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第29話 みんなの列に
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「もういいかな、輝くん」
岩村先生が、いいタイミングを声をかけてきた。
「はい、もう大丈夫です」
俺はそう答えた。
「よーし、それじゃあ……山口先生、どうですか?」
「そうですね、一度パート練習にしましょうか」
そう言葉を交わしてから、岩村先生はみんなに向かって、よく響く声で言った。
「よし、みんなパート練習! 輝くんの練習のためじゃないよ。各パート、まだできてない。合わせの前に、まず自分のパートをしっかり歌えるようにして」
その声に、部員たちが一斉に動き出す。練習用のキーボードを持って――おそらく、空いている多目的室へ行くのだろう。
それに混じって出て行こうとする愛に、陽和が近寄って声をかけた。
「愛、輝に楽譜返してあげて」
……そうだ、まだ盗られたままだった。
だけど愛は何日かは返さないと言っていた。たぶんごねるだろうな――
俺はそう思ったが、愛は意外に素直にこちらへ来て、クリアファイルを渡してくれた。
「ありがと」
俺も素直に、それを受け取った。
「……」
ああ……これ俺のファイルじゃないな。
中を見ると、入っている楽譜にはきっちり「鈴木愛」と書いてある。
すたすたと出て行く背中を見ていると、愛は急に振り返った。
愛は俺に視線をしっかり合わせてから、両手で持った俺のクリアファイルをこれ見よがしに見せ――にひひと笑って、そのまま出て行った。
俺はまだ愛に信頼されていないらしい。
だから愛は念を入れて、人質代わりの俺の楽譜を持って行った。もしかしたら、本当に俺が楽譜に釣られてここへ来たと思っているのかもしれない。
要はここにいてくれ、と――そう言っているのだ。
・・・・・・
7人の部員たちが出て行くのを見送って、岩村先生は腕組みをした。
「さーてどのパート見に行くかなー。……いや、1パートずつ回ってこようかな」
岩村先生は部員たちの相手をし、俺の練習は山口先生に任せるつもりのようだ。
ぶつぶつ言っていた岩村先生は、急に振り返って俺を見た。
「そうそう、輝くん。昨日の事だけど――」
静かな、低めの声。
「確かに輝くんの気持ちは分かるし、みんなの態度もよくなかった。でも輝くんも、もう少し言いようはあったと思うな」
……。
「……すみません」
「それはみんなに言ってね」
……。
今日、練習が終わったらみんなに――
「もちろん、面と向かって言っちゃだめだよ」
「え――?」
意外な言葉に、俺は面食らった。
そんな俺を見ても岩村先生は表情を変えず、そのまま続ける。
「みんなは謝罪なんて期待してないだろう。それより、輝くんと仲良く話せるようになる方が嬉しいはずだよ。君がさっき、琴音にやってあげたみたいに」
……あんなふうに?
「ま、うまくやって。大丈夫、みんないい子だからさ」
みんないい子……か。
俺はまだよく知らないけど――
今日ドアを開けてくれた里奈、ここまで引き込んでくれた愛、そして――
――全てのきっかけをくれた、陽和。
竹内も、まだよく知らない他の3人も――岩村先生が「いい子」というからには、そうなんだろう。
「それから――」
岩村先生は、俺の目をまっすぐに見る。
「いい? 輝くん。みんなもまだまだだけど、輝くんもあんまりゆっくりしてると、ひとりだけ出遅れるよ」
改めて、釘を刺された。
かおる祭まではもう1ヵ月を少し切っている。確かに、急がないと間に合わなくなる。
岩村先生は、ふらりとドアの方へ向かった。
「ソプラノから行こうかな……」
そうつぶやきながら、先生は練習室を出て行った。
・・・・・・
俺はピアノの向こうに立った山口先生と向き合った。今日も体操には参加できなかったので、俺は軽く体を動かして準備を整える。
待っていてくれた山口先生を前に、足を肩幅に開いて肩の力を抜く。すぐ、歌える。
しかし山口先生は、練習を始めなかった。
「ねえ、輝くん。私は岩村先生ほどうまい事は言えないけど……」
そう、話を切り出す。
「岩村先生、輝くんが心配で今日勝手に来ちゃったんだ。きっとあの人、輝くんも大切な部員だと思ってるよ。だから、ここにいて大丈夫だからね」
大切な部員……か。
ん? 「勝手に来ちゃう」って?
「岩村先生、勝手に来たんですか?」
「ええ、今日は私の担当日だから。岩村先生はお休みの日に、勝手に出てきただけ」
……そんなに心配、かけたかな。
「まだ若いからねえ、あの人」
山口先生はそんな事を言う。
確かに岩村先生は中年には見えないが、だからと言って新任の先生みたいな雰囲気でもない。若い、と言えるだろうか。
そう考える俺の表情を見て、山口先生は笑う。
「まだ30歳だよ、若い若い」
30……俺にはまだ、想像できない歳だ。
「だから、10代のみんなにはちょうどいいんだね。いい大人だから、みんなが分からない事を教えてくれる。けど、歳は近くて接しやすい。みんな懐いちゃう」
山口先生はそう言って笑った後、ちょっと困ったような表情をした。
「でもね、あの人ああ見えてだいぶ繊細な所があるから。あまり心配かけないでね」
繊細……か。あの人も。
みんなそうだ、ここの人たちは。
岩村先生も、たぶん合唱部の仲間のひとりなんだろう。
山口先生は笑顔を浮かべて、指を1本立てた。
「今の話は、みんなには秘密でお願いね。……特に岩村先生には」
「はい」
そう答えた俺に、先生はなぜか困った顔をみせた。
「……それと、私は『使用済みの電車の特急券』とかは用意してないから」
「……」
それは岩村先生が払った口止め料、か。
……山口先生にまで渡してたのか。
俺はとりあえず、言った。
「……先生は、結構高いやつもらったんですね」
「どのみちいらない券なんだけど……」
なに用意してるんだ、あの先生。
……そうか。
ツッコミ待ち、だ。
・・・・・・
山口先生は軽い発声練習の後、歌の練習に入った。
山口先生の練習は、岩村先生のようにひたすら歌う回数を多くするのとは違い、手法としては普通の練習だった。
それはつまり、俺が中学まで経験してきたものと同じ、いつも通りの練習。
音取りは調子よく進んだ。
・・・・・・
散っていた各パートが、練習室に戻って来た。
6時10分――この合唱部では、この時間で練習を終えるようだ。
俺はここまで練習をみてくれた山口先生に軽く挨拶し、一列に並ぼうとする部員たちの方へ向かって――
――足が止まった。
どこに立てばいいか、分からない。
俺が立ち止まっている間に、部員たちは7人で横に並んだ。
「……」
列に入れず立ち尽くした俺は……明らかに、場違い。
……。
「あ……どうしよう」
陽和の声が聞こえた。
「輝さんは男声だから一番音程が低いですし――アルトの隣でいいんじゃないですか」
愛の声も、聞こえた。
顔を上げると、こちらを向いていた愛は、俺に少しうなづいた。
「……」
俺は並んだみんなの後ろを通って、列の左端へ歩いた。
今の左端は、陽和――
その陽和の斜め後ろまで来ると、陽和は俺を見て、すっと左手で自分の隣を示した。
そこが、俺の立ち位置――
一歩進んで、列に入る。
合唱部の列は、今日から8人に変わった。
岩村先生が、いいタイミングを声をかけてきた。
「はい、もう大丈夫です」
俺はそう答えた。
「よーし、それじゃあ……山口先生、どうですか?」
「そうですね、一度パート練習にしましょうか」
そう言葉を交わしてから、岩村先生はみんなに向かって、よく響く声で言った。
「よし、みんなパート練習! 輝くんの練習のためじゃないよ。各パート、まだできてない。合わせの前に、まず自分のパートをしっかり歌えるようにして」
その声に、部員たちが一斉に動き出す。練習用のキーボードを持って――おそらく、空いている多目的室へ行くのだろう。
それに混じって出て行こうとする愛に、陽和が近寄って声をかけた。
「愛、輝に楽譜返してあげて」
……そうだ、まだ盗られたままだった。
だけど愛は何日かは返さないと言っていた。たぶんごねるだろうな――
俺はそう思ったが、愛は意外に素直にこちらへ来て、クリアファイルを渡してくれた。
「ありがと」
俺も素直に、それを受け取った。
「……」
ああ……これ俺のファイルじゃないな。
中を見ると、入っている楽譜にはきっちり「鈴木愛」と書いてある。
すたすたと出て行く背中を見ていると、愛は急に振り返った。
愛は俺に視線をしっかり合わせてから、両手で持った俺のクリアファイルをこれ見よがしに見せ――にひひと笑って、そのまま出て行った。
俺はまだ愛に信頼されていないらしい。
だから愛は念を入れて、人質代わりの俺の楽譜を持って行った。もしかしたら、本当に俺が楽譜に釣られてここへ来たと思っているのかもしれない。
要はここにいてくれ、と――そう言っているのだ。
・・・・・・
7人の部員たちが出て行くのを見送って、岩村先生は腕組みをした。
「さーてどのパート見に行くかなー。……いや、1パートずつ回ってこようかな」
岩村先生は部員たちの相手をし、俺の練習は山口先生に任せるつもりのようだ。
ぶつぶつ言っていた岩村先生は、急に振り返って俺を見た。
「そうそう、輝くん。昨日の事だけど――」
静かな、低めの声。
「確かに輝くんの気持ちは分かるし、みんなの態度もよくなかった。でも輝くんも、もう少し言いようはあったと思うな」
……。
「……すみません」
「それはみんなに言ってね」
……。
今日、練習が終わったらみんなに――
「もちろん、面と向かって言っちゃだめだよ」
「え――?」
意外な言葉に、俺は面食らった。
そんな俺を見ても岩村先生は表情を変えず、そのまま続ける。
「みんなは謝罪なんて期待してないだろう。それより、輝くんと仲良く話せるようになる方が嬉しいはずだよ。君がさっき、琴音にやってあげたみたいに」
……あんなふうに?
「ま、うまくやって。大丈夫、みんないい子だからさ」
みんないい子……か。
俺はまだよく知らないけど――
今日ドアを開けてくれた里奈、ここまで引き込んでくれた愛、そして――
――全てのきっかけをくれた、陽和。
竹内も、まだよく知らない他の3人も――岩村先生が「いい子」というからには、そうなんだろう。
「それから――」
岩村先生は、俺の目をまっすぐに見る。
「いい? 輝くん。みんなもまだまだだけど、輝くんもあんまりゆっくりしてると、ひとりだけ出遅れるよ」
改めて、釘を刺された。
かおる祭まではもう1ヵ月を少し切っている。確かに、急がないと間に合わなくなる。
岩村先生は、ふらりとドアの方へ向かった。
「ソプラノから行こうかな……」
そうつぶやきながら、先生は練習室を出て行った。
・・・・・・
俺はピアノの向こうに立った山口先生と向き合った。今日も体操には参加できなかったので、俺は軽く体を動かして準備を整える。
待っていてくれた山口先生を前に、足を肩幅に開いて肩の力を抜く。すぐ、歌える。
しかし山口先生は、練習を始めなかった。
「ねえ、輝くん。私は岩村先生ほどうまい事は言えないけど……」
そう、話を切り出す。
「岩村先生、輝くんが心配で今日勝手に来ちゃったんだ。きっとあの人、輝くんも大切な部員だと思ってるよ。だから、ここにいて大丈夫だからね」
大切な部員……か。
ん? 「勝手に来ちゃう」って?
「岩村先生、勝手に来たんですか?」
「ええ、今日は私の担当日だから。岩村先生はお休みの日に、勝手に出てきただけ」
……そんなに心配、かけたかな。
「まだ若いからねえ、あの人」
山口先生はそんな事を言う。
確かに岩村先生は中年には見えないが、だからと言って新任の先生みたいな雰囲気でもない。若い、と言えるだろうか。
そう考える俺の表情を見て、山口先生は笑う。
「まだ30歳だよ、若い若い」
30……俺にはまだ、想像できない歳だ。
「だから、10代のみんなにはちょうどいいんだね。いい大人だから、みんなが分からない事を教えてくれる。けど、歳は近くて接しやすい。みんな懐いちゃう」
山口先生はそう言って笑った後、ちょっと困ったような表情をした。
「でもね、あの人ああ見えてだいぶ繊細な所があるから。あまり心配かけないでね」
繊細……か。あの人も。
みんなそうだ、ここの人たちは。
岩村先生も、たぶん合唱部の仲間のひとりなんだろう。
山口先生は笑顔を浮かべて、指を1本立てた。
「今の話は、みんなには秘密でお願いね。……特に岩村先生には」
「はい」
そう答えた俺に、先生はなぜか困った顔をみせた。
「……それと、私は『使用済みの電車の特急券』とかは用意してないから」
「……」
それは岩村先生が払った口止め料、か。
……山口先生にまで渡してたのか。
俺はとりあえず、言った。
「……先生は、結構高いやつもらったんですね」
「どのみちいらない券なんだけど……」
なに用意してるんだ、あの先生。
……そうか。
ツッコミ待ち、だ。
・・・・・・
山口先生は軽い発声練習の後、歌の練習に入った。
山口先生の練習は、岩村先生のようにひたすら歌う回数を多くするのとは違い、手法としては普通の練習だった。
それはつまり、俺が中学まで経験してきたものと同じ、いつも通りの練習。
音取りは調子よく進んだ。
・・・・・・
散っていた各パートが、練習室に戻って来た。
6時10分――この合唱部では、この時間で練習を終えるようだ。
俺はここまで練習をみてくれた山口先生に軽く挨拶し、一列に並ぼうとする部員たちの方へ向かって――
――足が止まった。
どこに立てばいいか、分からない。
俺が立ち止まっている間に、部員たちは7人で横に並んだ。
「……」
列に入れず立ち尽くした俺は……明らかに、場違い。
……。
「あ……どうしよう」
陽和の声が聞こえた。
「輝さんは男声だから一番音程が低いですし――アルトの隣でいいんじゃないですか」
愛の声も、聞こえた。
顔を上げると、こちらを向いていた愛は、俺に少しうなづいた。
「……」
俺は並んだみんなの後ろを通って、列の左端へ歩いた。
今の左端は、陽和――
その陽和の斜め後ろまで来ると、陽和は俺を見て、すっと左手で自分の隣を示した。
そこが、俺の立ち位置――
一歩進んで、列に入る。
合唱部の列は、今日から8人に変わった。
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