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割り箸の滝
しおりを挟む割り箸の滝が降り注ぐ夢を見ていた。私は当初、その光景に新鮮さを覚えて見入っていたが、しばらく見ていたら飽きた。割り箸が降り注ぐからといって何だというのだろう。水の代わりに割り箸が降り注いだからといって、誰にご利益があるわけでもない。私はその滝に背を向けて、現実世界へ歩き出した。滝は滝でひたすら流れ続けるが良い。私はもう行く。
滝の次に目にしたものは猫だった。数年前に拾った猫で、今やすっかりと我が家に居着いている。「割り箸の滝」と猫に向かってつぶやくと、めんどくさそうに尻尾を振った。その尻尾の振り方があまりにも義務的だったので、私は少し苛々した。「滝、滝、滝、割り箸の滝」と歌いながら猫に近づくと、私の脇をすり抜けて部屋を出て行ってしまった。きっと、割り箸の滝を見に行ったのだろう。道中の無事を祈る。
そうこうしているうちに、目覚ましがテリリテリリと鳴った。私は目覚ましを見るたびに、「目覚ましに生まれなくて良かった」とつくづく思う。もし目覚ましに生まれていたら、人々を強制的に起こし、恨みがましい顔を向けられ、八つ当たりされていただろう。ただ自分の職務を全うしているだけなのに、「うるせぇなぁ」というトゲトゲしい言葉を一方的に投げつけられるのだ。そんなのは私には耐えられない。目覚ましには悪いけど、今回の生は人間をまっとうさせて頂きます。
私は朝ごはんを食べない。朝というのは、ただそれだけで大儀なのに、そこに「朝ごはんを作る」という補填的行為が加わってしまったら最悪だ。朝という時間は、ひたすら怠惰に過ごしたい。私は朝ごはんの代わりに、紙パックに入ったアイスコーヒー(微糖)に豆乳を少し入れて飲む。豆乳を入れることによって、凡庸なコーヒーの味がまろやかになるので気に入っている。私は一気にコーヒーを流し込むと、社会的仮面としてのメイクをささっと顔に施して、急いで家を出た。視界の隅に猫の姿を捉えたような気がしたが、今はそんなことにかまけている暇はない。猫には猫の、人には人の生活がある。夜にお互い無事で会おう。
私はマンションの駐輪場にとめてある自転車にまたがって、会社に向かった。会社までは、自転車で30分かかるのだが、満員電車に乗るよりは遥かにマシだ。満員電車という事象を想像するだけで、私の頭はパンクしそうになる。満員電車に乗り込む人々を馬鹿にするつもりは全くないが、私はなるべく関わらずに生きたい。満員電車に乗り込む人々に対する視線は、私の飼い猫に対する視線と同じだ。そちらはそちらで、なんとかやり過ごしてください。こちらはこちらで、這々の体でございます。お互いの人生に敬礼。
そうこうしているうちに、会社に着いた。私が勤めているのは、小さな食品会社だ。その会社の2階の片隅にある日当たりの悪い場所で、朝から夜まで事務作業をしている。私の友人からは「事務作業なんて退屈でしょ。よく何年も続けてるよね」と言われるのだが、全く退屈ではない。やることがあまりにも多くて、退屈している暇などないのだ。ただ、事務作業は私一人でやっているので、人間関係に付随するストレスは全くない。だから私はこの仕事を選んだのだ。もしも誰かと一緒に作業をした場合、机に置いてある猫の写真に対して、文字通りの猫なで声で話しかける私の姿を見られてしまう。そうなってしまったら、もう会社を辞めるしかない。猫退職だ。
あっという間に、昼休みになった。私の会社は、12時から12時45分までが昼休みになっている。それに加えて、3時から3時15分までの休憩もある。この会社に入った頃、「12時からの休憩が昼休みなら、3時からの休憩はなに休みなんですか」と社長に訊いたら、「君はなに休みがいいの」と訊き返されたので、「『退社時刻までもう少し休み』なんてどうですか」と答えた覚えがある。そのときの社長の反応は忘れた。おそらく、忘れた方が良い類の反応だったのだろう。ごめんね社長。でも休みの名前は変えないよ。だって、偽らざる本音だから。あらゆる勤め人は、退社したくて出社しているのだから。
あまりの眠さにうつらうつらとしてきて、パソコンの文字が見えづらくなってきたら、いよいよ退社時刻の到来だ。私はいつも、退社時刻を盛大に迎える。周りには誰もいないので、「よしっ」と大きめの声を発しながら、ノートパソコンを勢いよく閉じるのだ。普通の人はそっと閉じるのかもしれないが、私はそうしない。勢いよく閉じないと、一日の作業が終わった気がしないし、なによりも、私の前にわざわざ顕現した退社時刻に対して申し訳が立たない。パソコンを勢いよく締めるという挙動によって、退社時刻に感謝の気持ちを表しているのだ。もちろん、心の底から、そのようなことを信じ切っているわけではない。私はすこぶる正常だ。私はタイムカードを颯爽と押すと、すれ違う人々に空気のような挨拶をしながら会社を出た。外はもう真っ暗だ。私は自転車にまたがり、猫が待つ我が家を目指してペダルを漕ぎだした。
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