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2:それでも好きだから
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「お嬢様はアホですわ」
「……分かってる」
私は自室のベッドに腰掛け、少し癖がある長い赤髪を弄っていた。母からその癖を直せと幼い頃から言われてきたが、今でも油断するとこうして出てしまう。
「分かっていませんから、こうして口酸っぱく言っているのです」
メイド長であるシャムがそう言って、私が誕生日にあげた銀縁眼鏡の奥から灰色の瞳で私を射貫く。この国では珍しい褐色の肌に、銀縁と金色の髪がよく映えていた。
「断固として聖教会に、あのクソボケ王子の一方的な婚約破棄は不当だと抗議するべきです。一週間後にはフラムお嬢様達は成人されて、法令的にも婚約破棄が認められてしまいます。そうなるまでにあの馬鹿王子の四肢を捥いでも、婚約破棄の撤回を求めるべきです。でないと……」
「でないと、私の将来も危ういでしょうね」
シャムの言葉に私は嫌気がさして、上半身をベッドに投げ出した。ベッドの天蓋が見えるが、それだけだ。
将来とか、そういうのはもう考えたくない。
「仮にも友好国である王子との婚約が破棄されたとなればお嬢様の名に傷が付きますわ。そんな傷物を貰ってくれる殿方なんていませんわよ」
「別に結婚なんてしなくて良いじゃない。この時代、王侯貴族なんてただの国の象徴でしかないんだから。くだらないわ」
時代は変わったと母は言う。もはや貴族も王族もただの飾りでしかない。政治は政治家が行い、軍事は軍人が行う。貴族社会はとっくの昔に崩壊している。
それに気付いていないのは、内輪だけで古き良き時代を未だ引きずっている王侯貴族達だけだろう。
「そういうわけにはいきません。とにかく、あの王子と婚約することが幸せとは思いませんが、少なくとも一方的な婚約破棄ではない、という形に持っていくべきです。いっそ王子を暗さ――」
「はい、ストップ。そんな事したら大問題でしょ」
殺意を纏うシャムを窘める。このメイド長、仕事は恐ろしく有能なのだが、時折こういう怖い事を言い出す。なまじ冗談ではなさそうなのが怖い。
「幸せ……か」
クリスの無邪気な笑顔を思い浮かべる。このファルシオン王国の友好国であり、隣国でもあるマゴーシュ聖国の第3王子であるクリス・マゴーシュ。私と同じ、十七歳。
そして私が幼い頃から、親によって決められた婚約者として、ずっと接してきた相手だ。
私は、それに不平も不満もなかった。物心ついた頃、そういうものだと教えられていたせいもあるが、単純にクリスが好きだった。好きに――させられた、と言ってもいい。
だって、幼い頃からこの人と一緒になる、恋人となり夫婦となる――と洗脳されていたのだ。今考えると、なんて馬鹿らしいことなのだろうか。
そんな彼が、十六歳で高等学院に入ると同時に、一方的な婚約破棄を私に突きつけてきたのだ。
その突然さに私は混乱したが、どこか自分の醒めた部分が、まあそうだろうなと納得していた。
だから私はその時、泣きすらもしなかった。
『好きにしたら?』
言いたい事を全て飲み込んで、それだけ伝えた事を今でも覚えている。
もうすぐ、あれから一年経つのだ。
クリスはその後まるで、繋がれた鎖から解放された犬のように、とっかえひっかえで学院の女の子達に手を出しているらしい。詳しい事は知らないし、知りたくもない。
そして、飽きた子に対しては、元婚約者がうるさいから別れようと切り出すようだ。おかげで、何の関係もない私に今日みたいなとばっちりが来るのだ。
「最低な男だよほんと」
私の呟きを聞いているのかいないのか、シャムが無言で紅茶を入れ始めた。心地良い香りが部屋に広がっていく。
そんな好き放題しているクリスに、しかし私は文句も愚痴も言わなかった。
それを知っているだけに、シャムはそんな私の態度が気に入らないようだ。
このままいけば、一週間後にある成人の儀をもって私達の婚約破棄が、正式に聖教会によって許可されるだろう。そうすれば間違いなく、私は王子に捨てられた女、という不名誉な称号が公になってしまう。
だけど仕方ない。仕方ないのだ。
それが偽りだと分かっていながらも……私は今でも――クリスが好きなのだから。
「……分かってる」
私は自室のベッドに腰掛け、少し癖がある長い赤髪を弄っていた。母からその癖を直せと幼い頃から言われてきたが、今でも油断するとこうして出てしまう。
「分かっていませんから、こうして口酸っぱく言っているのです」
メイド長であるシャムがそう言って、私が誕生日にあげた銀縁眼鏡の奥から灰色の瞳で私を射貫く。この国では珍しい褐色の肌に、銀縁と金色の髪がよく映えていた。
「断固として聖教会に、あのクソボケ王子の一方的な婚約破棄は不当だと抗議するべきです。一週間後にはフラムお嬢様達は成人されて、法令的にも婚約破棄が認められてしまいます。そうなるまでにあの馬鹿王子の四肢を捥いでも、婚約破棄の撤回を求めるべきです。でないと……」
「でないと、私の将来も危ういでしょうね」
シャムの言葉に私は嫌気がさして、上半身をベッドに投げ出した。ベッドの天蓋が見えるが、それだけだ。
将来とか、そういうのはもう考えたくない。
「仮にも友好国である王子との婚約が破棄されたとなればお嬢様の名に傷が付きますわ。そんな傷物を貰ってくれる殿方なんていませんわよ」
「別に結婚なんてしなくて良いじゃない。この時代、王侯貴族なんてただの国の象徴でしかないんだから。くだらないわ」
時代は変わったと母は言う。もはや貴族も王族もただの飾りでしかない。政治は政治家が行い、軍事は軍人が行う。貴族社会はとっくの昔に崩壊している。
それに気付いていないのは、内輪だけで古き良き時代を未だ引きずっている王侯貴族達だけだろう。
「そういうわけにはいきません。とにかく、あの王子と婚約することが幸せとは思いませんが、少なくとも一方的な婚約破棄ではない、という形に持っていくべきです。いっそ王子を暗さ――」
「はい、ストップ。そんな事したら大問題でしょ」
殺意を纏うシャムを窘める。このメイド長、仕事は恐ろしく有能なのだが、時折こういう怖い事を言い出す。なまじ冗談ではなさそうなのが怖い。
「幸せ……か」
クリスの無邪気な笑顔を思い浮かべる。このファルシオン王国の友好国であり、隣国でもあるマゴーシュ聖国の第3王子であるクリス・マゴーシュ。私と同じ、十七歳。
そして私が幼い頃から、親によって決められた婚約者として、ずっと接してきた相手だ。
私は、それに不平も不満もなかった。物心ついた頃、そういうものだと教えられていたせいもあるが、単純にクリスが好きだった。好きに――させられた、と言ってもいい。
だって、幼い頃からこの人と一緒になる、恋人となり夫婦となる――と洗脳されていたのだ。今考えると、なんて馬鹿らしいことなのだろうか。
そんな彼が、十六歳で高等学院に入ると同時に、一方的な婚約破棄を私に突きつけてきたのだ。
その突然さに私は混乱したが、どこか自分の醒めた部分が、まあそうだろうなと納得していた。
だから私はその時、泣きすらもしなかった。
『好きにしたら?』
言いたい事を全て飲み込んで、それだけ伝えた事を今でも覚えている。
もうすぐ、あれから一年経つのだ。
クリスはその後まるで、繋がれた鎖から解放された犬のように、とっかえひっかえで学院の女の子達に手を出しているらしい。詳しい事は知らないし、知りたくもない。
そして、飽きた子に対しては、元婚約者がうるさいから別れようと切り出すようだ。おかげで、何の関係もない私に今日みたいなとばっちりが来るのだ。
「最低な男だよほんと」
私の呟きを聞いているのかいないのか、シャムが無言で紅茶を入れ始めた。心地良い香りが部屋に広がっていく。
そんな好き放題しているクリスに、しかし私は文句も愚痴も言わなかった。
それを知っているだけに、シャムはそんな私の態度が気に入らないようだ。
このままいけば、一週間後にある成人の儀をもって私達の婚約破棄が、正式に聖教会によって許可されるだろう。そうすれば間違いなく、私は王子に捨てられた女、という不名誉な称号が公になってしまう。
だけど仕方ない。仕方ないのだ。
それが偽りだと分かっていながらも……私は今でも――クリスが好きなのだから。
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