Chorus! -終演の合唱部-

星川わたる

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第50話 それを歌う資格は

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「あ……」
「あ……」

 着替えを済ませ、練習室へ向かおうと廊下を歩いていった先。西階段の前で、陽和と鉢合わせしてしまった。

「……?」

 陽和と一緒に来た琴音がきょとんとする。

 陽和、昼休みに自分から誘ったくせに、自分で気まずくなって何も話せなくなってしまった。ただぴったりくっついた姿を周囲にさらしただけ。

 それで今も、ちょっと気まずい。

「どうしたの、ふたりとも。何かあったの?」

 表情を硬くしながらそう聞いてくる琴音。

「いや、別に」
「ううん、別に」

「……」

 琴音は眉を寄せて……それからため息をついた。

「分かった。早く行きましょう」

 分かった――?
 分かっちゃった……? どうして――

 俺たちに背中を向けてすたすたと階段を上る琴音を、陽和とふたりで急いで追った。

・・・・・・

 部活が始まって、体操まではいつも通りに済んだ。
 山口先生がちょうど来てくれたので発声練習に移れるかと思ったが、そこで「待った」がかかった。

「先生、ちょっとお時間を――」
「――いいですよ。ゆっくり待つから」

 陽和と山口先生の短いやり取りがあって、それから陽和がみんなの前に出る。

「かおる祭の台本の準備ができました。今から配ります」

 台本――
 本番での歌う順番や台詞に動き、演出を記した台本。できあがったか。

 陽和は初めの1部を山口先生に手渡した後、ソプラノ側から順にひとりずつ手渡していく。
 なんだ、効率が悪いな。みんなで回せば早いのに。

 陽和は最後に、ソプラノと反対の端に立っていた俺のところへやって来た。ホチキスで綴じられた薄い台本が手渡される。

 ……あれ、1ページはみ出している。綴じれてない。

 陽和はその1ページをわずかに指ではじいてから、俺の前を離れた。

「……」

 ページを開いて――
 書いてある文字を見た瞬間、俺は即座に台本を閉じた。

 はみ出していたのは台本のページじゃなかった。別の紙が挟まっていた。

 こいつを挟んだ台本を、内容を見せたくない「特定の部員」以外に配るために、わざわざひとりずつ手渡していたわけか。
 ちらりと並んでいる部員たちを見る。「特定の部員」の立ち位置は、ここからそんなに近くない。

 何気なく台詞を見るふりをしながら、また台本を開いた。
 見たいのは、挟まれた紙の方だ。

「……」

  『輝、秘密――守れる?』
  『これは部の伝統みたいなものだから』

  『かおる祭の2日目、一般公開の日の最後の曲は――』

 その紙に書かれた内容は先週末、琴音が言っていた件――「あの曲」のことだった。
 準備が少し遅れていると言っていたが、練習できる態勢が整ったらしい。

 曲名は――知らないやつだ。明日の朝、楽譜を配ると書いてある。
 練習時間は明日から毎日。朝の7時50分から8時15分まで、それと昼休みの間できる限り。

「……」

 思わず、顔をしかめた。

・・・・・・

 その後、山口先生による発声練習で練習準備を整えた。

 昨日の合わせ――俺が入って全体が崩れ、ぎくしゃくして思うように進まなくなった合わせの状況は、岩村先生から山口先生へ伝えられていたようだ。山口先生は各パートに再度自分たちの音とリズムを確かめ直すようにと言って、パート練習を指示した。

 俺は主旋律のみを歌うため、時々歌うパートが変わる。今日はまたひとりでの練習で、山口先生がみてくれることになった。
 陽和と千尋がいるアルトがこの練習室を使うことになり、その他のパートは空いている多目的室を探してぞろぞろと出て行く。俺と山口先生も、それに続いた。

 すぐそばの「多目的室403」が空いていて、他のパートのみんながこちらに譲ってくれた。俺は山口先生に待ってもらって、一旦練習室へ戻った。
 練習室のホワイトボードに「男声:403」と書く。アルトのパート練習はもう始まっていた。

 急ぎ、山口先生を待たせている多目的室403へ戻ろうとドアのレバーに手を伸ばしたとき――レバーが勝手に上がった。
 外からドアを開けて入ってきたのは、琴音。ちらりとこちらを見ながらホワイトボードに向かい、「ソプラノ:408」と書いた。

「……」

 目の前に琴音がいて、アルトの陽和はここでパート練習をしている。
 このふたりがそろっていて……「特定の部員」は今ここにいない。

 今なら、話しても大丈夫そう、か……

「琴音、ちょっと待って」

 部屋を出て行こうとする琴音を引き止める。

「なに?」

「『あの曲』の練習のこと……今、いい?」

 琴音がうなづいたのを見て、俺はパート練習中の陽和へ視線を送った。パートリーダーの陽和はピアノの向こうにいて、こちらの顔が見える。

 うなづいた陽和は、練習を止めた。

「ちょっと待っててね」

 陽和は千尋にそう言って、早足でこちらへやって来た。
 3人で、顔を寄せ合う。

「朝の練習――本当にいいの?」

 俺がそう言うと、ふたりはそろって顔をしかめた。
 その反応からして、分かっているんだろうに。

「練習したいってのは分かるし、実際時間もない。でも朝の練習は――」

 ……いや。
 こんなの、俺が陽和と琴音に偉そうに言う事じゃない。

「――なんて、分かってるよね。別に俺に言われなくたって」

 ふたりの表情は険しいまま。

「そうなんだけど、でも……」

 そう言って切れた陽和の言葉の続きを、琴音が拾って言う。

「うん、よくないのは分かってる。でも昼休みだけだとさすがに時間が足らない。本当はもう少し早く始めたかったけれど……台本に時間をとられたし、曲の選定にも手間取ってしまって――」

 それでもう、時間が足りない――か。この曲は部活中に練習できないのが、つらいところだ。
 でも……だからこそ、だと思う。

「この曲は『正規の台本』には入ってない。もちろん大切な歌だってのは聞いたし、俺もそう思う。でも――この曲のために毎日朝の練習入れて、もし部活に影響が出たらまずいよ」

「……」
「……」

 ふたりが何も答えないのは、俺の言うことを正しいと思っているということ。
 内心では同じ意見なんだろう。たぶん時間さえあれば、こんな無理をしようとはしない。

――ガシャッ

 急にレバーが上がって、顔を寄せ合い黙り込んでいた俺たちは同時にびくっとした。

「あ――どうもー、お取り込み中……」

 入ってきてそう言ったのは、愛。なぜか抜き足差し足でホワイトボードへ向かい、「メゾ:303」と書く。百の位が「3」だから、メゾは3階まで空き部屋を探しに行ったらしい。

 用を済ませてから、愛は振り向いてこちらへ歩み寄って来た。

「なにか大事なお話ですか? 1分だけなら私も聞きますよ」

 なんで1分だけ……。
 この件で意思決定をするのは陽和と琴音だ。愛はあえて聞く必要はないかな。

 そう思っていた俺に、予想外の愛の言葉が突き刺さった。

「――パート練習、遅れてます」

 ――!

 いけない! 部活中にこんな長々と。

「ごめん、後で時間とって話そう」

 同じく焦った顔の陽和と琴音にそう言って、すっかり忘れていた山口先生が待つ部屋へ戻ろうとドアのレバーに手を伸ばした。

「え、え? ちょっと輝さん!」

 愛が呼び止めてくる。

「私、聞くって言ったじゃないですか。私だけ仲間外れですか、ひどーいー」

 駄々をこねる愛。さっきは冷たく「パート練習、遅れてます」なんて言ってたのに。

「愛……」

 ピアノの前にひとり残され立っていた千尋が、駄々っ子を演じる愛に無表情の視線を向ける。
 しかし愛はしおれずに、不満そうな表情を返した。

「……朝の、練習の話。やるかやらないか、って」

 千尋が静かに言う。

「ああ」

 ぱっと表情を明るくした愛が、こちらを向いた。

「あの曲の練習ですか。朝の練習、輝さんが反対してるんですね」

 まるで俺たちの話を聞いていたかのように、愛は言った。

「起きてから4時間経たないと歌えないからダメ、って話でしょうけど――」

 愛は当たり前そうに、かつこの話の核心の部分をつく。

 歌は起床から4時間経たないと身体の準備が整わず、まずうまくは歌えない。もちろん声を出せば出るが、普段の練習とは全く違う。手足に錘をつけたような状態で歌うことになる。
 これでは練習の効果があまり出ないだけでなく、余程気を使わないと声そのものをダメにしてしまうことにもなる。
 これは当然、本番も同様。そのせいで、コンクールの演奏順が早い場合には、演奏時刻までに4時間経たせるためかなり早起きを強いられることもあった。移動中の電車内でも、絶対寝るなときつく言われたものだった。

 愛が陽和と琴音の間にぐいっと入ってきて、4人で顔を寄せ合った。

「そういう事でしたら――私も、輝さんと同じで。反対します」

 愛はすっぱりとそう言ってのけた。
 そして左右のふたりの顔を見る、愛。

「去年のこと、思い出してみてください。――あの時、どうでしたか?」

 去年のことは俺は知らないが――陽和と琴音は、ぐっと表情を硬くする。

「確かに本番は、無事に歌えたように思えます。ですが練習の時は、本番の少し前からみんな調子を崩しましたよね」

 愛は表情こそすっきりしているが、ぐさりと刺すようにものを言う。

「……そうね。少なくとも、万全ではなかった」

 そう答えた琴音。
 しっかり者の琴音がそう言うのであれば、実際そうだったのだろう。

 その言葉にうなづいて、愛は続ける。

「あれは毎日やった朝の練習で、思い通りに声が出ないのに無理をして出したからだと思います。もちろん頭ではダメだと分かっていますが、実際に歌う時には思わず無理をしてしまいがちです」

 そう、ダメだって事は誰だって分かっている。だから初めは気をつけようとするが、練習をしていく間に、音やリズム、歌詞を気にしていると、気付いた時には無理をしている。

「去年は最終的にはほぼ全員が調子を崩し、その声が治らないまま本番直前の練習をしていました。そんな練習の末の本番でしたが――あれは本当に、一番いい歌を歌えていたと思いますか」

 ……たぶん俺が去年からこの合唱部にいたなら、この言葉はぐっさり深く刺さっただろう。なかなか容赦のないことを言う。

「でも……」

 陽和が切実な声をあげる。

「昼休みの練習だけだと時間が、もう――」

 悲痛さが混じったその声は、部長としての責任感がそうさせるのだろう。同じ立場なら、たぶん俺も同じことを思う。

 言葉を切った陽和の後を、琴音が続ける。

「練習できるのは土日と本番直前を除いて、11日。昼休みだけの練習だと、この日数はちょっと……少ない」

 11日――か。

 ……どうだろう。

「曲の長さは? 難しい?」

 俺は3人に向かって聞いてみた。

 すぐ陽和が答える。

「ううん、短くて簡単な曲。パートは分けずに、全員が主旋律。それと2番は飛ばすから長くない。本番で、本来の演奏時間が終わった後に特別に付け足す曲だから、長く歌うと時間が押しちゃうの」

 え? 最初から時間オーバー確定? いいのか、それ。

 でも――
 そうか、そう歌うのであれば……

「なら、そうだな……明日の朝は練習をして、ひとまず歌ってみる。やってみて、簡単に音が取れるようならその後の朝の練習をやめにするのはどう? この曲、要は歌えさえすればいいんだろ?」

 歌をないがしろにするかのような言い方になったが、そういう意味じゃない。
 だってこの歌は――

「この歌、『歌う目的』があるんでしょ。すごく大切な。だから大事なのは上手いか下手かじゃなくて、この歌を『贈る相手』への気持ち――じゃない?」

 少なくとも聞いた限りでは、これはそのために歌う歌だ。他の歌とは、目的が違う。

 琴音が顎に手を当てて言った。

「気持ち、か――」

 そして、硬くしていた表情を解く。

「そうね、そのための歌だものね……陽和、どう?」

「……そうだったね。ちょっと間違えちゃってたかも」

 陽和もそう答え、すこし息をついてから俺の顔を見た。

「練習の日程、輝の言ったようにしてみる。みんなには明日の朝、伝えるね」
「うん」

 俺はそう答えて……もうひとつ、懸念点があるのに思い当たる。

 「歌う目的」「贈る相手」……
 その点を考えると、この歌は――

「あの、それと――」
「なに?」

 首を傾げる陽和。

「俺……それ歌ってもいいのかな」

 陽和より先に、琴音が反応する。

「どういうこと?」
「いや、ほら――俺、1ヵ月しか合唱部にいないし、正規の部員じゃないし。この歌、『歌う目的』からすると、俺はやめたほうが……」

 そう言うと、陽和と琴音の間を割って愛がぐいっと顔を寄せてきた。

「いいじゃないですか、輝さんも歌って。今までこんなに私たちを振り回しておいて、歌わないなんてなしですよ、なし」
「うーん……」

 そして愛は、急にぴょんと後ろに飛びのいた。

「それよりみなさん、もうとっくに1分過ぎましたよ。パート練習、みんな待ってますけど」

「あっ」
「あ」
「うあ」

 陽和、琴音、俺――3人が声を上げるのを面白そうに笑って見る愛。

 思いのほか長話をしていた俺たちは、急いで各々のパートへ散っていった。

・・・・・・

 俺は部屋にひとり残してしまった山口先生にひたすら謝ってから、昨日岩村先生に言われた通りに刷ってきた「故郷」の楽譜を手渡した。
 山口先生は平謝りする俺をなだめたが、「故郷」の練習は厳しく行われた。山口先生も、体育館で千人の前に立っての独唱という条件を意識し、この簡単な曲の練習に一番時間を割いた。

 練習時間が終わり、キーボードを片付けている時、先生に聞かれた。

「輝くん、『あの曲』、明日から練習するんだね。もちろん一緒に歌うでしょう?」

 「もちろん一緒に」……か。
 先生はたぶん、俺が歌っていいかどうか、迷っているのを分かっている。

「いえ……練習には一応出ますけど、僕は……」

 先生は目を細める。

「いいと思うよ、歌って。一緒にいた時間は短いけど、歌う側も『歌われる側』も、輝くんに歌ってほしいんじゃないかな」

 ……。

 「歌われる側」も――

 本当に……そうなんだろうか。
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