憎しみも――」

  一拍、置いて。

  「お前を恨むことすら、な」

  胸の奥に、鈍い痛みが走った。

  魔王は両腕を広げ、ソフィアの身体を誇示するように言い放つ。

  「これはただの殻だ」
  「だが――」
  「お前にとっては、十分すぎる枷だろう?」

  ――その瞬間。

  (……方法はある)

  亮の声が、直接脳裏に流れ込んできた。
  感情を排した、だが確信に満ちた波動。

  直後、短い問いが続く。

  (やれるな?)

  私は口元だけで、わずかに笑う。
  (誰に言っているのかしら)
  (私は――全能の神よ)
  (このくらい、何とかしてみせるわ)
 
  剣を、握り直す。
  指先が白くなるほど、強く。
 
  「……ええ」
  「最悪の、枷ね」
 
  視線を逸らさず、魔王を見据える。
 
  「だからこそ――」
  「ここで終わらせる」

  私は胸の奥に溜まった痛みを押し殺し、叫んだ。

  「ソフィア……少し痛いかもしれないけど、我慢してね!」

  そのまま、魔王へと一直線に踏み込む。

  それを見た魔王は、ソフィアの顔で嘲るように笑った。
 
  「馬鹿の一つ覚えのように!」

  次の瞬間、無詠唱の魔法が嵐のように放たれる。
  闇の奔流、圧縮された魔力刃、空間を裂く衝撃波―― 逃げ場を与えぬ、殺意の奔流。
 
  だが、私の身体は、ふっと輪郭を失った。
  《桜花》が発動し、肉体が無数の桜の花弁へと変わる。
  花弁は風に舞い、魔法の隙間をすり抜け、砕け、散り、そして――再び形を成す。

  「なっ……!」

  魔王の声が歪む。

  次の瞬間、私はすでに懐にいた。
 
  そのとき。
 
  「稟!!」
  「稟さん!!」

  背後から聞こえた声に、ほんの一瞬だけ意識を割く。

  剣を構えた恭介、魔力を展開する俊、周囲を警戒する直哉。
  三人の勇者が、息を切らしながら駆けつけてきていた。

  「……来たのね」

  だが、今は振り返らない。
  私は魔王を真っ直ぐに見据え、はっきりと言い放つ。

  「――その体、返してもらう」
 
  次の瞬間、剣を手放し、腕を前へ突き出した。
  腕は実体を失い、淡い光を帯びた霊体へと変質する。

  「なにを……!」
 
  魔王が叫ぶのと同時に、私は“繋がり”を掴んだ。
  ソフィアの肉体と魔王を縛る、歪んだ魔力の糸。
  邪神の力で無理やり結ばれた、不自然な結合。
  霊体化した腕に力を込め、一気に引き抜く。
  空間が悲鳴を上げるように歪み、魔王の絶叫が響いた。

  「ぐあぁぁぁぁっ!?」
  「な、何が……何が起きた……!」

  魔力の糸が千切れ、二つの存在が強制的に分離される。
  次の瞬間―― 魔王の本体は闇の塊となって後方へ弾き飛ばされ、
  その場には、力を失ったソフィアの身体だけが崩れ落ちた。
 
  私は即座に抱き止める。

  「……終わったわ、ソフィア」
 
  その体は冷たく、静かで、もう何の反応も返さない。
  それでも、確かに――解放できた。 振り返り、三人へと視線を向ける。

  「お願い」
  「その子を……見守っていて」

  恭介は一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いてソフィアを受け取る。

  「任せろ」
  「絶対に、傷つけない」
 
  俊と直哉も無言で頷き、その場を固める。
  私はゆっくりと立ち上がり、前へ向き直った。
 
  そこには、器を失い、苦しみながら立ち上がろうとする魔王の姿。

  「……返してもらったわ」
  「もう、誰の姿も借りられない」

  桜色の魔力が、静かに、しかし圧倒的に立ち上がる。

  「ここからは――」
  「私と、あなただけ」

  剣を構え、魔王と正面から対峙する。

  「本当の意味で――」
  「決着をつけましょう」

  私は、桜の花弁で形作られた刀を静かに構え、それを――まるで鞘に納めるかのような動作を取った。

  空気が、張り詰める。
  「秘奥義……」
 
  その一言と同時に、私の身体が崩れ落ちた。
  否―― 崩れたのではない。
 
  全身が、無数の桜の花弁へと還ったのだ。
  花弁は嵐となり、魔王へと殺到する。
 
  正面から、側面から、上空から――逃げ場はない。

  「な――っ!?」
 
  魔王が叫ぶ間もなく、花弁の奔流はその身体をすり抜け、次の瞬間。
  私は、魔王の背後で肉体を再構築していた。
 
  刹那の間を置いて、私は告げる。

  「――《桜花千閃》」
 
  その言葉が落ちた瞬間。
  無数の斬撃が、同時に解き放たれた。
 
  視認できない速度。
  回避も、防御も、意味を成さない。

  魔王の肉体は――
  音もなく、無慈悲に、ばらばらに切り刻まれた。

  肉片が床に落ちる前に、闇の塊が立ち上がる。

  「まだだ……!」

  それは、魔王の魂だった。
  歪み、揺らぎながらも、必死に存在を保ち、叫ぶ。

  「まだ、新たな器に入れれば……!」
  「我は……我は――!」

  私は一歩踏み出し、その魂を掴み取った。
  逃げ場は、もうない。

  静かに、だがはっきりと告げる。

  「これで……終わりよ!」

  掌に、白く澄んだ光が灯る。

  「《聖炎》」

  次の瞬間、聖なる炎が魔王の魂を包み込んだ。

  「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!!」

  断末魔は、すぐに炎に呑み込まれる。
  闇は焼き払われ、 怨嗟も、憎悪も、存在の痕跡すら――何一つ残さず。

  炎が消えた後、そこにはただ、静寂だけが残った。
 
  私は、ゆっくりと息を吐く。

  「……終わったわ」

  長く、重かった因縁が、 今この瞬間、完全に断ち切られたのだった。
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